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戯曲短編小説集『賢犬プー』(全7話)

作者: 原田縷縷

頬を刺すような風と薄く広がる日曜日の夕陽。

私・ミサチは同棲する彼氏・マサチと自転車を走らせている。


12月、寒さが一気に押し寄せる、とある港町の夕暮れ

私とマサチは海沿いの国道を自転車でひたすら走る。


この後、

二人は買い物のため立ち寄ったディスカウントストアで

突如として賢犬ぷーと出会うのである。



第1話


戯曲:2008年12月、私の日曜日①



12月の第1日曜日。夕暮れ時。風の冷たい日。

私とマサチは食料品と雑貨用品買い出しのため、港町の海沿いにあるディスカウントストアに自転車で出かける。


マサチ:「俺さ、ついでに買いたいものあんだけど」


私:「うん、何?」


マサチ:「ラチェットロングドライバーとね、キーホルダー型LEDライト。小型の簡易ライトね。チカチカ点灯点滅するやつ」


広大な店舗フロアにて、ラチェットロングドライバーはすぐに見つけることができた。さて、キーホルダー型のLEDライトってのは何だろう……。


マサチ:「今の現場ってまだピットに照明が入ってなくてさ、腰蓑か長靴に装着しておきたいんだ。工具用品コーナーには売ってないもんだから、探したいんだけど……どーしようかな」


私:「もしかすると、そーいうアイデアグッズってペット用品コーナーにあるかもよ?」


夜の街なかで、

飼い主に連れられ散歩をする犬が首輪から小さなLEDライトをぶら下げ歩いているのを何度となく見たことがあり思い出した。


マサチ:「そーだ、それだよ、それね。ペット用品コーナーだな」


そのペット用品コーナー片隅に、運命の瞬間があった。

賢犬ぷーがいたペットショップ。


20個ほどにパーティションされたショーウインドーケースに群がる子供連れ見物客らの声が騒々しい。クリスマスセール突入の季節、広大なディスカウントストアのとりわけ賑わいを見せるコーナーである。しかしなんて大きな店だろう。何でも売っている便利なディスカウントストアだが、あまりにも広い。


マサチ:「おーいミサチ、あったあった、あったよ。ほらこれ」


キーホルダー型LEDライトらしき商品を見つけたのであろうマサチの嬉々とした声。

その時、耳でマサチの喜ぶ声を聞きながら、私はショーウインドーケースの隅っこを見つめ釘付けになっていた。


生後3ヶ月程度の仔犬たちがずらりと並んでいる。チワワ、トイプードル、ミニチュアダックス、パピヨン、ヨーキー……世間で流行する小型の犬種さまざま。その時の私はそれら仔犬たちには目もくれず、ショーウインドーパーティションの隅っこにいる一匹の仔犬に釘付けになっていた。


ショーウインドーケースに群がる人々の喧騒に背中を向け、拗ねたように諦めたように丸まって眠る一匹の仔犬。

その白と茶色の毛をした仔犬に、私は心を奪われたかの如く見つめていた。


マサチ:「おーい、ちょっとこれ見てくれよ。たくさん種類があるけど、どれがいいかな」


マサチの声のほうに振り返り、私はマサチに目配せ合図をした。


マサチ、

あの仔犬なんだけど……

あのこ、

連れて帰りたい。





─────────────────────────第2話へ続く




第2話


戯曲:2008年12月、私の日曜日②



私の目配せでマサチが小走りで近づいてきた。


マサチ:「なになに、どーしたんだよ。犬なんか見るのあとでいいじゃん。それよりLEDライトの値段なんだけど一緒に見てくれよ」


マサチはもとの場所に戻ろうとしながら私に呼び掛ける。


マサチ:「ミサチちょっと、早くこっち来てよ。え?俺もう勝手に選んじゃっていいの?ちょっとミサチ、こっち来て見てくれよぉ」


私はもう既にショーウインドーケース隅っこの、あの仔犬の前に立っていた。


今時流行りの小型犬ときたら……目が飛び出しそうな値段だ。そして店側も慣れたものだ。ショーウインドーケースの中の仔犬ごとに、分割払いの頭金と毎月の支払いプランまでご丁寧な提示がしてある。


“そんなもんだれが買うかバカバカしい…”

と、私は店内の喧騒にかきけされる程度の声で言おうとして止めた。


ショーウインドーケースの中を眺める人々の表情が、なんとも穏やかで幸せなんだ。親たちに抱っこされ、ショーウインドーをたたいて嬉しそうにはしゃぐ幼児たちの声が弾む。


あれが、あの仔犬たちが人々を幸せにする値段か。

なるほど、人々はローンを組んでまで幸せを手に入れたいんだ。


そんな喧騒の中、私は目の前にいるあの仔犬に夢中になってしまっていた。

白と茶色の毛色の仔犬に。釘付け状態だ。


しかし、

よくよく見てみれば……ほかの仔犬たちに比べずいぶんと身体が大きい。

生後2ヶ月や3ヶ月の仔犬ばかりの中、この子の月齢は既に生後4ヶ月だ。

ショーウインドーに貼られた月齢表記シールの下に記された文字に、

私はやり場のない小さな憤りと複雑な悲しみで唇の内側を強く噛む。

流行じゃない人気のない犬。そんな犬種のこの子の値段は、

散々に値下げされ只同然の価格が付けられていた。

“店頭格安価格にてお持ち帰り可能”


この子はみんなから素通りされ、

いつまでもいつまでたっても売れ残り。

こうして今日までの月日をずっとじっと過ごしてきた。

片方の耳が湿疹でカブレてタダレている。

痒いだろうな……耳ダニがわいて。


そんなことを思いながら私はショーケースの中を見つめ続けていた。だのに、ショーケースの中でこの子は一度も私のほうに振り返りもしないで、私に背中を向け丸まっている。


ふたたびマサチが私の側に駆け寄る。


マサチ:「なにどうしたんだよ?もー、何かあったのか?」


私の見つめる目線のほうを辿り、きょとんとしたマサチがつぶやいた。


マサチ:「え?この犬がどうかしたの?」


私はようやくマサチを見つめ言う。


ミサチ:「この犬、この子のことが可愛いなーって思って」


マサチは驚いた様子で言った。


マサチ:「そりゃ仔犬だもんな、まあ可愛いっちゃ可愛いけど。それにしてもなんかデカくなっちまってないか?耳もタダレちゃってさ、病気の犬なんじゃないのかなぁ」


マサチは全く興味なしといった感じである。


マサチ:「それよりミサチ、早く帰ろうよ。外、雪がちらついてきたよ。さあ早く」


ミサチ:「うん……」


もう、気持ちというか心の中というか、頭の中はあの仔犬の残像でいっぱいだった。


帰り道、

買い出しの荷物を載せ二人は自転車を走らせた。

粉雪が風に舞い上がり、顔に冷たくあたって溶ける。

マサチが寒さを紛らわしたいのか私に話し掛け話し掛けを繰り返す。

しかし私は、返事もそこそこ相槌をうちながら、

さっきのあの仔犬のことで頭がいっぱいになっていた。


あの仔犬……あの子、


連れて帰りたい。


最初につぶやいた言葉を繰り返した。


ああ、大変だ……これはもう

あの仔犬に一目惚れというやつではないのか。





─────────────────────────第3話へ続く




第3話


戯曲:2008年12月、私の日曜日③



マサチと(ミサチ)、帰宅後の遅めの夕食。

日曜の夕飯は、和食惣菜(煮魚や煮物)かカレーのどちらかで簡単に。

タイムセールで獲得した刺身の造りとイカそうめん酢味噌と海藻サラダそして茶碗蒸し。マサチは「なんたって質より量だ」がモットーだ。魚好きのマサチは上機嫌である。炊きたてのご飯を前に満面の笑顔だ。


そんなマサチとは正反対な表情の私。楽しい筈の食卓を前に、私は浮かない顔で箸を持ったままテーブルの一点をぼんやりと眺め、ため息ばかりついている。


マサチ:「大丈夫か?食欲ないの?風邪ひいちゃったのかな、さっき帰り道寒かったもんな…」


とても心配して私に問いかけるマサチ。


ミサチ:「ううん、大丈夫だよ。なんでもないから」


どうしたものか……私の気持ちは既に犬を飼う事前提でいっぱいになっており、決定は当然という環境・次なるステージに勝手に突入してしまった。


こうなると、あとはマサチを押し倒す勢いで説得に説得を続け、説得し続けるだけである。それでもダメだった場合は、もう事後報告にしてしまう覚悟も出来ている。


あ、いや、そんな自分勝手なことしちゃダメダメ。

マサチは心の優しい人なんだから。

できるならばそんな無理強い・強行はしたくない。

期待度は高めだ。だって、

なにしろマサチは私と同じく動物好きだし。

話せば、私の思いを知れば、

マサチはきっと私の提案に賛成しわかり合える。

わかり合えるに決まってる。


マサチ:「はあ!?ちょ、いきなりなに?何の話だよ!?どうしたのいきなり犬?犬を飼いたいって何のことだよ!?」


私のあまりに唐突な提案申し出にマサチの声はひっくり返り、素っ頓狂な物言いになった。


そして、私の尋常ではない真剣な表情に、マサチは私に向かって姿勢を正し座り直す。


マサチ:「うむ、動物が傍にいる事で人間が癒されるのは確かだよな。反対ではないが、相手は生き物なわけだからさ。可愛いだけじゃ済まないんだよ?飼い主としての責任能力が必要とされるのはわかってるよな?」


マサチは続けて私を諭す。


マサチ:「あ、あれか。さっきのペットショップかー。なんか気に入ったイヌとかネコとかか?」


私はすかさずあのショーウインドーケースの隅っこにいた、あの仔犬のことを話した。


今度はマサチが箸を置き、テーブルに目を伏せため息をついた。


マサチ:「そりゃまあ、イヌもネコもどんなのでも飼えば可愛いよ。いや、まあ、しかしだ、急すぎるだろう。思い付いたまま行動を起こすのはよくないよ。駄目だから。でもまあ、少し期間をあけてペットを飼う準備を整えてから結論を出すことにしないか?そのほうが絶対に良いって。俺は頭ごなしに反対はしないからさ、な?」


この雰囲気からして、私には一晩でマサチを説得できるようなチャンスは皆無なのを思い知らされた。


そして食後の後片付け。

マサチが風呂に入っている間のことだった。

なにか私の全身が不思議にみなぎる強い自信のようなものに包まれた。

これが武者震いってものだろうか。

何の自信もないのに、何の保証もないのに、

このみなぎる自信はいったいどういうことだろう。


もちろん、

それはその後に繋がってゆく

武者震いなのだけれど。





─────────────────────────第4話へ続く




第4話


戯曲:2008年12月、私の月曜日①



昨日の粉雪ちらつく寒い日曜日とは変わり快晴だ。

日差しの暖かい朝になった。

思い立ったが吉日、

私は開店前のディスカウントストア入り口に並んでいた。

理由はもちろん、

昨日のペットショップコーナーで見つけた

あの仔犬の飼い主になるためである。


クリスマスシーズン日曜日の賑やかな店内とはうって変わり、月曜日の静寂。開店と同時に入った朝の店内はひんやりとしている。ひとけのないフロアに軽快なBGMだけが流れ店員も疎ら。私の靴音がフロアに響く。店内入り口からいちばん奥のペットショップまでは百メートル以上の距離があるだろう、気持ちばかりが急いてしまう。早歩きしているのに、ペットショップコーナーがそれに併せずっと離れゆくような錯覚。焦れったい距離だ。


あの仔犬がいますように。

もしかして昨日、

私とマサチが店を出たあとに

売られてしまっていたら……

もうあの仔犬はいないかもしれない。

急に不安が押し寄せてくる。


(どうして朝になっていきなりペットショップへ行こうと決めたのか)


(だって、私は、あの仔犬の飼い主になりたくてどうしてもあの仔犬を引き取りたくて、だからとりあえずもう一度あの仔犬を見てから……それで、それでも私の気持ちが変わらなかったら、その時それから考えてみようって冷静に……っていうよりもう私の気持ちは変わらないんだから、もう考えは決まっているけど、マサチがどんなに反対したとしても私は……)


などと、

早歩きをしながらそんなふうに自問自答を繰り返し

ペットショップコーナーへと進んでゆく。

開店直後のまだ空調が完全に効いていない店内。

ペットショップコーナーへと近づくにつれ

フロアに漂う空気が微かに変化する。

ドッグフードやキャットフードの匂いと

ケージのメタリックな匂い。そして

牛骨や皮革や山羊の蹄の匂いが

次第に濃くなってくる。


ペットショップが見えてきた。

あのショーウインドーが見える。

昨日の夕方は人いきれと喧騒で混雑し

狭いショップだと思ったのに、

人がいない閑散としたフロアの中で

このペットショップコーナーは広々としている。


こんなに広かったのか。やっと到着した。

かなりの息切れでショーウインドーの前に立ち止まる。


ええと……あの仔犬は、

昨日のあの仔犬がいない。


(えー!?ちょっとまって。あれ!?もしかして、ほんとにいないの?)


焦るように独り言を呟きながら、ショーウインドーケースの端から端まで、上から下まで何度も何度も見回し確認をする。


ショーウインドーケース左端のいちばん下の離れた場所に、大きめのケージの中に、昨日見た丸まった背中の姿があった。あの仔犬だった。あの仔犬だ。


(ああ!!そこにいた。あの仔犬だ……良かった、いてくれたんだ、良かった)


他に客はいなかった。焦って探し回ったのと安堵の気持ちが一度に押し寄せ、私は嬉さも相まってその場にヘタヘタと膝からへたり込みそうになる。ショーウインドーコーナー隅っこの前にしゃがみ込んだ私は嬉々とした声で「ああ良かった良かった、ほんとに良かった」と、瞼を熱くさせながら何度もうなずいて呼吸を整えた。


目の前の仔犬は昨日と同じく無愛想な風情で此方に背を向け、ケージに敷き詰められたシートをかじったりめくったりして、狭い場所でひとり退屈を凌いでいる。


私はもう絶対にこの仔犬の飼い主になる。

この仔犬を連れて家に帰るんだ

細かいことなんて面倒なことなんて

飼い主になれる資格とか素質とか責任とか

それよりなにより

私はこの仔犬を引き取りたくて。





─────────────────────────第5話へ続く




第5話


戯曲:2008年12月、私の月曜日②



安心した途端、昨日のあの混雑した店内が信じられないほどの月曜日というポッカリと穴の空いたような谷間のような、ほんとに私はこのペットショップコーナーで一匹の仔犬を、只同然の価格に値下げされ売れ残った仔犬を買い取ろうとしている。ディスカウントストア店内には客がほとんどおらず、館内BGMだけが流れる閑散とした月曜日の朝に。


ようやく息切れも治まり

表情が柔和になった私は立ち上がり、

店内を見回しショップ店員を探す。

店員さんらしき人影はまったくない。

クリスマスシーズンなのに、

海沿い港町の月曜日は

まったりゆっくりである。


(ちょっと……だれかいないのかなぁ)


ショーウインドーの奥を見渡してもだれもいない。


(なんだよこの店は、これじゃ休店日じゃないか。困ったなぁ)


ひとしきりブツブツ苦言を呟いて歩き回ること数分後、ショップフロアの奥に設置されたトリミングルームにようやく人の姿を見つける。トリミングルームというステッカーの貼られたドアをノックしてみた。清潔そうな理美容白衣を着たトリマーらしき女性スタッフが私に気がつき笑顔で走り寄って来た。


店員:「いらっしゃいませ、おはようございます。トリミングご予約のお客様ですか?」


私は店を訪れた経緯を簡単に説明し、ショーウインドーケースの中にいるあの仔犬を見せてもらいたい旨を話した。その女性スタッフの表情は変わらず笑顔で、納得したという感じに「かしこまりました。では担当者を呼んでまいりますので少々お待ちください」と言い残し、さらに奥にあるスタッフルームへと消えて行った。かなり待たされたかと思う。その間、私はショーウインドーの前で隅っこに佇むあの仔犬をずっと眺め、小さな幸せに浸っていた。


ずいぶんと待たされ、

店側のペット売買に関わる

契約担当だという別の女性スタッフがようやく現れた。


店員:「たいへんお待たせいたしました申し訳ありません」


と、恐縮しながら私の前で真面目な面持ちである。


月曜日の朝に開店と同時にペットを飼いに来る客などいるわけがなく、女性スタッフもいささか虚をつかれたと言う。そんな正直な店員の姿に、待たされた不満などは微塵もなく、それよりなによりも……さあ、やっとあの仔犬についての説明を聞くことができるんだと私はウキウキとした気持ちになっていた。


このペットショップは人気の犬種または猫種を早い期間に売りさばくことを自慢にするショップだそうだ。しかし、それでも時として売れ残ってしまう個体があるんだという。あの仔犬もそういった経過をたどり現在に至ったというわけで、このクリスマスシーズンになんとしても売れるように手数料だけの値段でショーウインドーに出していたということだ。あの仔犬は8月に生まれて、月齢2ヶ月になった秋に当店にやって来た。同時期に店に入荷した他の仔犬たちや仔猫たちは次から次へ売れていくのに、あの仔犬だけがどういうわけか買い手のないまま冬のクリスマスシーズンになってしまったというわけだ。





─────────────────────────第6話へ続く





第6話


戯曲:2008年12月、私の月曜日③



ペットショップにて。

ショーウインドーコーナー隅っこの床に直に置かれたケージの中から、此方に背を向けて丸まっていたあの仔犬が、担当スタッフの腕に抱えられ私のところに現れた。椅子に座り待っていた私の手に、あの仔犬が手渡された。


これはもう、これこそ最も感動すべき瞬間の筈なのに、私はどういうわけかなにかものすごく緊張していた。その理由はすぐにわかった。私は嬉しくてたまらない筈なのに、私は自分の判断がホントは間違っていて、それで私は少々の違和感に苛まれ始めていることに。今、あの仔犬を腕に抱え……昨日の夜にマサチから賛成してもらえなかったこと、今朝がたマサチに黙ってこうして勝手にペットショップに来てしまったこと、仔犬のことで頭がいっぱいになっていた。マサチの気持ちに関係なく、私はなにかとんでもないことを決行しようとしているんだ。


担当スタッフが私に訊ねる。


店員:「いかがですか?どうでしょう、ケージの中だと大きく見えますけど実際に抱っこしてみると小さくて可愛いですよね。それにこのコはとってもおとなしいんですよ」


あの仔犬を初めて抱っこして膝に乗せる。

ほんとうに、仔犬は片手で持ち上がるほど

小柄であばら骨が触ってわかる痩せっぽっちだった。

他の仔犬たちと比べ身体が大きく見えたのに、

実際にはこんなに小さくて

こんなに痩せっぽっちだ。


それなのに、私の膝に乗せた仔犬は

痩せっぽっちのわりに

ずっしりと重量感がある。

そして、その小さな身体から

あたたかな体温が

私の手と腕と膝に

じんわりと伝わってくる。


これはもうなんということか。

あたかも私にたいせつな命の重さを

私に知らしめるために現れた仔犬か

この時、私はそんなことを考え

納得し、わかった。

勢いばかりで主張する私を

膝の上で仔犬はまん丸な目で

私のことを見上げている。


担当スタッフが仔犬についての説明を始めた。購入の際の契約約款、飼い主のための分厚いマニュアルなどの説明から、この仔犬を購入し引き取るためには、店内で数時間の受講が必要条件だということを聞く。担当スタッフの説明を聞きながら、私は自身に問いかける。


(おいミサチ、お前はほんとうに大丈夫なのか?ほんとうにこれで良いんだな?この仔犬はこの店から外へ出たら独りでは生きていけない生き物だ。動物だ。それを今、お前はこんなふうな簡単な手続きだけで、この仔犬を手に入れようとしている。お前の好奇心だけの気紛れな偽善満足だけなんじゃないのか?おい、この仔犬は玩具じゃないんだぞ。もしかして、お前、今ようやくそれに気付いて、お前、少し腰が退けてきてるんじゃないのか?おい、お前、ほんとうにお前は飼い主になれるのか?)




その夜。


マサチとミサチ……食卓にて。


私は殊のいきさつを、朝からの1日のいきさつをマサチに話していた。

マサチの驚きと呆れ果て嘆く声と肩を落とす姿は覚悟の上であった。


マサチ:「はあー!?ちょ……ええ!?またあの店に行ってきたのか?え!?なに?なに?ちょ、なに言ってんの?犬を飼いたいって……なに言ってんの?ちょっと!!」


私はマサチに報告した。

仔犬を購入するために一時金をペットショップに預け、仔犬を引き取るのは明日の開店時、店内で飼い主としてのマニュアルを受講し、契約書に記入、契約を交わした後、私は仔犬を連れて帰宅する、という予定をマサチに伝えた。


マサチはしばらくの沈黙の後に、

呆れ果てた表情で視線を上に向け溜め息を吐き叫び言い放った。


マサチ:「ああ、アアアアーッッ!!なんでなんだ、なんでだろうなぁ、どうしてなんで女ってのは!!もうどいつもこいつも何でもかんでも事後報告しやがる!!事後報告ばっかしやがって!!」






─────────────────────────第7話へ続く





第7話


戯曲:2008年12月、私の火曜日



外は小春日和。

館内にはクリスマスソングBGMが流れている。

午後2時を過ぎ、ペットショップのスタッフさんたちに見送ってもらいながら、私は挨拶をしながら仔犬と一緒にショップを出た。幼犬用の小さなハーネスを装着しリードを付けて。きょとんとした仔犬は、この先の生活がガラリと変化する。ショップのスタッフさんたちにサヨナラをして「さあ、お家に帰ろうね」と、私は仔犬に話しかけ駐車場出入口方向に歩き出す。


遠くから清掃員の女性が私と仔犬を見て笑顔で小走りに近づいてきて、突如として仔犬に話しかけてきた。


清掃員:「あらまあ、やっとママが見つかったのねー!!良かったわ、良かった。ほんっとに…幸運ってあるものなんだわ」


と、清掃員の女性はしみじみと言い、今度は私のほうを見つめ笑顔でうなずいている。よく見ると、その清掃員女性の目には少し涙が滲んでいた。この清掃員さんの話では、あのペットショップは清掃員たちの癒しの場所であり、特に館内閉館後の清掃作業では、仕事を終えた作業員たちがショーウインドーに集まって仔犬や仔猫を眺め、一息ついてからバックヤードに戻るという習慣だということだ。作業員たちは、この仔犬はいったいどうなってしまうんだろうか…と、いつも気にかけ話題にしていたという。


少なからずこの仔犬も、

だれかの癒し・安らぎの存在になっていたとは。


清掃員:「仔犬ちゃん元気でね、幸せになってね、じゃあね」


と、出口まで見送ってもらい

私と仔犬は駐車場横の駐輪場へ。


小春日和、そよ風爽快。

この仔犬を家に連れて帰るために

私の自転車の前カゴに仔犬を載せて

自転車を走らせなければならない。

寒くないように、念のために、

前カゴをバルサ板で覆いキルティングのケットで包む。

底にはクッションを敷き、移動用簡易ケージの完成。

私は仔犬に話しかける、

「ちょっと揺れるけど家までガマンしようね」


海沿いの国道はダンプカーやトレーラーやルートトラックなど大型車ばかりが行き交う。突然に体験する外気のけたたましさに、仔犬は前カゴの中でブルブルガタガタと怯えて震え落ち着かない様子だ。困ったな…ごめんよ仔犬、お家に帰れば静かでフカフカのベッドが用意してあるからね…などと何度も話しかける。


さーてと、それでは自転車を走らせよう。

ショルダーバッグの中から携帯電話の着信音。

一旦、自転車を止めて携帯電話を確認する。

メール受信音だった。何通かのEメール。

誰だろう……と確認すると、全部マサチから。


マサチ:「大丈夫か?」

マサチ:「犬はどんな様子なの?」

マサチ:「返事待ってんだけど」

マサチ:「犬のエサちゃんと買った?」


ちょっと笑ってしまうじゃないか。

繁忙期の仕事中にもかかわらず

マサチが何度も何度もメールで

仔犬のことが気になっている。


前カゴの中の仔犬を携帯で写真を撮り

マサチに写メした。


すぐにマサチからのメール返信。


マサチ:「可愛い」


あんなに何度もメールを寄越してきて

心配していたくせに。

そのわりに“可愛い”の三文字だ。


仔犬は緊張したまま怯え震えている。

これでは自転車を走らせられないな。

ちょっと時間はかかるけど、

自転車を押しながら歩いてゆくとしよう。

さあ、帰ろうね。

道すがら、私は仔犬にずっと話しかける。

仔犬が突然甲高く『プー、プー』と

二回鳴いた。


今、プーって吠えたの?

そっか、最初にプーって吠えたんだね。


私はそんなふうに仔犬に話しかけ語りかけ、ゆっくり自転車を押しながらゆっくり家路を歩いた。






─────────── 戯曲短編小説集『賢犬ぷー』終わり


2013年11月9日(土)作成

































 

























下手の横好き。作文を趣味として暮らすこと数十年、普段はコラムを練習綴りしています。そんな私が戯曲作品を少しずつ、少しずつ、散漫になりがちな構成を、先ずは小さく小さく固めながら仕上げた第1作目『賢犬プー』であります。

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