第百四十八話 ダンスは彼が教えてくれた
復讐霊はその名の通り復讐心によって甦るのが普通だ。抱え込んだ想いが鎖となって彼らを縛り、復讐を果たすまで成仏出来ない悲しき魔物。劇団長パルテッタも、ファルメール家に対する憎しみで甦った亡霊である。
彼らに比べるとシェルミーは特別な存在だった。憎しみではなく愛を抱いて甦った彼女を復讐霊とは呼べない。彼女を縛る鎖はパルテッタへの愛だけであり、不死者を超え、復讐霊をも超越した死神と呼ばれる魔物の刃は、地を揺るがすほど重いのだ。
「敵の力量を見誤ったかい、隊長さんよ! それとも焦ったのかい!?」
「くっ、余裕そうだな死神!」
「先輩、右!!」
「あほか! 狙いはお前だ!」
死神の一薙ぎは鉄をも砕く。咄嗟に受け止めきれないと判断したクォーツは避けようと左へ飛んだが、彼女の狙いは初めからピルエットであった。地面に突き立てた鋏を引き抜くと同時に、地を這うような瘴気がピルエットを襲った。「ひゃあ〜!」と情けない声を上げながら上空へ吹き飛ばされるピルエット。追撃とばかりに死神の刃が飛んでいく。
「人外じみた跳躍力ですね!」
「そりゃあ私は魔物だからさ! 君も人とは思えぬ膂力だよ!」
花園の空に火花が散った。空中で刃を切り結ぶ両者、その衝撃は大気を揺らす程だ。しかし、拮抗したのは一瞬であり、ピルエットの刃が弾かれた。
「落ちな!」
破壊の権化がピルエットを叩き落とした。「うひゃあ〜!」と再び情けない声を上げながら、しかし華麗に着地を決めるピルエット。彼女もまた人並外れた身体能力を有している。
「おらぁ!!」
シェルミーの着地を狙ってクォーツが刃を滑らせる。彼の剣は平凡だ。愚直に真っ直ぐ、ただ振り下ろすだけの凡人の剣。しかし、いくつもの修羅場を潜り抜けた彼の経験が、剣を振るうべきはここだと言っていた。
「そんな剣が通用するとでも!?」
「思わないさ、俺だけならな!」
当然の如く防がれたクォーツの刃だが、無理な態勢で受け止めたシェルミーに小さな隙が生まれる。たった一瞬、凡人なれば隙とも分からぬ細き光。だが、王たる瞳を持った少女は僅かな隙も見逃さない。いつの間にか死神の背後を取ったミリィが、がら空きの背中に剣を突き立てた。
「私だって戦えるのよ!」
「ほう、やるねぇお嬢さん! 三年前の私なら、それも、通用しただろうさ!」
されど、届かない。シェルミーが足元に鋏を突き立てると、彼女を囲うように瘴気が爆発した。可愛らしい悲鳴を上げながら吹き飛ばるミリィ。ギリギリ間に合ったピルエットが彼女を受け止めた。
強い。強いとは分かっていたが、あまりにも埒外な暴力。調査隊の半数以上を失っているから、なんて言い訳は通用しないだろう。人と魔物の圧倒的な力量差がそこにはあった。苦悶の表情を浮かべるクォーツとピルエット。死神の力量を鑑みれば充分に善戦しているといえよう。そもそもが超越種。彼女こそが、亡霊の頂点。
「あぁ、パルテッタが泣いている。君達には聞こえないのかい、死してなお止まない彼らの泣き声が、君達は感じないのかい、彼らの怨嗟が、まだ死ぬなと言っている」
シェルミーが言葉を紡ぐたびに、花園の温度がみるみる下がるようだった。身も凍るような寒気に身震いをし、ふと足元に目を向ければ、這うような冷気によって霜が降りていた。ここは良くない。ここは、あまりにも死に近すぎる。聞こえるはずのない幻聴が洞窟の空に木霊した。
「さぁ来なよ、共に踊ろうじゃないか。こう見えて私はダンスが得意なんだ」
死神シェルミー。彼女はまだ、堕ちる。
○
(なんつう力だよっ、くそ!)
死神の猛攻を受けるクォーツは焦っていた。堅実な彼は決して無茶をするタイプではない。それでもシェルミーを討つと豪語したのは、討てるという自信があったから、そして彼女が駆けつけると信じていたから。
(早く来てくれよ、頼むから、早く!!)
他力本願、それを恥と思う若さは捨てた。足止めが出来れば上出来だ。もしも英雄譚が語られるならば、アストレアやピルエットは煌々と輝く綺羅星で、自分は彼らのように輝くことが出来ないだろう。
それでいいのだ。それで愛する者を守れるならば喜んで礎となろう。魔物だろうが悪魔であろうが、街を守れるならば何だって構わない。
(早く――)
才無き男が剣を振るう。
○
ピルエットも焦っていた。自分の刃が通じないのはまだいい。それだけならば、時間をかけることで勝機が生まれる可能性がある。問題なのは、死神が未だ底を見せていないことだ。
(まだ本気じゃない、本気を出すほどじゃないってことですか……嫌になりますね)
死神の剣を避けられているのは、ほとんど直感に近いものだった。目では追えていない。ひりつくような死の気配を何度も感じた。しかし、判断力に関しては尊敬してる先輩が戦うと言ったのだ。だからここは退いてはいけない場面なのだ。
「一介の、班長には、荷が重いでしょ!!」
若い頃は戦いが楽しいと思っていた。背負うものが増えるにつれて、戦いが苦しくなった。失うことが、怖くなった。積み上げたものが思っていたよりも高くなっていて、何とか崩すまいと奔走した。
必要なのは暴力だ。他者を寄せ付けない圧倒的な力が必要だ。しかし、それは孤高の力だ。武に限らずあらゆる分野において、突き詰めた者はその誰もが孤独を愛し、何も積み上がらぬ恐怖と戦い、未来があるかも分からぬ道を選べた人間だ。少女は英雄となるか。少女にその覚悟はあるか。
ピルエットは柄を握る手に力を込めた。彼女の血は温かい。




