第百二十九話 魅惑の巡命種
最下層の土籠に元気な声が響いた。住人達が何事かと顔を出し、そして平和的な光景を見て頬を緩ませる。防人と花人の、世にも奇妙な異文化交流の姿がそこにはあった。
「だぁー! 乗るな! 引っ張るな!」
「お兄ちゃん体でかーい!」
「僕も乗るー!」
「次は私ね!」
人に愛される隊長クォーツは子供にも人気なようだ。わらわらと肩や首にまとわりつく子供達。おもちゃのように振り回されるクォーツを見て皆がけらけらと笑っていた。同じようにライナーとバッツも揉みくちゃにされている。険しい顔をいつも浮かべるライナーだが、意外と子供からの人気は高かった。ライナー班とは何かと衝突しがちだが、子供と遊ぶ姿を見ていると悪い人達ではないのかもしれない。
「アッハッハ、見てくださいよ、クォーツ先輩の顔が凄いことになってます。絵に描いて残しておきたいですね。きっとトーカスの名画として死後百年は残るに違いない」
「意地が悪いわよピルエット。彼が子供達の相手をしてくれるおかげで、私達はゆっくり休めるんだから。男性陣には感謝しないといけないわ」
「いやぁ~、隊長様々ですねぇ」
女性陣は小さな高台から広場を見下ろしていた。足元には人肌ぐらいの温度の足湯が湧いており、心地よい温もりを感じながらほとりと一息。眼下には元気な子供達、頭上には照明代わりに燐螢花が咲いている。岩壁の隙間からは土籠の外が見え、見たことのない生き物がふよふよと浮かんでいた。
(極楽――)
そう、彼女達はこの上なく満喫していたのだ。
「まさかこんな気持ちの良いものがあるなんて思わなかったわ。帰ったらトーカスの職人に頼んでみようかしら。水の都トーカスの新たな名物として売り出したら売れるわよ」
「完成したら招待して下さいねー。それにしても、最下層に来て良かったです」
「クリスも一緒に来れたら良かったのに」
「勿体ないですよねぇ。まぁそうは言っても後の祭り! 彼女の分も私達で満喫しましょう!」
「あなた、本来の目的を忘れてないかしら……?」
「忘れてないですよー。でも危険なんて全然無いですし、花人だって特に害は無さそうです。昨日出会った『花頭』も良い人みたいでしたし。ミラ二等兵もそう思いますよね」
彼女が言う『花頭』とは昨日出会った、頭そのものが花に変化した異形頭の男性だ。当然ながらそんな人間を見たことのない調査隊の驚きようは想像に難くなく、年若いミラ二等兵は腰を抜かすほどだった。それを思い出したミラが恥ずかしそうに声を上げる。
「そ、その話は忘れましょう……むしろ、驚かない皆さんの方が不思議です」
「ミラちゃんのそういうところが可愛いのよ~。ほらほら、こっちおいで」
「子供扱いしないでくださいー!」
じゃれ合うミラとリリアーヌ。そんな彼女たちにとある花人が声をかけた。
「ハッハッ、初めて会う人にはいつも驚かれるよ。彼女には申し訳ないことをしたね」
「花頭さん。すみません、聞こえてました?」
「気にしないでくれ。驚いたって仕方のない反応だし、君たちは受け入れてくれたからね」
噂をすれば何とやら。件の花頭が笑いながら現れた。もっとも、花頭の彼には口どころか目も見当たらない。一体どうやって笑っているのだろうか。
「人はやがて花になる。それはこの地下街において常識だ。私も、彼女も、あの子達も、やがては一輪の花になってアースガルタの一部となるのさ。私の姿で驚いていては心臓が足りなくなるぞ?」
「怖くはないのかしら?」
「怖いと思う者はアースガルタに来ることすら出来ないだろう。アースガルタは、はみ出し者の集まりだからな」
「はぁ……文化が違いますー」
「そりゃあ、ここは大陸中から人が集まるトーカスの底だ。文化と文化が交わればそこに新たな街が生まれるものさ」
腕を組みながら豪快に笑う花頭の男性。見かけによらず豪胆な性格をしているようだ。筋肉質で大柄な体型をしており、その体格で腕を組まれると威圧感が凄いのだが、彼の性格によるものか不思議と怖く感じなかった。
「皆さんここにいらしたのね。喉は乾いてないかしら?」
「わー! ありがとうございますー!」
花頭と話していると、ミリィ達を泊めてくれた『花目』の女性が現れた。手に持っているのは果実を絞って作られたジュースである。甘いものが大好きなピルエットが嬉しそうに声を上げた。
甘味を味わってふぅ、と一息。調査任務のはずが休暇に来ている気分である。
「それにしても、この温かい水は一体どうやって湧いているのかしら……」
「あぁ、それは巡命種の力だね」
「巡命種?」
花頭が自分の頭を指差した。
「花が咲けばやがて実がなるだろう? それは私達も例外ではない」
「皆さんの体に咲いてる花から採れる実ってことですか?」
「その通りだ。巡命種と呼んでいてね、この種は様々な恩恵をもたらしてくれるんだ」
ミリィは既に理解が追い付いていない。ピルエットなんて貰った飲み物を飲みながらポカーンとしている。恐らくあれは話半分に聞いている顔だ。
花頭は近くに咲いていた花の実から種を取り出した。一見なんの変哲もない種だが、この小さな種が足元のお湯を沸かしているらしい。
「時には流れる川を癒しの水に変え、時には地下を明るく照らし、時には干からびた大地に恵みをもたらす。その人の生き様によって種の恩恵は変わるんだ」
「はぇー、凄いですねぇ」
「命が巡るから巡命種。たとえ体が朽ちようとも、私達は花となり実となってアースガルタに還るのさ」
「はぇー……」
「だが気を付けたまえよ。巡命種はアースガルタの住人にしか扱えない。命惜しくば手を出さないことだ」
ちびちびとジュースを飲みながら“地下は凄いです……”なんてピルエットは呟いた。あれは恐らく考えるのを放棄した顔だ。ちなみに、ミリィは何やら難しそうな顔をしていた。
「あの種を地上に持っていけたら……もしかしたら……」
「どうかしましたか?」
「あぁ、何でもないわ。少し考え事をしていたの。そういえば名前をまだ聞いていなかったわね?」
「あら、名前なんて無いですよ」
「え?」
花目はあっけからんと言い放った。そんな馬鹿なと二人の顔が言っている。
「アースガルタには名を捨てた者しかいません。だから名前なんて無いのです」
「でも、それじゃあ呼ぶときはどうするの?」
「本当に親密な……それこそ家族でもなければ教えません。ここの住人は助け合いながら、されど深くは交流しない。住人同士で名前を呼び合うことも、ない」
「なんと……それで街が成り立っているのだから凄いわね」
「どうしてそんな事をしているんです? 不便な気がしますけど」
「人は他人を理解出来ません。ましてや地下街に来るような人間のことなんて尚更のこと。だから私達はあくまでも“他人”として助け合う。訪れた人も含めたアースガルタの全ての人に“他人”として仲良く、親切に接するのです」
「助けてもらうために助けるってことかしら? 合理的ね」
「寂しくないんですか?」
ピルエットは首を傾げた。まるで全く知らない宗教に触れたような感覚である。異文化交流とはさも奇なるものなり。
「大丈夫ですよ。花が寄り添ってくれるから」
「「……はぇー」」
今度こそ、二人は気の抜けた声を上げるのだった。
○
ミリィとは少し離れた所で足湯に浸かるリリアーヌとミラ。二人も今しがたの興味深い話を聞いていた。
「ミラちゃん、どうやらあの巡命種とやらが鍵みたいよ」
「あっ、駄目ですよリリアーヌさん。手を出すなって言ってたじゃないですか」
「そんなの聞いてたら手柄を逃すわよ。これを持ち帰れば昇進間違いなしだわ」
花頭にならって近くの花から種を取り出すリリアーヌ。誰にも見られていないのを確認すると、彼女は大事そうに懐へしまった。
「もぅ、私は知りませんよ。後でバッツさんに言いつけますからね」
「それならバッツの分も持って帰りましょう。ほら、ここにも違う実が生っているわ」
「リリアーヌさんー!!」
リリアーヌは鞄に次々と巡命種を放り込んでいく。赤青黄、色とりどりの花から生まれる魅惑の種。それらを見つめたリリアーヌはにやりと笑った。種の恩恵は計り知れず、生み出される現象はまさに奇跡である。身に余る力に栄光はあるのか。
命の種に誘われ、愚か者が手を伸ばす。




