深夜の来訪者
アシュリー嬢の勘というか、予測能力にはびっくりさせられた。まあ、彼女の言ったとおり、真夜中に女の子の部屋に入ってきちゃうお兄さん達にもびっくりなんだけれど。
お屋敷中がすっかり寝静まった頃、私にあてがわれている客間のドアが開いた。寝る前に鍵をかけたはずだけど、相手はこの家のご当主なんだから、鍵くらい待ってて当然だ。
「・・・に、や・・・なの?」
「あた・・・だ。アシュリー・・・め・・・」
ボソボソと小声で話しているので、まだ難しい言葉を聞き取れない私には、何と言っているのかやわからない。アシュリー嬢の名前しか聞こえなかった。でも、声は二人分、しかも男の人の声だからおそらくアシュリー嬢のお兄さん達で間違いない。
人の気配がベッドに近づいてきて、ついに枕元に立った。一体何をするつもりだろうと息を潜めていると、かすかな衣ずれの音がして、くるまっている毛布を引っ張られる感じがした。でもアシュリー嬢が張り切って、私に任せて!と言っていたから、とりあえず黙って寝たふりをする。
そーっと毛布が外されて、私はパジャマがわりのワンピース1枚でベッドに転がっている状態だ。これって結構まずいよね? このまま切り捨てられるのも、また身ぐるみ剥がされるのもどっちも嫌だ。と思ったら、なんだかごちゃごちゃ言い始めた。
「ひと思いに、やってしまうぞ」
「待ってよ。僕はやっぱり、フォルダーだと思うんだよね」
「まだそんなことを」
「兄さんこそ、本当にこの子が悪魔だなんて言うの?」
「黒目、黒髪は教典にも悪魔の特徴とされているじゃないか」
「それはそうだけど、誰かそれを現実に見た人はいるわけ?」
「いや、聞いたことはないが」
「だからまずは確認させてって言ってるんじゃないか」
どうやら、お兄さん達の間で意見が割れているらしい。今のうちに、アシュリー嬢に何とかしてもらわなきゃ。けれど、なぜ二人が来たことに気づかないんだろう。まさかと思うけど、寝てしまったのだろうか。
「とりあえず麻酔を打てば動けなくなるから、それなら安心だろ」
「しかし、効かなかったらどうするんだ」
これはまずい。この国の医療水準がどうなってるのか知らないけど、麻酔なんて冗談じゃない。怖すぎる。そもそも私は注射が苦手なのだ。特に予防接種とか、どこも悪くないのにされる注射は。
「わかったよ。もし、この子に麻酔が効かなくて、僕に危害を加えるようだったら攻撃していいから。でも、殺しちゃダメだ」
「なんだと? お前、自分が危ないかもしれないのに何を言うんだ」
「本当に悪魔なら研究対象。それもかなり貴重な。罰則対象になるレベルだよ」
「それは、わかっている。しかし、こんなのが本当に役に立つのか?」
「調べてみないとわからないよ」
そう言って、髪の毛を持ち上げられた。まさか首に麻酔を打つつもり? 冗談じゃない。髪にかけられた手を振り払うようにがばりと起き上がり、枕をしっかりとつかむ。
「っ!」
「まずい!」
お兄さん達がうろたえているすきに、そちらを睨んで枕を思い切り振り回しながら、力の限り叫んでやった。うるさそうに耳をふさぐお兄さん達が暗がりにぼんやり見える。なにせ、私の叫び声は家族にも超音波と言われるほどうるさいのだ。これでソファーにいるアシュリー嬢もさすがに気づくはずだ。
「この、やめろっ」
「ひゃ!」
そんなに時間を稼げるとは思っていなかったけど、想像以上にあっさり枕を取り上げられ、ベッドに押さえ込まれる。力任せにつかまれている手首が痛い。どうしよう、このままじゃ本当に殺されてしまうかもしれない。この際、アシュリー嬢以外の人の前では話さない、という約束はどうでもいい。いまの私にはアシュリー嬢以外に頼れる人がいないのだ。心のなかで謝りながら、私は大きく息を吸い込んだ。
「アシュリー様っ、助けて!」
「うーん、エリー?」
ああ、なんて眠そうな声。やっぱり寝てしまっていたようだ。さすがお嬢様、おっとりのんびり具合が半端じゃない。でも、どうやら気がついてくれたみたいだ。まさかこの部屋にアシュリー嬢がいるなんて思ってもいなかったお兄さん達が固まっているうちに、この状況を何とかしなくちゃならない。
「アシュリー様! 起きてくださいっ、助けてくださいっ!」
「んん…、まあ、エリー!」
「まさか、本当にアシュリーか」
アシュリー嬢は、やっとはっきり目を覚ましたらしい。ごそごそと音がして、今度ははっきりとした口調でアシュリー嬢の声がした。
「お兄様、エリーを放してください! 大体、深夜のレディの部屋に無断で入るなんて、男性として最低ですわ!」
アシュリー嬢のセリフに、そうだそうだ、と言ってやりたい衝動にかられた。しかし、お兄さんの方は私をかばうようなことを言うアシュリー嬢がショックだったらしく、私を押さえる手にギリッと力が入った。本当に痛いので、もう勘弁してください。正直、痛すぎて涙が出そうです。
「なんてことだ、ここまでアシュリーを惑わすなんて。やはりこいつは悪魔だ!」
「惑わされているのはお兄様の方です。エリーにそんな力があるなら、なぜお兄様達を誘惑しないのです? その方がよっぽど簡単なのに」
アシュリー嬢が確信を突いた。確かにその通りだ。それに、魔法のようなものが使えるなら、髪も目も色を変えてしまえばいい。それができないから、こんな状態になっているのだけど。魔力的なものでどうこうもできないし、ご覧の通り力ではかなわないのだし、もう放してくれないだろうか。
「それは、すぐにはできない、とか」
「呆れた。時間をかけたら誰だって相手を説得くらいしますわ」
アシュリー嬢に反論できないお兄さんは、ついにゆっくりと私の腕をはなす。と同時に、ふっと部屋の中にランプの明かりが広がった。さっきまで真っ暗でわからなかったけど、私を押さえていたのはエドワードさんだったようだ。なんともいえない表情で、こっちを見下ろしている。
「アシュリーは賢いね。確かにその通りだ」
「ありがとうございます。わかってくださったようで何よりですわ」
アシュリー嬢が笑顔を向けた先には、ランプと注射器を持ったオースティンさんが立っていた。そして、アシュリー嬢はそれを見て、きゅっと眉間にシワを寄せた。
「オースティンお兄様、その左手の物は何ですか」
「ああ、麻酔薬だよ」
しらっと答えるオースティンさんに、一拍おいてからつかつか歩み寄ったアシュリー嬢は、その手から注射器を払い落とした。
「エリーに何かしたら、私が許しませんわ」
「そうは言ってもね、アシュリー。噂になってしまってるんだよ」
「噂?」
「おい、オースティン」
「もう話しちゃった方が早いよ。エリー、君も聞いておくといい」
急に名前を呼ばれて、私は居ずまいを正した。
「僕らの言葉、分かるんだよね?」
「……すこし」
アシュリー嬢には申し訳ないけど、さっき大声で叫んでしまっている。観念するしかない。
「ちょっと落ち着いて話そう」
そう言って、オースティンさんはにっこり笑った。