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二人だけのフォークロア  作者: こす森キッド
2/11

二人だけのフォークロア 1.

この部分には状態変化要素はありません。

状態変化描写だけ読まれたい方は、飛ばしても大丈夫なようには書いています。

1.



 田舎道を通り抜けるときに、脂の染みた古い布を火で燻したような、そんな匂いが鼻を掠めた気がした。


 ある意味メインイベントであるひかりの実家訪問は初日で済ませてしまい、後の日程で九州観光を堪能する手筈とした。

 彼女の実家にはそれまで数回顔を出したことはあるものの、家の奥まで上がり込んでゆっくりご家族と会食するというのは、初めてだった。

 詳しい内容は伏せるが、ご両親と色々と話をしてみて、『なんだ、前に薄ら聞かされていたよりは、全然良い親御さんじゃないか』と僕は内心拍子抜けしていた。

 お二人とも気骨とおおらかさ、その両方を感じさせる人柄で、僕は玄関をくぐる際の緊張の割に、出された料理の味に舌鼓を打つほどの余裕を取り戻すことができた。


 とは言え警戒心が完全に解けた訳でもなく、引っかかった部分も多少はあった。

 少なくとも、お父さんが言葉の端々から『家業を継いでくれる人がいなくて困っている』というニュアンスを滲ませているのには気づいていた。

「そういう時代なのかねぇ」と、お父さんは苦笑いする。

 僕はアルコールに滅法弱く、勧められた最初の一杯だけですっかり顔を赤くしてしまったのだが、その辺の話題も無難にやり過ごすことができた、はずだ。

 すぐ隣の彼女も、僕達の話をニコニコしながら聞いていた。

 今になって思えば、彼女がお父さんと会話する場面が少なかった気もするが、仲が悪いとか険悪とか、そういう空気でもなかったと思う。

 成人した娘と父親の関係というのは、往々にしてそういうものなのかもしれないが……。



 ご実家をお暇すると、その日のうちに街の方まで出てしまい、そこに予約していたホテルに一泊。

 翌日は、彼女とは中学高校以来の親友だという女の子と合流し、観光地を案内してもらった。


 実のところ、現在に至るまで、高校時代以前の彼女がどんな感じだったのかについて、確かな情報を僕はあまり持っていない。

 別に、彼女自身は昔のことを聞かれても、そこまで嫌がる素振りは見せない。

 だからどちらかと言うと、昔のことをいっぺんに詮索しないようにしているのは、僕の中の一種の防衛本能みたいなものだ。


 彼女は僕と同じ某市立大学の法文学部に入学する以前は、ここ九州にある中高一貫校に通っていたそうだ。

 その学校は全国的に有名な某私立大学の系列であり、卒業後はその大学に内部進学する者が多数を占めるという。

 それこそ、一緒に観光地を回ったその親友の子も、その大学の出身者だそうな。

 以前、興味本位でその中高一貫校のホームページを覗いてみたところ、その某私立大学の、特に医学部をはじめとした理系学部への進学実績が強調されていた。

 逆に、彼女のような、地方の国公立大学の特に文系学部に進む卒業生は少ないらしく、僕たちが通っていた大学への入学実績は数年に一人いるかいないか程度のようだ。

 出会った当初、彼女がよく「私立大学と間違えて、市立大学に入っちゃってね」と冗談めかして話していたことを覚えている。


 観光地を回るために借りたレンタカーの車中では、BGMとして適当なプレイリストを流していた。

 The Nationalの『Bloodbuzz Ohio』が聞こえてくる。


“I was carried to Ohio in a swarm of bees

I never married, but Ohio don’t remember me……”


「そう言えば思い出した、ひかりって、中学と高校の頃はボクっ子だったもんねぇ。懐かしい〜」

「ちょっと!なんでその話を今するの!?」

 学生時代に戻ったように二人で賑やかに言い合っているのを聞いていると、僕も思わず笑ってしまう。

 ちなみに、当時の彼女は学校内に友達はほとんどおらず、教室にいる時は自席で漫画を書いていることが多かったそうだ。

 うん、それは大学時代に本人から聞かされたからもう知ってる。


“I’m on a blood buzz, yes, I am

I’m on a blood buzz……”



 その話を聞いたのは、同じ研究室に配属された大学三年生の年の、半ば頃だったろうか。

 当時の僕は、『それは本当の話なんだろうか?実はわざとマイナス方向に下駄を履いているんじゃあるまいな?』という印象を抱いていた。

 そう思うくらい、それまでの僕は彼女という存在に、一方的に自分とは程遠い“華やかさ”を感じていたのだ。


 そもそも、研究室の懇親会の席に座るまで、僕は彼女と話したことなど一度もなかった。

 にも関わらず、僕が彼女のことをそれ以前から知っていたのは、彼女が学部内で悪い意味で有名人だったからだ。

 入学してこのかた彼氏が途切れたことがないだとか、一人暮らしのマンションにしょっちゅう男を連れ込んでいるだとか。

 本人と親しくもなければ真偽不明な噂話が、大して友達が多くない僕の耳にさえ時たま入ってきた。

 尤も、その噂に説得力を与えるほど、彼女の容姿や雰囲気には華があった。

 今思えば、その噂話が作り上げた彼女の虚像とは、心機一転大学デビューした初々しさから本人が醸し出していた無垢な雰囲気と、その容姿とのギャップ、そしてキャンパスライフに浮足立った周囲からの好奇の目が作り上げた幻影だったのかもしれない。


 それはともかく、僕はその噂ぐらいしか彼女に関する情報を持ち合わせていなかったものだから、この“タラシ”に弄ばれぬようにしようという自意識が働き、却ってその魅力的な姿を前にしても緊張することなく“テキトーに”接することができていたみたいだ。

 なんだかんだ言いつつ、僕も中学高校時代の過ごし方は彼女と似たようなものだった。

 そんな訳だから、実際に色々と“テキトーな”よもやま話を重ねてしまえば、互いに共感が生まれ、仲が深まっていくのにさほど時間は掛からなかった。

 趣味の話をしていても、僕と彼女のそれは驚くほど相性が良かった。


 最初は、趣味嗜好がサブカルチャーに寄り過ぎていて、周囲から浮いているのかと思っていた。

 しかし、話を重ねてみるとどうもそういう訳ではないらしい。

 むしろ、メジャーなポップカルチャーの有名どころについても幅広くカバーしていて、どちらかと言えば僕の方がサブカル趣味に偏っていることが浮き彫りになってしまい、勝手に恥ずかしくなってしまった。

 最終的に僕が出した結論は、彼女は“自分が好きだと感じたものが好きなのだ”という、シンプル極まりないものであった。

 それが当たり前のことだろうと言われればそれまでなのだが、どう説明したものか、当時の僕や周囲を取り巻く大学という環境には、そういった素直な考え方を皮肉るような、屈折した感性を拗らせても無理はないような磁場があったのだ。

 思い出すだけで背中が痒くなる。

 当時の感覚では、彼女のそのスタンスの方が異端に見えた。

 その“ノーガード”的なポジティビティもまた、彼女の虚像を作り上げるのに一役買っていたのではないか。

 まあ、入学以来彼氏が途切れたことがないだとか、彼氏を家に連れ込んだことがあるとか、その辺の話は本人曰くどうやら本当のことらしいが……。

 そう聞かされたところで、今更彼女に何か悪印象を抱きはしない程度には、既に彼女の人間性に対して親近感を覚えていた。


 状況は違っただろうが、中学高校時代も似たような境遇に陥って、その結果孤立していたのかもしれない。

 しかし、今更その辺を詮索したところで、それは詮無きことだろう。

 当時の親友をこうして紹介してくれるだけで、僕に心を開いてくれているということが十分に分かっている。


 さて、不思議なくらい自然な流れに沿って、僕と彼女の仲は深まっていった。

 一応、『この日から正式に交際が始まった』という明確な日付は覚えている。

 ただそれも、あくまで相互の意思確認といった意味合いが強かった。

 あるいはその辺は、彼女がそれまで踏んできた場数によって培われた手練手管に乗せられた可能性はあるかもしれない。

 そうだとしても、こちらとしては拾われてラッキーなことだ。

 そう思えるくらいには、彼女はとても魅力的な人物で、いまだに自分はそれに釣り合わない存在なのではないかという疑念が、どこか拭い切れていない。

 僕のような平凡な人間のどこに彼女は魅力を見出しているのか、考えたことは一度や二度ではない。

 その自信のなさを嗅ぎ取ったのだろうか、彼女からは「ゆうき君はいつもカワイイ」といった褒められ方をよくされる。

 それは本当に褒めているのか?と思う部分も正直ある。

 僕と彼女の背丈はほとんど変わらず、そのことをいじっているのかと最初は思っていた。

 しかし今考えれば、その言葉もまた、彼女なりの“伝える努力”なのだろう。


 大学を卒業して、僕は旧半官半民系企業の事務系総合職に、彼女はメーカー系商社の営業系総合職にそれぞれ就職した。

 運の良いことに、配属先は二人とも同じ都市圏内であったため、学生時代の延長線上のような形で交際は継続した。

 それぞれ仕事に慣れてきた頃、どちらからともなく「ルームシェアしてみようか」という話になっていった。

 僕が中心となって綿密なリサーチと下準備を重ねたおかげで、引っ越しは滞りなく完了した。


 新生活への適応も、この上ないほど順調だった。

 『流石に都合が良過ぎないか』という考えがチラつくほどに、全てが順風満帆だった。

 こんな感じで、いいんだよな?

 そう頭に浮かんでは、いやいや何を考えているんだ、良いに決まってるだろうと、自分で自分を戒めることが増えた。

 当面の悩みと言えば、そんな持て余すしかないフワフワ感くらいのものだった。

 もしかして、まだ婚約してもいないのに、既にマリッジブルーのような何かに陥っているのだろうか?

 馬鹿馬鹿しい。

 僕自身が冴えない学生時代を送ってきた期間が長いこともあり、こういう“幸せ”に慣れていないというのは、あるかもしれない。

 いずれにしても、このような懸念を肚に抱えたままでいるのは、彼女に対しても不誠実な気もする。


 例の香炉が我が家にやって来たのは、そんな“引っ掛かり”に僕が悶々としていた、ある日のことだった。


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