もふもふなるは白顛竜(ハクテンリュウ)
真紅朗は白玉を腕に絡ませ、草原を抜けた。
どうやら脚力の方も相当に達者なようで、一日中掛かるかと思った道程を半刻程で通り過ぎている。自身の歩く速さと、頭の中のイメージが噛み合っていない様で、真紅朗は度々首を傾げていた。
丈の長い草の生えた草原を抜けると、あらわれたのは鬱蒼とした森のようだった。目の前の動植物の全てに構わず森に足を踏み入れる真紅朗。襲って来る動物も無く暗い木々の間を突き進む。そうして、しばらく進む内に抱いた疑問を真紅朗は旅の供に問い掛けた。
「のう、白玉? 何故、この森には生き物の気配が無いのじゃ?」
『主様よ。わしはあの地から離れた事が無いと言うたぞ? 此方に森が有るのは知っておったが、中がこんな事になっていようとは知らなんだよ。上空には普通に鳥は居ったでな』
「嘘を吐けば死によるおぬしが吾に偽りを騙る訳も無いか。何ぞ居るのだろうの。この世に降りてより、何故だか吾は恐ろしさというものを感じ無い。ま、なんとかなるんじゃろ」
軽い真紅朗の言に、白玉は首をもたげて主に問うた。
『主様、主様、わしの吐息を防いでおいてそれは無かろ。わしの吐息は恐ろしかったのだよな? な?』
「いや、ぶっちゃけて言うとの。ちいと熱いかと感じただけじゃわ。吾は雪国の生まれで暑さばかりはよう好かんでの」
真紅朗のその答えに白玉はもふもふの毛を逆立てて不満を示した。
『なにやら、主様の存在が神というのも本当のようじゃ。……わし役立たずかの?』
そんな事を言っていじけだした白玉の頭を撫でて、真紅朗は不器用に機嫌を取った。
『真紅朗様、わしはそんなに単純ではないのじゃ。機嫌を取っても無駄じゃからね?』
言いつつ真紅朗の腕に気持ち良さそうに身体を擦り付ける姿に説得力はなかったが、嘘を吐いた割に白玉が問答無用で死にそうになる事も無く、真紅朗の術の改変はこちらにも起きている様で、白玉が自分から意識的に吐く悪意ある嘘でなければ呪いも効果を出さない様だった。
「さて、白玉。近寄るあやつに覚えはあるか? 熊のようじゃが」
『主様、主様、あるぞ見覚え、主様の言うとおりあれは熊じゃ。確か名を百足熊という』
「確かに頭は熊のようじゃが、吾のいたあの世には手足は全部で四本しか無かったのじゃ。流石は此岸か、よもや胴長の熊の手足が百足のように生えとるとはのう」
『主様、百足熊は歳を経る度に手足が増えるのじゃ。あれなるは齢百を超えたわしら竜種にも匹敵しよう大怪魔、まあ、竜種の頂点たるわしには、まだまだ届かぬがの』
「白玉よ、自慢気な所悪いがの。この熊、軽く殴ってみたら消し飛んだぞ。脆すぎでないかえ?」
哀れ百足熊は白玉が頑張って解説しているうちに近寄った真紅朗に殴られて跡形も無く消し飛んでいた。
『主様、百足熊は攻撃力こそはそこそこじゃが。先程の物くらい齢を経ると全力で放つ物でないとしても、わしら竜種の吐息さえ防ぐ肉体強度となるのじゃぞ。真紅朗様の攻撃力が可笑しいのじゃ。あははは、わし笑うしか無いぞ。主様、主様、一生付いて行くのでどうか消し飛ばさんでたも。奴に比べれば今のわしなど綿のようなものじゃ』
「会話を交わせる旅の供をわざわざ消し飛ばす者も居らんよ。さっき頭を撫でたじゃろ、意識が伴わねば打撃にはならんようじゃ」
『主様、生臭は喰わんと言う割に殺生に躊躇が無いの? わし何故殺されなんだ?』
「おぬしは白毛玉じゃしの。吾は殺生をし過ぎて神と昇った者故に、人や獣に拘わらず、殺生如きに躊躇なぞしようもないわ」
白玉は感情の籠もらぬ真紅朗の返事に話しを変えるように辺りを見回した。
『おお、そうじゃ主様。百足熊のいた辺りに何ぞのこっちょらんか?』
白玉に言われ真紅朗が百足熊のいた辺りに視線をやると、何やら宝石の原石のような石が落ちていた。
「石ころが有るの? 白玉よ、これは何じゃ?」
『わしら竜種以外の魔物はの、死んだ後にそやつを弑した者の下に残った身体が結晶化するのじゃ。一応、先の百足熊はバラバラになれどこの辺りの空間に死体も散らばっておったからの。こうして魔晶が結実したのじゃろ』
「ほう、流石は異界、不思議な事じゃ。で、魔晶と言うたか、これにはどういう用途が有るんじゃ?」
『わしもようは知らんぞ? じゃが、わしの知る人族はその魔晶を集めておったな。百足熊の百年物じゃ、持っておって損は無いじゃろ』
「路銀にせよと言うことか? 必要無い気はするがまあいい、おぬしの言うとおり持っておくかの。さ、白玉、この様な陰気な森なぞ、さっさと抜けるとしようかの」
真紅朗は懐に百足熊の魔晶を仕舞い、腕の白玉に声を掛けると森の木々をなぎ倒しながら一直線に駆け出した。
走る真紅朗の振る腕が無造作に触れる度、邪魔な木々は中途から折れ飛び、真紅朗の前に道が開ける。
彼の走った跡には下草さえ残らず、森に人一人の幅の舗装したような真っ直ぐな道が出来ていた。
『主様、主様、遣り過ぎじゃ。主様は一体何処に向かっておるのじゃ?』
「前にも言うたが、宛てなど知らぬわ。じゃが、此方に集落が有りそうでの」
『何か、わしの意図とは違う答えが返ったのじゃ。──不意を突いて襲いかかって居並ぶ住民共を蹂躙するのじゃな。流石、主様は鬼畜生じゃの』
「……人聞きの悪いことを、吾はそんな事なぞせんわ。──向こうが襲って来ん限りはな」
森を抜けその先の林を越えた先に、木の塀に囲まれた集落が見えて来た。幾つかの家屋から炊事の煙が上がっている。
喰人鬼族が平和に暮らす集落にかつて無い小柄な脅威が迫っていた。
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珍妙な白毛獣を腕に巻いた奇妙な服装の少年が近付いて来るのに気付いた集落の門番は相棒に注意を促した。
「おい、奇妙な格好の人族が帰らずの森の方から来るぞ。見かけは人族でも正体は何やら判らん。十分に注意しろ!」
「いやいや、相棒。ありゃ、どう見てもただの人族の餓鬼だろ。帰らずの森の主の百足熊から這々の体で逃げて来たんじゃないか?」
「相棒よ、注意してし過ぎる事など無いぞ。白顛竜様の化身やもしれぬ。ただの人族だとしても、あの森を抜けて来られる程の猛者だ。どのような力を秘めているかも判らぬ」
「相棒、ではお前は注意していろ。俺があいつの相手をしよう」
「ぬ、では頼む。お前に危害を加えぬよう注意して見張っていよう」
真紅朗は喰人鬼族すら驚く程のスピードで集落を目指して近寄って来る。
集落の門に今気が付いたように寄って来た。
「見慣れぬ小僧よ、其処で止まれ! 我等、喰人鬼族の村に何用か?」
ドスの利いた声で喰人鬼の門番は真紅朗に問い掛けた。傍らのもう一人は真紅朗の一挙手一投足を漏らさ様に睨みつけている。
普通の人族ならば恐れて逃げ出そうとするだろうが、真紅朗も白玉も意にも介さず平然としたままだった。
「旅の者じゃ、あっちから来た。別に此処に用は無いのう。そうそう、この白玉とは森の向こうで出会うての。供に行くことになった」
帰らずの森を指差して答える真紅朗に門番二人は顔に出さず驚愕していた。
「嘘を吐くな、小僧! あの森には百年越えの百足熊がおるのだ。貴様の様なひょろひょろした人族の小僧が抜けて来るなど不可能だ。それに森を越えた草原は我らが守神、白顛竜様が住まう土地、貴様の様な人族の餓鬼一人など生きて帰られる筈もない!」
真紅朗の言う事を嘘と断じた門番に、真紅朗はごそごそと懐を探り、百足熊の魔晶を取り出した。
「百足熊とやらの魔晶じゃ。これでは証拠にならんかえ?」
真紅朗に突っかかった者とは別のもう一人の門番が少年の取り出した魔晶を目にして驚愕の声を漏らした。
「……正に、正に、これ程の魔晶、百年百足熊の物に相違無いだろう。相棒よ、この者は嘘など吐いておらぬ! この者にとって我らを倒すなど赤子の手を捻る様に容易かろうよ。命が惜しむなら、余り反抗的な態度は慎むことだ」
「しかし、相棒。それでも門を通す事など出来ぬだろう!」
「ああ、盛り上がっている所悪いがの。吾は別におぬしらに危害を加えようとは思うて無いぞ」
喰人鬼族の門番二人は顔を見合わせ真紅朗に向き直った。
「その言葉、我らには信じるしか出来ぬ。お主、本当に何用で参ったのだ?」
「宛ての無い旅でのう。ここに来たのは集落が見えたので、何となくじゃ。で、此処にはどの様な者が住んで居るのだ」
「貴様等、人族の嫌う喰人鬼族の集落だ。種族として喰人鬼などと呼ばれて居るが、我らは人族など喰わんがな」
自嘲気味に返す片方の門番に真紅朗は首を傾げた。
「そうなのかや、吾はこの世の者ではないでな。そういう常識はよう知らん。おぬしらはでっかいだけの人に見えるがのう」
左腕に巻き付いて眠っていた白玉が瞳を見詰めて、真紅朗にお伺いを立てる。少年は幼竜に黙って頷くと白玉は門番二人に自己紹介を始めた。
『主様、主様、わしも話して良いかの? 其処の者等、わしは主、須佐原真紅朗様が眷属たる白顛竜、主様から賜りし名を白玉という。む、何故固まっておる?』
「一族が守神、白顛竜様。無礼なる我らが振る舞い、何卒、何卒、ご寛恕を賜ります様お願い致す。我ら二人白顛竜様に生贄として捧げますゆえ」
白玉が首をもたげ、胸を張って名乗りを上げると喰人鬼族の門番二人はその場に平伏し、白玉に口々に寛恕を願った。
小さき身なれど、竜体に感じる強大な魔力が為に。
「……うわぁ、白玉おぬし人喰いか? ……うわぁ」
『主様、主様、わし人種など喰ろうておらぬぞ! ましてや喰人鬼族など。わしが主に喰らうのは地脈の霊気じゃ。今は契約で主様から少しばかりいただいておるが。生まれてこの方、生臭物など喰らっておらぬのじゃ! 其処な者共、わしが主様に嫌われたらどうしてくれるのじゃ!! ぬし等、さきの言を取り下げねば寛恕などしてやらぬぞ!!』
小さな白玉に恫喝され、平伏し続ける大きな喰人鬼族の門番達は真紅朗の目によらずとも滑稽なものだった。
「何卒、何卒、ご寛恕を。仰せのままに我らをはじめとして生贄に捧げる事は取り下げますゆえ。ご寛恕を」
『ならば、赦すぞ! 主様、わし人喰いなどでは無いぞ!! 嫌わんでたも』
真紅朗は白玉と門番二人のやり取りに眉をしかめ、幼竜に注意した。
「──脅した言葉を信用せよとな。白玉よ、吾は別におぬしが人喰いだろうと嫌わぬが、そういうやり方はいかんぞ。脅したことをその者達に謝るのじゃ」
白玉はショックを受けた顔をして、真紅朗に何度も頭を下げ、門番二人に向き直り、殊勝な態度で頭を下げた。
『主様、主様、赦してたも。其処な喰人鬼族よ、済まなんだ。赦してたも』
「どうじゃおぬしら、白玉を赦してやって貰えんじゃろうか? 吾も一緒に頭を下げよう」
「いや、此方の言が発端なのだ。白顛竜様とその主様よ、元より赦すとも。守神様の来臨だ。我らに出来るのは歓待する事くらいだな。良いか相棒」
「ああ、しかし、人族の子供が守神様の主様とは、な。相棒よ、集落の者達には俺が伝えて来よう。守神様とその主様の来臨を祝う宴の準備もな!」
喰人鬼族の門番の片方が集落の中に走って行った。
「申し訳無いが、守神様達よ、もうしばらくこの場に待っていてくれ」
「どうせ宛など無いのじゃ。構わぬよ、のう白玉」
『主様が構わぬなら、わしも構わぬのじゃ!』
白玉は真紅朗に巻き付かせたもふもふの身体から伸びるもふもふの尻尾を振った。