夜明け前の決意
ニールは報告書を握りしめ、顔面蒼白のままギルドへ急いだ。その間、俺たち三人は、人目を避け、マーティンが借りている宿の一室へと戻った。
部屋のテーブルには、夜明け前の薄暗い光が差し込んでいる。リゼルはもう限界だった。傷口からの出血に加え、精神的な疲労も極限に達している。
「休め、リゼル。残りの話は、ニールが情報を整理してからでいい」
マーティンはそう言うと、持っていた包帯と止血用の薬草を彼女に差し出した。
リゼルは小さく頷き、重い革鎧を脱いだ。その傷は想像以上に深く、早く手当てが必要な状態だった。
「報告書には、他に何が書いてあった?」俺はリゼルの仲間のうちの一人、口数の少ない剣士に尋ねた。
剣士は警戒を緩めない目つきで周囲を見渡し、低い声で答えた。
「『大穴』の深度は、我々の常識を超える。そして、眷属の甲殻は、王都の現行武器では貫通が難しい。特に、女王を護衛する『護衛種』は、B級の剣士でも容易に切り裂けない」
俺は自分の槍の穂先を見る。甲殻兎の甲羅を貫くことはできても、『護衛種』の甲殻を貫けるかどうかは賭けだ。
その時、ドタドタと慌ただしい足音が階段を駆け上がり、ニールが息を切らして部屋に飛び込んできた。
「ギ、ギルドマスターに渡した!ガイエルが今、血相を変えて王都に伝令を飛ばしたところだ!」
ニールは疲労と緊張で顔が引きつっている。
「どうだった、ガイエルの反応は?」
マーティンが水差しを傾けながら尋ねた。
「激怒していた。『なぜ今頃になってこんな情報が!』ってな。だが、報告書とリゼルが持ち帰った甲殻の破片を見て、すぐに事態を理解した。……あのオヤジ、動くぞ」
数分後、扉が激しくノックされた。開けると、そこには鎧を着込み、戦斧を手に持ったガイエルと、数名の熟練した冒険者の姿があった。
「ジーンズ、マーティン!よく生きて戻った!リゼルも無事か!」
ガイエルの顔は、いつもの強面とは違い、緊張と真剣さに満ちていた。
「事態は分かったな、ガイエル。王都からの援軍はいつになる?」
マーティンが尋ねると、ガイエルは額に深い皺を刻んだ。
「早くて三日。恐らく五日はかかる。王都も今、国境警備で兵が手薄だ。その間、この街は完全に無防備になる」
彼は、俺たちの持ってきた情報が、この街にとってどれほどの脅威であるかを瞬時に計算したのだろう。
ガイエルは部屋を見渡した。そこにいるのは、負傷した元B級剣士のリゼル、疲労困憊の俺たちC級二人組、そしてニールを含むリゼルの仲間数名だけだ。
「この街には、お前たち二人を置いて、まともに戦える奴はいない。他のC級冒険者は、防衛の訓練すら受けていない雑魚だ」
ガイエルは俺たち二人を真正面から見据えた。彼の目は、もう以前のようにB級に上がれと叱咤するものではなく、全てを託すという重い決意を宿していた。
「ジーンズ、マーティン。俺は今から街中の冒険者と兵を招集し、城壁の防御を固める。だが、それは時間稼ぎにしかならない」
彼は腰の剣の柄に手をかけた。
「奴らが攻めてくるのは、恐らく今夜か、明日の早朝だ。飢えた大群は、夜の闇を待つ。俺たちの目的はただ一つ。王都の討伐隊が到着するまで、この城門を絶対に破らせないことだ」
ガイエルは壁際に立てかけられたマーティンの戦斧と、俺の長槍を見た。
「あの『貪食の眷属』の群れを相手に、正面から守りきれるのは、お前たちの連携だけだ。……頼む。俺は、お前たち二人に、この街の命運を預ける」
それは、C級の冒険者に対する、最大限の信頼であり、同時に、あまりにも重すぎる使命だった。
マーティンは、ガイエルの言葉を聞き終えると、無言で自分の戦斧を担ぎ上げた。その巨体から発せられる闘気は、一晩の激戦と疲労を感じさせないほど強烈だった。
「わかってるよ、ガイエル。俺たちがC級に留まっているのは、損だって言ったのは、あんただぜ」
マーティンは、戦斧の重みを確かめるように握り直した。
「俺たちが稼ぎすぎた銀貨の分、この街に恩を返すとしよう。だろ?ジーンズ」
俺は槍を静かに構え直した。穂先が、差し始めた朝の光を受けて鈍く輝く。
「ああ。どうせなら、B級昇格試験より、派手にやろうか」
俺たちの視線は、夜明けの空の下、遠くの森の向こうにいる、見えない敵へと向けられていた。
宿場町を舞台にした、冒険者の意地と、蘇った恐怖との壮絶な防衛戦が、今、始まろうとしていた。




