僕たちの関係性を明確に示す言葉はまだ存在しない
僕が彼女に出会ったのは、とある高等学校に入学してすぐのことだった。空は青く澄み渡り雲ひとつなくて、新築の校舎の背景を美しく彩っている、そんな日だった。
「ねえ、あなたはどこを見ているの?」
先に声をかけてきたのは彼女の方だ。教室の窓から外に視線を放っていた僕の隣に立つと、彼女は言った。僕がその声に振り返ると、そこには陽光を反射する真っ白な校舎の壁に負けないくらいの輝きを放つ彼女がいた。
「別に、何も見てないよ」
僕は答えた。
「何も見てないなんてことはないでしょう?」
彼女は淑やかな笑みを溢しながら言った。
「―――それとも、あなたの目はガラス玉か何かなの?」
多分彼女が輝いて見えた理由は、まだ数回しか着られていない新品のセーラー服のせいでも、透き通るような白い肌のせいでもなく、とろんとした瞳の中に見えた強い光のせいだと思う。だからそんな彼女の質問がただの言葉遊びじゃないことは、僕にもよく伝わってきた。
「そんなことはないけど」
「なら、そんなこと言うべきじゃないよ。折角、よく見える目を持ってるんだから……ね」
彼女は僕の目を真っ直ぐに見て言った。
「そうだね。……そうだけど、」
彼女の目の強い輝きに惹かれて、ようやく僕は本気で彼女と向き合った。
「でも実際、今の僕にとって見えるものはなんでも良かったんだ。海だって、山だって、街だって。ここじゃなければ、どこでも」
「ふうん……」
分かったような、分かってないような、そんな曖昧な返事に反して彼女の表情には、明らかにポジティブな興味が浮かんでいた。
「ねえ……じゃあ、さ。その『どこか』―――見つけない?」
「見つけるもなにもないよ。『どこか』はどこだっていいって―――」
「でも『どこか』にだって優劣はあるでしょう? 一番素敵な、あなたが見たいと思う『どこか』はどこなのか。―――気にならない?」
彼女は僕の言葉を遮って力説した。
「君は、ここが嫌いなの?」
僕の問いに、僕が僕自身にも問い続けている問いに、彼女はううんと首を横に振った。
「―――でもね、ここだけしか知らないのはもったいないと思うの。ここじゃないどこかを知れば、そっちの方がいいところだと思うかもしれないし、逆にそっちよりもここの方がいいって、もっとここが好きになれるかもしれないでしょう?」
とても変わった人だと思った。けれど、不快な印象は受けなかった。だから僕は、彼女の「どこか探し」に付き合ってみることにした。
始めてみればこの「どこか探し」は、同級の仲間たちから見れば「デート」と変わらないものだったようだ。曰く「だって2人きりで山とか海とかに出かけるんだろ?」。……でも、僕はその表現に違和感を感じた。なにしろ僕にとって「デート」とは恋人同士が行う行為の1つであり、僕にも彼女にもそんな意識は全くと言っていいほど無かったのだから。その証拠に、高校を卒業してそれぞれ別の大学に進学した僕らは、それぞれに愛情をもって接する相手―――つまり、恋人をつくった。その上で彼女からは、そしてたまに僕からも「どこか探し」の約束をしては各地の「どこか」を見て回った。
「ねえ、この間ね、彼に怒られちゃった」
ある時、夕焼けに染まる公園のベンチで彼女は言った。「彼」とはもちろん、彼女の「彼氏」のことだ。
「『どうして他の男と2人で出掛けたりするんだ』って。……そんなに怒るようなこと、私してるのかなぁ」
彼女には、そして僕にも、罪の意識はない。だって愛しているのはただ1人なのだから。僕と彼女との間には愛など存在していないのだから。だから、僕も彼女も2人で出掛けることを隠したことはなかった。
「多分、不安なんだよ。僕と君との間に、『どこか探し』以外の何かがあるんじゃないかってさ」
「……むぅ」
彼女はむくれて、僕に身体を預けた。
「納得いかないから……ちょっと仕返し」
「こんなことすると、また怒られるよ」
僕は止む無く、そんな彼女の頭に手を置いてなだめた。この状態の僕らを見たら、周囲はやっぱり恋人だと思うのだろう。だけど僕らに、そんな意識はない。ただ何にも無い時間を少しでも笑顔で埋めたくて、恋人との時間を涙に濡らしたくなくて、だからそんな不安や不満を2人で「どこか」に投げ捨てている。それだけ。
「―――言葉だけじゃ、足りないなぁ」
彼女が小さく小さく呟く。だけど、僕には聞こえた。
「でも僕らには言葉しかないから。身体を交えたって、心の中の想いは交換できないから」
「『愛してる』を繰り返すしかないんだね……もどかしい、ね」
彼女はほうと小さな溜息をついた。僕はそんな彼女の頭を、一度だけ、ぽんと軽く叩いた。彼女と出会ったあの時ように、ここではない「どこか」を遠く見つめながら。