第百二十六話 奈落の信仰
アースガルタ地下街に来て分かったことがある。それは――。
「美味しい!」
飯がうまいことだ。
「トーカスの人はもっと美味しいものを食べているかと思ったけれど、舌に合うようで良かったです。そんなに慌てなくても沢山ありますよ」
「トーカスは貧困層との格差が大きいから、良いものを食べている人なんて一握りだと思うぜ。ミリィとピルエットは例外かもしれないけどな」
「あら、私の家は質素倹約よ? お父様はあまり贅沢をしないわ」
「うちもそんなに贅沢していないですよー。義父……フィーリン隊長はお金を使いたがらないです」
「はは、確かにフィーリン隊長は昔からそうだったな。いつも使い古した鎧を着ていたわ」
うんうんと頷くクォーツ。彼もまた隊長でありながら質素倹約に徹する男である。
「それにしても、地下で魚が捕れるなんて思わなかったわ。流石は水の都トーカスの地下ね。この木の実は一体何かしら?」
「あそこに生えている木から収穫できる実ですよ。さっぱりした味で私も好きです」
どうやらここの住人は食べ物に困っていないらしい。むしろ、トーカスの下層部に比べればずっと良いものを食べているのではないか。
「ちょっとバッツ、それ私のよ?」
「こういうのは早い者勝ちだぜっと」
「あっ! 私の肉!」
「バッツさん行儀が悪いですよ。リリアーヌさん、良かったら私の分を少し分けましょうか?」
「いやーん、流石はミラちゃん。誰かさんと違って優しいわぁ」
「お前達……食事の時ぐらい静かにしたらどうだ」
ライナー達も舌鼓を打ちながら地下の食事を楽しんでいた。
「皆さんはどうしてアースガルタに?」
「最近話題になってる地下街の調査よ。何せ最近見つかったばかりだから不明なことが多いの」
「てっきりただの噂かと思っていましたけど、本当にあるとは思わなかったです。しかもこんなに沢山の人……人? 花人? が住んでいるなんて驚きですよ」
「ふふ、見つけるのに苦労したでしょう。ここは土地神様に守られているから、外からは見つけにくいのです」
「土地神様?」
「そう。ここアースガルタを守って下さる土地神様。私たちをずっと見守って下さるのです」
地下には地下の信仰がある、ということだろうか。女性は敬虔な信徒のようだ。もしかしたら地下の住人はみんな土地神様を信仰しているのかもしれない。ミリィには分からない世界であった。
「ん?」
ふと視線を感じて外を見ると、柱の裏から小さな人影が覗き込んでいた。どうやら地下街で育った子供達のようだ。ミリィの肩ほどしか背丈のない子供達、その誰もがキラキラとした瞳をしていた。
「お姉ちゃんたちだーれ?」
「どこからきたのー?」
わらわら、わらわら、一体どこに隠れていたのか十人ほどの子供が寄ってきた。和やかな食卓があっという間に賑やかになる。偶然かそういう性質なのか分からないが、子供には花が生えないようだ。肌の色や外見の差異、瞳の色など、様々な都市の子供が一緒になって笑っていた。
「ほらほら、お客さんの邪魔をしないの。あなたたちの相手はまた明日してあげますから遊んできなさい」
「えー?」
「つまんないのー」
女性の言葉を聞いた子供達は、蜘蛛の子を散らすように去っていった。土籠の地形を熟知する彼らは神出鬼没だ。穴という穴から突然現れるのだとか。
「あの子達はアースガルタで生まれたから地上の世界を知らないのです。地上から逃げた人間の子が地上に憧れるなんて皮肉なものですね」
「そんなものじゃないかしら。人は未知に憧れる生き物だもの」
「ジルベールみたいなことを言うんだな」
「うーん、あれはちょっと行き過ぎかもしれないわ」
「ハハッ、間違いないぜ」
食事はあっという間に終わってしまった。お腹を叩くクォーツと“行儀が悪いですよ”と注意するピルエット。ミリィは女性と談笑している。燭台の温かな光はここが地下であることを忘れさせるようだ。
「皆さん行く宛はありますか?」
「特にないわ。野宿でも構わないつもりで来たからね。折角だし宿でも探そうかしら」
「あら、それならうちに泊まっていったらどうですか?」
「え? 凄く助かるけどいいの?」
「大丈夫ですよ。あまり広くはないけれど、皆さんが泊まるだけのスペースはありますから」
「何から何まで悪いわ。明日、何かお礼をしないと」
「それならあの子達と遊んであげて下さい。地上の話を色々聞かせてあげてほしいです」
「それだけでいいの?」
「ええ、それだけで充分」
ミリィ達とライナー達はそれぞれ別の部屋に通された。確かに広くはないが、柱に囲まれた寝室は決して窮屈というわけではない。岩の隙間から見えたのは天井に咲く燐螢花の花畑。地下街にだって星空はあったのだ。
その夜、懐かしい夢を見た。クォーツは魔法省に向かった友人の夢を、ピルエットは幼い頃の父の夢を、そしてミリィは亡き本当の姉の夢を。
どれも、悪い夢ではなかった。
○
調査隊の面々がアースガルタを堪能している頃、ティアとララ、そしてアンバーは疲れたように表街道を歩いていた。ララに関してはティアの頭の上で座布団のように四肢を広げている。頭にベッタリと張り付いた様子は何とも可愛らしく、道行く人々の注目を集めた。主に女性が“可愛いお猿さん!”と黄色い声を上げていた。
「いやぁー、何とかなるものですね……死ぬかと思いました」
「ララに感謝だね」
「オレは二度と御免ダ。こんなに力を使ったのは初めてダゾ」
「お疲れ様です。おかげで私は楽が出来ましたよ」
「おいティア、やっぱりこいつ生意気じゃないカ?」
「似た者同士じゃん。ここからは目立たずに行くんだから仲良くしてね?」
文字通りキィーキィーとうるさい二人を見て少し不安になった。アディから逃げられたことで気が抜けたのだろうか。彼らに追いつかれる前にミリィの元へたどり着かなければならないのだから、まだまだ緊張を解くわけにはいかないのだが。
「恐らくミリィ達は先に最下層へ向かってるだろうから、私達は後から追うことになる。追跡はアンバーが得意だから任せるよ」
「キキッ、仲間に引き入れておいて良かったナ」
「引き入れたというか、脅された記憶があるんですが……」
「まーた言ってる。根に持つ女はモテないよー?」
「オレには分かるゾ。コイツは男運が無い」
「うるさいです! 防人長の目の前で“協力しないと魔法省に密告する”って脅したのは誰ですか!」
あの部屋での一件を思い出したアンバーは顔を赤くした。ティアに魔法省のスパイだと見つかったあの日、彼女の自室へ連れられたアンバーは様々な責め苦を与えられた。それはもう、様々だ。拷問で無理やり情報を聞き出してもよかったのだが、体に傷をつけるとジルベールに見つかる危険があったため、あくまでも優しく尋問したのである。
何事にも興味津々なティアは、暇さえあれば古今東西の技術や歴史を調べている。その中には当然のごとく人間の女性に対して有効な責め苦も含まれており、つまるところ……アンバーは滅茶苦茶にされたのだった。
本の知識を実践できる貴重な場だとノリノリなティアによって、アンバーはこの世のものとは思えぬ体験をした。その中には旅の間に得た各国の知識もあり、疲れを知らないティアの責め苦は際限を知らず、段々とアンバーも――。
閑話休題。
やいのやいのと騒がしい、ゴーレムと愉快な仲間達。いざ最下層へ行かんとする。
と、その前に。
「ていうか、方角を間違えていません? すぐに最下層へ向かうんじゃないんですか?」
「アンバーはせっかちだねぇ。そんなに最下層へ行きたかったんだ。そう言ってくれたらもっと急いだのに」
「断じて行きたくないですけども」
「あはは、行く前に寄りたい場所があるんだ。知る人ぞ知る下層部の名店――」
ティアはとある料理店の前で立ち止まった。掲げられた看板には『ラパセ・デラメッテ』の名前が刻まれ、店内から暖かな光が漏れている。美味しそうな匂いは店の外にまで届いていて、きゅるると誰かのお腹が鳴る音が聞こえた。
「私の友人が働くお店だよ」
店の前には看板を掃除する一人の女性がいた。彼女こそがティアの友人マリエッタ。ゴーレムは友と再会する。




