初めまして、改めまして、オマエダレ?
喰人鬼族の集落の奥の広場に通された真紅朗と白玉は、その場にて始まった宴席の主賓として大いに歓待された。
真紅朗は山盛りにされた料理や酒肴には全く手を出さず、勧められるまま、強い酒気の薫る液体に満たされた杯を何度も干していく。
白玉は白玉で、目の前に出された肉料理には目もくれず、喰人鬼の子供たちに混ざっては配られる甘い焼き菓子や瑞々しい水菓子に舌鼓を打っていた。
呑みに呑み、喰いに喰ったその後で、真紅朗は宴に冷水をぶっかける事を白玉に問う。
「所で白玉よ。ほんにおぬし、この里の守神なのかや?」
明らかに体積の増えたもふもふ生物白玉は、真紅朗の腕の定位置に巻き付くと、真紅朗を見上げて首を傾げた。
『知らんぞ、主様! わし、ここに来たのは今日が初めてじゃ』
白玉の返答に、正に宴もたけなわという宴の場が一瞬で凍りつく。
彼らを招き入れた門番たちは、ダラダラと脂汗をかきながら白玉に問い掛けた。
「……白玉様は、白顛竜様であられるのだろう? しかも、帰らずの森を越えた先の草原に住まうという」
門番の問いに白玉は身体毎ブンブンと頷いて肯定した。
『そうじゃ。わしはずっとあの草原を縄張りにしとったぞ。主様が来るまで、何年か何百年だか、はたまた何千年かのう』
その白玉の答えに、門番たちは明らかに安堵した様子で溜め息を吐いたが、集落の長老衆は更に困惑した表情を浮かべている。真紅朗は其方に視線をやると長老衆に話し掛ける。
「そこにおるは集落の長老衆と見受けるが、何故その様な顔をする? やり合うた吾が言うのも何じゃがの。白玉は今でこそ、その姿はちんまいが契約する前は天を覆うかと思う程の大きさじゃったぞ?」
真紅朗の言葉を受け、長老衆の一人が前に出て語り始めた。
「──守神様、そしてその主様よ、聞いて下され。もうずっと昔の話ですじゃ。人族に追われ、この地に集落を開いた我々は、貧しいけれども平穏な暮らしを送っておりました。しかしある時、帰らずの森の大怪魔と同じ様な恐ろしい魔物がこの地に住み着いたのです。我々喰人鬼族の戦士が幾人もが討伐に向かいましたが、皆悉く返り討ちに遭い困り果てていた所、帰らずの森の先の草原に住まうという、白顛竜様の使いと名乗る者が現れて、主に生贄を差し出せば魔物を討すると約束していったのです。手に負えぬ魔物をどうにかして貰う為、我々は集落から白顛竜様へと生贄を差し出しました。するとたちどころに魔物はいなくなり、以来、我らは白顛竜様を集落の守神様としたので御座います」
胡座をかいて座り、酒杯を持ったまま腕を組んで、黙って長老の話を聞いていた真紅朗は首を横に振り、呆れた声を漏らす。
「話が長いっ、そして暗いっ! ぬう、聞いていて思ったのじゃが。……おぬしら、白玉の使いを名乗ったそやつに騙されただけじゃないかの? 大方、生贄もそやつが喰ろうたのじゃろ。その手に余る魔物とやらが」
『生まれてこの方、わしには使いなどおらぬのじゃ! 真紅朗様の言う通り、わしの名を出して騙られたのではないかえ?』
真紅朗と白玉の言葉に喰人鬼族の間にどよめきが起こった。そんな中、一人の他と比べて貧相な喰人鬼がこそこそと宴の場から抜け出そうとする。真紅朗は憮然とした顔をして、その喰人鬼を指差した。
「むう、胸糞の悪くなる話をしおってからに。物の序でじゃ。そこな愚か者よ。正体を現しや!」
真紅朗は続けて手にしていた杯をその喰人鬼の逃げ道を塞ぐように投げつけ、その場から立ち上がり一瞬で距離を詰めると神気を込めた指先で破邪の神印をその者に刻み込む。
何も出来ぬまま呻き声を上げその場にうずくまった喰人鬼から、湯気のように白煙が上がり、巨大化し遂には人型の姿すら取っていられなくなり、居並ぶ衆目に、その正体、八対十六の烏や蝙蝠、虫などの翼や翅を持つ、上半身に蟷螂の生えた複眼の溝鼠の姿を曝した。
「のう、長老衆よ。件の魔物とはこの様な姿だったのではないかえ?」
真紅朗は自らが正体を暴いた魔物に近付いて指差し、声も無く見詰める者達に詰まらぬそうに問い掛ける。
「……おお、正に守神様、その主様よ。憎き魔物じゃ、見間違えようもない!」
「兄者はその魔物にわしの目の前で喰い殺された。仇の姿じゃ目に焼き付いておる! 間違い無いぞ!」
魔物を見知る口から犯人と確信の声が上がり、真紅朗はうんうんと頷くと、居並ぶ喰人鬼族に告げた。
「吾の神気と術で縛った。ただ息をするにも魔物のこやつには命懸けとなろう。集落に入り込んでおったのじゃ。他にも悪さをしておろうよ。今宵の馳走の礼じゃ、良ければ吾が砕いておくがの?」
真紅朗の腕の白玉は魔物の姿を見詰め、何やら思い至ったのか真紅朗の袖を引き、主や喰人鬼族に聞こえるように話し出す。
『主様、主様、わし、こやつに見覚えがあるぞ! 大した魔力も無い癖にわしを殺して喰おうとか言っておったのじゃ。猫の手のように軽く捻ってやったがの!』
「白玉よ、それを言うなら赤子の手じゃろ」
真紅朗は無意識に右手を振り下ろしていた。虫の息だった魔物の上に……。次の瞬間、その手が触れた訳でもないのに魔物が存在した空間を中心に地面に大穴が穿たれ、同時に魔物は素粒子単位に砕かれて消し飛んだ。
「あ」
真紅朗がしまったという顔で声を漏らし、
『ほ』
白玉も主に釣られて声を出し、
「「「ええええっ!!」」」
目を丸めた喰人鬼族の驚愕の叫びが響く中、後には特大の魔晶が一つ転がり遺される。
宴の場は、魔物討伐を慶ぶ場へと成り代わり、真紅朗と白玉は喰人鬼族から更にもてはやされた。
特にその力の一端を示した真紅朗へは喰人鬼族から、たかが人族と侮る視線が消え、尊敬の眼差しを注がれる事となった。
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喰人鬼族の集落で歓待された夜から、もうどれほど経っただろうか、喰人鬼族の集落を後にした真紅朗と白玉は今、高い石塀に囲まれた人族の街に訪れていた。
槍を手にした門番が立つその街の門を前にして、真紅朗は腕に絡まるもふもふに問い掛ける。
「白玉よ、ここは人族の街で良いのか?」
『そうじゃないかの。わしに聞かれても分からんけどの』
「ふむ、ま、行ってみれば分かるか」
『そうじゃ主様、首に巻き付いても良いかの?』
「季節外れの襟巻きのようじゃのう。うむ、構わんぞ白玉よ」
主から許可を貰った白玉はいそいそと真紅朗の左腕から首元へと場所を移してもふもふの身体を巻き付けた。真紅朗の粗末な着流しに純白のもふもふ襟巻きは何ともいえず浮いている。
『わし、主様の襟巻きじゃ。えっへん!』
「前から思うておったのじゃがな、白玉よ。おぬし、身体が幼くなった事に精神が引き摺られ過ぎてやしないかえ? まあその見た目じゃ、それはそれで構わんのじゃがの」
もふもふ白毛玉とうだうだとやり合い、門の前に立ち止まっている真紅朗に寄ってきた門番から声が掛けられた。
「おおい! そこの可笑しな格好の坊主。街に入るのか、入らぬのか教えてくれるか? 後がつかえるからな」
「ぬ、それはすまんのう。入る、入るぞ。それで幾ら掛かるのじゃ?」
「預り金は銀五枚だ。帰りにはどこの門から出ようと、この割り符を門番に渡せば戻ってくるからな。覚えておけよ坊主。なくさぬ様に割り符の紐で腕に巻くか、首から下げて置くようにな」
門番は腰後ろの袋から取り出した二本の紐の通してある魔法陣の刻まれた割り符を見せてくる。
「ほう、そうかや。ちと待て、今出すからの」
真紅朗は腰に手をやり、喰人鬼族から魔物退治の礼として、金貨数枚と共に渡された容量増加の魔法が掛けられた小さな革袋から金貨を一枚取り出した。
この世界での貨幣の価値は、銅貨千枚で銀貨一枚、銀貨百枚で金貨一枚の価値となる。発行国や都市毎、硬貨の状態などで微妙にレートは替わるがほぼ全ての国で経済的な利便性から同じ様に設定していた。
銅貨一枚で一食分のパンが買える為、普通に暮らす人々が金貨を眼にする事はこの世界では先ず無い事だろう。
「いや、すまん。今はこれしか手持ちがないのじゃ。併せて両替も頼めるかの?」
門前のこんな場所で金貨を取り出した真紅朗に、門番は呆れた顔をして答えた。
「そりゃ、両替も出来はするがな。銀貨九十五枚は流石にかさばるぞ、入る袋は持ってるのか?」
「問題は無いはずじゃ。この袋には容量増加の魔法とやらが掛かっているらしいでの」
真紅朗は腰に付けていた革袋を外し門番に見せる。
「ほう、坊主はまた珍しい物を持っているな。そういった容量増加魔法の付与された袋は豪商か腕の良い探索者しか持っていない物だぞ? だが、そいつは袋の口が小さいな、それでは財布ぐらいにしか使えんだろう」
「呵々、財布になるなら十分じゃろ。では、両替と併せて頼む」
「じゃ、そこの詰め所から取ってくるから待ってろ。割り符の半分は渡すが、金貨は持っていくぞ?」
「構わんよ。早よう頼むのじゃ」
門番は真紅朗の答えを聞くと手の中の割り符の半分を真紅朗に渡し、街の門の脇に目立たないよう建てられている詰め所小屋へとドタドタと走っていった。
人気が無くなった所で、頭をもたげた白玉は、首を傾げて不思議そうに主に訊ねる。
『主様、主様、何で行儀よくしとるのじゃ? 人族の街じゃろうが獣人族の邑じゃろうが、主様程の御力が在れば蹂躙も容易かろ?』
「確かに、吾には此方に目覚めてより、可笑しな力が宿っとるのう。受肉しとるのに飲み食い出来れど、腹は減らぬは睡眠も要らぬ。まあ、眠ろうと思えば眠れようがの。人型はしちょるが吾の身はどうも別の何かじゃな」
『主様、出来るのにしないのは、何でじゃ?』
「無理矢理、力で従えるのは出来ようが、そうした所で統治するのは面倒臭かろうよ。統治に都合のよい者とでも出逢わねば、吾は国落としをする気は無いわな。──さて白玉、門番が戻って来よる、おしゃべりは仕舞いじゃぞ」
『声など出さんでも、主様とわしはこうやっておしゃべり出来るぞ。お話しして良かろ?』
契約を通して声に出さず話し始めた白玉に、主たる真紅朗も声を出さず会話を続けた。
『駄目じゃ、おぬしは吾と話すときばかり、目を合わせようと頭を動かしよるのじゃ。珍しい生物と付け狙われてもよいのか、白玉よ?』
『むう、それは面倒臭いのう。主様の手に掛かれば塵も遺らなかろうけれど。……仕方なし、黙っておるのじゃ』
白玉が真紅朗の脳裏にそう言い残して黙るのを見計らった様に、硬貨の詰まった袋を手に門番が戻って来る。
「待たせたな坊主。この中に銀貨九十五枚が入っている、確認してくれ」
真紅朗は黙って受け取り、中身も見ずに魔法の革袋に渡された袋の中身を流し込んだ。
「──お、おい、確認しないで良いのか!? いや、俺は何もしちゃいないが」
「よいよい、門番どのを信用しとるよ。その言葉とて、嘘を吐いているようには見えぬしな」
真紅朗はそう言って空に袋を門番に返し、門番は少年の言葉に満面の笑みを浮かべる。
門をくぐって行こうとすると、背後の門番が真紅朗に何か書かれた紙筒を投げて寄越した。
雑踏に踏み入りながら真紅朗の広げた紙筒には、この街の簡略図と真紅朗の知らないだが何故か読む事の出来るこの世界の文字で、オススメの宿の幾つかと美味い食事処の数ヶ所に印が付いている。
真紅朗は振り返り門の方に一礼し、地図上の一番近いオススメの宿へ足を向けた。
往来で唐突に頭を下げた真紅朗に、道行く人々から珍妙なモノを見る様な視線が注がれたが少年は差して気にせず歩を進めて行く。