かつては鬼神と呼ばれていました
北国のまだまだ雪深い春の野に、こじんまりとした祠が一つ、白雪に埋もれてのぞく屋根のみが純白の野原に暗色を添えている。
祀られるは、名も知られぬ神が一柱。
今は昔、荒んだ此岸に殺しに殺し、遂には討たれし武士一人、荒ぶり怨霊と祟るなと御霊と地の者達に祀られてはや幾星霜。
呪いは成り、祈りと代わり、祀られた霊は天の階に足を掛けた。
御霊とは怨霊を祭り上げ、國を安からしめる日の本独自の護国の法。
万人殺しでさえ神と成す灼かなる霊妙の修法。
さて、最も高名な御霊と云えば、天満宮の天神か、学問成就の御利益を声高に謳われる。はたまた、日の本において初めての征夷大将軍か。
この小さな祠の神は、神と成れども参る者も最早居らず、裏尾れた祠と共にただ朽ちるのを待っていた。
名も知られぬこの神は地の者達に祀られているうちに、現世においては何時までも殺しに明け暮れ、何時でも血に塗れていた者とは思えぬ、とても優しく穏やかな心根の神と成っていた。
祠の端に唯一伸びた大きな松の木から枝雪が雪崩、祠の屋根を強かに打ち、パキパキと音を立てとうとう祠は砕け崩れた。
神体と奉られし依代たる小柄の刃に姿を映した名も無き神は祠の崩壊と共に暗転する意識の中に思う。
(これでやっと眠れるか)
薄れゆく意識に安堵を抱いた名も無き神は、されど滅ぶ事を赦されず、やがて彼岸で目を覚ます事となる。
此岸にて幽世と呼ばるる異世界に、新たに生身を手に入れて。
人として神はかつて、須佐原真紅朗と呼ばれていた。
神となって得た真名もあれど、新たなその身には未だ名は無く、人神は己の在処さえ知らず、広い野原に着流しを身に纏い、齢一四、五に見える少年の身体を縮こまらせ眠っている。
鷹よりもよく見える目で彼方より人の姿をした神を見つけ、大空より降り下った翼を持つ大きな影が神の身を覆った。
神の眠るその場所は、大きな影の主にとってもお気に入りの昼寝場所。先客の存在に気を悪くした生き物は、人の姿をした神に、前足に生やした硬く鋭い刃のような鉤爪を勢い良く振り下ろした。
「……なんじゃ、折角、吾が気持ち良く眠っておったというに」
神と祀られる生前の業はそのまま身に付いているらしく、肉食獣に特有の荒い殺気に目を覚ました神は、直ぐ様その場に起き上がり、振り下ろされた巨大な鉤爪を平然と受け止めている。そのまま相手の力を殺さず、鉤爪を脇に流し落とした。
「はて? おぬしは何じゃ? おぬしのような生き物は見たことが無いの」
自分より遥かに小さな存在に自身の鉤爪を受け止められ、より一層、気を荒くしたその生物は自身の最大の威力を持つ攻撃を眼前の人型に放った。
翼を使い眼前の人らしく無い人から距離をとり、肺に溜めた魔導元素を、世界に誕生した際に喉に刻まれた天然魔導回路を介して、数千度のプラズマに変換し吐息の様に吹きつけた。
その生物が鋭い牙の並んだ顎門を開き、虚空に魔法陣が描かれ、吐き出された息がプラズマの奔流となって槍の様に撃ち出された。
身に迫る劫火の吐息に流石に危機感を抱いた神は、生身を得て僅かに減ったが未だ身に纏う神としての気、《神気》を媒介に、良く分からぬままこの世界の大気に満ちる魔導元素を操作し、着流しの懐に入っていた自らの神体だった小柄に纏わせて目の前の空間をすうっと薙いだ。
この世界において生態系の頂点とされる竜と呼ばれる白毛に身を包んだその一体は、自らの吐息が生み出した焦熱と土煙がおさまるのを待ち、影のみを地面に焼き付けられた筈の人型の生き物の末路を確認しようとした。
土煙が風に流され,擂り鉢状に熔解しガラス化した地面の中心に、術を使い竜の息を防いだ神がその周囲には焦熱の影響さえなく、無傷のまま平然として立っていた。
「ふむ、とっさでも、なんとかなるもんじゃ。どうやらこの世はあの世より術の効果が強くでるみたいじゃな。吾の数少ない拙い術でここまでの効果とはの」
「貴様、何故、生キテイル!? 人間如キガ我ガ吐息ヲ浴ビレバ、影シカ残ラヌハズ!?」
「何故と聞かれても、防いだからの。それと意思疎通が出来るならば話が早い、──うむ、そうじゃな、この術でよいか」
ダンと地面を勢い良く蹴り、人の姿の神は天に浮かぶ竜のいるより高みへとふわりと跳ね上がった。
「おぬしには眷属となって貰おう。何、痛みも痒みもありゃせんぞ? 吾を謀れば死を以て解放されようがな」
言うが早いか、人神は竜の頭に左手を軽く押し当てた。瞬間、竜の全身に電撃のような熱が走る。竜は神諸共に地面へと墜落した。
「化生を縛るだけだった筈の術じゃが、このようになるとはの。不可思議な事じゃわ」
再び舞った土埃が薄れ姿を現した竜の転じたそれを前に、名も無き神は独り言を吐いた。
『……主様よ、貴様、何ということをしてくれたのじゃ!』
甲高い子供の声で白い毛玉が神を非難した。
毛玉、いや、幼竜は全身が白くふわふわな柔毛に覆われ顎を開かねば、口が何処にあるのかさえ判らない有り様だった。
「おぬし口調が変わっとらんか? のじゃのじゃ言うとるぞ?」
『知らんわ!! 大方、主様との契約の影響じゃろう。わしは世界に冠たる最強種、竜の一体ぞ。そのわしに此処まで影響を与えるとは主様は何者じゃ?』
「竜とは可笑しな事を申すの? 吾はしがない雑魚神にすぎんぞ? 竜ならば、吾など取り込まれるだけじゃ、毛玉如きが大きい事を言いよるの」
『主様こそ神の一柱とは大きい事を言うておる。所で主様はわしを喰わんのか? このような身となれど、わしを喰わば大きな魔力を得られるぞ』
「いや、吾は生臭は食わぬ。あの世で遣り過ぎる程に殺生を為したのでの。何となくじゃが、吾はまだしばらくは喰わんでも良いようじゃわ」
『ふむ、ではわしは主様と一緒に行っても良いのかや?』
「おお、来よ来よ。この世では往く宛てなぞあらぬ身じゃ。供の一人も欲しい所じゃ」
『では、主様よ。わしに名を与えよ! おお、そうじゃ、主様の名は何というのじゃ?』
「また生身を与えられると思わなんだが、生前の名をまた名乗るとしようかの。毛玉よ。吾の名は真紅朗、須佐原真紅朗じゃ。それから、おぬしの名は白玉じゃ。白い毛玉じゃからの」
『ええっ、わし白玉か? 何ぞ食い物の名のようじゃ。主様、それで本決まりなのかや? 不満では無いが、喰われそうで怖いのじゃが』
「ならば、白玉を真名として、呼び名を白玉とでもするか?」
『おお、なにやら良い響きじゃ。主様は素晴らしいのう!』
真紅朗は白玉の額に手を当て、魂魄に白玉と真名を与えた。
腕に飛び付き巻き付いた白玉の頭を撫でて、真紅朗は口を開いた。
「ではそろそろ、往くかの白玉?」
『主様、真紅朗様よ。ゆるりと行けばよい。どうせ宛などあらぬのじゃ』
「もちろんじゃ、この世に何が待つのやら。吾は楽しみにしておるぞ」
『実はわしもこの地を離れた事など無くての。なにやら楽しみになってきたぞ!』
かくて、歩き出した一柱と一頭、当て所なき物見遊山の旅は始まった。




