二人だけのフォークロア 2.
この部分に状態変化描写はありません。
状態変化描写だけを読まれたい方は、飛ばしても大丈夫なようには書いています。
2.
彼女は海外に出張することが多いが、別に世界中を飛び回っている訳ではない。
大体特定の取引ルートは決まっていて、彼女の担当は中華人民共和国だ。
その中でも、会社としての調達及び営業拠点は、特定の地域に集中している。
「どこに行くことが多いの?」
「えーとね、台湾の向かい側らへんかな」
なるほど、あそこらへんか。
あの辺の地域は、千年以上前から現在に至るまで、大陸における海上貿易の要衝として栄えてきた長い歴史がある。
日本の港と船で結び、資材や製品の海上輸送に係る渉外業務が主な仕事のようだった。
大変そうな仕事をしているように聞こえるのだが、彼女は家に帰ってきては身体的疲労を訴えるものの、なかなかにやりがいを感じながら仕事をしているようだ。
その凝った脚を、よく僕が揉みほぐしてやっている。
彼女の出張の間、僕が寂しい思いをしていないと言えば嘘になるが、それ以上に彼女が良いモチベーションを保ちながら仕事を続けられていることに、僕は好感を抱いている。
香炉に話を戻そう。
例によって彼女が出張から帰ってきたある日のこと。
お土産として、彼女が中国から持ち帰ってきたのがその香炉だった。
まず見た目が、なんとも独特である。
全体が青銅か何かでできているようだが、この手の調度品に青銅を使うことが一般的なのかどうか、知識がないのでよく分からない。
球体を上から潰して平たくしたような形で、その両脇に取っ手が付いている。
所々に通気口がポツポツと配置されているが、その中でも特に大きな口が、両取っ手よりも内側、蓋との境界線上に一個ずつ開いている。
その取っ手と蓋に施された装飾は、中華風というよりもどちらかというと中東の方、大昔風な言い方をすれば『天竺のさらに向こう側』を彷彿させる。
一方で、その香炉の本体周りに描かれている模様を見ると、こちらは僕らが慣れ親しんだ和風のものが描かれている。
そんな訳で全体的な印象としては、一つの器の中にアジア各地のステレオタイプ的イメージを融け合わせたような、なかなか不可思議なものだ。
しかし、それが破綻しているという訳でもなく、むしろ一芸術作品として唯一無二の魅力を放っていて、見れば見るほど目が吸い寄せられるような、そんな魔力が感じられる。
思うに、これを作ったのはアジア出身の人ではない気がする。
遠くから俯瞰して観察できる者でもなければ、こんなふうに仕上げられないのではないか。
一体、こんな代物がどこにあったのか。
それは彼女に直接聞いてみるのが一番早い。
✳︎
打ち合わせも早くに終わり、帰りの便までに時間が空いた。
ゆうき君や友人のために何かお土産でも買って帰ろうかと、観光客向けの繁華街に繰り出す。
いつ建てられたものかも分からぬ白色のビルが雑然と建ち並び、その一階部分に店屋街が軒を連ねている。
いかにも中国といった雰囲気のお店が一番多いのだが、ビジネスや観光で訪れる外国人もやはり多いのだろう、所々に異国情緒のあるテナントも混在している。
街並みを眺めているだけでも十分楽しいのだが、あいにく一箇所で立ち止まることは叶わない。
人通りは常に絶えることがなく、その僅かな間隙を縫うようにバイクが突っ込んでくる。
轢かれぬよう気をつけなければならない。
昼間でさえ賑やかなのだが、陽が落ちれば極彩色のネオンが通りを染め上げ、ますます騒々しい見た目となるらしい。
仕事で渡航していることもあり、普段こういう場所に来ることは少ない。
しかしその日は何故だか気分が高揚していて、街に繰り出してみたくなったのだ。
肉包みのようなものを買い食いして小腹を満たす。
そうして歩いていると、あるテナントが目に入った。
雑貨屋さんのようだったが、このゴチャゴチャした街並みの中でその一軒の真ん前だけ、天窓から覗く月光に染め抜かれたかのように、人通りが断ち切れていた。
見るだに異様な光景で、私も人の流れに任せてそこを通り過ぎようとしたのだが。
店頭のガラス越し、遠巻きに目に入ってきた陳列品、その一点に私の意識は吸い寄せられた。
確かに不思議な存在感のある香炉ではあったが、それの何が私の心を惹きつけ離さなかったのか、分からない。
通行人やバイクにぶつからぬよう、店の前、人の足が途切れた空白地帯に踏み入る。
近くで見ても、やはりそのテナントは周りの店と比べて浮いている。
他の店を見やれば、『あれはいかにも中華って感じの飲食店だな』とか『あそこは欧米からの観光客を狙ってるんだな』とか、一見何かしらの特色が見えてくるものだ。
しかしその店はと言うと、じっと眺めていても特徴らしきものが一向に掴めない。
商品一つひとつを見てみても、例の香炉に限らずその全てが複数の文化圏の要素が混じり合ったような奇妙な物ばかりで構成されている。
物自体はどれもデザインが洗練されていて、仮にアートとして見れば完成度の高い作品ばかりなのだが、この雑多な街並みの中では浮いており、却って胡散臭く見えた。
普段であれば立ち寄らないタイプの店なのだが、あの香炉が何故だかどうしても気になってしまった。
自分の中の“嗅覚”に割りかし忠実な私は、思い切って入店してみた。
店の中には、案の定私以外にお客さんはいなかった。
「“はーい、いらっしゃいざんすー”」
この店主にしてこの店あり、と言わんばかりの、胡散臭い男の姿がカウンター越しに見えた。
白いタキシードに身を包み、室内だというのに白髪混じりのオールバックの上から白いシルクハットを被り、単眼鏡をかけたその男こそが、この店の主だった。
その目鼻立ちがクッキリした容貌や衣装も相まって、遠目で見た分にはヨーロッパ系の人なのかなと思ったのだが、近づいて見てみると、その顔立ちは“無国籍的”としか言いようのないものだった。
顔立ちには老人の年輪を思わせるものとあどけない幼さとが同居しており、年齢すら想像がつかない。
「あれっ、もしかして日本人ざんすか?」
入ってきた私を見て、店主は目を丸くしている。
「そ、そうですけど……」
困惑しながら返事をしたのは、店主にまさか日本人であると判別されるとは思っていなかったから。
現地の人に言い当てられるならまだ分かるのだが、この身元不詳の男に即座に自分の出身を当てられるとは。
しかも、男は日本語をスラスラと淀みなく喋り出したではないか。
私は内心かなり驚いていた。
「うわぁ、日本、懐かしいざんすねぇ……。
ミーも少し前に、200X年や201X年の日本に行ったことがあるざんすよ〜」
不思議な言い回しの日本語でもって、感慨に浸っている。
喋り口は流暢なのだが、もしかしたら過去形の文法が独特な言語圏の出身なのかもしれない。
「あの、表に陳列されてた、あの香炉が気になって……」
気味悪さから早く本題に入ってしまいたくて、私はそのものを指で示す。
「あー、あれざんすね。
あれに目をつけるとは、お客さんはお目が高いざんす」
男がそれを陳列棚から持って来る。
ウィンドウ越しでも存在感を放っていたそれは、目の前で見てもやはり蠱惑的なオーラを纏っている。
男が商品説明をしてくれる。
「これはざんすね、2X世紀からの舶来品ざんす。
19世紀頃にヨーロッパで隆盛を極めた『オリエンタリズム』的世界観が具現化した世界線の品物ざんすよ」
その説明を聞いていて、私はやっと腑に落ちた。
なるほど、このお店はそういうSF的な世界観のコンセプトショップであるらしい。
それならこの男の得体のしれなさにも納得がいく。
『オリエンタリズム』と言う言葉は、本か何かで読んだことがある。
乱暴に言ってしまうと、昔のヨーロッパで伝統的に継承されていた、世界を大雑把に西方と東方の二項に分けて考えてしまう認識の枠組みである。
その枠組みの中では、ヨーロッパが『西方』、それよりも東側、あるいは極東やアフリカ北部までを一緒くたにして『東方』とする。
こと日本においても、近代化の過程でヨーロッパの思想などを大胆に取り込んでいった歴史から、その影響は色濃いとされている。
私が読んだ内容では、世界的に有名な『アラビアン・ナイト』の物語が例として挙げられていた。
『アラビアン・ナイト』はヨーロッパ各国の言語に翻訳され世界的人気作品となっていったのだが、その出版の過程で、各訳者や出版社の思惑などが交錯し、本来は原典に載っていない話をもごちゃ混ぜにした状態で世に出された。
例えば、有名なあの『アラジンと魔法のランプ』についても、翻訳元となったアラビア語の写本には載っておらず、元々は中国発祥の説話で、『アラビアン・ナイト』とは無関係だった可能性が高いとされる。
また、『オリエンタリズム』が進展する過程で、『東方』はエキゾチックで幻想的な世界であることを、近代ヨーロッパ文化の中では求められた。
出版された訳本にはしばしば異文化圏の世界観を補足するための挿絵が載せられたのだが、時代が下っていくにつれて、それらは写実的なものから徐々に当時のヨーロッパ的価値観に当てはめられたものへと変遷していった。
分かりやすいのは『アラビアン・ナイト』に語り手として登場するシェヘラザードという女性の見た目で、最初期の挿絵では全身を隠すように衣装を着込んでいたのが、時代が経ち好色文学としての需要が高まるにつれてどんどん薄着になっていき、最終的にはほぼ素っ裸のエロチックな姿になったシェヘラザードまで描かれるようになってしまった。
翻って香炉を見てみると、なるほど、これは『オリエンタリズムの色眼鏡をかけて西方から見た東方』のイメージをテーマに作られた物であるらしい。
いわば『空想世界の東方』である。
あるいは『ミリしら東方』だろうか。
テーマがテーマなので、人によっては悪趣味だと思われるだろうが、それ以上に香炉が放つオンリーワンの魔力みたいなものに、この時の私は完全に魅了されていた。
何より、このデザインの完成度。
中華風と和風とアラビア風、あるいはそれ以外の要素も含まれているかもしれないが、その全ての意匠が融け合い、調和している。
まるで、本当に違う時代の何処かからここへタイムスリップしてきたかのような違和感のなさ。
私の心中を見透かしたかのように、店主の男はダメ押しでアピールしてくる。
「この商品の最大のセールスポイントは、これを擦った人は一つ、願いが叶うということざんす。
この香炉は持ち主を幸せにするために作られた物ざんすからね」
なかなか粋な演出だ。
しかし、もしかしたら“願いが叶う”というのも本当のことかもしれないぞと、香炉の放つ尋常ではない雰囲気が誘惑してくる。
値札を見ると、そこまで高くない。
実際に香炉として使えるかはともかく、インテリアとして手元に置いておくだけでも十分な満足感が得られるだろう。
その時のレートが安かったこともあり、購入を決断するのに時間は必要なかった。
「毎度あり、ざんす!」
単眼鏡越しに、男の目がニヤリと笑っているのが見えた。