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1話 ストルーガの少女

 

 ━━さようなら、ジルダ。


 どんなに手を伸ばしても、その後ろ姿に手が届くことはなかった 。




 時は、二週間前に遡る。


「痛っ!」


 パリンッ、と陶器が割れる音に続き、ジルダの声が響く。


(あー、またやっちゃったよ)


 ジルダの手の中には、バラバラになってしまった小さなカップがあった。

 落として割ってしまったわけではない。


 カップの中に入っていた紅茶がこぼれ出ていて、ジルダの手のひらを濡らしていた。

 ジルダはそれを見てため息をつくと、静かに片付け始める。ただ茶を飲むだけでこうも苦労するとは。


 そう思っていると、玄関の扉が開く音がした。続いて足音が、台所に近づいてくる。

 ジルダはだんだんと近づいてくるその音を聞きながら、割れた破片をまとめ、急いで手を洗った。手の数箇所を破片で切ってしまったため、水が傷に染みる。


 顔を歪めながらジルダが手を見ていると、思った通りの声が聞こえてきた。


「ただいま、ジルダ」


 台所の入口に、優しい顔つきをした青年がいた。ジルダの兄であるヴィタリだ。


「おかえり」


 声を聞くと、ジルダは嬉しそうに振り返る。栗色の髪が、ふわっと揺れた。

 

 兄はたった今、職場から帰ってきたところだ。

 昨年、地元の学校を卒業したヴィタリは、その後も動物やその生息地の環境を研究し続けている。頭が良く、研究熱心な兄は、こうして一日中好きなことに没頭している。


 それは、ジルダにとっても嬉しいことだ。ジルダは微笑みながら、割れた陶器をさっと背後に隠した。


 しかし、ヴィタリはそれを目ざとく見つける。ジルダよりも背の高いヴィタリは、妹の肩越しに粉々になったカップを見て、それから切り傷のついたジルダの手を見た。


 ヴィタリはいつものように、眉根を寄せた。


「ごめん」


 ヴィタリが何か言う前に、ジルダが謝った。被害に遭った食器は、これでいくつ目だろうか。


「しょうがないさ。それより手、怪我してるでしょ」


 そう言って、ヴィタリはジルダの手首を掴み、手のひらを見た。小さな傷がいくつも、白い手に走っている。

 なぜかジルダよりも痛そうな顔をしてから、ヴィタリは薬を塗って包帯を巻いてやった。


 その様子をジルダはぼんやりと見ていて、そしてぽつりと呟いた。


「こんな力、なければいいのになあ」


 ヴィタリはジルダの手元を見て作業を続けたまま、柔らかい口調で言う。


「あんまり気にするなよ、ストルーガは案外いるものさ」


 『ストルーガ』と呼ばれる特異な力を持った人々は、この世の人口の四分の一もいないと言われている。ジルダもそのうちの一人だが、家族以外には自分がその『ストルーガ』であることを明かしていない。

 ジルダのように自分が特別な力を持っているのにそれを隠している人が他にも居るとして、実際のストルーガの数はどのくらいになるのだろう。


「せめて、もう少し役に立つ力ならよかったのに」


 もう元には戻らない形状になってしまった陶製の器を見て、ジルダは口を尖らせた。ヴィタリは、これには返事を返さず、黙々と手当をする。


 ━━物を壊す。

 これが、ストルーガとして生まれたジルダの力だった。


 ストルーガは、人によって持っている力が違う。

 かつては、風を操り、大地を揺らすことができる者もいたそうだが、今の時代そんな力を持ってしまえば、この世は大変なことになるだろう。実際、その大きすぎる力のせいで滅びた国があるくらいだ。


(ヴィタリは、普通の人なのに)


 ジルダはつい、そんなことを考えた。

 ヴィタリだけではない。このリマ家では、ストルーガはジルダただ一人だ。

 『ストルーガは遺伝によるものではない』というのもまた、長い歴史の中で解明されていることだ。


 ジルダには生まれつき、鎖骨の下に痣がある。

 その黒く不気味な円陣を描いたような痣が、ストルーガの印だ。


 ある集落では一昔前まで、その印を持って生まれた赤子は不吉の象徴とされ、生後すぐに殺されるという残酷な風習があったと、ジルダは聞いたことがある。

 

 ただでさえ、今の時代でもストルーガ差別は根強く残っている。


 だからこそ、絶対に家族以外に自分の力をばらすものかと、ジルダは固く誓っている。


「はい、できた」

「ありがとう」


 手当を終え、ヴィタリが言った。

 鋭い破片によってできた傷は、地味に痛い。


「たまにこうやって、何でもない時に壊しちゃうんだよね」


 自分の手を見て、ジルダが言う。

 力が持ち主の言うことを聞くとは限らない。ジルダは時々こうやって、無意識に物を壊してしまうことがある。

 もちろん力には気をつけている。なるべく使わないように、この力で誰かが傷つくことのないように。

 


「食器はまだたくさんあるからね」


 明るい口調でヴィタリは言う。ジルダを励ますために言ったのではなく、ただ自然に思ったことを言ったのだろう。

 

 そう接してもらっていたほうが、ジルダにとってもありがたい。ストルーガだからといって、変に気を遣われるのは好きではなかった。


 それでも兄が、ある本を部屋に隠しているのをジルダは知っている。それはストルーガの歴史が綴られた書で、かつてのストルーガたちの歩みが載っていた。

 ヴィタリはジルダの目に触れさせないようにしていたようだが、数年前にジルダはその歴史書を見てしまった。


 兄と違って学校に行っていないジルダは、日中は時間がある。そのときに、兄の本棚の奥に隠れていたそれを読んでしまったのだ。


 かといって、別に衝撃的なものではない。ストルーガであるジルダが知っていてもいいはずの内容だった。


 だからなのか、気がつけばジルダは聞いてしまっていた。


「あの本、どこで手に入れたの?」

「本?」


 ヴィタリは首を傾げる。

 本といっても、研究ばかりしているヴィタリの本棚には図鑑や文献が多くある。当然、何の本のことを言っているのか分からないだろう。


「『ストルーガとその歴史書』」


 ジルダは言い直した。例の本のタイトルだ。

 

 ヴィタリは一瞬目を大きくすると、小さく息を吐いた。


「知ってたのか」

「隠さなくてもよかったのに」


 ジルダはやや不満げに言う。ヴィタリは少しだけ、声の調子を落とした。


「譲り受けた物なんだよ」

「誰から?」

「……父さんから」


 間があってから聞こえた声に、ジルダは言葉を返せなかった。何と言ったらいいか、思い浮かばない。


 というのも、この家には父がいなかった。いや、ジルダの記憶の中には。

 

 ジルダがまだ幼い頃に行方不明となった。 


 母がジルダに言ったのは、それだけだ。

 細かいことを詮索しようと思えばできるのだろうが、あえてそれはしなかった。その話をする母の顔を見ているのが辛かったからだ。


 ジルダには姉と兄がいて、ジルダが一番末っ子だ。

 まだ意識が朦朧とした赤子だったジルダは父を覚えていないが、それより五歳も年上だったヴィタリは当然覚えているのだろう。


(覚えてないから、悲しくはないけどね)


 そう思いながら、ジルダはヴィタリに言った。


「勝手に読んでごめんね。でも、別に気にしなくていいよ」


 ヴィタリは頷きはせず、ただジルダに視線を向ける。


 彼の目には、歳のわりに落ち着いた少女が映っていた。


 右目は海のような青、空の様子によって表情を変える海のように、緑に近い色に見えるときもあった。そして左目は、透明感のある灰色。


 ジルダは世間では珍しい、左右で異なる色彩の目を持つ少女だった。


 自分の手と割れたカップを見てどこか憂いを帯びた表情を浮かべるジルダに、ヴィタリは優しく微笑みかけた。


「出掛けようか、ジルダ」



 そう言って兄がジルダを連れて行った場所は、ジルダの予想通りの場所だった。

 町中にある一軒の落ち着いた外見の家。玄関の扉をヴィタリが軽く叩くと、愛想のいいふくよかな男が顔を出した。


「こんにちは」


 ヴィタリが挨拶すると、その男はヴィタリとジルダを順に見て、にっこりと笑う。


「やあ、よく来たね。いつものとおり、妻に用事かな?」

「そうです。先生はいらっしゃいますか?」

「ああ、呼んでくるよ。さあ、あがってあがって」


 膨らんだお腹を揺らしながら家の中に入る男に続いて、ヴィタリとジルダも家の中に入った。

 通された客間で二人が待っていると、まもなく背の高い女がやってきた。この人が、ヴィタリのいう「先生」である。

 先生は五十代半ばくらいの女性で、鋭い目つきのきつい顔をしてはいるものの、充分に美人といえる類の女性だった。


「いらっしゃい、二人とも」


 この夫人は、ヴィタリが通っていた学校の先生である。数ある学科の中で動物の研究を選んだヴィタリに多くのことを教えていたのは、この女性だ。ヴィタリが最も尊敬する人と言ってもよい。

 ヴィタリがまだ在学中だった三年前に退職し、今は家で違う仕事をしているらしい。

 先生が退職した後もヴィタリは、研究に関する相談等があれば先生の家に行っていた。そこに、ジルダもよく連れてきてもらったのである。

 また、学校に通っていないジルダに色々なことを教えてくれた。

 

「ジルダ、お菓子はいかが?」


 言いながら先生は、手に持っていた皿を傾ける。こんがりと焼けたアップルパイがのっていた。

 ジルダは口元を綻ばせながら、大きく頷く。

 先生は少し微笑むと、皿をジルダに渡し、ヴィタリの前にも置いた。


「ありがとうございます!」


 ジルダは目を輝かせながら、パイに手をつける。先生は微笑ましげにその様子を見ていた。

 こう言ってしまっては失礼だが、先生は厳しそうな顔をしているが、内心はかなり優しい。ヴィタリと一緒にジルダが来ると、いつも何かしら甘やかすのだった。


「旦那さんが作ったんですか?」

「そのとおり」


 先生が少し微妙な顔をした。

 旦那というのは、先ほど玄関先で迎えてくれた男だ。

 全体的に丸いその夫は、仕事人間である先生に代わり、掃除や料理をほとんど引き受けているらしい。

 人当たりがよく大柄なわりに器用で、いつも楽しそうに家事をしている。

 今も台所のほうから、美味しそうな匂いが漂っていた。旦那さんがまた何かを作っているのだろう。


 何を作っているのだろうと、ジルダが鼻をすんすんやっているうちに、ヴィタリと先生は本題に入っていた。

 話しながら、ヴィタリが何やら厚ぼったい資料を渡している。先生が真剣そうにそれに目を通し、何やら二人で話し合っている横で、ジルダは小さくあくびをしてしまった。


(暇だなあ)


 ジルダは珍しい生き物に興味はない。ヴィタリと先生からジルダが教わってきたことはどれも、文字の書き方や簡単な計算など、実用的な物である。

 ジルダは先生のことを気に入っているのでヴィタリについて行くのだが、毎回このような専門的な話を横でしているのを見ると、どうしても退屈を感じずにはいられない。

 ジルダが聞く必要のない話なので先生たちは気にしないが、一応退屈そうな顔はしないように気をつけている。

 それでもあくびは止められない。


 だんだん眠気を感じながら、ジルダはよそ見する。すると、ぴょんと何かがジルダの膝に乗っかってきた。

 

「フィグ!」


 ジルダの膝の上では、毛並みのいい白い猫がお腹をつけて寝転がっていた。

 

「また重くなった?」


 ジルダは小声で話しかけながら、頭をすり寄せてくる肉付きのいい猫を優しく撫でた。

 先生夫妻の愛猫ことフィグは、人懐こく気ままで、こうしてよく膝にのぼってくる。フィグと遊ぶことは、ジルダがここにきたときの恒例だ。

 

「ちょうどよかったよ、フィグ」


 これで退屈しのぎができる。ジルダは楽しそうに、フィグにちょっかいをかける。


 それにしても、ジルダが見るたびにこの猫は太っていく。少し甘やかしすぎなのではないかと、ジルダは台所の方を見た。そこには陽気でふくよかな男がいるはずだ。

 ジルダの考えが通じたのだろうか。フィグは迷惑そうにジルダを見ると、ぷいとそっぽを向いて膝から降りてしまった。

 ジルダが寂しそうに見ても気まぐれな猫には関係ない。フィグはのしのしと部屋から出て行ってしまった。

 

(あーあ)


 がっかりしてジルダが見ていると、先生がそれに気がついてふふっと笑った。

 ジルダは慌てて姿勢を正し、すぅっと目線を下げる。退屈そうにしていたのが丸見えだったか。

 

「そういえば」

  

 ジルダを見ていた先生の表情が急に曇った。ヴィタリとの話はもう終わったらしい。

 先生は、少しだけジルダに寄った。

 

「隣町で、物騒なことがあったのよ」

 

 先生の言葉に、ジルダだけでなく、お菓子に手を伸ばそうとしていたヴィタリも急に動きを止めた。

 

「何があったんですか?」


 ジルダよりも先に、ヴィタリが怪訝そうな顔で聞く。

 先生は小さく頷くと、詳しく教えてくれた。


「ストルーガの少女が行方不明になったんですって。それも、ジルダと同じくらいの年頃の子が」

「行方不明? で、その少女はどうしたんです?」

「急に姿を消してしまって、今も見つかっていないみたい。二日も帰ってきていないものだから、家族が心配しているらしいのよ」

 

 なんだか不穏な話だ。ジルダには他人事に思えない内容だった。

 表情が暗くなるジルダに、眉間にしわを寄せた先生がそっと言う。


「行方不明になったのがストルーガとはいえ、あなたと同じ年代の女の子だもの。充分気をつけて」

「……はい、ありがとうございます」


 先生は、ジルダがストルーガであることは当然知らない。だからこの話題も偶然なのだろう。

 ジルダは不安を抱えながら、ヴィタリに目をやった。薄ら顔色が悪いジルダの横で、ヴィタリは何かを考えているようだった。


読んでくださりありがとうございます(´∇`)

長くお付き合いいただけると嬉しいです。

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