お嬢様と私
「エリー、ちょっといらっしゃい」
名前を呼ばれて、花のような笑顔を向ける少女の前にひざまずく。
「もうっ、そんな風にしないでって何度言えば分かってくれるの?」
「アシュリー様は、お嬢様ですから」
「あなたはここの人間じゃないから気にしなくていいの!」
私が困った顔をして見せると、不服そうにほおをふくらませる。かわいい人はどんな表情でもかわいいなあ、と微笑ましく思った。
見世物小屋で数ヵ月を過ごした後、私はアシュリー・フランドルというご令嬢に引き取られた。いや、引き取られたと言うより、買い取られた、の方が正しいかもしれない。
はじめのうちは、正体を確める、とかいって、変なお茶を飲まされたり、謎の杖で叩かれたり、お風呂に乱入されたりしたけど、アシュリー嬢には見世物小屋よりはるかに人らしい扱いをしてもらえたのは事実だ。時々、きせかえ人形にされるのくらいなんてことない。そこで言葉を覚え、この世界の事を学び、なんとか周りとコミュニケーションを取れるようになった。本当は吉村恵梨香と言う名前の私は、エリーという名でアシュリー嬢の側にいることになった。
「ねえ、今日はどんなお話をしてくれるの?」
「じゃあ、ちょっと長いお話を。月から来たお姫様のお話です」
「まあ素敵!」
私がうっすらとこの世界の言葉を理解していることを知ったアシュリー嬢は、こんな風に私に自分の世界の物語を語らせては、面白そうにそれを聞く。でも、文化の違いとか、時々わからないことがあるらしくて、そういうときは質問してくる。そんな風にして半年もたてば、たいぶ言葉もわかってきた。英語はいくらやっても話せなかったのが、嘘みたい。必要に迫られるってすごいわ。
そんなこんなで、分かったことがいくつかある。
まず、私のいかにも日本人な黒目黒髪は、この世界では人としてあり得ない配色であるということだ。
普通、髪の色と目の色は近い系統の色ちがい、例えば、アシュリー嬢のように、金髪にブラウンの瞳、または、彼女の侍女のマリアンのような、赤毛にエメラルドの瞳といった、反対色しかありえない。
そんなところに私みたいなやつが現れたらどうなるか。
得体の知れない人型の生き物、と奇異の目で見られるのも当然というわけだ。実際、私は悪魔の娘という触れ込みで展示されていたそうだ。どの世も黒は悪いものの象徴らしい。まあ、おかげで体を売らずにすんだのだけど。
ところで、なぜそんな私をアシュリー嬢が引き取ったかといえば、なんのことはない、ただ彼女が呪術や悪魔というものが大好きだから。
だから、私になんの力もないとわかった時のアシュリー嬢の落胆は相当なもので、私は何も悪くないのに申し訳なく思ったほどだ。ただ、その直後に、私が異世界から来たと知って、彼女のテンションは一気にはね上がった。むしろ私が悪魔だと思っていたときよりも更に興奮していた。
彼女の話では、異世界からの来訪者、この世界ではフォルダーと呼ぶらしいけど、フォルダーは、何十年に一度しか現れない、ものすごくレアな存在なのだそうだ。しかも、現れたとわかると、すぐに国の研究機関に引き取られ、死ぬまでその中なので、普通の人は見ることもかなわないのだという。
結局、一生モルモットが嫌だった私と、不思議なものが大好きなアシュリーの利害が一致して、私は今、ここにいる。私達は共犯者のようなものなのだ。
****
アシュリー嬢は、貴族であるフランドル家の長女で、三兄弟の末っ子。今年で14歳になる。上のお兄さんは王城付の騎士団に、下のお兄さんはお医者様で、研究所にお勤めだ。3人のご両親は既に亡くなっていて、家督は上のお兄さんが継いでいるそうだ。けれど、フランドルのお屋敷にいるのは、アシュリー嬢だけで、お兄さんたちはずっと王城にいる。そのお兄さん達が帰ってくるらしい。
「どうせ、またお説教を始めるに決まっているわ」
「心配されているんでしょう?」
「お兄様たちが心配なのは、私ではなくて、家の対面よ」
今日はお茶を飲みながら、アシュリー嬢の話を聞く。この世界の文化は、中世から近代のころのヨーロッパに近いらしく、身分による権利や職業がはっきりしているものの、一定のルールを守りさえすれば比較的自由らしい。ただ、フランドル家は歴史が長い、由緒ある家系だそうで、昔ながらのしきたりなんかには厳しいそうだ。
つまり、アシュリー嬢のご趣味は貴族のご令嬢として相応しくない、ということになるのだけど、会うたびにそれを色々言われるのが嫌だと言うわけ。でも、お兄さん達のことは大好きだし、会えるのは嬉しいようで、複雑みたいだ。
「アシュリー様、お兄様方がお帰りです」
ノックのあと、ドアの向こうからマリアンの声がした。
「わかりましたわ。今いきます。エリー、悪いけど、部屋にいてね?」
「大丈夫です。行ってらっしゃい」
ため息混じりに言うアシュリー嬢に笑顔で返すと、彼女は安心したように笑って部屋を出ていった。
私がフランドルのお屋敷に来てから多分半年くらいになるけれど、アシュリー嬢のお兄さん達が帰ってくるのは初めてだ。仕事が忙しいから、と言う理由らしいけど、それにしたってもうちょっと頻繁に帰ってきてもいいと思う。心配だからと口出しだけされて、顔も見せないんじゃあ、反発したくもなるだろう。
「お兄さんか」
アシュリー嬢の部屋に1人残された私は、思わず呟いた。
私にも兄弟がいる。3つ上の兄と2つ下の妹。2人とも私が居なくなってどう思ったかな。私はきっと、もとの世界に戻れない。そんな予感がする。
なぜなら、向こうでの最後の記憶が、目の前に迫るトラックと、体が宙に浮く感覚だから。きっとあれは助からない。私は多分、向こうで死んでここに来たんだと思う。
こっちに来てしばらくは混乱で思い出せなかったのだけど、自分の置かれている状況を飲み込めたら、急に思い出してしまったのだ。
気付いたときはかなりショックだったけど、でもとにかくこの世界で生きるためにどうにかしなきゃってそればっかりだった。そしたら、あんまり考えなくなっていたのだ。だって私は戻れないんだから。
「なんだろう」
感傷に浸っていたら、なんだかドアの外が騒がしい。アシュリー嬢やマリアンの声と一緒に聞こえる男の人の声はもしかしてお兄さんだろうか。
興奮したような声と足音は、どんどん近づいてくる。
あれ、もしかして私、隠れたりした方がいいかな、と思った瞬間、バァン!、と勢いよくドアが開いた。