逃走脱出
リゼルが投げつけた閃光爆弾の轟音と閃光は、穴の底の闇を切り裂き、眷属たちの動きを瞬時完全に麻痺させた。
「今だ!マーティン、頼む!」
リゼルの叫びが響き渡ると同時に、ロープはまるで巨大なバネのように弾かれた。上から伝わるマーティンの引き上げる力は尋常ではなかった。彼は、普段C級で燻っているなど嘘のように、全神経と筋力をロープに集中させていた。
俺たちは岩壁を這うというより、宙を舞うように引き上げられた。一秒一秒が永遠のように長く感じられる。耳元で風が唸り、俺の視界を松明の揺らめきが何度も横切る。
穴の底の静寂は、数秒で破られた。
シャアアアアアアアアアアアア!
閃光のショックから回復した眷属たちの、怒り狂ったような甲高い鳴き声が、地獄の底から這い上がってくるように響き渡る。岩壁を無数の鎌脚が削る音が、すぐ真下まで迫ってきていた。
ガキンッ!
俺たちが穴の縁に到達する直前、最速の眷属の一体が、その鋭い鎌脚でロープをかすめた。その衝撃がロープを伝い、マーティンの体にまで達したのが分かった。
「ちくしょうっ!」
マーティンの唸り声。しかし、彼は歯を食いしばり、最後の力を振り絞った。
ドサッ!
俺とリゼルは、ほとんど同時に穴の縁の地面に放り出された。すぐさま俺は転がるようにして立ち上がり、槍を穴の縁に向けて構える。
マーティンはすでに戦斧を構え、穴を見下ろしていた。
「リゼル、無事か!」
「ああ!報告書も無事だ!行くぞ、早くここを離れるんだ!」
穴の底からは、赤い瞳が数多煌めき、巨大な甲殻がせり上がってきている。閃光爆弾の効力は完全に切れ、奴らは怒りに駆られて穴から這い出ようとしていた。
俺たちは松明を消し、夜の闇に紛れる。待機していたリゼルの仲間二人が、すぐに合流した。彼らも事態の深刻さを理解しており、無言で追跡を警戒しながら後退を始めた。
「ニールが戻った道を使うぞ!追跡される!」
リゼルが叫んだ。俺たちは、松明が照らしていた往路を離れ、森の中を西へ、全力で疾走した。重い装備が体に食い込むが、立ち止まるという選択肢はなかった。
背後から聞こえるグルルルルという唸り声と、木々の根を踏みつける甲殻の音が、確実に追ってきていることを示していた。
「リゼル!報告書には何が書いてあった!?」
走る最中、マーティンが息を切らせながら叫んだ。
リゼルは荒い呼吸の合間に、短い言葉を紡ぐ。
「奴らの規模と、女王の存在だ!この『大穴』は、ただの巣じゃない。奴らはこの数年で地下深くで繁殖し、以前の討伐隊が殲滅したと思っていた女王の、別個体が誕生している!」
「女王だと……!?あの時も、女王の駆逐にどれだけ手こずったか……!」
マーティンの声は戦慄に震えた。女王が存在するということは、その繁殖力は想像を絶し、放置すれば数日のうちにこの宿場町どころか、街道全体が奴らの支配下に置かれることを意味する。
森を抜けるまで、俺たちは何度も振り返り、迫りくる気配に神経を研ぎ澄ませた。眷属たちは、夜の森では俺たちよりも遥かに速い。彼らの甲殻が木々の枝を叩く音は、まるで地鳴りのように響いた。
ようやく森を抜け、開けた街道に出たとき、俺たちは一度立ち止まり、背後の森を見つめた。
グアアアアアアアアアァ!
森の奥から、他の眷属とは一線を画す、巨大で恐ろしい雄叫びが轟いた。その声は、新たなリーダーの誕生を告げる鬨の声のようだった。奴らは、俺たちを逃がすまいと、今まさに森の出口まで迫ってきている。
「急げ!ニールは……もう街に戻っているはずだ!」
リゼルは血を吐くような声で叫び、街道を走る。俺たちは彼女に続き、最後の力を振り絞って街を目指した。
幸い、森を出たことで奴らの追跡は鈍った。街道は開けており、闇の中を走る俺たちを補足するのは容易ではないだろう。
夜が明ける直前、俺たちは宿場町の城壁の影に辿り着いた。疲労困憊し、全身の筋肉が悲鳴を上げている。
城門は閉ざされており、警備兵が眠気をこらえている。俺たちは、街に異変がないことを確認し、裏手から静かに街へと潜入した。
マーティンは、脇道でニールと合流した。ニールは顔面蒼白で、俺たちを心配して待ち伏せていたようだ。
「リゼル!無事だったのか!そして、あの情報は何だ!」
リゼルは、懐から濡れた報告書を取り出し、ニールに手渡した。
「これを……すぐにギルドマスターに渡せ。そして、王都に最速で伝書鳩を飛ばすんだ。情報は隠蔽するな。ただし、住民には最大限の注意を払って混乱を抑えろ」
リゼルは、疲労で今にも倒れそうな体を、強い意志力だけで支えていた。
「ジーンズ、マーティン。これで一旦、俺たちの任務は終わりだ」
俺は報告書が収められたのを確認し、深く頷いた。銀貨二十枚どころではない、とんでもない報酬を掴むことになったが、それ以上に、恐ろしい危機を掴んでしまった。
「王都からの討伐隊が来るまで、この街は無防備だ。奴らは必ず、補給路となるこの街を狙ってくる」
マーティンが戦斧を地面に突き立て、力強く言った。
「俺たちがC級のまま燻っている場合じゃなくなったな、相棒」
俺は彼の言葉に静かに応じた。
「ああ。少なくとも、王都の討伐隊が来るまでの間……この街を守り抜かなきゃな」
夜明けの薄明かりの中、三人の冒険者は、誰も知らないところで、この宿場町の、そして世界の運命を、その肩に背負ったのだった。




