2.アレよ、アレ、ほらアレ
反射的に女子高生に覆いかぶさると、一瞬の浮遊感のあと、不思議な香りに包まれた。
(なに、この香り)
思わず深く吸い込む。
(ほろ苦くて、さわやかで、少し甘くて。なんだろう、スパイス?いやちがう)
胸がギュッと締め付けられて、温かい気持ちになる。
少女時代のすごく大切だった何かを思い出しそうな、涙がこぼれそうな。
(これって……)
「すいません、ちょっと苦しいんですけど」
ハッと目を開けると、脇に女子高生を抱きしめていた。
反対の脇には一升瓶、唇からはスルメの足が見えている涙目の中年女。
社会的にアウトな構図である。
「ひっ!!ごめんなさい訴えないでくださいごめんなさい!!」
飛びのくように離れると、少女は頭を軽くふり、目をこすりながら顔を上げた。
「ケガはしてない?」
「うぅ、たぶん大丈夫です」
目が合ったのは、まつげの長い美少女だ。
(ほっぺも唇もぷるぷる!アイドルみたいに可愛い)
もはや存在しない孫を見る気分である。
「あのね、私怪しいものでなくて、」
先ほどの奇行を挽回すべく、笑顔で善良さをアピールするが、脇に挟んだ一升瓶が隠しきれない。
曇っていく女子高生の顔。脇汗がすごい。
挙動不審なアラフォーに対し、女子高生のほうが冷静になるのは早かった。
「ここ、どこでしょう?」
「え?ああ、どこ、ですかね。温室の中みたいだけど」
周りを見渡すと、白い花が一面に広がっており、ガラスドームを濃厚な香りで満たしている。まるで空の上にいるような、不思議な空間である。
(香りの正体は、この花か)
近づいてよく見ると、透明で花弁を持ち、ハート形の花びらが重なっている可憐な花だ。
香りを身体に刻み込むように、吸い込む。
(初めてなのにすごく懐かしい香り…どこかで……)
遠い記憶を探っていると、周囲を見渡していた少女がぽつりとつぶやいた。
「私たち、さっきまで夜道を歩いてましたよね?」
「そうね、うん。えっ瞬間移動?手品かな。いや、事故?まさか誘拐?」
状況がわかるにつれ段々パニックになってくる。
「あ、異世界転移ぽい」
「は?」
聞き直すと、少女はくるん、とこちらを振り返り、はっきりと告げた。
「ここ、多分日本じゃない…てか地球じゃないです」
「んん?頭でも打った?」
少女は、ほら、とガラスの外を指す。
ガラス窓に近づくと、外には赤くて丸い月が2つ並んでいた。
「月が二つ……?」
「ね?」
「そんなバカな」
目を凝らすが、人工のものではなさそうだ。
先ほどまで汗ばんでいた肌が急に冷たくなる。
「い、異世界ってなに、私たち異星人に拉致されたってこと?Xファイルみたいに?」
「エックス…なんですかそれ?青い鳥だったやつ?」
だめだ、通じない。え、いま深夜放送してないの。
しばしの沈黙のあと、女子高生が口を開く。
「えっと、異世界トリップって聞いたことないです?」
「トリップ?!クスリ、ダメ、絶対。」
「うーん、トラックにはねられたのかなぁ。」
「あの世ってこと!?」
少女は小さくため息をついた。どうもすいません。
大人しくスルメをハムハムする。
「あの、異世界トリップ、転生、召喚…いろいろありますけど、今異世界、めっちゃ流行ってるじゃないですか」
「なにそのハワイみたいな流行、こわい。異世界いって何するの……」
「よくあるやつだと、異世界救って逆ハーレムとか、チートスキルで無双とか」
「あぁ、カメを助けて竜宮城、きびだんごで鬼退治!みたいな?」
「それラノベじゃなくて、日本昔話ですね」
「私が子どものころの異世界なんて鬼ヶ島くらいだよ」
あ、冷たい目線。ハムハム。
「うーん、召喚した人がどこかにいると思うんですけど。とりあえずここから出ません?」
「賛成。あ、スルメいる?」
「大丈夫です、お気持ちだけで。」
少女の提案で広い温室の出口を探していると、遠くから足音が聞こえてきた。
警戒していると突然、壁面だと思っていた正面のガラスが開く。
現れたのは、おとぎ話の王子様……ではなく
「いや、おっさんかい」
少女の非情なツッコミが、ガラスドームに反響した。