第十七話 ファルメール邸にて
ビザーレ・サーカス団に行く前日、ティアはとある豪邸にお邪魔していた。上層部に建てられた最高級の屋敷だ。ジルベールの屋敷は厳かな佇まいだったが、逆にここは絢爛豪華な屋敷である。途方もないお金がつぎ込まれており、中層部の住人ですら一生かけても手が届かないだろう。ある意味別世界に、ティアは少し呆気に取られた。
ここは天下のファルメール卿が住まう屋敷だ。「発展の怪物」カルブラット・ファルメールが当主であり、街を実質的に治めている支配者。清濁併せ持つ人格者である。
「お姉ちゃんびっくりした?」
「心構えはしてたんだけどね、正直驚いた」
「やった! ドッキリ成功ね」
ティアは無数にある部屋の一つに通されていた。ミリィの子供部屋だ。彼女の銀髪と同じ、白を基調とした部屋である。家具もカーテンも、全て白だ。純白に囲まれた部屋でミリィはクスクスと笑っていた。
(確かカルブラットには悪い噂もあったはず。ミリィは知っているのかな)
白い部屋を見てそう思ったが野暮な推測は止めた。今はミリィとの時間を楽しむことにしよう。なんといっても、今日はミリィのお家で遊ぶのだ。当然、他人の家で遊んだことのないティアはとても楽しみにしていた。
実際のところ、ミリィがファルメール卿の娘であることをティアは知っていた。化け物であることを隠して暮らす以上、情報収集は欠かさずに行なっている。ミリィのような目立つ少女が相手ならば尚のことだ。勝手に調べるという行為は少し気が引けたが、ティアはそれでも知っておくことにした。自分を守るため、引いてはミリィを守るため、化け物は無知でいられないのである。
「私の花、飾ってくれてるんだね」
「もちろん! 買ったお花はみんな私の部屋に飾っているの!」
「ふふ、ありがとう」
ミリィの部屋は沢山の花が飾ってあった。机、ベッド、窓、クローゼット……其処彼処に見覚えのある花が置かれている。主に爽やかな香りのする落楼草が多いが、所々に常夜灯代わりの燐螢花も咲いていた。幽玄草も少しだけ買っていたはずだが、部屋には見当たらない。
「幽玄草……霧を出す面白い花があったと思うんだけど、ここには無いんだね」
「あのお花は部屋に置けなくて……今はお庭の花壇に植えてるの」
ティアは納得したように頷いた。ファルメール家の外庭には豪華な花壇があった。ティアの花もそこに植えられているというわけだ。
その後も沢山の話をした。他愛ない世間話から、ミリィの好きなことや趣味など。ミリィは甘いものが好きだという。彼女らしいと思った。可愛らしいミリィは甘いものが似合うし、甘いものに囲まれていたらいいと思う。
逆にティアが好きなものを聞かれた。思わずティアは困ってしまう。娯楽の無い世界で生きてきたティアにとって、明言できるものは少ない。結局、「市場で売ってるおもちゃだ」と言うしかなかった。すると今度は「私にも見せて欲しい」とミリィは言う。ティアはまた困ってしまった。ミリィにあのボロ宿を見せるのは恥ずかしいからだ。だってミリィのお姉ちゃんだから。少しでも良いところを見せたいと思うのは当然だろう。
二人は日が傾く頃まで語り合った。
◯
気が付けば外は真っ暗だ。楽しい時間はこうも早く過ぎ去るのかと、ティアはびっくりした。そろそろ帰らねばならない。
「泊まっても良かったんだよ?」
「今回は遠慮しておくよ。次来るときは泊まらせてもらおうかな」
「うん! 楽しみにしてる!」
屋敷の広間には数名のメイドが控えていた。恭しく頭を下げる姿はむず痒い光景だ。生まれた時から貴族だったミリィは当たり前のように振る舞っているが、ティアは誰かに頭を下げられる行為に慣れそうな気がしない。これも人と魔物の違いだろうか。
ティア達がロビーに降りると、一人の男が帰ってきた。屋敷の主人、カルブラット・ファルメールだ。歳は三十後半。ミリィと同じ銀色の髪をした偉丈夫である。発展の怪物がここにあり。彼の体からは目を焼くような爛々とした覇気が発せられる。
「おかえりなさい、お父様」
「あぁ、今帰った。そちらは友人か?」
「うん。紹介するね、お父様」
そう言われてティアは姿勢を正した。友人に仕立ててもらった服の裾をつまみ、流れるような所作で頭を下げる。隣のミリィが少し驚いたような表情をしているのが視界の端に映った。
「初めまして、ティアと申します」
貴族向けの優雅な礼。その振る舞いは庶民と思えないほど様になっていた。カルブラットに会うことも想定して事前に貴族作法を調べたのだ。たとえ付け焼き刃でもティアの記憶能力ならば問題無い。練習の成果は問題なし。仮面だけは外せないが大目に見て欲しい。
「カルブラット・ファルメールだ。奔放な娘だが仲良くしてやってくれ」
「はい、もちろん」
世間はこの男を怪物と呼ぶ。たった数年でトーカスを著しく発展させた傑物と。ティアから見ればただのおっさんだ。少し頭の堅そうな印象。そしてミリィの父親。ただ、それだけである。
しかし、仮面を被ったティアの姿に嫌な顔をしなかったのは珍しい。普通ならば眉をひそめるものであり、ましてや大事な娘の友人がこんな姿では心配だろう。それでも眉一つ動かさないのは上に立つ者だからか、それとも興味が無いのか。
「私の部屋の花はティアお姉ちゃんが売っている花なのよ」
「しがない花屋でこざいます」
ティアの姿勢は低めだ。人間は貴族を敬うものであり、目の前の男はミリィの父親であり、そして大事なお客様だから。
「花屋……なるほど」
カルブラットはどこか納得したように頷く。ティアに対する興味からか、瞳に鋭い光が宿った。なかなか眼光の鋭い親父だな、とティアは思う。敵意は感じられないが警戒をした方がいいだろう。
「邪魔をしたな。君はどうやら娘に信頼されているらしい。よろしく頼むよ」
そう言ってカルブラットは背を向けた。その背中を見つめるミリィは何も言わない。いつの日だったか、街を散策しているときに見た瞳をしている。温度が感じられない瞳だ。貴族社会は複雑らしい。
そもそも、人間という生き物は複雑だ。常に心が揺れ動き、時には非合理的な選択を平気でする。もしかしたら、それが人間の面白さを生み出しているのかもしれない。つまり人間とゴーレムは違うのだ。非合理的な人間と合理的な魔物。ティアは思うがままに生きているが、どちらが良いかは分からなかった。
「さて、もう一仕事しないと」
そう呟くと、ティアは屋敷を出た。
◯
ファルメール邸の外。
闇夜に紛れるようにして屋敷を観察する影が複数いた。ピクリとも動かず食い入るように見ている。真っ黒な体で石像のように動かない彼らは完全に夜と同化していた。常人ならば気付くことすら出来ないだろう。
やがて影が動き出す。物音一つ立てない姿は彼らが只者では無いことを物語っていた。ファルメール卿には様々な噂がある。トーカスの主になって以降、カルブラットは反対意見の多い政策を数多く推し進め、その度に少なくない血が流れた。それ故に多方面からの恨みを買っているのは誰もが知る事実。そして、夜闇を駆ける彼らはそういった恨みから生まれた被害者だ。
統率された動きで闇を駆け、屋敷内へ踏み入ろうとした時だった。
「何をしているの?」
「!?」
彼らの動きがピタリと止まった。予想外の声に思わず振り返ると、そこには仮面を被った奇妙な少女が立っている。互いに表情の分からないまま、人と化け物が向かい合った。
「変な気配があるなぁって思って来たんだけどさ、一体何をしているのかな?」
「………」
彼らは答えない。それはつまり答えられない内容だということ。
「答えは無し、と。じゃあ仕方無いや」
少女が指差した先には仲間が一人。地面から這い出た手に捕まり、逃げる間もなく地面に吸い込まれていった。一瞬の出来事だ。襲われたと知覚した時には既に地面の中である。
「!?」
悲鳴を上げることも出来ずに消えた仲間を見た男達は戦慄する。この少女は一体何をしたのか。いや、そもそもこの少女は何者なのか。彼らは気付くべきだったのだ。目の前の少女は怒っている。水面のように静かな怒りは、容赦が出来ない程に膨れ上がっていた。
「あなた達がどうしようと関係無いけどね、ここは駄目なんだ。ここだけは手を出しちゃいけないなんだよ」
少女に交渉の余地は無し。殺気溢れる彼女はまさに人為らざる雰囲気だ。男達は臨戦態勢を取った。勝てないことも、逃げられないことも、仲間を失った時点で気が付いている。それでも彼らは退けないし、少女も見逃せない。
影は一人、また一人と倒れていく。ある者は地面から突き出た土の槍に貫かれ、ある者は土塊となって散った。屋敷の人間には気付かれないよう、静寂の中で行われる蹂躙劇。最後に立つのは少女のみであった。




