兄、来たる
「アシュリーに何をした!」
怒鳴られているのが自分であることに気付くまで、結構な時間がかかった。
なぜって、目の前に突きつけられているものが何かがまずわからなかったし、その何かを突きつける燃えるように赤い髪の男の人が誰か考えるので精一杯だったからだ。
「やめて、エドワードお兄様!」
「なぜだ!お前は騙されているんだぞ、この悪魔に!」
そう言われてハッとした。これがアシュリー嬢のお兄さんで、お兄さんは私が悪魔だと信じているんだ。 多分、私がアシュリー嬢に何かしたせいで、私を家に置かなきゃならなくなった、と思っているんだろう。
まだお兄さんは私の鼻先に何かを突きつけたままで、今にも顔に当たりそうだ。なんかあんまりにも近すぎてなんだかよくわからないので、確かめようと思わず手を伸ばしてしまった。
「エリー、ダメよ!」
「っ!」
アシュリー嬢の悲鳴に驚いて手をひっこめようとしたけど、どうやらお兄さんも驚いたらしい。目の前の何かが右手の人差し指に当たって、ちくりとした。どうやら剣か何かだったらしい。現代っ子の危機感のなさってすごいよね。傷は浅いので、ちょっとむず痒いくらいの感覚しかないが、つーっと血が流れる。
「きゃあああ! エリー! 血、血が!」
「へえ、悪魔の血も赤いんだね」
「オースティンお兄様?!」
「オースティン、何をのんきな!」
慌てふためくアシュリー嬢と赤髪のお兄さんの影から、ひょっこりもう1人男の人が現れた。こちらは対照的に深い青をしている。兄弟でそれぞれ赤、青、黄色なんて、見事に三原色が揃ったものだ。日本じゃ、いや、きっと地球でもあり得ない色分けだ。
にこにこしながらこっちに来る青髪の人は、私に向けられた剣を優雅に反らして、目線を合わせるように腰を少し落とした。その瞳は鮮やかなスカイブルーで、吸い込まれそうにきれいだ。なんだか底知れない感じで怖い。
「君、本当に悪魔なの?」
違う、と言おうとして、口を開けたものの、アシュリー嬢から彼女とマリアン以外の人としゃべっちゃダメ、と言われていたのを思い出して、すぐに閉じる。何となく警戒した方がよさそうな気がしたので、精一杯怖い顔をして、相手を睨み付けた。
「ふーん、言わないつもりか。けど、言葉はわかってるみたいだね?」
やっぱり笑顔で問いかけるその人に、なんだか気味悪さを感じた。絶対、何かよくないことを考えているような気がするのはなんで? ふとアシュリー嬢たちを見やって、覗いたその目に感情の見えないからだと思い至った。いや、見えないというか、理解できない。だって、その人の目はひどく楽しそうだったのだから。
剣を突きつけてきた赤髪のお兄さんの方がよっぽど理解できる。鮮やかな朱色の目には、分かりやすいくらい怒りと警戒が浮かんでいた。正面切って敵意を向けてくれた方が、こっちとしても対応が分かりやすいもの。絶対に歓迎されないと思って構えていたところに、予想と正反対のリアクションをされたらどうしたって警戒してしまう。
「手当て、させてくれるね?」
ゆっくりと私の手をとって、更に笑みを深くする様子に、どうしてか背筋が凍った。
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結局、アシュリー嬢の監督のもと、私の人差し指を治療したお兄さん達は、用がすむとさっさと部屋を追い出された。
「アシュリー様、いいんですか?」
「いいのよ。私の大事な友達に剣を向けたり、怪我をさせるなんて絶対に許さない」
アシュリー嬢が私を友達と認識してくれているなんて初めて知った。なんだかすごく嬉しいものなんだなあ、とちょっと感動した。たとえ、始めの出会いが普通でなかったとしても。
ちなみに、私に剣を向けたのが上のお兄さんのエドワードさん、治療をしてくれたのが下の兄のオースティンさんだそうだ。
アシュリー嬢は主にエドワードさんについて怒っているけど、どちらかと言うとオースティンさんの方が私には怖かった。直接的に出ていけ、と言われるんでもなく、こちらを見てずっとニコニコしているなんて不気味すぎる。
「やっぱり、私がここにいること、反対されましたか」
「ええ。エドワードお兄様なんて、エリーが悪魔だと信じきってるのよ? あり得ないでしょう?」
どうやら、アシュリー嬢がマリアンと確認した、と言っても信じてくれなかったのだそうだ。いや、どう確認したかまでは言ってないと信じたい。なんせ、身ぐるみ剥がして頭やら背中やらお尻やら、触りまくったからね、この子達。悪魔には角と羽としっぽがあるんだそうで、隠してないかみたかったんだってさ。言葉がいまいちわかっていなかった私には、恐怖でしかなかったけれどね。異世界の女の子って怖い!と思ったわ。
「とにかく、お兄様達はエリーを研究所にやろうとしてるのよ」
「それって、確か入ったら外に出られないっていう?」
「ええ。エリーだって嫌でしょう?」
アシュリー嬢に言われて、こくこくと無言で頷く。だって、そんなとこに行ったら、確実に研究対象でしょう? 自分のことを色々調べられるなんて、絶対嫌だ。私はそれなりに平和な生活ができたらそれでいいのに、そうなったら平和な生活なんてきっと無理に決まっている。
「もしかすると、今夜辺り仕掛けてくるかもしれないわ」
「仕掛ける、ってそんなこと」
「いいえ! あの二人はエリーが眠っているうちに連れていくくらいします!」
「そんな、無茶な」
いくらなんでもそんな非常識なと思ったけれど、私の常識はあまり通用しないことは身をもって知ってるし、アシュリー嬢の力説っぷりもあって、反論できない。
「いいこと、エリー。向こうがそのつもりなら、こちらも対応を考えるべきです」
「なにをするんです?」
「耳を貸して頂戴」
にっこりと笑顔で言うアシュリー嬢に、そっと耳を寄せると、ずいぶん大胆で、それでいてよく考えるとあまり捻りのない作戦を耳打ちされた。