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二人だけのフォークロア  作者: こす森キッド
9/11

スンマの森 1.

ギャグ回です。好き放題に書きました。


──香炉が二人の家に来てからまだ間もないある日のこと。



「はぁ〜、もう……。在外子会社との連結決算ってどういうことって感じだよ……。

 全然できなかったなぁ……。というか、あんなの初見でできる人いるのかなぁ……?」

 自宅マンションのエレベーターの中で一人になると、僕は深く、非常に深く溜め息を吐きながら、愚痴を漏らさずにはいられなかった。

 今日は前々から勉強していた簿記の試験を受けてきたのだが、率直に言って期待のかけらも持てないほどの出来で終わった。それなりに頑張って勉強してきたつもりなので、なかなかショックだった。会場を出る時には、今日は気絶するまでヤケ酒でもしてやろうかとも思ったものだが……。

 今日は日曜日なので、残念ながら明日から仕事がある。

 それに、今頃はもう、資格予備校の各社が今日の試験の解答速報と配点予想をネット上で公開しているはずだ。

 生憎僕は自己採点する必要もないくらいのボロボロ具合だった訳だが、それでも今日初見で解いた時の記憶が新鮮なうちに、つまり旬なうちに復習をしてしまった方が後々楽になるということはこれまでの経験で分かっている。

 正直シンドイけれども……家に着いたら気が緩んでしまう前に今日の問題を精査し直しておこう。そう思いながらエレベーターから降りて、足早にひかりと同居している部屋へと歩く。カツカツと踵が鳴る音が共用廊下に響く。


「ただいまー、帰ったよー…………お?」

 部屋に入って玄関の鍵を閉め、上体を屈めて靴を脱いでいたところ。居間と玄関に続く廊下とを区切るドアがガチャリと閉じられた音がしたので、なんだろうと顔を上げたら、そこには同居人であるひかりが立っていた。

 なんというか、僕の帰りをずっと待ち侘びていたとでも言わんばかりに、仁王立ちをしている。ピンク色のパーカーに薄グレーのスウェットという部屋着姿はいつも通りなのだが、どうも様子がおかしい。


 な、なんだろう、怖いなぁ……。もしかして何か怒ってる?

 今朝、何か怒らせるようなことしたっけ……?

 異様な雰囲気に、思わず僕は身構えてしまう。

 実際、身構えて正解のようだ。ひかりは僕の姿を認めると、両手をがばりと高く掲げて、靴下も履いてない素足で僕の方へジリジリと近づいてくる。小動物を捕食しようとする時の猛獣みたいな目をしている。

「はぁ、はぁ…………。おかえりなさい、ゆうき君……。

 帰ってくるのを待っていたんだよ……」

 いつもより鼻息が荒い。怖い。

 一歩一歩進んでくるたびに、彼女の僕とほとんど変わらない背丈、女性としては結構がっしりした肩幅を土台にふっくら柔らかそうな両胸の膨らみがゆっさゆっさ揺れながらこちらへ迫ってくる。普段の三倍ぐらい重たそうに見える。怖い。

「…………勉強が忙しいって言うから、私今月はずーっと我慢してたんだからね……?

 今日という今日は、ゆうき君の成分をたっぷり補充させてもらうんだか、らっ!」

「うおっ!」

 ある程度距離が縮まったところで、ひかりが僕に一気に飛びかかってきたのだ。反射的に、僕は掴みかかろうとしてきた両腕を咄嗟に潜って躱し、そのまま彼女の懐をスライディング気味にすり抜けて居間の方へと逃げ道を探す。

「こらぁ!待てえぇっ!逃がさんっ!」

「ひええぇっ!?」

 居間に到達した僕の背後、夜叉が身を翻してこちらに迫ろうとするのが分かる。


 やばい、勉強のことに意識が行きすぎてて、すっかり忘れてた……。

 試験の勉強が煮詰まってきた辺りから、ひかりも気を遣ってくれていたのだろう、二人の間でのスキンシップがすっかりご無沙汰になっていたのだった。

 しかし頭では仕方ないと分かっていても、触れ合いの実感がないと満足できない性分である彼女にはどんどんフラストレーションが溜まってしまうようで、最終的にこんな感じになってしまうのだ。

 勿論、彼女が僕に配慮してくれていることも分かってはいたし、正直僕からしても我慢していた部分は多分にあったので、『僕、この試験が終わったら、彼女と二人でしっぽりしけこむんだ……』と思って張り切っていたのだ。問題用紙に載せられたドル建ての子会社株主資本内訳を見るまでは。


「ふおおぉ!!」

 這々の体で居間に転がり込んで、彼女が僕に追いつく前に、なんとか“アレ”を使って彼女の動きを封じなければと僕は部屋中に視線を巡らせる。

 ひかりには悪いけれども、せめて、せめて今日の問題を解き直し終えるまでは、時間稼ぎをさせてもらう!

 程なく僕はテーブルの上に“アレ”を──ある日ひかりが出張先から持ち帰ってきた魔法の香炉を見つける。後ろ手に掴み取り、丁度居間に足を踏み入れていた彼女の方へとそれを向けた。

 彼女はそれが魔法の香炉であると認知していないはずだが、僕の手中にあるそれを見て、『しまった』とでも言いたげに大きく目を見開いていた。

 そして僕が香炉を擦ると、

「ひゃあっ!」

再び廊下の方へ踵を返そうとしていた彼女の身体がフワリと宙に浮き、気体か液体かのように流動的な動きで僕の持つ香炉の通気口の中へ、足先から頭までシュルルルと吸い込まれてしまった。


 ふう…………。

 ようやく僕は一息つくことができた。

 とりあえず香炉に封じ込めてしまえば、彼女は僕の意思に沿わない行動をとることができない。

 手元でカタカタカタ……と抵抗するように香炉が振動している。



✳︎



「あああああぁ!!

 もうちょっとのところだったのにぃぃぃ♡♡」

 香炉の中、私はピンク色の液体になって目をグルグル回しながら渦巻いていた。

 失敗した!

 この香炉だけはゆうき君が出かけてるうちにどこかに隠しておくべきだった。早く帰ってこないだろうかと、今か今かと待ち侘びていたせいですっかり忘れていたのだ。

 こんなふうに私の動きを封じるために使われたんじゃ、わざわざ買ってきた意味がない!

 しかし今更悔やんでも、香炉に閉じ込められたら最後、ご主人様がもう一度香炉を擦って呼び出してくれなければ魔人に変化した今の私は外に出ることができない。

 うーん、試験が終わったばかりで疲れてるから今度にしてくれってことなのかな……。でも私だってずっと我慢してきたんだし、今日ぐらい私の気持ちに応えてほしかったな……。

 そんなことを考えながら、身体の中に溜まって吐き出す場所のないエネルギーに任せて香炉の中を物凄いスピードでグルグルグルグル回っていると……。

「あれっ……?」 

 外の世界から、魔人の私を呼ぶ声が聞こえてきた。

 どうやらゆうき君がもう一度香炉を擦っているようだ。

 てっきりしばらく閉じ込められたままにされるのかなと思っていたけど……?

 とにかく、ご主人様のもとに姿を現すため、私は外界に急浮上する──。


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