第十四話 クォーツは苦労人
「はぁ……」
防人の本部にある休憩室で大きなため息が溢れた。ため息の主はクォーツだ。今しがた、問題を起こしたサルバ班長を落ち着かせたところである。ティアが脅威になるという証拠がないため、サルバの主張は保留となった。「納得がいかない」と暴れるサルバを宥めるのは苦労したものだ。何せクォーツはただの一般兵である。下手に手を出せばクォーツが罰せられるのだ。
「お疲れさまですー」
「お、さんきゅ」
ピルエットが飲み物を持ってきてくれた。数種類の果物を潰したジュースはよく冷えており、疲れた体に染み渡る。ピルエットもクォーツの隣に座ってジュースを飲んだ。
「くぅーっ、疲れたときは甘いものが沁みるぜ! 初めて飲んだが美味しいな」
「ふふ、街の女性に人気なんですよ」
普段騒がしい休憩室は珍しく誰も居らず、二人の話し声のみが部屋に響く。二人とも声音に元気が感じられない。ピルエットも疲労感が表れており、いつもの生意気な態度が大人しくなっている。
「それにしてもサルバ班長……まさかあんなに暴れるなんてなぁ」
「凄い剣幕でしたね。ファルス教の人達って皆あんな感じなんですか?」
「全員がそうとは言わないけど、信者が騒ぎを起こすのは珍しくないな。特にファルス教ってのは戒律が厳しいから厄介事が多いんだ」
「へぇー。狂信者ですね」
「やめろって。聞かれたらまた面倒だぞ」
ファルス教は唯一神ファルスを信仰しており、宗教の中で最も信者が多い。戒律が厳しいことでも有名だ。“自らを律した先に神託は訪れる”が謳い文句だが、クォーツは馬鹿馬鹿しいと思っている。そもそも神託なんて胡散臭いものに頼るやつの気が知れない。
「ま、サルバ班長の乱心を見るとそう言いたくなるのも分かるけど」
「ティアさんが脅威になる、でしたっけ」
「それそれ。そんな理由であの子を追い出そうもんなら……ジルベール様に殺されっぞ」
「あはは、レーベン卿のお気に入りですもんねー」
クォーツはティアという奇妙な花屋を結構気に入っていた。彼女の花をリーベに喜んでもらえたのもあるが、ティアの人柄を気に入っているのだ。骨の仮面は不気味であるが性格は至極穏やか。話し方も丁寧で防人に敬意をもってくれているのが伝わってくる。背丈が小さく子供だと思われるが、内面はとても大人びていた。仮面の下は思っているほど幼くないのかもしれない。
クォーツの思考は扉の開く音によって中断された。木製の扉は軋んだ音を立てながら来訪者を招く。入ってきたのはアディだ。彼の仏教面も今は疲れているように見える。
「アディじゃん。久しぶり」
「お疲れさまですー」
「……お疲れ」
アディはクォーツ達に気が付くと少し頬を緩ませた。同時に二人の組み合わせに少し意外な顔をする。
「お前らが組むのは珍しいな」
「ジルベール様に指名されてさ、しばらくはピルエットが相棒なんだ」
「本当はアディさんのはずだったんですよ?」
「あー……悪いな、俺は別件だ」
「もぉー、そのせいで私になったんですから。とばっちりですよー」
ピルエットはぷぅーっと膨れた。
「そう言うなよ。結構楽しんでいるんだろ?」
「まあそうなんですけどね。アディさんは別件って何やってるんですか?」
アディは少し眉をひそめた。
「とある調査を班長としてたんだが……中止かもしれない」
「あー……まぁ仕方ないですよねぇ」
「お前が班長の暴走を止められないのも珍しいな」
「俺は中層部、班長は下層部の調査で別行動をしていたんだ。そしたらこの騒ぎだから参った」
ふと、アディはクォーツ達が手にしている飲み物に目をやった。視線を感じたクォーツはさっとジュースを避ける。
「やらねえぞ」
「ふん、甘いものは嫌いだ」
クォーツは残っていたジュースを飲み干した。つぶつぶとした果肉がこれまた美味い。また買いに行こうと決心した。
「そういえば班長が妙に怯えていなかったか?」
「俺は気付かなかったぜ。そうなのか?」
「強気な口調だが震えていた。まるで何かに怯えているみたいだ」
「へぇ、それは見たかったな。きっとティアさんの剣幕にビビったんだぜ」
クォーツはサルバの怯えた様子を想像する。普段いばっている班長が震える様子は中々に面白い。
「やめとけ。隊長や他の班長に聞かれたらまた怒られるぞ」
「大丈夫大丈夫、どうせ誰もいないさ」
「そんな面白そうなことがあったのなら私も見たかったなぁ」
ニヤニヤと笑う同僚にアディは呆れた。もし見つかった場合はアディも一緒に怒られることになる。それだけは御免だ。
「あの花屋はそんなに怒っていたのか」
「どうやらサルバ班長と口論をしていたみたいだぜ」
「ふむ……意外だな」
アディはティアと関わることが少なかったため、あまり彼女について詳しく知らない。しかし、店で接した限りでは穏やかな性格だと認識している。少なくとも班長が怯えるような相手とは思えなかった。
「仮面のせいで本当に怒っていたかは分からないけどな」
「あの不気味なやつか」
「私はあの仮面好きですよ。可愛いじゃないですか」
「……? それはちょっと理解できないな」
「同じく」
クォーツは立ち上がると空になったジュースを捨てた。大変な一日だったが、今日の仕事は終わりだ。帰ってゆっくりと休むとしよう。
「ま、取りあえずは被害がでなくて良かったよ。俺たちの仕事が増えなくて済んだ」
「本当にそうですよねー。もしも被害が出ていたら報告書地獄で帰れなかったかもしれないです」
「うへぇ、それは嫌だなぁ。ああいう堅苦しいのって嫌いなんだよ」
「分かります。うまい手の抜き方を教えてくださいよ」
「……しわ寄せが来るの俺なんだ。真面目にやれ」
本部を出て防人の寮に帰るクオーツ達。帰るといっても本部と寮はあまり離れていない。話していればすぐに着く距離だ。非常時にすぐ駆けつけられるよう敢えて近くしているらしく、クォーツ達にとっては有り難かった。
クォーツとアディが並んで談笑し、その後ろをピルエットが付いていく。二人の後ろ姿を見ながら、ピルエットは先ほどの会話を思い出した。怯えた班長、神託、花屋との口論。
(怒気……ですか。あれはそんなものじゃないです)
ピルエットが駆け付けた時に感じた冷たい気配。戦闘経験が少ないクォーツには分からなかったようだが、ピルエットにはしっかりと感じられた。怒気なんて生易しいものではない。ピルエットは知っている。何度も経験した感覚。あれは――。
「殺気ですよ」
ぽつり、と呟いた声は誰にも聞こえることは無く、夕暮れの闇に消えていった。




