可愛い子にはかなわない
「今日からこの子の面倒みてやって」
上司が突然、有無を言わさずそう告げながら若い子を連れてきた。
いつだか人が足らないからバイト募集しようかな、と呟いていたのは聞いていた。
でもまさか、教育という形で自分の身にふりかかることだったとは。
教えるのなんて苦手なのに、えええ嫌だ。
はい、とか、え、とか言葉にならない返しをしている間に上司はいなくなり、新人バイトと私のふたりになってしまう。
「……え、っと、よろしくお願いします…」
しどろもどろでなんとか挨拶をすると、その子はまっすぐこちらを見てよろしくお願いします、と返した。
淡い茶色のふわりとしたショートヘア、細身できれいな顔立ちの男の子。
平凡ど真ん中の私とは真逆のその子…丸森梓とは、全く意思疎通できる気がしなかった。
丸森くんは物覚えも要領も良くて、教えたことをすぐ覚えた。
物怖じしない性格も柔和な人柄も周りから好かれて、とても可愛がられていたと思う。
「ほんと、丸くんは立派に育ったねえ」
品物の在庫管理をしていると肩を叩かれて、笑顔で声をかけられた。
「そうですね、とても要領がいいので助かりますよ」
「あはは、もー板倉ちゃんより仕事できちゃうんじゃないのー」
「…はは」
このやり取りも、慣れたものだった。
言う側に悪意はない、と思う。
でもその言葉はしくしくと痛むものだった。
自分の不器用さは理解してたし、人より余計にやってやっと並だという自覚はある。
諦めて地道にこなしているものの、なんというか、あの子を見ていると虚しくなる。
あの子は悪くない。悪いのは私だ。
こんな汚い気持ちを隠して、ねじ伏せて接している私が悪いのだ。
「…はあ」
倉庫で一人になってため息を落とす。前髪をくしゃくしゃと掻き乱して、唇を噛む。
みじめだ、私。
「板倉さん」
かけられた声にびくりと震えた。ぱっと振り返ると、丸森くんがいた。
「え、っと、どうしたの?何かわからないことあった?」
平静を装おうとしてるのに声が震えた。乱れた前髪を急いで直して、にこりと笑う。
笑えてる、はず。
「顔色悪いですけど、具合悪いですか?」
「う、ううん、そんなことないよ。大丈夫」
少し高い位置から覗きこまれてぎくりとしつつ、小さく後ずさって首を振る。
そうですか、と首を傾げてこちらを見る丸森くんに、ぎこちない笑顔を向けてしまう。
ああ、私のへたくそ。うまく繕えないなんて。
「今日の夜、時間あります?」
「え」
「板倉さんと飲み、行きたいなって。いつもお世話になってるし、給料出たので奢らせてください」
「え、や、そんなの気にしないで」
「板倉さんが嫌じゃないなら、俺は飲みに行きたいです」
にっこりかぶせるようにそう言われて、言葉に詰まる。
…そんな言われ方したら、断れないじゃないか。
「…じゃあお言葉に甘えようかな」
自分でもあまりに弱々しい返事に苦笑しながら、それでも精一杯の笑顔を作って頷いた。
「板倉さん、大丈夫ですか?」
「ん、んー…」
飲みすぎた。飲みすぎてる。進行形。
二人で飲みなんて絶対間が持たない、いっそのこと酔ってしまえば楽かもなんて浅はかだった。
確かに気まずさは感じないけど、ふらふらする。
弱いタイプではない、でも自分でもわかる程度には飲みすぎた。
個室のテーブルに突っ伏して唸る。
正面の丸森くんはしらふと何も変わらない。結構飲んでた気がするけど、強いんだな。
…ちくしょう、何も敵わない。
酔いのせいか涙腺が緩む。涙がじわりと滲んだ。
「…まる、もりくんはさあ、何でもできるよね」
「そうですかね」
「仕事も、っすぐおぼえるし、…きよう、だし、お酒、つよいし」
「…板倉さん酔いすぎですよー」
お水飲みましょう、と店員さんに頼んでくれる。
だめだ、年下にとても気を遣われてる。私どこまでだめなの。
「ほら、お水きましたよ。飲んでください」
「っ、もう、ずるいよー…」
とんとんと肩を叩かれて、顔を上げる。その拍子にぼたぼたと涙が落ちた。
目の前の丸森くんがぎょっとしたのがわかった。
そりゃそうだ、いい年した女がみっともなく泣き始めたら誰でもぎょっとする。
「なんでもできるの、ずるい……わた、わたし、全然うまくできない、のに!」
「いたくらさ、」
「丸森くんなんてきらい」
八つ当たりだ。どこまでも、どこまでもみっともない。
だから、
「……悪くないきみにやつあたりする、自分がいちばんきらい」
顔を伏せる。恥ずかしい、こんな自分露呈したくなかった。
言葉にしてしまえば余計に止まらなくて、とめどなくあふれる涙を手の甲で何度も拭った。
「…板倉さん」
控えめにかけられた声。指先が髪の隙間に入り込んで、くすぐるように撫でられる。
「俺は好きですよ。いつも一生懸命頑張ってるとことか、わかりやすく教えようと気を配ってくれるとこ。声をかけると必ず笑顔を向けてくれるとこ」
指に絡めた髪をゆるく引っ張られて、顔を上げさせられる。
滲んだ視界にいる丸森くんは、戸惑うでもなく微笑んでいた。
指先で目尻を拭われる。
「そうやって劣等感で死にそうなとこも、可愛くて好き」
「……さいていだ…」
「あはは」
思わず口をついて出た言葉すら笑われた。
「ね、六花さん」
静かなトーンで名前を呼ばれて、両頬をそっと包まれる。
「今日、六花さんを口説き落とすつもりだったんです。お持ち帰りしていいですか?」
そこからは、あんまり覚えてない。
ただ、分かるのは私が丸森くんのベッドで、丸森くんの隣で目覚めたこと。
……丸森梓「くん」ではなく、女の子だったこと。
「おはよーございます、え、二日酔い?」
「……ちょっとまって……どこから、どこから突っ込めば……」
「起きたらあずのベッドにいたこと?実はあずが女の子だったこと?」
「…とりあえずキミは服を着て……それに喋り方すごい…何その一人称…」
「これが素だもーん」
うなだれる私の顔を覗き込んで、鼻先に口付けてにへらと笑う彼女。
混乱しかしてないのに、頭のどこかでめちゃくちゃ可愛いなこの子、とか思ってるから私はもうだめかもしれない。
梓と私の、はじまりだった。
板倉六花
普通より不器用目な、それがコンプレックスな至って普通な社会人。
丸森梓
中性的で華のある大学生。一人称が「あず」、喋り方はだらしないので見た目とギャップ有。
今後また増えますー。




