噂と真実 3
ハラハラしながらアシュリー嬢とエドワードさんの言い合いを見ていた私は、オースティンさんのことをすっかり忘れていた。
だから、まさかさっきまでアシュリー嬢が座っていた場所で、優雅にお茶を飲んでいるなんて思いもしなかったのだ。
「んー、本当に真っ黒だなあ」
「っ! え、な」
気がつけば真横にはオースティンさんがいて、私の髪を一束とってしげしげと眺めていた。
こんな状況になるまで気づかないなんて、私はなんてぼんやりしてるんだろう。
「二人の話、気になる?」
「え、あの」
「必死で聞いてたもんね。でもあっちが決着つくまで、ちょっと僕と話さない?」
「でも……」
「君じゃ止められないよ。それに、兄さんとアシュリーは一度徹底的にやりあうべきだ」
「はあ……」
よくわからないけれど、家族がそう言うならそうなのかもしれない。相変わらず涼しい顔でいるオースティンさんに、触ってもいいか、と聞かれ、返事を躊躇する。
でも、好奇心でいっぱいの目に見つめられると、なんかもう、嫌だって言ったところでどうにもならない気がしてきた。断っても、絶対どうにかして私の体を調べようとするような人だと思う。
本当に麻酔を打たれて、気を失ってる間にあちこち触られるのも嫌だし、まあ、お医者さんだっていうから、妙なこともしないだろう。
「いい、ですけど」
「ありがとう!」
ややくいぎみにお礼を言われ、同時に私の腕はオースティンさんにつかまれていた。骨や筋を確かめるように、なでたり、押したりしている。腕から始まって、肩から首筋、頭まで。ちょっとくすぐったいけど、とりあえずされるがままになっている。
体の向きを変えさせられて、今度は背中。強からず、弱からずの力で触られると、ちょっとマッサージみたいで気持ちいい。肩甲骨のあたりを念入りにぐりぐりするのは、やっぱり羽がでないか確かめてるんだろうか。
ひとしきり触り終えると、納得したようにうん、と言って手を離す。
「うん。やっぱり普通の人間だね」
「わかってもらえたようで何よりです」
向き直ってペコリと頭を下げると、意味ありげに笑われた。
「さて、やっぱり君には研究所に来てもらいたいんだけど」
「……いやですって言ったら?」
「理由を聞こうか」
あれ、なんか思ったよりちゃんと話を聞いてくれるようだ。 問答無用で連れていく、とかじゃないんだ。
「私のことを調べるんですよね?」
「ああ、出来ればちゃんと身体検査はしたいかな」
「そういうの、ちょっと嫌です」
「健康かどうか調べるくらいだよ。実際は、主に君の持っている知識について聞くことになる」
「そうなんですか?」
「ああ。フォルダーは僕らの国にとって未知の知識を持ってるからね」
「未知の、知識、ですか」
「そうさ。この国は、フォルダーから与えられた知恵で急速に発展してきたところもあるからね」
確かに、この世界は私のいた現代日本に比べて科学技術とかの面では遅れている感じがする。電化製品の類いはまずなさそうだ。
そういう面での私の知識を知りたいってこと? でも、私は普通の高校生なんだけど。専門的な授業受けてるわけじゃないから、そういうことはわからないんだよね。
「私じゃ、たいして役に立てないと思いますけど」
「それはこちらが決めることだ」
「っ!」
グッと手をつかまれて、真っ青な瞳で見つめられる。うう、なんだかこの目で見られると、うっかりわかりました、と言ってしまいそう。
高い空みたいな澄んだ青に吸い込まれて、思考を持っていかれそうになる。でもでも、アシュリー嬢が望んでくれるなら、私はここにいたいし、それに研究所に行ったら二度と外に出られないって聞いたもの。アシュリー嬢に二度と会えないなんて、そんなの嫌だ。
オースティンさんを見ていられなくて、ぎゅっ、と目を強く閉じる。一人でぐるぐるしていると、アシュリー嬢の鋭い声がした。
「ちょっとお兄様っ! エリーから手を離して!」
「なんだ。もう終わったの?」
「ええ。決着はつきませんでしたけど」
ふとそちらを見ると、相当な勢いで言い合ったのか、アシュリー嬢もエドワードさんもやや顔が赤い。結局どういう話をしていたのかわからないけど、大丈夫だろうか。
「ついているだろう。それは研究所にやるぞ」
「嫌よ! エリーは私の友達よ? 研究所なんかに行ったら、二度と会えなくなってしまうわ!」
エドワードさんのセリフにアシュリー嬢はすぐに反応した。私もそっと頷くと、オースティンさんは不思議そうな顔をして、衝撃的な台詞を吐いた。
「そんなことはないと思うよ」
「どういう意味ですか?」
「研究所に入ったフォルダーは、外に出られないんでしょう?」
「いや? 研究が終わって、なおかつ適応が見込めそうな人は、それなりの地位をもらって普通に生活してるよ」
私とアシュリー嬢は二人そろってぽかんと口を開けた。じゃあ、研究所に関する噂は嘘ってこと? でも、アシュリー嬢はフォルダーなんて見たことないって言ってた。それが嘘だとは思えないけど、オースティンさんは研究所に勤めてるし、彼の話も否定できない。
「フォルダーだということを隠してる人がほどんどだから、知らないのも無理はない」
「基本は研究がすむまで研究所預かりになるけど特例もあるし。アシュリー、エリーにいくら使ったの?」
「ど、どうして」
たじろぐアシュリー嬢に、私はちょっと焦った。もし、とんでもない金額を使っていたとしたら、私は厄介者以外のなにものでもない。そしたら、私はここにいられない。
「うちもそんなに財政がよくないから、エリーにただうちにいてもらうのも困るんだよね」
オースティンさんの意地悪な笑顔で、はじめて気づいた。私はただ家にいて、働きもしない、要するにニートなのだ。
女子高生からニートにジョブチェンジなんて、納得いかない。でも、これが現実なのだ。
この事実は結構堪えた。できるだけ早く、なにか私にもできることをしなきゃ、と思うくらいには。