キジトラ探偵『琥閻』―夏バテにはご用心!
どこからか蝉の声が鳴り響き、真上に登った太陽は問答無用に熱を投げかけてくる。なんとか光から逃れたいものだが、このコンクリートの道には男一人が涼める程大きな影はなく。恨めしげに見上げた空は嫌になってくる程、真っ青に澄み渡っていた。これでは雲が日差しを和らげるよりも、蒸し暑い風が吹くことを願っていた方がよさそうだ。
しかし、暑い。どうしようもなく、暑い。噴きだす汗で服や髪は肌に張りつき、喉が渇いた時特有の違和感もただ鬱陶しいだけに思えてきた。あと、もう少しなのだ。もう少しで目的地である市立図書館には着くというのに――一際強い目眩を感じたと思った瞬間、俺の体は鉄板か如く熱せられたコンクリートにうつ伏せで横たわっていた。昼時のせいか、それとも俺に運がないのか、近くに人の気配はない。なんとか立ち上がろうと努力はしてみるものも、重い疲労感にのしかかられた体は動いてくれそうにはなかった。倒れる時に咄嗟に前に出した手が、痛い。
やはり、体調が万全でないのに真昼間から外出するのは無謀だったようだ。急がば回れとはよく言ったものである。このままで数時間か経てば、俺は熱中症か何かしらで死ぬかもしれない。だが、こんなことを考えるのは思考能力が低下しきっているせいかもしれないが、その方がまだマシな気もする。少なくとも得体の知れない何かに取り殺されるよりは、楽に逝けそうじゃないか――
「おいおい、そこの兄ちゃんや。夢を抱いて全力で少年漫画してていい年頃だっつーのに、若くして死んじまうことに納得しきっちまってどうすんだよ。人生はgoodよりもbetter、さらに上行ってbest、まだまだ行くぜmost、これで終わりだmore and more――ってこれは根本的な意味が違ってんか――まぁ、兎にも角にもハッピーエンドであるべきじゃん? 少なくとも、この状態から『こうして僕は死にました(笑)』なんて情けねぇにも程があるって。ここから神様の手違いでしたごめんね、テヘッ☆な展開が起こるはずもねぇし。ほら、とっとと起きろってんだい」
ふと耳に届いたのは、何の変哲も無い俺と同世代くらいの青年の声だった。お調子者のような口調な上に、実際に発言内容が個性的すぎるが。ぼんやりとした意識の中、なんとか目線を声の方へ泳がすと――そこには濃い茶毛に黒縞が入った、俗に言うキジトラ模様の猫が前足を揃えて座っていた。首輪はないが野良にしてはやけに毛並みがよく、その瞳はガラス玉を連想させるような澄んだ水色をしている。
もしかして、この猫が喋ったのだろうか? 幾ら頭痛が酷いとは言え、なんて酷い幻聴と幻覚だ。
「おいおいおいおい! ちょっと待ってくれよぉ。オレが幻覚アァンドゥ幻聴たぁ言ってくれるじゃねぇか。オレみたいなクールでイケててファニーロッカーな猫、HPが一桁しかなさそうな人間が想像出来るもんじゃねぇぜ? 健康な人間とか他の生物なら想像できんのか、っていうツッコミはなしで」
猫はしっかりと口を動かして言葉を紡ぐと、悪戯っぽく目を細めて見せた。もし、この言葉が正しいければ、目前の猫は人間の言葉を喋れる上に心まで読めるということになる。現実的でないのにも程があ――
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目を開いた俺の視界に飛び込んできたのは、青々と茂った葉と先程と変わらない青い空だった。背中には硬くて平らなものが当たってる感触があり、蝉の声は相も変わらずというよりかは近くなったような気がする。どうやら、俺は木陰にあるベンチに寝かせられていたようだ。不思議なことに意識はこれ以上ないくらいハッキリとしており、上半身も難なく起こすことが出来た。頭痛や目眩、その他諸々の症状も消えている。その代わりと言うべきか掌はやけに痛み、見ると擦り剥けた皮があった場所から血が滲んでいた。手をついたのがコンクリートだったため不恰好なことになってはいるが、ゴミなどはついていない。誰かが洗ってくれたのだろうか。
「やっと目覚めたか、勇者よ。さぁ、今こそ神剣パブロ、ディエーゴ、ホセ、フランシスコ・デ・パウラ、ホアン・ネポムセーノ、マリーア・デ・ロス・レメディオス、クリスピーン、クリスピアーノ、デ・ラ・サンティシマ・トリニダード、ルイス・イ・ピカソを手に取り、魔王ジンミン・セーンセンを倒す旅に向かうんだぜ!」
そんなことを言いつつ、俺に歩み寄ってきたのは気絶する寸前に会ったあの猫だった。尻尾を楽しげに揺らす姿は、一見すれば普通の猫そのものである。冷静になって――というよりかは、一旦日本語を猫を無視して――改めて辺りを見回してみるが、ブランコやすべり台なんかの何処の公園にもあるアスレチックや古びたトイレがあるだけで人の姿は見えない。しかし、それでは可笑しい。俺はたしかに道路に倒れこんだのだ、猫一匹で俺をここまで運んでくることなど――
「不可能、とでも言いたいのかい? 生憎だが兄ちゃん、それは偏見っつーもんやで。まっ、オレみたいなウルトラスーパーファンタスティックな超凄腕ベテラン名猫探偵にかかれば不可能も可能になっちまう云々は否定しねぇけど」
冗談めかしてナルシスト染みた発言をする、というのは人間のお調子者に見られる行動であるがどうやら猫も同じようである。しかも、この猫にはどういう訳か探偵という職業まであるらしい。人間の言葉を話していることよりかは驚きが少ない事実ではあるが、尾も分かれていない普通のキジトラ猫が自称とは言え優秀な探偵とは些か意外だ。
「おおっと、そりゃあ聞き捨てならない発言だぜ。人も猫もルックスが全て! なんて単純明快かつ複雑怪奇な理論、虫食いがありすぎてシロアリすら寄ってこなさそうだ。現に、普通な猫(仮)なオレっちがアンタの頭痛目眩吐気その他モロヘイヤもとい諸々を解消させてやったわけだし。もっとも、その掌の傷みてぇな物理的なもんは専門外だから勘弁な」
猫はそこまで話した後、「どっこいしょーりんじけんぽー」等と言いつつ腰というか尻を下ろした。この話が真実だとすると、俺は自分が知らない内にこの猫に多大なる恩を作っていたことになる。と言うにも、あの体調不良はつい先程起こったものではなく、数週間前から蓄積され始めたものだったのだ。医者に行ったところで原因は不明という怪談などのお約束も経験し、頼りになるかもしれない両親は福引きで旅行券を手に入れ夫婦水入らずで旅行中、最終手段のパソコンも現在修理に出していて、こうなったら図書館で書物を漁るしかないと善は急げ精神で向かったものも道路で行き倒れ――よく考えれば、この頃ろくなことがない。
「で、アンタこれからどうすんつもりよぉ? ここで会ったのも何かの縁、殺人事件もしくは浮気調査なんかの人間達のキャードロドロパラダイスは生理的に無理だけど、妖怪もしくは幽霊なんかの人外達のヒュードロドロパラダイスなら任せんしゃいなオレに一つ賭けてみるっても一つの手ではあるぜ? 別に『いや猫さんが勝手に首突っ込んできただけだし、自分は帰らせて頂きます。てか帰らせろ、この見事なブラウンマッカレルタビーがぁぁぁぁぁ!』な返答でも構わないけどさ。オレは化けて出たりしなければ、猫集会で陰口を叩いたりもしない善良なる一般市民だから、そこら辺は安心してもらっていいし」
牙が露になるくらい大きな欠伸をしながら、自称探偵は俺に尋ねてきた。相手がわざわざ強調して人外関係専門の探偵と名乗っているということは、やはり俺の身に起こっていることは普通の事でないのだろう。ならば、それに精通している人間、もとい猫に縋った方が利口ではある。だが、二つ返事で話に乗ってしまうわけにはいかない。この猫はあくまで『探偵』なのだから、仕事を頼むには何かしらの報酬が必要になってくるに違いない。
「ブッブー、大正解。オレの場合、某幽霊族の末裔で元は墓場な二つ名だったのとは違ってボランティアじゃなくてビジネスでやってんからな。せっかく猫として生活送ってんだ。こんな暑苦しい中タダ働きするくらいなら、猫らしく昼寝を優先していきたいもんだぜー」
その理屈には納得するとして、早く肝心の報酬について話して欲しいところだが。
「わりぃわりぃ。オレ、アンタみたいに有名RPGの主人公が如く黙っていられねぇ性質の持ち主でさ。さらに正確に言うならば、鏡の国のヒナギクみてぇにペチャクチャ喋ってる方が好みやな。鼻を摘まれるのも勘弁したいし。で、唐突な感じに肝心の報酬の話になんけど、今現在の支払い方法は食い物オンリーだぜ。どんな食い物かは基本的にオレの気分と体調と好みと事情と偏見と気まぐれなんかで決めてるが、一応ニボシ一本から引き受けてんな。ほら、野良猫やってる身にとっては好きなもんを好きな時に食えるって結構贅沢じゃん?」
長い尻尾を大きく振りつつ、猫は同意を求めるように言った。人間ではない猫だからこその答えとも思えなくないが、さすがに事件の難易度などを考慮しないのはどうなんだろうか。
「よく考えてもみてくれよ。いくら『産地直送の超高級天然鰻を使った蒲焼です、この度のお礼として受け取って下さい!』なんて言われても、鰻よりも肉だ梅干だシュールストレミングだっ! って気分の時だったら、ちょっと遠慮したいだろ? つまり、そう言うことさ。まぁ、どっちにせよ人間基準で無理なものは要求しねぇから、そう神経質にならなくてもいいぜ」
たしかに俺が猫の立場だったとして、肉なんかのボリュームがあるものを食べたい時に超高級メロンが来ても喜ぶより先に少しガッカリするだろう。もっとも俺の場合は、あくまで少しだけガッカリするのであって嬉しいことには違いないのだが。
ほら説明もしてやったんだから早くどっちか決めてくれ、とばかりに顔を洗い出した猫を見ながら、俺は今回の件を取り敢えずは目前の探偵に依頼することに決めた。このままあれやこれやと悩む内に愛想をつかされ、結果的に成す術もなく死んでいってしまったという展開はごめんである。さらに言えば、ここまで色々と話したりしてくれたのに、それを無下にしてしまうのはどことなく気が引ける。
「ようやく腹を括ってくれたみてぇだなぁ。まっ、依頼されたからにはこのオレっちに頼ったことを孫の代まで最良だったと思わせてやるつもりだから、よろしくなんだぜ。さてと、探偵と依頼人っつー親密な仲になったからにはお待ちかねの自己紹介タァイムと行きまっか」
猫はせっせと動かしていた手を止める。言葉ぶりだけで評価するならば、この猫は受けた仕事には全力で向き合う、俗に言う職人肌の持ち主らしい。そんな言葉を知ってか知らずか、猫は再び前足をピシッと揃えると思わせぶりな咳払い――と言っても、ただ「ごほん」と言っただけだが――をして、畏まったように言葉を続けた。
「知らざぁ言って聞かせやしょう。浜の真砂と五右衛門が、歌に残せし盗人の――みてぇな前置きは堅苦しい上に面倒だからやめといて、オレは琥珀の琥に閻魔の閻で琥閻っつーんだ。ここ、テストには出ねぇけど大事だからよく覚えとけよ。……あっ、そうだそうだ。こっちが名乗ったからにはアンタも名乗ってくれよ? モチのロンドンで、言葉に出してな」
「俺は亀鶴 進太郎だ」
「じゃっ、アンタのことはこれからは進ちゃんとでも呼ばせてもらうぜ。オレっちのことも何とでも呼んでくれて構わねぇから。それこそ、探偵だろうがだろうが水色眼の茶黒猫だろうがどーんと来い、なんつってな」
猫、もとい琥閻はそう言い切ると公園の入り口までのんびりと歩いていく。一体、何をするつもりなのだろうか。
「何って、さっそく進ちゃんのお宅に訪問しに行くに決まってんじゃん。本当の熱中症で倒れられたらオレには手の施しようがないしぃ。詳しい話は歩きながら聞くから、な」
茶目っ気を前面に出してウインクしてみせる琥閻。些か図々しすぎるような気もするが今は両親も居ないし、言葉が通じる猫の一匹くらい家に上げても大丈夫だろう。それに木陰と言えど、暑いことには変わりない。俺は立ち上がると琥閻の後を追いかけた。
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歩道には相変わらず自分以外の人間の姿はなく、時たま真横の車道を車が通ることがある程度だった。この暑さのせいか、電線を見上げても鳥の一匹も居ない。こんな日にあの体調で外出した自分は余程の命知らずに違いない、と今頃思った。もっとも、俺の隣りを歩く琥閻はそんな茹だるような暑さを物ともしてないようで「こんなところに高温鉄板罠もといコンクリートを仕掛けるなんて、肉球愛用者のオレから言わせるとどうかしてるぜ」と、天然の防寒着という名の毛皮があるにも関わらず公園でのテンションのまま話し続け、やがて「じゃっ、しばらく黙っててやるから、その間に事件報告について考えてくれ靖国神社」と言い残して口を閉じた。気遣いはありがたいのだが、事件報告と言われても何から話したものか。単刀直入に事件概要から入ればいいのか、それとも自分の詳細情報から?
「まぁ、事件報告なんてしたことねぇだろうから悩むのも無理はないか。詳しい話っつったって、そんな難しく考えなくてもいいんだぜ? それこそ誰かに怖い話をするみたいに実体験だけ語ってくれれば十分だし、事件報告に感情とか主観とか言葉遊びは必要ないザマス! って言うような鬼畜ルールもねぇべ。言葉足らず云々にも、オレのスーパー状況把握術っつー超親切設計な読心術で対応できるから安心な」
琥閻はこちらを見上げると、そう助言をしてくる。どうやら凄腕を自称する探偵だけあって、こう言った仕事に関係する面の気配りは上手いようだ。俺はこの度の事の発端を思い返してみた。
あれは「俺も夏休みだし、もう高校生だから」と両親を説得し、久々の夫婦水入らずの旅行に送り出して二日経った夜だっただろうか。二階にある自室でクーラーを点けたまま寝ていた俺はふいに目を覚ました。ぼんやりと視線だけ動かして壁にかかった時計を見ると、針は三時ちょっと過ぎを指している。一応言っておくが、俺は早朝まで起きといて真昼間には寝ているような不健康な生活は送っていない。さっさと寝直そうとしたのだが、どういうわけか寝返りを打とうとしても体が全く動かなくなっていた。これが金縛りというものなのだろうか。初めての事に驚きつつも何とかしようと悪戦苦闘していると、何かは分からないが小さな音が聞こえてきた。
「クーラーに関してはオレは『こんの軟弱者がぁぁぁぁぁ!』とか言う年寄り系キャラじゃねぇから説教はしねぇとして、そいつぁ怖い話として考えるとなかなかのベタさ加減だな。で、その続きは?」
体験した自分が言うのも難だが、それからも怖い話でいう王道な展開だ。音はだんだん大きさを増していき、ある段階まで到達すると音から声に変わっていた。どんな感じの声かは上手く思い出せないが、『助けて』だとか『暗い、怖い、苦しい』だとか『ここから出して』だとかそんなことを言っていた気がする。その後いつのまにか俺は気を失っていたようで、再び目覚めた時にはカーテンから光が差し込んでいた。
「それ以来、何故か体調は日に日に悪くなっていくわ、毎晩そんな事が続くわでほとほと困り果ててる――ってことでオーケー? オレが事件報告で聞きたかったんのは、ホラー番組とかで言う怪奇現象を進ちゃん目線で見た時の情景だからな。これ以上は喋んなくても別にいいってことを報告してみたって感じ。もっとも、進ちゃんがもっと話をしたいっつーんなら、無料サービスの一環として聞いてやるぜ! オレは話し上手で聞き上手な完全無欠な超高性能探偵でもあるかんな」
「いや、別にいい。家はここを曲がれば直ぐだしな」
「あ、あの進ちゃんが自分から喋った……だと……!? なんて寝耳に水っぽい口調で言うのは冗談として、それなら大丈ブイだな。よっしゃ、あの夕日もとい進ちゃんの家まで競争だっ!」
ノリノリで勢いよく走り出した琥閻が、その後「直ぐって自分で言ったんだし、どうせなら乗ってくれてもいいじゃんかよぉ」と不機嫌そうな足取りで帰ってきたのはある意味言うまでもないか。
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俺の家はなんの変哲もない、何処にでもありそうな二階建て一軒家だ。車が一台停められる程度の駐車スペースと、物干し台と小さな花壇があるこじんまりとした庭もちゃんとある。琥閻は俺に持ってくるように指示した濡れタオル――探偵と言えど野良猫であることに違いはない、ということは本人もとい本猫が一番よく分かっているようだ――で足の裏を拭くと、ふいにとある方向を見上げた。
「今回の事件現場は間違いなくあそこだな。残された痕跡から考えるに、犯人が最後にここを利用したのは今日の丑三つ時辺りか。『依頼人兼被害者の目撃証言ともバッチリ一致しますね! さすが琥閻さん!』はは、まだ事件を解決してねぇっつーのにそんなに褒めるなよ。こんだけ力の形跡を強く感じるんだ、こういうことに精通してる奴なら誰にでも分か――なんて一人芝居するのもやってて悲しくなってくんし、とっとと行こうぜ。今までの情報から推理するに、あそこ進ちゃんの部屋だろ?」
琥閻は裏声での一人二役をやり終えると、フローリングの床の上を足音一つ立てず歩き始めた。たしかにその目線の先に俺の部屋があるから、さすが人外専門の探偵と言ったところだろうか。タオルを一先ず靴箱の上に畳んで置いておくと、俺もその後を歩いて追った。猫と人間の歩幅の違いは大きいのである。
「おっ、ここが進ちゃんのプライベートルームだな。なんか隠したいもんとかあるなら、数十分くらい外で待ってやってもいいぜぇ? 捜査の時もベッドの下に潜っちゃったりとかはしねぇから、そこら辺は心配無用だし。探偵っつーのは依頼人のプライバシーとか人権とかプライドとかを第一に考えなくちゃならねぇかんな。オレっちはどこかの誰かさんとは違って、体も頭脳もパーフェクトに大人なのさ!」
自室の真ん前に来て早々の一言であった。その心配りには好印象を抱くが、生憎俺の部屋に見られて恥ずかしいものはない。
「ばりっばりに思春期をエンジョイしてる年頃なのにか? 全く近頃の若いもんはこうだから――って、昔はオレもそーいうスカしたようなガキだったから言えたもんじゃねぇか。じゃっ、兎にも角にも遠慮なく入らせて頂くぜ」
よくテレビなどでドアノブに飛び掛って自分で扉を開けてしまう猫がいるが、この自称探偵は一味違うようだ。と言うにも、琥閻がそんなことを言いながら前足で扉を触った途端、何も触れていないのにドアノブが音を立てて回り、さらには扉までもが自分から動き出したのである。琥閻は人が裕に通れるほど開いた扉を見て満足そうに尻尾を振ると、こちらを振り向いた。
「どうだ、すげぇだろ? 探偵なるもの、無駄のない動作で、無駄のない捜査をし、無駄のない推理で事件を解決するべし! ってな。あっ、それと猫が襖の開け閉めを出来るようになったら猫又になる兆候どーのこーのなんていう話もあるから、閉める作業は進ちゃんに任せんぜ。オレ、まだ尻尾を二本にする気はねぇからさ」
楽しげに目を細め自慢するその姿に違和感を全く抱いていない俺は余程適応能力が優れているのか、それとも単に変わり者なだけなのか。机とベッドと本棚と……変わったものは何一つない平々凡々すぎる部屋を見回す琥閻を尻目に、程々に整理された机の上に置かれたエアコンのリモコン――何故か「エアーコンディショナーのリモートコントローラーって言うと、なんとなくカッコいいよな!」と横槍が入ってきた――を手に取り、いつも通り冷房を入れた。
「ほぅ、この音は風鈴かいな。しかも、音色からしてそこらのスーパーマーケットゥで売ってるような安物じゃねぇと見た。ちなみにこの推理が間違ってても、オレはどこぞやの神話のナゾナゾ好きみたいに『恥ずかしい! 死ぬ!』とか言い出すタチじゃねぇから気遣いは無用なんだぜ!」
耳をピクピク動かながら、琥閻は言った。たしかに窓際でエアコンの風を受けて鳴っているのは、美しい装飾のなされたガラス製の風鈴だった。これは母親が俺へのお土産として買ってきたもので、何でもその道の人が手作りした一品らしい。風鈴などに対して興味があるわけではなかったが、買ってきてくれたからには使わなくては悪いと思い現在の光景に至る。室内に飾るに留まっているのは、近頃は風鈴による騒音問題からご近所トラブルに発展するケースがあると聞いたからであり、決して恥ずかしいだとかそう言う理由ではない。琥閻はしばらく風鈴の音を静かになって聞いていたが、やがて尻尾を大きく振る。
「進ちゃんや。全ての謎はこの一世紀に一人居るか居ないかの天才、史上最高の探偵琥閻様の名の元に今解決したぜ! さて、後は犯人の居場所をオレっちが『狙った犯人は逃がさないことに定評がある究極猫』という二つ名で呼ばれる由縁である空前絶後で前代未聞で奇々怪々な能力でサクサクっと特定するだけだな。ついでに言えば、オレには今教えたカッコいい二つ名があると思ってたけど、実はそんなことなかったぜ!」
急展開すぎて着いていけない俺に、詳しく推理を聞かせてもらいたいのだが。
「おっと、そう言やぁ自分の推理を大っぴらに話すのも探偵の仕事だったっけ。フィクションな探偵方と違ってカッコつけた真似が苦手なもんで、すっかり忘れてたぜ。……まっ、最初に結論を簡潔に言っておくと今回の事件は『偶然の一致による音信事故』っつーところだな」
「事故?」
「YES! 誰がなんと言おうと、今回のは事故決定だぜ。なんたって、進ちゃんを苦しめた声の主は本当に助けを求めてただけなんだからな。決して『冥土の土産もとい自分への慰めに顔も知らない他人のお前もレッツゴートゥーアノヨー』なわけじゃねぇ」
怪訝そうに尋ねる俺に琥閻は返答だけすると、突然ベッドから机に、机からカーテンレールに飛び移った。まさに目にも止まらぬ早業と言ったところだろうか。いきなり猫の野生的な一面を見せてきた琥閻は風鈴が吊るしてある場所まで悠々と歩いていくと、こう話を続けた。
「じゃっ、さっそく今回の事件の種明かし(仮)と行くぜ。一回しか言わねぇつもりだから、よぉく聞いといてくれよ? 声が空気の振動で聞こえてるってことは進ちゃんも知っていると思うが、実は人間とは違う奴らの声もそれとソックリな原理を持ってるわけよ。ただ、震わすのが空気と違う概念――よし、ここでは分かりやすく仮に『鬼が羽毛で苦しむような概念』略して鬼羽苦と呼ぼう――なだけでな。普通の人間に幽霊なんかの人外の声が聞こえないのは、鬼羽苦の振動を感知できる能力がないからってこと。同時に言えば、人間が人外の声を認識できる状況は限られてくるってわけさ」
そこまで言うと琥閻はこちらをただただ見つめてきた。この流れから察するに、その状況としてはどんなパターンがあるか問い掛けてきているのだろう。前提が一般人からしたらトンデモ理論なだけあって、難しいにも程がある問いだが……その鬼羽苦とやらの振動を空気の振動に変換した場合、とかだろうか?
「まさかの花丸を付けたくなるくらいの大正解だとぉ……!? さすがここまで三回しか言葉を発してない男だぜぇ……! って言うのは置いといて、今回の声の原因はまさにそれがここで起こっちまったからなのさ。正確に言えば、人外である相手の声の振動数と土産物の風鈴の振動数が天文的確立でマッチング、かつ相手の誰かに自分の助けを聞いて欲しいという思いが強すぎたりその他諸々の要因が重なった結果、鬼羽苦の振動が空気の振動に変化して進ちゃんの耳に届いたって寸法さ」
今までの話を自分なりに纏めてみると、『誰でもいいから助けて欲しい』という強い願いが風鈴を通して偶然にも俺に届いた、ということになるのだろうか。
「おっ、進ちゃん意外と鋭い上に物分かりがいい『物分どい』って奴だったんだな。ちなみに悩みの種だった頭痛とか目眩とかその他諸々な症状は、相手側の不安や恐怖なんかの負の感情ってやつが振動を通して伝わってきちまったのが原因だろうぜ。健気に母親が買ってきてくれた風鈴を飾ったりしてるとこからして、進ちゃんって相手の思いをしっかりと受け取るタチっぽいかんな。負の感情を無意識の内に受け止めちまった、っつーところか」
琥閻はカーテンレールの上にも関わらず、後ろ足で耳の裏を掻きながら推理というか説明を締めくくった。言われてみると、たしかにそんな気もしないでもない。
「さてと、推理も披露してみせたところで声の発信源でも特定すっかな。中国ではその名の漢字はペリカンを表す暗色の羽毛を持ちし鳥と、モンゴルや中央アジアの遊牧民の間ではその名が力ある者の象徴として人名に用いられる比較的小さい鳥よ! 今汝らの名の力を使うことを許したまえ! 『有の目高の目』!」
魔法の呪文か何かのように厳かに豆知識を言ってのけると、琥閻は風鈴に向かって前足を勢いよく振り下ろした。と言っても、その振動で風鈴が揺れたりはしなかったから、多分当たる寸前で力を弱めたりしたのだろう。
「ちなみに今のは自分が探してるもんの位置がある程度分かる能力な。有ると高だからある程度、っつー洒落ってやっちゃ。モチのロンゴミアントで、詠唱とかはあってもなくても関係ねぇぜ。あくまでモチベーション的な問題ってなだけで」
「風鈴に触った理由は?」
「特にはないな。しいて言うなら、あれは『有の目高の目』って能力の指名をした後、オレが探してるものと関連がある何かを触ることでなんやかんやな非科学的変化が起こることでようやく発動するからじゃね? ちなみに矛と盾的なツッコミなら受け付けるぜ!」
そんなことを言うと、琥閻はカーテンレールから飛び降りた。着地してすぐ何事もなかったように歩きだし開けたままにしてあった扉から出て行くその様は、さすが猫と言ったところか。俺はその後を追いかけようとしたのが、行動に移るより先に琥閻が扉の後ろから顔だけ出してこちらを見つめた。
「おっとっとぅ、最高最良最善な探偵のオレっちとしたことが言い忘れることだったぜ。一応のことを考えて、その風鈴も持ってきといてくれよ。あと、紫外線が気になる! 日焼け止め塗りたい! なら少しの間だけ大型のネコ科動物が獲物を狙うポーズで待機しててもいいぜい? 大丈夫、例え日焼け止めがオレが苦手とする臭いだったとしても飛び掛ったりはしねぇから。あと、熱中症対策にスポーツドリンクもあるといいかもしんねぇな」
言葉の内容から推測するに、どうやら再び暑い中を歩くことになりそうだ。しかし、俺には何か重要な用事があるわけでもないし、なんやかんやで死にそうになったとは言え、結局それも簡単に治ってしまったのだ。無視しても後ろ髪を引かれるだけだし、相手が助けを求めているのなら一応それに答えておこう――「さっすが進ちゃん。それでこそ、オレが見込んだ男だぜ!」と琥閻が口を挟んできた――と思うのは俺が変わり者だからだろうか? 俺はカーテンレールに吊るされた風鈴を外すと、エアコンの電源を切った。
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琥閻の先導で辿りついたのは、家から数十分くらい歩いたところにある小さな山だった。木が天蓋のように頭上を覆っている為あまり日差しは当たらず、いつも歩いてるコンクリートの上よりは涼しく感じる。昔からある山道は整備が行き届いてるとは言えず、道の真ん中で堂々と存在を示している雑草や腐り落ちた看板などが目に付いた。それでもポツポツと菓子の包装や空のペットボトルと言ったゴミが落ちているのは、一重にあの噂のせいだろうか。
「あっ、それならオレも知ってるぜ。なんたって、ここら一帯を代表する超一流エリート探偵だかんな。噂話なんていうトーシロから見ちゃ実用性がない情報も、しっかりと把握済みよぅ。たしか、『ここには昔○○があったそうな』なんて言うと『イマモ!』って声と共にその○○が具現化する――っと、これは別の妖怪やないかーい!」
一人ノリツッコミという、ある意味難易度が高いことをやってる琥閻を他所に俺はその内容を思い返す。たしか、この山の中腹辺りまで行くと何処からともなく『帰れ』などと言う声が聞こえ、気がついたら山の麓まで降りているのだとか。今までは夏恒例のただの怖い噂だと思っていたのだが、人外専門の探偵がそれを知っているということは――
「やっぱり、進ちゃんには『物分かどい』っつーオレっち特製なカバン語がよく合うな。まっ、だからこそ、風鈴を持ってくるように言ったオレも中々のもんだけどな。それにさ、よく耳を澄ましてみろよ。……さっきまで大音量で鳴ってたバックグラウンドミュージックがなくなってるだろ?」
琥閻はピタリと足を止めると、言った。言われてみれば、さっきまではたしかに鳴いていた蝉の声が一切聞こえない。足音と話し声が消えれば、そこに残るのは沈黙のみだった。明らかに普通ではない、何かが出そうな雰囲気である。そんな中で、俺は視界が徐々に悪くなって行っているのに気付いた。真夏の真昼間にも関わらず、辺りに霧が立ちこみ始めたのだ。最終的には近くに居るはずの琥閻の姿さえ、霧に阻まれ見えなくなってしまった。
『人間どもよ、即刻この場から立ち去るがいい』
「だが断る! なーんてオレが言っちまったら、アンタどうするつもりよぉ? 実際に言うつもりだっていう事実は一旦置いとくとして」
霧の中で、やけに重々しく響く声に琥閻は相変わらずな呑気な口調で答えた。人外専門の探偵だけにこう言った状況になれているのか、それとも単に肝が座ってるだけなのかは分からない。もっとも俺に何かが出来るわけでもないから、ここは探偵の本領発揮を願うしかないのだが。
『……お前らのような人間の都合など知らぬ。即刻立ち去ってもらおうか』
「だが断る2ndってな。まっ、助けを求めてる奴を無駄に待たせておくっつーのも紳士的じゃねぇし、悪いがちょちょいのちょいで終わらせてもらうぜよ。『Equus caballus』や『桜』だとか呼ばれる存在だと思ったら、実はそうじゃなかったんだぜ! 兎にも角にも行くぞ! 『場客を現す』!」
そんな言葉が聞こえるや否や、白いカーテンと言っても過言ではなさそうだった濃霧は瞬く間に姿を消し、代わりに一匹の標準のものより遥かに大きな猪が現れた。頭が辺りの木の枝と同じ高さにある、と言えばその巨体っぷりを分かってもらえると思う。毛は雪のように白く、牙は成人男性の腕よりも太そうである。考えるまでもなく、霧の発生源はこの猪だったのだろう。
だが、目前に居るのはあくまでその猪のみである。ようするに、琥閻の姿がどこにも見えなかったのだ。
「我が術をこうも容易く破るとは……一体、何者だ! 姿を現すがよい!」
「ちょっ、待てよぉ。先に隠れてみせたのはソッチなんだから、コッチにもかくれんぼをやらせてくれたっていいだろ。というか、そうじゃなきゃ現代社会的な平等主義から大きく外れることになんし。ってなわけで――」
大きな頭を振り回し、威嚇するような口調で言ってみせた猪。琥閻の姿は、その真上の位置にあった。どうやら、タイミングを見計らって枝の上から飛び降りたようである。猪は影ですぐに気付き顔をそちらに向けたものも、あの巨体を咄嗟に動かし追撃することは出来なかった。
「――『寝子だまし』!」
琥閻が猪の顔の真ん前で手を打ち合わせるとほぼ同時に猪は動きを止め、やがてゆっくりと地面に体を投げ出した。
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「すまんのぅ。わしとしたことが、主を守ろうとするあまりカッとなってしまった」
「まぁまぁ、そう気にしなくても良いってことで。猪突猛進じゃねぇ猪っつーのも、なんかアレだしさ。それにこっちも時間短縮の為とは言え、問答無用で山神の使いであるアンタを不意打ちで眠らせちまったし」
「つまりはお互い様というやつですかな」
「ブッハッハッハッハ!」だの「ニャハハハハ!」だのと大きな笑い声を交わしつつ、二匹は俺の目前を仲睦ましく歩いていた。順を追って説明すると、あの猪の正体はこの山に祭られている存在の使いであって、とある事故に巻き込まれた主人――琥閻によれば、俺の元に助けを求めてきた声の主と同一人物――を守る為に人間を術で追い返していたそうだ。噂程度にしか存在が知られなかったのもその術の力の為だというから、人外の中でもかなりの実力者に当たりそうである。もっとも、現在の光景から推測するに時折さっきの如く突っ走ってしまうことはあれど、本来は穏やかな気質の持ち主――「おっ、進ちゃんについにスキル観察眼がついたか」と言われた――のようだ。ついでに言えば、先程の『寝子だまし』というのは本猫曰く「あれは手に纏わせた非科学的な力を打ち合わせたことにより生み出された衝撃波で相手を眠らせるという原理の元で成り立ってて、この頃お疲れな奴には特に効果があるんだぜ!」らしい。
「で、ここが例の場所か。こりゃあ、たしかに大変なことになってんな。どんくらい大変かって言うと『明日、日本大陸はこの世から消滅します!』とか突然言われるレベルぅ?」
二匹がピタリと足を止めたその先には、土砂崩れの爪痕が残されていた。崩れ落ちた土にあまり植物が生えていないことからして、この状態になってあまり時間は経っていないようだ。
「実は少し前の暴風雨で地崩れが起き、社が土の中に埋もれてしまったのじゃ。前々から社は放っておかれて荒れ放題、その上でこんなことが起こってしまっては、力が弱まったわしと主人ではどうにも出来んかったのだ」
「なるなる。まっ、ここまで首突っ込んでおいて途中で引き下がるなんてカッコ悪すぎてワライカワセミとかワライフクロウにすら失笑されそうだし、あとはこのオレっちに任せときな! こんなオレの体の三桁倍はありそうなちっぽけな山、一瞬で消し去ってやるぜい!」
琥閻は自信満々と言った感じで、ゆっくりと歩いていく。そして、土砂の前で数回深呼吸――と言っても、「吸って吐いて、吸って吐いて、吐いて吐いて吸う!」などと言っていただけだが――をすると、
「強い者、豪傑の代名詞としてよく用いられる獣よ! 今こそ、荘厳なる声で唸り吠え叫びて神風が如き力を巻き起こすがいい! 唸れ、オレの拳! 『琥衝風裂』!」
土に前足を下ろした。まるで地面をただ踏んだだけのようなその様子からは、到底力を入れているようには見えない。しかし、次の瞬間。前足の下から亀裂が走ったと思ったら、崩れた土がまるで大きな固体か何かのように一粒の砂も崩さず左右に割れた。さらに、その切れ間の間からは古い社が出て来たではないか。これには頼んだ猪も驚いているようで、二本の大きな牙が目立つ口をポカンと開けていた。
「さってと。元の位置に戻してまた社の上に崩れて治しての繰り返しじゃあ、奇抜性も新鮮味も面白度もありゃしねぇかんな。崩れても仕方ないで許せる場所に土を塗り重ねておいて……完成、っと。なんと言うことでしょう、厚い土の層に閉じ込められた社が探偵流劇的ビフォーアフターで以前のような姿を取り戻したではありませんか! って、感じだな」
トラック何十台分はありそうな土の後始末をすると、琥閻は疲労感を全く感じさせない口調で言った。しばらくして、猪も驚きで硬直しきった状態からなんとか立ち直ったようで、
「しかし、まさかこんなにあっさりと問題を解決してしまうとは……余程のお方と心得ますがのう?」
「なに、オレはただのしがない探偵にすぎないでっさ。取り敢えず、今回の教訓はよく喋る猫だって仕事のカリスマなことはある、ってことだな。まっ、能ある鷹は爪を隠すのに対しイエネコ系統はどんな奴でも爪隠せるから、それも当たり前っちゃあ当たり前――」
「白ー! 白猪ー!」
今までの如く喋りたてようとした琥閻を遮ったのは、あどけない感じを残した声だった。見ると、社の前に着物に黒いおかっぱ髪をした小学校低学年くらいの女の子が立っている。こちら、というか猪の方に向かって大きく手を振ってることからして、間違いなく俺の元に聞こえてきた声の主だろう。
「『――』様! よくぞ、ご無事で!」
「白、会いたかった!」
大猪と小さな女の子がお互い歩みあい再会を喜び合ってるその様は異質ではあろうが、それだけの言葉で済ますにはあまりに不躾な何かが感じられた。猪が口にした少女の名前が聞き取れなかったのは――「実は人外によっては名前自体に力が込められてる特別な場合があってだな。そう言うのは色々な理屈的に人間には聞こえねぇ仕様になってんのさ」――ということらしい。
「そう言えば、あのお方がたは一体?」
「人間の方は進太郎殿と言って『――』様の声を聞き届けてここまで足を運んで下さり、もう一方の琥閻殿は社を埋めた土を退かしてくれた次第で」
「そうだったのですか! すいません、多大なる恩を受けた身にも関わらず、感謝の意を示すのが遅れてしまいました……」
ようやく喜びによる興奮が冷めたらしい女の子は、それを聞くと慌てて俺と琥閻の前に出て頭を下げた。幼い容姿をしているにしては、礼儀は下手な大人よりちゃんとしてるようである。
「まぁまぁ、嬢ちゃんがそんな恐縮する必要はねぇさ。オレたちはただアンタの声を聞いて、勝手に助けにきて勝手に行動を起こして勝手に今に至ってるわけだしな。当然さ、日本男児としてはね、って言ったところっつーか。なっ、進ちゃん?」
「たしかにそうだな」
同意を求められそう答えたものも、声が何処から来たのか特定出来たのも、神経質になった猪を傷一つ負わすことなく静められたのも、果ては社の土を綺麗に退かすことが出来たのも、琥閻が居たからこそであって俺は何もしていない。それなのに、こんな偉そうなことを言っていいものだろうか。
「現代っこの進ちゃんだから特別にSFチックな例えをすると、どんなに超高性能なロボットも起動してくれる人が居なきゃ、結局はただの鉄くずに過ぎないんだぜ? 物事には絶対きっかけとなる何かが必要なんだよ。それに進ちゃんはなった訳だから、もっと胸張って自慢するがいいぜ!」
「?」
「なに、こっちの話さ。そう言や嬢ちゃん、結構長いこと太陽にあたらないとこに居たみてぇだけど、何か不調とかあるかい? オレに出来る範囲なら力貸してやるからさ」
琥閻は不思議そうに首を傾げた女の子を誤魔化しつつも、気配りは忘れていないようだった。まぁ、そこまで言われたからには自慢しないにせよ、うじうじ悩むのはやめることにしようか。
その後、俺と琥閻は女の子と猪からあらためてお礼の言葉だけ頂戴すると、長居はせずすぐに山を下りることにした。というにも、「言葉だけでは難ですので」などと言われたところで俺の携帯に電話が来て、両親が今日帰ってくるということだったわけで。人外のお礼の仕方というのも些か気になりはしたものも、帰ってきて早々両親を心配させるわけにはいかなかったのであった。
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帰り道は風が先程より冷たさを少し増したせいか、ほんのりと涼しく感じられた。この時期は日が長いせいか、いまだに辺りは明るい。蝉の声も心なしか小さくなったように思えるから、心の持ち様というのは大事である。
「いやぁ、しっかし良かったな。親御さんが帰ってくる前に色々と問題事をなくすことが出来て。うん、オレに依頼して大正解にも程があるぜ」
俺の一歩前を歩く琥閻は自分の言葉に何度か頷いた。あんなに凄い力を持っているのだから、態度などをもう少し改めれば格好も付くだろうに……もっとも、この性格からしてそういうことを知った上でのことなのだろうが。
そう言えば、結局風鈴を持っていったのには何の意味があったのだろうか? 今の今まで鞄の中に入れたままで、手に触れてすらいないのだが。
「おいおいおいおい! そんなことも分からなかったのかい? ……って言うのは、テストに一学年上の問題を出すようなもんだからやめておくとしてだ。ほら、あの猪は不思議な術が使えただろ? 実は風鈴には元々は魔よけとしての意味があってだな、オレが『有の目高の目』をかけた時についでにその要素にちょっとした細工をしといたわけよ。だから、進ちゃんは霧の中に居ても視界が悪くなるだけだったのさ。実はあれ、普通の人間が入り込んじまうと一種の催眠状態になっちまうんだぜ?」
俺はどうやら知らぬ間に再び琥閻に助けられたようである。もっとも、厄介な相手と鉢合わせることになる可能性があると最初から知っていたのなら、術を風鈴にかける時にその辺りの説明もしておいて欲しかったものだ。まぁ、この性格では仕方ない、と思っている自分が居るのも事実ではあるが。
「さってと、進ちゃんの家に着いたみてぇだし、オレはここでさようならだな。また人外関係で問題が起こったら、あの公園に来て心の中でオレのことを呼んでみるこった。他の依頼で出かけてる時以外なら、ご贔屓にしてくれたっていう意味で暖かくwelcomeってやんからさ」
スタスタと俺の家の前を素通りしていく琥閻。しかし、まだ報酬を払っていないような気がするのだが。
「あっ、報酬のことだけどな。さっき家に上がった時にテキトーに台所からポテチのうす塩もらってきたから、問題の方はナッシングだぜ! いや、野良猫やってんと塩気があるもん食いたくなってな。じゃあ、またな!」
琥閻は最後の最後まで気まぐれな姿勢を崩さないまま、曲がり角に消えていった。
例年とは一味も二味も違う夏休みのことだった。
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あれ以来、俺はあの公園の近くを通りかかる度にそこを覗いてみるのだが、生憎今の所琥閻らしき猫を見たことはない。
しかし、本当に困った時には再び俺の前に姿を表してくれそうな、そんな根拠のない実感だけは不思議とあるのであった。




