第6話・子供の目線
荒野に張られた簡易テントの列。
三角屋根の下には野菜や果物が並び、綿や麻の服を着た人々が行き交っていた。
どうやら朝市らしい。
呼び込みの声を遠くに聞きながら、守山とアウロラは痩せた樹の根元に座り込んでいた。
石の家から拝借した古布を裂いて、虹剣イリスの刀身に巻き付けていく。虹色の光が漏れることがないよう、丁寧に包んだ。
仕上げに端を固く結び、余った布を口で裂く。
「……っし。これでだいぶマシだろ」
「本当に?」
アウロラは遠慮なく疑いの目を向けた。
「なんだよ。抜き身で抱いてるよかマシだろ? それに市場に行かなきゃ食い物も買えない」
風に乗って漂う食べ物の匂い。アウロラの腹の虫は素直にグゥと鳴いて空腹を訴える。
「腹が減ってはなんとやら、だ。育ち盛りなんだったらもりもり食えよ」
「モリヤマもでしょ?」
純粋な問いに、喉が詰まった。守山はアウロラの真っ直ぐな瞳から目を逸らし、哀愁漂う横顔で吐き捨てる。
「……残念だったな、俺は32歳だ」
「……え、嘘。そんな年上!? わたしの倍だ……」
「ってことは、あんた16歳か……まだ伸びんのか……」
と言っても。守山にとっては未知の話だった。
守山の成長は中学三年を最後に止まっている。
ハァと大きなため息を吐き、守山はアウロラに虹剣イリスを返そうとした。
「ん、んぉ……んぇ?」
「どうしたの?」
「いや……どうしたっつーか……なんだこの剣、重っっっも!?」
腿の上に乗せている分には平気だったのに。柄を掴んで持ち上げようとしても、持ち上がらない。
「モリヤマでも、無理なんだ……」
ポツリと呟いたアウロラが立ち上がり、守山の前に立つ。
彼女は虹剣イリスに手を伸ばし、その柄を握った。そして、気合を入れることなく持ち上げる。
「あんた……」
「言っておくけど、わたしがものすごい怪力ってわけじゃないからね。虹剣イリスは、持ち主を選ぶの。父さまや兄さま、姉さまが生きていた頃は……わたしも持ち上げられなかった」
言いながら、アウロラは虹剣イリスを両腕で抱いた。虹剣を軽々と抱けること自体が、彼女にとっては喪失の証なのだ。
守山はグッと喉を締めて、立ち上がる。
「継いだってことはどうあれだ。そんなすげー剣があんたを主だって認めてんだろ? 家族だって、あんたにだから託したんだろうし。胸張ってろよ!」
「……うん」
少しだけ晴れた表情を滲ませて、アウロラは小さく頷いた。
「んじゃ、行こうぜ。腹ごしらえだ!」
「うん!」
布を巻くついでに、革で作った持ち運び用のバンド。アウロラはそこに腕を通して、虹剣イリスを背中に提げる。
痩せた樹の影から出て、店が並ぶ通りへと足を踏み入れた。
行き交う人の顔には疲れが滲むものの、市場ではやりとりが盛んに行われている。
どんな状況だろうが、生きている限り人の営みは歩みを止めない。
聞こえてくる世間話。通りに漂う食べ物の匂い。子供たちの笑い声。
守山は深く息を吸った。
砂と香辛料と肉の匂いが混ざった空気が肺に落ちる。
ここが、これから生きる世界だ。
「お兄ちゃん、旅の人かい? これ美味いよ、買っていきなよ」
嗄れた声に振り向くと、腰の曲がった老婆がセイロの蓋を開いて手招いていた。
モワッ、と立つ柔らかな湯気。小麦粉に似た甘い香りに、蒸された肉の香りが胃を直接突いてくる。
じわぁと沸いてくる唾液を呑んで、守山はセイロに飛びついた。
「うんまそ! 二つください」
「気前がいいね、お兄ちゃん。好きなの選びな」
「あんがとな」
ニッ、と。歯を全開にして向ける笑顔。差し出された老婆の手に小銭を落として、セイロの中から肉まんそっくりの包子を取り出す。
ひとつを口に咥えて、もうひとつを振り返った先でアウロラの鼻先に差し出した。
「ほら、あんたの」
アウロラは驚いたように肩を跳ね上げ、ブルッと頭を振る。
「ん、どーした? いらねえの?」
「いる! いるんだけど、その……あなた、その顔で結構得してない?」
アウロラは包子を受け取りながら、むぅと唇を尖らせる。
対する守山は、眉根を寄せて怪訝そうな顔で返した。
「その顔って……この童顔か? コンビニで毎回年齢確認される面倒さしかねえぞ……?」
「どう……? こんび……?」
「悪い、忘れろ。……んで、どの顔だよ」
「その……笑った顔」
聞き取りにくい声で言った上に、白い生地にはくんと食いつき追随を許さないアウロラ。
守山はひとつ瞬きして、ほんわかと湯気を立てる白い生地を齧る。
豚肉に似た触感の餡はほんのり甘く、ほどよい塩味が効いている。ハーブのような野菜が混ぜ込んであるのか、鼻に抜ける後味がさっぱりとしていてなかなか美味い。
「まあ、笑って人を安心させたり、絶対に大丈夫だって思わせんのもヒーローの務めだしな」
「またそれ……」
「だから、あんたも笑えよ! ヒーローは俺じゃなくて、あんたなんだからさ」
ピンと立てた人差し指を頬に突き刺して、得意の全開スマイルを向ける。
演じるのは悪役だとしても、マスクを脱いだらヒーローショーの一員。
観客に向ける笑顔は、いつも意識していた必須アイテムだ。
アウロラはふかふかの生地に唇を埋めながら、むぅ、と肯定なのか否定なのかよく分からない返事をした。
「……ん?」
ふと、肩に掛かる違和感。羽織ったマントの裾が引っ張られる感覚。
見下ろした先で目が合う、まん丸の大きな瞳――子供だ。
守山はすぐにその場にしゃがんだ。
「どうした? 迷子か?」
目線の高さを合わせて聞くも、なぜか子供と目が合わない。
子供の目は、守山が手に持ったままの包子に向いていた。
子供はふかふかの白い生地を食い入るように見つめて、口の端から音もなく涎を垂らす。
「腹減ってんだな? ちっと待ってろ」
子どもはコクコクと何度も頷いた。守山は小さな頭をくしゃくしゃと撫でて立ち上がる。
「ばーちゃん! 今蒸し上がってる分全部買いで!」
「えぇ? ちょっと、モリヤマ……全部って、なんで……」
アウロラが守山の肩先に顔を寄せて聞いてきた。守山は目線を下げて足元を示す。
足元にいる子供が、五人に増えていた。
「えっ、いつの間に……?」
「子供と目線の高さ合わせると、見えてないもんが見えるんだよ」
守山は老婆に代金を払い、受け取った包子の半分をアウロラに渡す。
「ほら、ちゃんとひとり一個ずつあるからケンカすんなよ! そっちの姉ちゃんからも貰えるからな」
アウロラは群がる小さな手に戸惑いながら、その場にしゃがんだ。
白い頬が仄かに赤く染まり、形の良い唇の端がゆっくりと持ち上がる。
守山は満足げに微笑んだ。
「腹を空かせた子供に食い物を配るのは、国民的ヒーローの十八番だからな!」
「おはこ……? ねえ、ヒーローってそんなに何人もいるものなの?」
「ん? まあな。でも、どんなヒーローでも、やることはひとつだぜ」
「……なに?」
首を傾げながら聞いてくるアウロラ。守山は薄く微笑んで、子供たちを見回す。
「――目線を上げさせることだ」
視界の中の子供たちは皆、顔を上げている。その目はどれも、キラキラと輝いていた。
傍らで息を呑む音がする。チラッと盗み見ると、アウロラは何かを考え込む仕草をしていた。
やがて、吹っ切れたような顔になり、力の抜けた笑みが浮かぶ。
少しの変化と、賑やかな時間。ふかふかの生地を頬張る笑顔を見つめるばかりで――気が付かなかった。
変化に気づいたのは、地面に薄汚れた布が落ちているのが視界に入ったときだった。
「わー、すごい! お姉ちゃんの剣、にじいろ!」
無邪気な声を聞いて、アウロラの顔面が蒼白に染まる。
――瞬間。市場の入口で、悲鳴が上がった。




