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クワガタと軽トラと叫ぶ女

 今年の夏、まさに怪談のような体験をしたんです。

 私にはクワガタが好きな友人がいます。彼は何か所かクワガタ観察の穴場を知っていました。

 毎年、私はその友人と一緒にクワガタを探しに行くことを楽しみにしていました。 

 今年も行こうと誘ってもらって、7月中旬に出かけたんです。

 午後5時ごろに友人は車で家に来て、私を拾ってくれました。

 ファミレスで共に夕食を済ませ、友人は利根川へ向かって車を走らせました。

 河川敷に運動公園があって、野球場やサッカー場が設けられているのですが、その横にけっこう広いクヌギ林があるのです。そこがクワガタやカブトムシの穴場で、毎年夏にノコギリクワガタやコクワガタ、けっこう大きなカブトムシなんかが湧くのです。

 運動公園の駐車場に着いたのは、午後7時半ごろのことでした。

 日が長い時期ですが、さすがにもうすっかり暗くなって、星が瞬いていました。

 夜の河川敷の駐車場には誰もいなくて、車は友人のもの以外、1台も駐まっていませんでした。

 私たちは虫よけのスプレーを体にかけ、懐中電灯を点けて、運動公園を横切り、林の中へ入っていきました。

 多くのクヌギの木が生えています。

 友人は木の幹に光を当て、「いるぜいるぜ」と言いました。

 私も近寄って、ライトで照らしました。

 樹液が垂れて、そこに虫が寄っていました。黒光りする見事なノコギリクワガタがいました。

「今年もまた見ることができたなあ」と私は感動して言いました。

 友人はクワガタの写真を撮りました。

 彼はクワガタの姿を写真に残すだけで、けっして採集しようとはしないのです。

「捕らなければ卵を産んで、また来年も俺たちに姿を見せてくれる」と彼は言うのです。

 その彼の主義を、私はとても良いと思っていました。

 クワガタやカブトムシを罠で捕らえて、根こそぎ持っていってしまうような人たちもいるらしいです。

 彼が知っていたクワガタの穴場のいくつかは、罠で荒らされて、すっかり虫の数が減ってしまったそうです。

 その河川敷の林はさいわいまだ無事で、今年も多くのクワガタとカブトムシを観察することができました。

 私たちはすっかり満足して、林から出て、駐車場へと向かいました。

 異変を察知したのは、そのときのことです。

 駐車場からギュルルルルという激しい音がして、女性の叫び声のようなものが聞こえてきました。

「なんだろう?」と友人は言いました。

 不吉な予感がしました。

 駐車場に近づいて、異音の正体がわかりました。

 軽トラックが荷台に若い女性を乗せて、ものすごいスピードで駐車場をぐるぐると回っていたのです。

 ギュルルルルという音は、タイヤの軋みでした。

 女性は荷台にしがみついていて、「ぎゃーっ、止めてーっ、落ちるーっ」と嬌声をあげていました。明らかにスリルを楽しんでいます。

 運転手がどのような人物なのかは、暗くてわかりませんでした。

 私は若者が暴走しているのだろうと思いました。

「怖いね」と私は言いました。

「ヤバいよ。からまれる前に帰ろう」と友人は言いました。

 私と友人は急いで車に乗り込みました。

 彼がエンジンをかけ、車を発進させると、暴走軽トラックが追ってきました。

「ぎゃーっ、止めてーっ、落ちるーっ」と女性がわめいています。

「マジでヤバいやつらだ」と友人は言い、車のスピードを上げました。

 そのとき、後方でドサッという音がして、それから「痛いーっ」という叫び声が聞こえてきました。

 女性が車の荷台から落ちたようでした。

「痛いーっ」という声が繰り返し聞こえてきます。

「痛いーっ、痛いーっ」と叫んでいます。

 暴走軽トラックは停車しました。

「事故だ」と私は言いました。

「あんなやつらとはかかわりたくない」と言って、友人は車を止めず、そこから走り去りました。

「まさか死んだりはしないよね?」と私はつぶやきました。

「大丈夫だろう?」と友人は答えました。

 その夜は、どうにも後味が悪かったです。

 帰りの車の中では会話は弾まず、沈黙が多かったです。

 私の家に帰り着いたとき、私はなんとか「今日はありがとう。気を付けて帰ってね」と言いました。

「ああ、お疲れさま」と友人は言いました。 

 彼と別れた後も、「痛いーっ」という声が頭にこびりついて離れませんでした。 

 8月上旬になって、クワガタ好きの友人から連絡がありました。

「またクワガタを見に行かないか?」と彼は私を誘いました。

「いいよ」と私は答えました。

 友人は「土曜日に」と言いました。

 その週の土曜日、午後5時ごろに、私は車で拾ってもらいました。

 先日も行ったファミレスにまた入りました。

「痛いーっという声が耳にこびりついてしまったんだ。どうにも気になる」と彼は食後に言いました。

「今夜またあそこへ行くんだね?」と私がたずねると、彼はうなずきました。

 利根川河川敷の運動公園に向かって、友人は車を走らせました。

 午後7時半ごろ駐車場に着き、彼は車を駐めました。

 今夜は暴走軽トラックの姿はなく、ギュルルルルというタイヤが軋む音も聞こえてきませんでした。

 でも、女の声だけが聞こえてきたんです。

「痛いーっ」という声が聞こえてきました。

 声のする方を懐中電灯で照らしましたが、女性の姿は見えませんでした。

「痛いーっ」という声がするだけなのです。

「痛いーっ、痛いーっ」という声だけが響いているのです。

 友人は黙ってエンジンをかけ、駐車場をあとにしました。 

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