第四十四話 やぁ、あなたも久しぶり
ウィーン祭目前ということもあり、露店の品はどこも華やかだ。期間限定とうたって至るところに誘惑が溢れている。あっちへふらり、こっちへふらり、ティアとララは気の向くままにぶらぶらした。
「ねね、あれ見てよ。ララにそっくりな人形だ。特に丸まったお腹とかララみたいだよ」
「どこがダ。オレはもっとスマートだゾ」
「よく言うよ。最近太ってきたくせに」
「太ってないゾ。魔物は太らないんダ」
「それはゴーレムだけだよ」
この猿は一体何を言っているのか。
店だけではなく、住民の家も装飾が進んでいた。まさに祭一色。各家ごとに特色あるデザインが施され、歩いているだけでも楽しい。
「私たちも真似しよっか。そしたらあのボロ宿も少しはマシになるよ」
「そんなことするくらいなら他の宿に変えた方がいい。いや、今すぐ変えるべきダ」
「もー、ララはそればっかり。そのうちね」
「お前のそのうちはあと何年かかるんダ?」
ララの声をかき消してしまいそうな程、表街道は賑わいでいた。念のためララは姿を消しているが、必要ないかもしれない。奇々怪々な服装で歩く人々。祭りに浮かれた彼らの目には、ティアの怪しい姿なんて映ってすらいないだろう。
あの家が凄い、そこの家は微妙だと言いながら、二人は表街道を進む。小川にかかった橋を渡り、かつてティアが訪れた広場を通り、奥へ、奥へ。
二人の姿はトーカスの闇へと消えていった。
◯
表街道を歩く一人の男。彼の少し前にはとある少女が歩いていた。
(今日も綺麗だ)
白と藍の髪は風に揺られて軽やかに跳ねている。一目見たときから、彼はあの髪に魅了されていた。たとえ顔が見えずとも、否、見えないからこそ魅力的に見えたのだ。彼女にどうにかして近づきたい。考えた結果、客として会いに行こうと考えた。
少しでも気を引きたくて、なけなしのお金でパンを買った。彼が買える中で最も美味しいパンだ。しかし、いまいち喜んでいるふうには見えなかった。それでも彼は止めない。金がない彼には他の選択肢が存在しない。
彼女は人波をスラスラと抜けていく。いつの間にか肩に乗っていた猿は消えていた。彼は道行く人の群れを掻き分けながら彼女を追う。
以前の彼ならば付いて行けなかった。足が不自由な彼は、いつだって周りに取り残されていたのだ。しかし、今は違う。新たな治療薬は彼の足を見事に治した。
まるで生まれ変わったような気分である。世界が早い。この足があれば、秘密の多い彼女にも近づくことが出来るはずだ。
(まずは彼女の家を知るんだ。それから、それからは――)
彼の中では自分勝手な妄想が膨らむ。足枷から解放された彼は、自らの愛が暴走していることに気付いていない。何処かで甲高い笑い声が響いていた。考えることを止めた脳は、彼を人ではない何かに変えていく。
(ん?)
少女は路地裏へふらりと入った。水が隙間に入り込むような自然な動作。一瞬でも目を離せば見失っていただろう。慌てて彼も路地裏へと踏み入る。
太陽の光が遮られた路地裏は昼間なのに薄暗い。湿り気のある地面は路地の不気味さを倍増させる。彼女を見失わないように、少し早足で後を追いかけた。
路地裏はやがてスラム街へと繋がる。それでも少女は止まらない。街の喧騒はどこか遠くへ行き、人の気配も全く感じられなかった。地面には何の切れ端か分からない紙が散乱し、むき出しになった水道が編み物のように絡み合う。初めて訪れるスラム街に、男は内心怯えていた。
(落ち着け、俺にはこれがある)
彼はポケットのナイフを握りしめた。今日のために、なけなしの金を使って買ったものだ。彼女の美しい髪を傷付けないよう、出来る限り鋭利なものを探した。鋭い刃は路地裏にて黒光りする。
やがて、充分に人気が無くなった頃のことだ。彼は少女に近付いた。慎重に、少しずつ。見つからないように息を殺す。
(あと少し、あと少しで僕の手に……!)
彼は左手を指し伸ばした。まるで、救済の光に手を伸ばすかのように真っ直ぐと。震えはいつの間にか止まっていた。迷い無く伸ばされた手にはナイフが握りしめられていた。
「おい」
「ヒッ!?」
男の願いは容易く砕かれた。伸ばした左手を突如掴まれて、彼は思わず声をあげる。
「お前、何やってんだ?」
「な、なんだ! 関係無いだろ!」
「こいつは俺の知り合いでな。手を出すってんなら、それなりの覚悟は出来てるんだな?」
彼は邪魔者の顔を見た。いかにもスラムの住人らしい、もじゃもじゃの髪をした男だ。汚ならしい。こんな髪を自分の視界に入れるな、と彼は顔をしかめた。
「ふん、お前が彼女と知り合い? そんなわけあるか! お前みたいなやつが知り合いなわけがない!」
「大声出すなよ……うるせーな」
邪魔者は頭を抑えた。微かに酒の匂いがする。ますます彼は信じられなかった。どうせ、酔っぱらいが勝手に割り込んで来ただけなのだろう。
「いいから手を離せ! お前に用は無いんだよ!」
「だから大声やめろって……はぁ、面倒くせーな」
そう言って邪魔者は髪をかき揚げた。そこで初めて目が合う。濁った冷たい眼光だ。世界に一度絶望した男の瞳だ。その鋭い眼光に、男は思わず怯んだ。
邪魔者はポケットからボロボロのナイフを取り出す。殺される、と思った。理解した瞬間、抑えていた恐怖が爆発した。
「う、うわぁ!」
「なっ、暴れるなっ、おい!」
男は不恰好に暴れた。力の限りに抵抗する彼に、邪魔者は手を離してしまう。
今がチャンスだ、と男は全速力で逃げた。少女をこんな地に置いていくことを後悔したが、それどころではない。彼は必死に足を動かす。少しでも早く、この地から離れるため。
あっという間に男の姿は無くなった。驚くべき速さだ。邪魔者は気が抜けたように、彼が去った方向をポカーンと見つめていた。
残ったのは邪魔者と少女だけ。




