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13話 船の頭領


 顔が熱く、充満した煙が鼻から入ってきて苦しかった。

 周囲には炎があがり、近くの柱が燃えていて天井も落ちそうだ。木が燃えるような、パチパチという音がそこらじゅうから聞こえた。


 すぐそばで、なぜか男が怒鳴っていた。目を凝らすが、炎や煙が邪魔してその顔はよく見えない。

 なぜこんなにも大声を立てているのだろうかと不安になるが、火が怖くて動けなかった。

 周囲には何人か人がいて、その中で走って逃げていく姿も見える。その後ろ姿には、なぜか見覚えがあった。


 自分も逃げた方がいいのだろうか。状況は分からないが、逃げている人がいるのならそれについて行ったほうがいい気もした。

 そうして困り果てたまま辺りを見ていると、今度こそ知っている人が目に入った。


(お母さん……!)


 ようやく知っている顔を見つけて安心した。しかし、母の表情は浮かない。やはり、この燃え広がる炎が原因だろうか。

 

 おかしなことは他にもあった。あまり身長が変わらないはずの母の目線が、今はやけに高く見える。顎から顔を上げて、やっとその顔が見えるくらいだ。

 それでも必死に手を伸ばした。

 ようやく母と目線が合ったのは、母が自分を抱き上げてくれたからだろう。


 不安なまま窓の外を見ると、不気味な闇が広がっていた。今は夜中なのか。


 母の頬に手を伸ばし、声を出そうとするがそれができない。まるで縫われているかのように、口が動かなかった。

 不安は大きくなるばかりで、母の目にも憂鬱な色があった。

 

 ふと、母の目線が外れたかと思うと、前を見据えていた。つられるようにしてその目線を追いかけると、そこには先ほど何かを叫んでいた男がいた。やはり、顔はぼやけてよく見えない。あと少しで見えそうなのに、火が邪魔をしていた。

 こちらに背を向けて立っている男を、母はひたむきに見つめている。

 どういうわけか泣きそうな顔をしている母に対して何か言ってやりたかったが、それができない。


 すると、立ちすくむ母にその男が声をかけた。今度は荒い口調ではなく、愛する人に向けたような優しいものだった。

 何を話しているのか分からない。しかし、その声はどこか懐かしい気がした。

 視界の中でぼやけて映るその男の口元は、静かに微笑んでいる。それなのに母は苦しそうに目を伏せていた。


(どうしたの、どこか痛いの?)


 不安が押し寄せ、目を向ける。するとちょうど、額に生温かいものがかかった。

 母の目から、滴が落ちていた。


 黙って見上げていると、母はぎゅっと目を瞑り、男から顔を背けた。心なしか、その手に力がこもっているように感じる。

 ぼんやりとした意識の中で、母の腕の中に抱えられたまま、炎の中から出た。男は、そのままその場に留まっているようだった。男を置いていってしまっていいのだろうかと不安に思って母を見るが、母は唇を噛み締めてどんどん走っていく。


 燃え盛る室内から外へ出て、ようやく息が吸えたが、なぜか胸の中は苦しい。すぐ間近にある母の心臓の音が早くなっていた。

 ふと寒気を感じ、気がつけば、強く突き刺すような雨が降っていた。

 母の腕の中から見えた、赤い炎に包まれ崩れていく建物が、目に焼きついた。




「……はっ」


 ジルダはびくっとして、飛び起きた。驚いた自分の動きに驚いてしまったような、間抜けな目覚めだった。

 なんだか頭が重くてもう一度寝転がったが二度寝するわけにもいかず、もたつきながら服を着替えた。


 外は晴れているのに、気分は優れない。理由は分かっている。

 変な夢を見てしまったからだろう。


(たまに見るんだよね、あの夢)


 数年前からだが、最近は見なくなっていたはずだった。このままもう見ることはないと思っていた矢先に、また現れた夢だ。

 あの夢から覚めると、いつも大切な何かを忘れているような感覚になる。だから、寝起きが悪くなるのだ。


 ジルダはすっきりしない顔で医務室に足を運んだ。


「顔色が悪いわねぇ」


 さすがは薬師である。ジルダを見るなり、トイニはすぐに気がついた。

 ジルダはジャバルに来てから、すっかり医務室に入り浸っていた。簡単な作業くらいなら手伝うことができるし、いつも仕事で船にいないことが多いジャバルの団員の中で、トイニは必ずここにいるからだ。

 気さくで話しやすいのも理由の一つだ。


 トイニも、頻繁に怪我人がやってくるわけではないので、新たな話し相手ができたことを喜んでいた。


「変な夢を見まして」

「あら、悪夢?」

「悪夢というほどではないんですけど、とにかく奇妙な夢でして」


 そんなジルダに、トイニはお茶を出してくれた。柑橘の汁に、蜂蜜を加えたものだ。ジルダは初めて飲んだが、気分が少し爽やかになった気がする。


「ああ、そうだ。ダンが戻ってきたから、この船も明日にはここを発つわよ」


 突然知らない名前が出てきて、ジルダは飲むのをやめた。訝しげに、トイニを見る。


「ダン?」

「といっても分からないわね。ジャバルの頭領よ」

「頭領……」


 トイニの言葉を繰り返しながら、ジルダは急にはっとし、持っていたカップを机に置いた。

 そして、大切なことを忘れていたことに気がついた。


「私、ここに来てから一度も顔を見せてない……!」


 一人で何やら慌てるジルダを、トイニは愉快そうに見る。

 ジルダからすれば、そんな悠長に笑っている場合ではなかった。


 これはジルダにとって大失態だった。ヴィタリの依頼でジャバルという組織に安全なところに匿っておいてもらいながら、そこの頭領にお礼も何も言わずにこの船に居座ってしまっていた。

 これはさぞかし、気を悪くしたのではないだろうか。


「ああ、なんて図々しい……」


 この自治集団をまとめるような人は、一体どんな人物なのだろうかと、ジルダは考えを巡らせては顔色を忙しく変えていた。


「落ち着きなさいな、ジルダ」

「でも、トイニさん」


 トイニはとうとう声を出して笑い出す。見かけのわりに豪快な笑い方だった。


「大丈夫よ、焦らなくても。そもそもあなたがここに来たとき、頭領は不在だったんだから」

「不在?」

「そうよ。この隣町で、少しばかり大掛かりな仕事をしていたの。そうね、ちょうどあなたのお兄さんがやってきた数日後くらいからかしら。それがようやく終わったんで、昨日の夜に船に戻ってきたのよ。だから、あなたを引き受けたことは頭領も了承の上だし、あなたが今ここにいることも知っている。挨拶しようにも不在だったんだから、問題ないわよ」

 

 ジルダはそれを聞いて安心した。もしもずっと頭領が船にいながら、それを無視して生活していたとしたら無礼にもほどがある。


「今からお会いすることはできますか?」

「まだちょっと早いかもしれない。なんせ、昨晩戻ってきたばかりで疲れているでしょうし」

「そうですか」


 それなら、また時間を作って顔を見せに行くしかない。これからしばらくお世話になるのだから、なんとしてでも挨拶はしておかなくてはならない。

 学校に通っていなかったジルダにも、最低限の常識くらいはある。

 

「ダンは、あなたが思っているほど気にしていないでしょうけど、どうしても会っておきたいというのなら、昼頃に船の上に出てみるといいかもね」


 そう言ってトイニは、朝の仕事を始めた。



 自分の部屋で昼食を食べ終えたあと、厨房に食器類を片してからジルダはトイニの言った通り船の上に向かった。


 食事は日に三食、ジャバルの料理人たちが作ってくれる。この間ノアと町でしたように、どこか外で食べてきてもいいが、その場合の代金は自己負担となる。

 この間の飯屋ではジルダはノアにご馳走になったが、ジルダ自身あまりお小遣いを持ち合わせていないので、もちろん船の中で食べた方が良い。ジャバルの料理人の作るものは、栄養があってやや味が濃い。しかし、ジルダには十分なメニューだった。


 朝昼夕の食事の度に、料理人が大量に料理を作って厨房に大皿を置いておく。そこから各自、自分の分を食べたいだけとり、部屋に運んできて食べる。そして食べ終わったあとの空いた食器は、また自分で厨房に返しに行き、それを料理人たちが洗うのだ。それがジャバルのやり方である。


 なお、食事をするのは必ずしも自分の部屋でないといけないわけではなく、天気の良い日などは年長の男たちが楽しげに船の上に出したテーブルを囲んで食事をしたり、一つの部屋に集まって団らんしている様も見かける。ジャバルの人々がお互い良好な関係だというのは、そう言った様子から見て取れる。

 しかしジルダはジャバルの一員ではなく、まだそこまでこの組織に馴染んでいるわけでもないので、大人しく部屋で食べている。


 というわけで、今日も船の上には複数の人がいた。

 皆、午前の仕事が終わったか、これから仕事をするのだろう。そんな中で何もしていない自分がいるのは少し申し訳なかったので、ジルダは静かに頭領を探していた。


「おや嬢ちゃん、こんなところでどうしたんだい?」


 船の上を歩いていると、中年の男に声をかけられた。ジルダもジャバルに来てから数日経っているので、お互い名前は覚えていないものの顔だけは知っているような人が増えてきた。

 ジルダはまだ馴染んでいないが、この船にいる人たちは、たいてい人がいい。

 だからこうして、うろうろと彷徨っている小娘にも声をかけてくれる。


「頭領様はいますか?」


 顔見知りが増えてきたといっても、ジルダにとってはまだ知らない人もいる。こうして見て回ってても、誰が頭領か分からなければ意味がない。

 なので、こうして声をかけてもらったのは助かった。


 中年の男は、すぐに教えてくれた。


「ちょうどよかったね。今さっき、起きてきたところだよ」


 そう言って、男たちが食事をしているテーブルから少し離れた船縁を指さした。

 ジルダが目をむけると、たしかにそこに一人の男がいた。


 こちらに背を向けているので顔は見えないが、背が高かった。スタイルがよく、白髪まじりの髪の毛は短く刈り込まれている。

 船べりに肘をつき、海のほうに目を向けていた。


「ダンさんに何か用かい?」

「まだ会ったことがなかったので、挨拶をしておこうと」

「そうかい。それなら言ってくるといいよ。頭領といっても、俺たちはみんな親しんでる。緊張せずにいっておいで」


 気のいい男に礼を言い、ジルダはそっとその頭領に近づいていった。

 なんて呼べばいいのか迷ってなかなか声をかけられなかったところ、ジルダの足音に気がついた相手側が先に振り向いた。

 

 ジルダは一瞬肩を上げ、その場に立ち止まる。

 その高年の男の顔には、大きな古傷がまたがっていた。いつできたのか分からないが、かなり深かったようだ。


 ダンは視界にジルダをとらえると、そのままじっと見ていた。

 ほんのわずかにその鳶色の目が見開かれ、ジルダを見る目に驚きが込められていた。


 ジルダはそんなダンに、不思議そうな顔をする。声をかけたかったが、ダンがなぜかこちらを見据えるので、動きずらかった。


 しかしそれも一瞬のことで、ダンはすぐに我にかえると、ゆっくりと体ごとジルダに向けた。


(気のせいかな?)


 ダンが固まっていたのは、それだけジルダの目の色が珍しかったからかもしれない。ジルダはそう思うことで自己解決した。


「何か用かな、お嬢さん」

 

 厳つい顔をしているが、その低い声は穏やかだった。ジルダも自然と心を落ち着かせていた。


「ジルダ・リマと申します。兄の依頼により、こちらでお世話になっています」

「なるほど、彼の妹か。これは初めまして。私はジャバルの頭領、ダンだ」

「初めまして」


 ジルダは強張る表情をなんとかほぐそうとするが、相手が強面だからだろうか、すぐに固まってしまう。

 しかし、頭領が見かけによらず紳士的であることは、この短い会話の中でも口調や雰囲気から分かった。


「急にこんなところに連れてきてしまい、不安もあるだろうが安全は保証しよう。しばらくの間だけ、我慢してくれ」

「いえ、むしろ感謝しています」

「ほう、環境が変わって怖くないか?」


 率直に聞かれ、ジルダは躊躇いつつも正直に言った。


「ここへ来たばかりのときは少し不安もありました。でも、ジャバルの皆さんはよくしてくださるので、私もできることは手伝わせていただきたいと思っています」


 ジルダの言葉を聞いて、ダンは若干口角を上げた。

 それがどんな感情なのか分かりづらかったが、とりあえず頭領への挨拶は無事進んでいると、ジルダは思っていた。


「お嬢さんも聞いているだろうが、この船は明日、出航する。ここを出るとしばらくは戻ってこられないが、大丈夫かい」

「家族には伝えてあります。私も準備はできているので、問題はありません」


(故郷には、あまり心残りもないし)


 あるとすれば、先生たちに会えなくなることと、その家にいる猫のフィグを膝に乗せられないことくらいだ。ヴィタリももうどこかへ行ってしまったし、愚兄のテオに会わずにすむのはかえって良い。


 ダンはさっぱりとした様子のジルダを意外そうに見た。ジルダは首を傾げたが、それからまた頭を下げて、その場をあとにした。


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