第二十九話 友人の恋愛事情
トーカス下層部の街角にひっそりと構える料理屋ラパセ。落ち着いた古風な店内には数名の客が座っている。ずっと記事を読み続けるお婆さんや、美味しそうに料理を食べる女性、もしくは窓際に座る楽しそうな男女。そして、花屋の店主とラパセの看板娘。
今日はティアとマリエッタの二人で食事だ。いつもシェルミーやミリィが居ることが多いため、二人っきりで食べるのは珍しかったりする。
「良い雰囲気だね」
「そうでしょう。中層部や上層部にも人気があるのよ」
中層部の豪華な店ではなくて、ゆったりと落ち着いた店を求める人も多い。そんな人々に需要があるラパセは知る人ぞ知る名店だ。
「確かジルベール様も食べに来るんだっけ」
「そうよ。格好いいわよねぇ、ジルベール様」
「マリエッタはジルベール様みたいな人が好きなんだ」
「だって魔法省のエリートよ? 目指せ玉の輿なんだから!」
マリエッタは今年で二十三歳。そろそろ恋人が欲しい年頃だ。実際、マリエッタは結構モテる。器量の良さと明るい性格は客からも人気だ。問題は彼女の理想が高いということ。今は相手が居なくとも、いつか素敵な人に出会うだろう。
「早くしないとシェルミーに先を越されちゃうよ」
「あの子は団長さん一筋だからねぇ。シェルミーはパルテッタと一緒にこの街に来たんだけど、その時からずっと彼を好きなのよ?」
「へぇ……一途だね。本当に先を越すかも」
「大丈夫よ! その前に私も素敵な相手を見つけるわ」
マリエッタは自分に渇を入れる。
「でも、この前のシェルミーは少し様子が変だったな」
「あら、どんな風に?」
「らしくないというか、ハッキリしない感じだったよ」
「珍しいわね……まぁ、恐らくパルテッタ関連だろうけど」
他の客はいつの間にか居なくなり、店内はティア達二人だけになっていた。店の奥から料理の音が時折聞こえてくる。二人の会話を邪魔するものはいない。
「あの二人は結構ややこしいからねぇ。私はさっさとくっつけば良いと思うけど、あまり上手くいかないみたいだし」
「恋愛が絡むと人間って途端に面倒臭くなるよね」
「ふふ、ティアちゃんの口からそんな言葉が出るなんて」
「可笑しいかな」
「いいえ、全然。確かに面倒臭くなるけど、それが人の良いところなのよ」
「ふーん、そういうものなんだ」
ティアはよく理解出来なかった。好きなら奪ってしまえばいいのだ。強者に惹かれるのは生き物の性。人間はいつだって回りくどいやり方をする。周りの目だとか体裁だとか、くだらないことばかりを理由にして本当の幸せを逃すのだ。
「ティアちゃんは恋愛以前に、友達が少なそうだからねぇ」
「マリエッタだって、私とシェルミー以外にいないんじゃないの?」
「ふふん、私はこう見えて人脈が広いのよ。友達だっていっぱいよ?」
マリエッタは自慢げに胸を張った。マリエッタが言うと本当のように聞こえるからティアは否定しづらい。マリエッタの人柄なら友人が多くてもおかしくないし、おそらく本当に優しい友人ばかりに囲まれているのだろう。
「ちなみにティアちゃん。友達の秘訣は、互いの秘密を教え合うことよ」
「秘密?」
「そう。互いしか知らない秘密は、二人の絆を強くするの」
なるほど、とティアは頷いた。隠し事をなしに話せるララとは確かに信頼し合っているように思う。きっとララだって同じはずだ。共通の秘密。マリエッタの言葉は理にかなっている。
とにもかくにも、シェルミーの事情は彼女自身がどうにかしなけれぱならない。ティア達に出来ることは見守るだけだ。
「シェルミー、上手くいくといいね」
「そうね。シェルミーも私も……勿論ティアちゃんも」
マリエッタはティアの頭を撫でた。柔らかい髪は適度な弾力で彼女の手を押し返す。マリエッタの手は不思議と安心した。
○
劇団、ララとの会合、サルバの処理、忙しい日々がようやく落ち着き、ティアは久しぶりに店を開いている。いつもどおり喧騒にまみれた表街道だが、ティアは少し懐かしく感じた。
「これがお前の店カ。本当に表街道で開いていたんだナ」
「世にも珍しい花屋だよ」
「キキッ、俺には見覚えのある花ばかりだゼ。まさか人間の街で故郷の花が売られるとは思わなかった」
「もちろん秘密にしてね?」
「ああ、分かっているサ」
ティアの花屋に猿が一匹。暇そうだったララを店番に連れてきたのだ。当然、客が居るときは口を開かないように言ってある。いつも一人で開いていた店が少し賑やかになった。
「店も新しく綺麗にしたし、客も少しずつ増えているんだ」
「楽しそうダナ」
「ララもすぐに分かるよ」
貯めたお金で綺麗に生まれ変わった店には、噂を聞き付けた客がちらほらとやって来る。客はまず花に驚き、次に店主に驚き、そして猿に驚くのが一連の流れだ。表街道にまた新たな噂が流れるかもしれない。
「白い花は売らなくなったのカ」
「幽玄草ね。流石にあれはもう売れないなぁ」
「でも結構売れていたんダロ?」
「そうなんだよね。出来る限りは回収を進めているんだけど、私の店って案外人気だったみたいで難航してる。それに、幽玄草が売れなくなるのは痛いなー」
ティアは頬を膨らませる。幽玄草は密かな人気を誇っていた。霧を発するという分かりやすい特徴が客に受けたのだ。しかし、変死体が出ているのだから仕方無い。
「代わりに新しい花を並べているけど、売れるかな」
「さぁナ。これも森の花カ?」
「そうだよ。今回は危なくなさそうなのを選んだんだ」
木箱に眠っていた花が満を持して登場。店先には新たな珍花が並んでいた。新生ティアの花屋をとくと見よ。特に半透明で今にも折れてしまいそうな花が目玉だ。花の名前は祈祷草。きっと人気が出るはずだ。
そうして二人で客を捌いているうちに昼下がり。腹がすいたララは隣で果実を食べている。店を開いたばかりの頃にマリエッタがくれた赤い果実だ。美味しそうにむしゃむしゃと食べるララはとても幸せそうで、それを見つめるティアの瞳は羨ましそうだった。
「いいなぁ。美味しそう」
「美味いゼ。森の果実も美味かったが、これはまた別の美味さダ」
「美味いってどんな感じなの?」
「面白いの次に幸せな感情ダ」
なるほど分からん。ティアは首を傾げる。
ララの口回りには赤い汁が付いていた。「花に付かないようにしてね」とティアが忠告するが、聞いているかは怪しい。食い意地を張る猿だなあぁとティアは呆れた。
そんな二人に話しかける人物が一人。少し意外な人物だ。
「やあ。久しぶり」
「パルテッタさんじゃないですか。お久しぶりです」
化粧を落とした普段姿のパルテッタ。素顔を初めて見たが思っていた以上にイケメンだ。大人の落ち着いた相貌は街の女性から人気が出そうである。当然ながら道化の衣装は着ていない。品の良さそうなコートがとても似合っている。
「ララも久しぶり。調子はどうだ?」
「楽しくやってるゼ。ほら、団長も食えヨ」
ララは余っていた果実を放り投げた。パシッとキャッチし、パルテッタは困ったように笑った。流石に店先で頬張るわけにはいかないからだ。
「今日は君達の様子を見に来たんだ。楽しそうにやっているなら良かった」
「そっちはどうダ?」
「なんとかやってるよ。ララが抜けた穴を埋めながらね」
「キキッ。オレが抜けた穴はでかいダロ」
「そう思っているなら帰ってきてもいいんだぞ? ビザーレはいつでも君を歓迎する。」
「キキッ、諦めナ」
ララは意地悪そうに笑った。パルテッタもララが戻ってくるとは思っていない。勧誘ではなく純粋な挨拶としてパルテッタは訪れたのだ。
「ティアさんは花屋だったのか」
「はい。まだまだ小さな店ですが、常連客に支えられながら頑張っています」
「いいや、素敵な店だ。ついでに一つ買っていこう」
「ありがとうございます」
花を買ったパルテッタは満足そうだ。化粧をしていない彼は本当に別人のようである。オールバックにした金髪は乱暴なイメージを与えるが、その性格はとても穏やかで優しそうな印象。これがステージに立つと鋭いオーラを放つのだから人は見かけによらないのである。
その後も他愛ない世間話が続く。彼の話し方は独特の心地良さがあった。
「ララとは確か古い仲だと言っていたね」
「まさかトーカスで再会するとは思っていませんでした」
「あの時のオマエの慌てっぷりは面白かったゾ」
「うるさいなぁ。晩飯抜くよ?」
「それは勘弁してくれ。俺が悪かった」
「アハハッ、君達は本当に仲が良さそうだ」
パルテッタが眩しそうに目を細めた。よく見ると綺麗な翡翠の瞳をしている。「悲しそうに笑う男だ」とティアは思った。生気の薄い彼の表情がそう思わせるのかもしれない。
「長話をし過ぎたな。そろそろ失礼するよ」
「分かりました。またお越しください」
パルテッタが握手を求めた為、ティアが応じる。
「おや、綺麗な指輪をしているね」
「私のお気に入りなんですよ」
「そうか……うん、本当に綺麗だ。君によく似合っている」
パルテッタは本心からそう言っているようだった。緋色の宝石はあの日と同じように赤く輝いている。ティアの瞳と同じように。そして彼の心と同じように。
彼は店を去った。握手をした手を見つめながら、ポツリとティアが溢す。
「ねぇ、ララ」
「どうした?」
「団長さん、好い人だね」
彼とは仲良く出来そうな気がした。仲良くなれたらいいなと思った。彼がまた店に来た時のために、もっと色々な花を集めよう。そして、あの生気が薄い顔を驚かせてやるのだ。ティアのやる気が密かに燃えていた。




