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とある暖かい春の日。
さて、今日はどんなお客様が来るのでしょう。
春。終わりや始まりの季節。
桜やチューリップなどの花が咲いて、暖かくなる季節。
日が長くなる季節でもある。
太陽が昇るのと同じく、珈琲店の朝も早い。
昨日仕込んだサラダやデザートはいいとして、軽食を作ったり珈琲を焙煎しなければいけない。あとは朝の掃除に植物の水やり。レジの準備。やり始めたら早いが、慣れなかった最初は手際が悪く、開店時間ギリギリだった。
7時59分まで開店作業をやっていた時もあったが、今は遅くとも8時10分前には終わる。
店先にA4くらいの大きさの黒板の看板を、手書きで軽食、デザート、珈琲を書いて飾る。
看板を置き終わってから、扉のドアにかかっている「CLOSE」の木のボードを「OPEN」にひっくり返す。
30分後には常連の方々が足を運び扉を開けて、「みっちゃん、おはよー!いつものー」と叫びながら席へと歩き出す。
「篠崎さん、おはようございます!」と名前と挨拶をしてブレンドコーヒーを抽出し始める。
「みっちゃん、軽食はサンドイッチじゃないのかい?」の声が聞こえると、看板を見て入ってきた常連のお客様が「残念、今日はホットドックだってさ!ね、みっちゃん」と言っていた。
私は笑いながら「吉川さん、すみません。今日の気分は、サンドイッチ気分じゃなかったんです。ホットドック気分でした!ウィンナーにチーズを挟んでます」と返すと、「じゃ、それよろしく!」と返答が来た。気分じゃあ、仕方ない。なんて付け加えて。
開店から1時間すると、常連のお客様が入れ替わったりしている中、女性のひとりが「みっちゃん!」と呼んで入口を指した。
「え?」と声に出して入口を見ると、黒縁メガネをした黒髪のスーツ姿の男性の方がうろうろしていた。
「みっちゃんの彼氏かい?さっきから入口の前でウロウロしてたよ」と。自分は気づかなかった。警察を呼ぶべきか?でも、入口をウロウロされると困ってしまう。
カタン、とキッチンから出て入口の扉を開け男性に「どうされましたか?」と声をかける。見た目は30代くらい。スーツも比較的綺麗で、アイロンもキチンとしていた。
固唾を飲みじっと見守るお客様の目線が痛い。
男性は「あ、すみません」とポツリと呟くと中へ入ってくる。ノートパソコンが入りそうな大きな鞄を手に持っている。
中へ入ってもキョロキョロしていたので、私はハッと我に返り扉を閉めてから、「いらっしゃいませ」と言う。そして、挨拶後すぐに続けた。
「……あの。もし、ノートパソコンでお仕事されるようであれば、カウンターの角のお席をオススメします」と、たまたまカウンター席の左奥の壁が近い角の席が空いていたからお伝えすると、「そこにします」と彼は歩いていく。
座るのを見計らい、キッチンの中へ入る。周りのお客様は一安心したのか、ざわざわと賑やかさが戻ってくる。
「当店は初めてでいらっしゃいますか」と聞くと、「はい」と肯定された為、説明をし始める。
「当店では珈琲はブレンドコーヒーのみとなります。他は紅茶、ハーブティーがございます。また、本日の軽食はチーズが乗ったホットドック。プラスでサラダとスープがつきます。いかが致しましょうか」接客業として培った言葉をスラスラ話し始める。
一瞬の間が空いてから、「ブレンドコーヒーを。アイスで」と呟いた為、「かしこまりました」と了解して伝票を書いた。
ノートパソコンを鞄から出すのかと思いきや、iPhoneを出していた。覗くつもりは無いが、「あら?」と思ってしまった。
耐熱カップに沢山の氷を入れて、特製ブレンドの熱々コーヒーを注いだ。じゅわぁと一気に氷が溶ける。
「よし」なんて思ってから、「お待たせしました。ブレンドコーヒーのアイスでございます」と声を出したら、男性が顔を上げる。
コースターを置いて、その上にカップを置いた。「どうも」とぼそりと呟いた。
なんだか無愛想だなぁ、なんて思ってしまう。
ミルクやシロップを入れようと手を伸ばそうとする男性を見て、「あ」と声を出してしまった。手が止まってじろり、と目を見られた。
すみません、と思い、目を逸らしてしまう。
いけない、いけないと言い聞かせて、男性に目線を合わせてから口を開く。
「……すみません。もし良ければブラックコーヒーのまま1口お飲みください。それから、シロップやミルクをいれて甘さ等を自分好みに調整をしてください」と付け加えると、また顔を見られている。
無言のまま、ミルクやシロップに伸びていた手を戻した。
カップに手を伸ばし、1口飲むと「ブラックコーヒー、初めて飲みましたがまだ慣れないです。でも、美味しいです」とポソポソと話していた。
彼の話によるともう少ししたら転職先の会社の面接という事。
緊張しすぎて、1時間も早く最寄り駅に着いてしまった事。
時間を潰そうと思っていたら、ここの珈琲店を見つけて入るか入らないか迷っていた事。
そのような事をポソッと呟き始めた。
「受かるかは分からないけれど、誠実な心ややりたい事をしっかり伝えてきなさい」と贈っておいた。
肩の荷がおりた男性は「ご馳走様でした。ありがとうございます」と呟いて、お店を出ていった。
さて、彼は受かるのだろうかね〜なんて思っていたら、「みっちゃん、お人好しだねぇ」と茶々が入ったのは気のせいだ。
さて、明日はどんなお客様が来るのかな。
頑張ってねなんて言ったら、きっとプレッシャーになってしまう。
心の中で応援するのも優しさなのだろうか?