虚飾と前兆
王都討伐隊が約定通り戦闘を開始した時刻。
『大穴』の表ルート。討伐隊が掘り進んだ巨大な坑道の最深部、女王の巣の入り口付近は、爆発的な戦闘の音と光に包まれていた。
白銀の鎧を纏った王都の騎士たちが、隊列を組み、女王の眷属である護衛種や戦闘種と激しく衝突している。彼らの武器は、王都最高の技術で鍛えられた魔力鋼で、その斬撃は辺境の魔物とは比べ物にならない威力を持っていた。
「前進!騎士団の栄誉を汚すな!魔物は貴族の剣の錆となるがいい!」
隊長格の騎士たちが勇ましく号令を上げる。騎士団は、その練度と装備の質で、フロンティアの冒険者では考えられない速度で魔物の群れを押し戻していた。彼らの目的は、女王を討伐し、その武勲と素材を独占することだ。戦闘は、彼らの誇りと、貪欲な野心を満たすための舞台となっていた。
しかし、その戦場から一キロほど離れた、安全な坑道の一角に、クレメンス伯爵はいた。
伯爵は、自ら剣を振るうことはなく、豪華な折り畳み式の椅子に座り、部下が持ってきた王都産の葡萄酒を優雅に啜っていた。彼の周囲には、予備として連れてきた精鋭騎士が十数名、厳重に警戒している。
「ふん。騒々しい。やはり、魔物相手の戦場など、下賤な冒険者に任せておけばよいのだ」
伯爵は、遠くで響く轟音を煩わしげに鼻で笑った。彼の頭の中では、討伐隊が女王を仕留め、自分がその功績を王都で喧伝する未来だけが描かれていた。フロンティアの連中が裏ルートなどという馬鹿げた企てを企てなかったことで、彼の優位性は完璧に保たれている、と信じ込んでいた。
「あの辺境の冒険者どもは、今頃、『大穴』の入り口で、恐怖に震えていることだろう。彼らには、女王の死体を運ぶという名誉ある雑用を与えておけば十分だ」
彼の言葉を聞いた騎士たちは、伯爵の威光を称賛するように頷いた。彼らにとって、この戦いは、女王の討伐そのものよりも、騎士団の功績を確固たるものにする儀式に近かった。
その時、前線から血だらけの伝令騎士が駆け込んできた。
「伯爵様!深部に入った部隊から連絡が!女王の巣の構造が、事前情報と大きく異なっています!巣の奥に、巨大な貯蔵区画があり、そこから大量の護衛種の強化個体が湧き出してきました!戦線が膠着しています!」
伝令騎士の顔は蒼白だった。しかし、クレメンス伯爵は、その報告を嘲笑で一蹴した。
「馬鹿者め。女王の巣の構造など、どこも複雑に決まっているだろう。強化個体だと?それは、女王が窮地に陥っている証拠だ。騎士団が本気を出せば、すぐに崩せる。貴様らが怯えているだけだ」
伯爵はそう言うと、部下に命じた。
「前線の指揮官に伝えろ。功績は逃がさないと。躊躇せず、奥へ突っ込め。これ以上の遅延は、私の名誉にかかわる」
しかし、伯爵が指令を出した直後、遠くの轟音とは別に、すぐ頭上の地盤から、微かで不規則な異音が響き始めた。
それは、騎士団が起こしているような、大規模な爆発音ではない。硬い甲殻が粘土質の地盤を削る、小さな、しかし着実な音。まるで、地盤の裏側で、誰かが意図的に穴を開け、女王の巣へと向かっているような――。
伯爵は、その音に一瞬だけ顔を曇らせたが、すぐに葡萄酒で口元を拭い、苛立ちを鎮めた。
「なんだ、この不快な音は。坑道が崩れているのか?全く、この辺境の地盤は脆弱だな。おい、貴様ら、騒ぐな。静粛にしろ!」
伯爵は、自分の感覚で理解できない不測の事態を、単なる取るに足らない騒音として片付けた。
彼らの足元から響く異音は、裏ルートから女王の心臓部へ向け、ジーンズとマーティンが潜入を完了したことを示していた。
騎士団の陽動は順調に機能している。そして、その陽動に甘える傲慢な貴族の頭上は、すでに、街の命運を賭けた冒険者たちによって、突破されていた。
崩壊の予兆は、彼らの耳には届かなかった。




