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寂しがり屋のゴーレム  作者: 畑中みね
第三章 人を愛する
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第百十話 幕間:名も無き男は苦労する

 

 ナナシと呼ばれる男。彼は決して名前が無いわけではない。特異な環境で生まれ育った彼には、自らの名前を教えるという習慣がなかったのだ。


 彼はトーカスを夢のような街だと思っていた。大人は“弱者を食い物にする街”と揶揄したが、ナナシにとっては憧れの街だった。


 つまるところ、故郷の閉塞とした世界から逃げ出したかったのだ。逃げることは悪ではない。しかし、逃げた先に今よりも良い世界があるなんて事は滅多にない。

 大抵の場合はくそだ。くそったれだ。夢を打ち砕かれてどん底に落ちるか、もしくは墨が滲むように色を失うか。過程は違えど着地地点は変わらない。


『俺はこの街で成り上がるぜ!』


 そう豪語したかつての友人。共にトーカスを目指した彼はスラムの隅っこで朽ち果てた。友人だった何かを見ながら溢したため息は、この世の何よりも重かったと思う。


 せめて自分の意志で死に場所を決めようと、ナイフを首にあてがった時だ。

 彼を呼び止める者がいた。


『なにをしているの?』


 それが彼女との出会いだった。最悪な出会い方をしたとナナシは思う。投げやりな感情でナイフをふるい、明確な殺意をぶつけた。

 どうしようもない八つ当たりである。全ての苛立ちを一人の少女に向けたのだ。


 なのに、彼女は何事もなかったように笑った。


『勿体ないよー。こんなに面白い街なのに』


 こんな街のどこが面白いと言うのか。しかし、彼女は何の悩みも無いほど明るく言い放った。あまりに自信満々な態度をするものだから、確かに悪くないかもしれない、と毒されてしまった。


 彼は忘れない。あの時に見た輝くような瞳を。憎たらしい笑顔を。世界が色を取り戻した瞬間を。


 あれは、世界が輝かしいと信じていたかつての自分だ。


 ○


「……ふぅ」


 確かに悪くなかった。彼女と共にいれば退屈をしなかったし、人生で最も楽しい一時を過ごしたと思っている。

 しかし――。


「こんな書類の山と戦うつもりはなかったのだがな……」


 ナナシはうず高く積まれた紙の山を見て、深いため息を溢した。全く減る気配が感じられない書類は、見ているだけで頭が痛くなる。


 学園の講師となって早三年、仕事にも慣れてきた頃合いだ。初めは庶民を雇うのに反対する者が多かったが、彼の有能さが知れ渡ると態度は一変。あれよこれよと仕事が舞い込んでくるわけである。


 講師の仕事も思っていたほど悪くない。ミリィを見守るよう頼まれた時は耳を疑ったが、以前の生活に比べれば充実していると言えよう。


「あっ、ロスヘルト先生。これもお願いします~」

「……多くないか?」

「これ全部、切り裂き魔の報告書ですよ。あなたも関わっているのですから、ちゃんと最後まで責任持って下さいね」


 また仕事が増えた。


「……ピルエットの分も混じっているのだが?」

「彼女って防人の仕事もあるじゃないですか。だから報告書を書く時間が無いらしくて、先生に回すよう言われましたよ」

「俺に? 誰が?」

「ピルエットさんが」


 彼の眉間がピクピクと震えた。雑用を押し付けるとは良い度胸である。次の講義では人一倍厳しくしてやろう。


 渡すものだけ渡すと、同僚の女教師は去っていった。また少し高くなった書類の塔。もはや一種の芸術作品に思えてくる。

 いっそこのまま放置してしまおうかと悩み始めた頃、また別の客が訪れた。


「先生ひま~?」

「……クリスか。暇ではないし、むしろ忙しい。学生はさっさと帰れ」

「そんなこと言わずに相手してよー。私は暇なんだよー?」

「暇なら剣を振ってこい。その貧弱な体も少しはマシになるぞ」

「私は修道女見習いなので剣は必要ないんですぅ」


 クリスはえっへんと胸を張った。威張ることではないが、敢えて彼は指摘しない。


「冗談はさておき本題! 最下層の噂が話題になってるでしょ? ティアさんの予想だと、ミリィが恐らく興味を示すだろうって言ってたよ」

「遊びに来たわけではなかったのか」

「違うよ! 取り敢えず伝えたからねー」


 そう言ってクリスは去っていった。抜けていそうで計算高いのが彼女の怖いところ。クリスの後ろ姿を見送りながら彼は呟いた。


「最下層、か」


 それは下層の人々が怯える不安の種。曰く、地下には別世界が存在する。曰く、最下層に踏み入った者は体から花が生える。曰く、最下層には未知の技術が眠っている。


 根も葉もない噂が街に広まっているが、ナナシは知っているのだ。その噂が当たらずとも遠からずであること。


 彼は知っている。よく、知っている。地下に広がるもう一つの街の名を。


「……思い出したくもないな」


 二度と戻らぬと決めた故郷にもう一度帰るか否か、彼は迷っていた。




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