第八十九話 ありふれた日常へ
ミリィ・ファルメールは変わり者。それが学園での生徒の認識だ。成績優秀・容姿端麗、しかもファルメール家のお嬢様。されど最も熱心なのは魔物の研究だという。どこぞの天才が聞けば大手を振って歓迎するだろう。交遊関係も広くなく、他の生徒にとってはミステリアスな存在だった。
「ふんふーん」
鼻唄を歌いながらご機嫌な様子のミリィ。それもそのはず、午後の授業は世界の魔物についてだ。講師は魔法省の才女と謳われるフィズ・コーペンハット。どんな話が聞けるのかとウッキウキである。
「随分と楽しそうだな」
「イディオット様、ご機嫌よう。午後の授業が楽しみですので」
「魔物学か。確かに面白そうな内容だが、講師がな……」
ミリィに話しかけたのはイディオット・フローイン。防人のバックボーンであるフローイン家の長男であり、有力貴族の一つだ。イディオットがフィズに難色を示すのもこれが理由である。
今、トーカス貴族界は大きく二つの勢力にわかれていた。一つは防人長ゼクトーアが率いる防人隊。もう一つは研究を主体とする魔法省。ジルベールが長となったことで魔法省は勢いを増した。その結果、元々不仲であった防人と魔法省は対立が激化し、それに乗じて貴族も二つの派閥に別れたのである。
「この学園に貴族の諍いを持ち込むのはどうかと思いますよ。ここは純粋に学問を探求する場。少なくとも、私はそう思っています」
「言いたいことは分かるが、綺麗事で済まないのが貴族ってものだ。口に出していないだけで、誰もがここを縮図と捉えている」
「はぁ……面倒ですねぇ」
「全くだ」
ミリィとイディオット、互いに気の知れた相手であり建前は不要だった。親しげに話す二人の姿。他人から見れば「絵になる」と感じるかもしれない。
「この前の話、受けてもらえるか?」
そうイディオットが尋ねると、ミリィは氷のような笑顔を張り付けた。ファルメールの娘として育てらた貴族の顔だ。しおらしく、されど失礼のないように彼女は頭を下げた。
「嬉しく思いますが、私の一存では決められませんので。申し訳ございません」
「……そうか。急かすつもりはないが、私は本気だ。それだけは覚えておいてくれ」
そう言ってイディオットは去った。その堂々とした後ろ姿を見送りながら、ミリィは小さく呟く。
「私がどっちかに付いたら、それこそ問題でしょ」
先日申し込まれたのはフローイン家との縁談。受ければ大きな影響が出るだろう。それは良くも悪くも、貴族間のパワーバランスを覆しかねない。いつ爆発するか分からない拮抗状態を壊す、その意味をミリィは理解していた。
ミリィ・ファルメールの肩には大きな重みが乗っている。その重み、一人の少女が背負いきるには些か大きなものだった。
○
フィズの講義は大変面白いものだった。それはもう、流石は魔法省の才女というだけあって話が上手い。あふれでる未知。知られざる魔物。講義中、ミリィの瞳は終始キラキラと輝いていた。
「ミリィ、元気になったみたいだね。教室に来たときは少し暗かったから心配したんだよ」
「あら、そんなの吹き飛んだわ! うじうじしてる時間なんて勿体ないもの!」
「あはは、ミリィはやっぱりそうでないと。あっ! ピルエットだ!」
クリスが「おーい!」と手を振った。講義が終わったあとの緩い時間。緊張がほどけていくような柔らかい空気がミリィは好きだ。ここでしか味わえない空気であり、それは温かなものだ。
「お疲れ様ですー、お二方」
「もぅー、ピルエットは相変わらず固いなぁ」
「むしろ柔らかいんじゃないかしら?」
「そうかな?」
「どっちでもいいですよー。癖みたいなものなんで」
気にしないでください、と頭をかくピルエット。防人の若き星である彼女は現在、このシェーナ学園にて絶賛勉強中である。全てはフィーリン隊長に言われたから。「お前は体じゃなくて頭を鍛えてこい」と半ば強引にシェーナ学園へ放り込まれたのだ。彼女は密かに根に持っており、若はげの研究をしているとか、いないとか。
ちなみにピルエットはミリィ達よりも年上だ。シェーナ学園は設立したばかりという理由もあって、様々な年齢の生徒が通っている。普段から世話係がいるミリィはまだしも、年上に敬語を使われる習慣が無いクリスにとってはむず痒い気持ちだ。
「学園にはもう慣れた?」
「いやー、中々難しいですね。元々こんな性格ですし、貴族のお嬢さん方には馴染めないと思いますよ」
「あれ? 私たちだって貴族のお嬢さんだよ?」
「二人は何というか、良い意味で貴族らしくないですから。特別枠です」
「やったー!」
「クリスはまだしも、私は貴族らしいと思うのだけれど」
「むしろあなたの方がですよ」
「え?」
おかしなことを言うわね、とミリィは首を傾げた。
「そもそも、ファルメール家のご令嬢が私と話すこと自体がおかしな話ですけどね」
「そんなこと気にしないの。あなただって貴族でしょ。ミルモーリスの名を貰ったんだから」
「貴族といっても端くれですよー」
「あー、またフィーリンさんの悪口言ってる。怒られるよー?」
「あんな幸薄顔なんて怖くありません」
親がいないことが発覚したピルエットは、上官のフィーリン・ミルモーリスに目をつけられて彼の家の養子となったのだ。三年前の襲撃戦にてピケと対峙した槍使い・フィーリン隊長。彼にやましい気持ちがあったわけでは無く、純度百パーセントの親切心である。部下に身よりの無い子どもがいたから引き取ろうとしたのだ。貴族でしかも上官に逆らうわけにもいかず、ピルエットは渋々養子になった。
「正直、貴族なんて面倒な肩書き要りませんよ。良いこともあるんでしょうけど、私には興味ないです」
「あなたらしいわ。まぁ、面倒って部分には同意だけど」
「しかも金は要らないから気にするな、とか言いますし……」
「良い人じゃない」
「幸薄いだけです」
意地でもぶれないらしい。彼女が意外に頑固なことをミリィは最近知った。
「あーあ、早く防人に帰りたいなー」
気怠げな声が教室に響いた。




