偽りの従順
作戦室に落ちた沈黙は、クレメンス伯爵が振りかざした権威の重さを物語っていた。「冒険者資格剥奪」と「身柄の拘束」――それは、俺たちから戦う手段を奪い、街の希望を完全に断ち切る行為だ。
ガイエルは、顔を上げ、深い皺を刻んだ表情で伯爵を睨みつけた。
「伯爵殿。我々は、この街で生きる者たちの命を懸けて戦ってきた。貴方様の言う通り、王都の騎士団とは違って、我々には権威も白銀の鎧もない。だが、我々には、この街の住民全員の信頼と、貴方様には持ち得ない戦場の経験がある」
ガイエルは静かに、しかし、作戦室の隅々まで響く声で続けた。
「我々が裏ルートから女王を討つ作戦は、この街の生存確率を最大化する唯一の道だ。それを中止しろと言うならば、貴方様は、この街を見捨てろと言っているに等しい」
クレメンスは、ガイエルの言葉に一切動じることなく、冷笑を浮かべた。
「戯言を。この街の存亡など、王都全体の防衛に比べれば取るに足らない。貴様は、私と王都の権威を前にして、まだ反抗するつもりか?」
その時、沈黙していたニールが一歩前に進み出た。彼の顔は冷静だったが、その目は怒りに燃えていた。
「伯爵殿」ニールは声を抑え、事務的な口調に戻した。「我々には、この街を守る義務がある。あなたの命令に従い、正面からの防衛に専念すれば、我々は『大穴』の魔物たちが分散した際の対応部隊となる。それが、王都ギルドとの協定にも記されている予備戦力の役割です」
ニールは、伯爵の命令の建前を利用して切り込んだ。
「我々の作戦は、伯爵殿の『防衛部隊として大穴の入り口を固める』という命令と、表向きは一致している。我々は命令に従い、裏ルートからの討伐の準備を中止する」
ニールは、ガイエルとマーティンに、静かに目で合図を送った。それは、「ここで頭を下げろ」という指示だった。
ガイエルは歯噛みしたが、状況を理解し、頭を下げた。マーティンは屈辱に顔を歪ませたが、俺が肩に手を置くと、怒りを押し殺して頷いた。
「わかった、伯爵殿。我々は、王都討伐隊の作戦が完了するまで、お言葉通り、『大穴』の入り口を固める防衛部隊として待機し、女王の死体を運ぶ名誉に与ることにしましょう」
俺たちの「偽りの従順」の言葉に、クレメンス伯爵は満足げに笑った。
「よろしい。愚かではあるが、自分の立場を理解する程度の知恵はあったようだな。ガイエル、貴様は私に全ての作戦情報を提出し、これ以降、私の許可なく部隊を動かすことは許さん。冒険者共は、二度と裏ルートなどという妄言を口にするな」
伯爵はそう言い放つと、勝ち誇ったように作戦室を後にした。
ドアが閉まると同時に、ガイエルはテーブルを拳で強く叩いた。
「クソッたれが!王都の貴族が、人の血をなんだと思っている!」
リゼルは唇を噛みしめていた。
ニールは、地図の端を指でなぞりながら、静かに言った。
「作戦は変更なしだ、ジーンズ、マーティン」
俺とマーティンは顔を見合わせた。
「ああ、最初からそのつもりだ」マーティンが言った。彼の声には、伯爵への憎悪と、決戦への強い決意が滲んでいた。
ニールは、伯爵が去る前に、予備戦力の配置図と、討伐隊の進軍予定時刻が記された騎士団の文書を、テーブルの端から盗み見ていた。
「伯爵は、俺たちに『大穴』の入り口を固めろと言った。だが、『大穴』の入り口は複数ある。そして、伯爵が言及しなかった『裏ルート』への侵入経路は、討伐隊の作戦開始後であれば、防衛ラインの外にある」
ニールは、作戦室の隅にある、誰も気に留めていなかった、古い資材搬入口の小さな地図を指差した。
「伯爵は、俺たちに『待機』を命じた。だが、その『待機』の定義は、伯爵の目の前ではない。俺たちが行動を開始するのは、王都討伐隊が表ルートから女王の巣に到達し、戦闘を開始するその瞬間だ」
ニールは、俺たちの長槍と戦斧を指差した。
「最高の得物は手に入れた。王都の騎士団が、最高の陽動役を演じてくれる。俺たちは、奴らの傲慢さと油断を、この街を救うための最大の武器として利用する」
ガイエルは、作戦室の窓から外を眺めた。空は、決戦の前の、重く曇った色をしていた。
「わかった。ニール、お前は作戦開始時刻が確定次第、すぐに俺とリゼルに連絡しろ。ジーンズ、マーティン、お前たちは休息を取れ。出撃は、今夜だ」
いよいよ、女王との最終決戦の時が来た。俺たちの運命、そしてこの街の運命を懸けた、最後の夜が始まろうとしていた。




