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守山一路はヒーローになれない  作者: 依近
第3章・ヒーローの定義
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第6話・子供の目線


 荒野に張られた簡易テントの列。

 三角屋根の下には野菜や果物が並び、綿や麻の服を着た人々が行き交っていた。

 どうやら朝市らしい。


 呼び込みの声を遠くに聞きながら、守山とアウロラは痩せた樹の根元に座り込んでいた。

 石の家から拝借した古布を裂いて、虹剣(こうけん)イリスの刀身に巻き付けていく。虹色の光が漏れることがないよう、丁寧に包んだ。

 仕上げに端を固く結び、余った布を口で裂く。


「……っし。これでだいぶマシだろ」

「本当に?」


 アウロラは遠慮なく疑いの目を向けた。


「なんだよ。抜き身で抱いてるよかマシだろ? それに市場に行かなきゃ食い物も買えない」


 風に乗って漂う食べ物の匂い。アウロラの腹の虫は素直にグゥと鳴いて空腹を訴える。


「腹が減ってはなんとやら、だ。育ち盛りなんだったらもりもり食えよ」

「モリヤマもでしょ?」


 純粋な問いに、喉が詰まった。守山はアウロラの真っ直ぐな瞳から目を逸らし、哀愁漂う横顔で吐き捨てる。


「……残念だったな、俺は32歳だ」

「……え、嘘。そんな年上!? わたしの倍だ……」

「ってことは、あんた16歳か……まだ伸びんのか……」


 と言っても。守山にとっては未知の話だった。

 守山の成長は中学三年を最後に止まっている。

 ハァと大きなため息を吐き、守山はアウロラに虹剣イリスを返そうとした。


「ん、んぉ……んぇ?」

「どうしたの?」

「いや……どうしたっつーか……なんだこの剣、重っっっも!?」


 腿の上に乗せている分には平気だったのに。柄を掴んで持ち上げようとしても、持ち上がらない。


「モリヤマでも、無理なんだ……」


 ポツリと呟いたアウロラが立ち上がり、守山の前に立つ。

 彼女は虹剣イリスに手を伸ばし、その柄を握った。そして、気合を入れることなく持ち上げる。


「あんた……」

「言っておくけど、わたしがものすごい怪力ってわけじゃないからね。虹剣イリスは、持ち主を選ぶの。父さまや兄さま、姉さまが生きていた頃は……わたしも持ち上げられなかった」


 言いながら、アウロラは虹剣イリスを両腕で抱いた。虹剣を軽々と抱けること自体が、彼女にとっては喪失の証なのだ。

 守山はグッと喉を締めて、立ち上がる。


「継いだってことはどうあれだ。そんなすげー剣があんたを主だって認めてんだろ? 家族だって、あんたにだから託したんだろうし。胸張ってろよ!」

「……うん」


 少しだけ晴れた表情を滲ませて、アウロラは小さく頷いた。


「んじゃ、行こうぜ。腹ごしらえだ!」

「うん!」


 布を巻くついでに、革で作った持ち運び用のバンド。アウロラはそこに腕を通して、虹剣イリスを背中に提げる。

 痩せた樹の影から出て、店が並ぶ通りへと足を踏み入れた。

 行き交う人の顔には疲れが滲むものの、市場ではやりとりが盛んに行われている。

 どんな状況だろうが、生きている限り人の営みは歩みを止めない。

 聞こえてくる世間話。通りに漂う食べ物の匂い。子供たちの笑い声。

 守山は深く息を吸った。

 砂と香辛料と肉の匂いが混ざった空気が肺に落ちる。

 ここが、これから生きる世界だ。


「お兄ちゃん、旅の人かい? これ美味いよ、買っていきなよ」


 嗄れた声に振り向くと、腰の曲がった老婆がセイロの蓋を開いて手招いていた。

 モワッ、と立つ柔らかな湯気。小麦粉に似た甘い香りに、蒸された肉の香りが胃を直接突いてくる。

 じわぁと沸いてくる唾液を呑んで、守山はセイロに飛びついた。


「うんまそ! 二つください」

「気前がいいね、お兄ちゃん。好きなの選びな」

「あんがとな」


 ニッ、と。歯を全開にして向ける笑顔。差し出された老婆の手に小銭を落として、セイロの中から肉まんそっくりの包子を取り出す。

 ひとつを口に咥えて、もうひとつを振り返った先でアウロラの鼻先に差し出した。


ほら(ほは)あんたの(はんはの)


 アウロラは驚いたように肩を跳ね上げ、ブルッと頭を振る。


「ん、どーした? いらねえの?」

「いる! いるんだけど、その……あなた、その顔で結構得してない?」


 アウロラは包子を受け取りながら、むぅと唇を尖らせる。

 対する守山は、眉根を寄せて怪訝そうな顔で返した。


「その顔って……この童顔か? コンビニで毎回年齢確認される面倒さしかねえぞ……?」

「どう……? こんび……?」

「悪い、忘れろ。……んで、どの顔だよ」

「その……笑った顔」


 聞き取りにくい声で言った上に、白い生地にはくんと食いつき追随を許さないアウロラ。

 守山はひとつ瞬きして、ほんわかと湯気を立てる白い生地を齧る。

 豚肉に似た触感の餡はほんのり甘く、ほどよい塩味が効いている。ハーブのような野菜が混ぜ込んであるのか、鼻に抜ける後味がさっぱりとしていてなかなか美味い。


「まあ、笑って人を安心させたり、絶対に大丈夫だって思わせんのもヒーローの務めだしな」

「またそれ……」

「だから、あんたも笑えよ! ヒーローは俺じゃなくて、あんたなんだからさ」


 ピンと立てた人差し指を頬に突き刺して、得意の全開スマイルを向ける。

 演じるのは悪役だとしても、マスクを脱いだらヒーローショーの一員。

 観客に向ける笑顔は、いつも意識していた必須アイテムだ。

 アウロラはふかふかの生地に唇を埋めながら、むぅ、と肯定なのか否定なのかよく分からない返事をした。


「……ん?」


 ふと、肩に掛かる違和感。羽織ったマントの裾が引っ張られる感覚。

 見下ろした先で目が合う、まん丸の大きな瞳――子供だ。

 守山はすぐにその場にしゃがんだ。


「どうした? 迷子か?」


 目線の高さを合わせて聞くも、なぜか子供と目が合わない。

 子供の目は、守山が手に持ったままの包子に向いていた。

 子供はふかふかの白い生地を食い入るように見つめて、口の端から音もなく涎を垂らす。


「腹減ってんだな? ちっと待ってろ」


 子どもはコクコクと何度も頷いた。守山は小さな頭をくしゃくしゃと撫でて立ち上がる。


「ばーちゃん! 今蒸し上がってる分全部買いで!」


「えぇ? ちょっと、モリヤマ……全部って、なんで……」


 アウロラが守山の肩先に顔を寄せて聞いてきた。守山は目線を下げて足元を示す。

 足元にいる子供が、五人に増えていた。


「えっ、いつの間に……?」

「子供と目線の高さ合わせると、見えてないもんが見えるんだよ」


 守山は老婆に代金を払い、受け取った包子の半分をアウロラに渡す。


「ほら、ちゃんとひとり一個ずつあるからケンカすんなよ! そっちの姉ちゃんからも貰えるからな」


 アウロラは群がる小さな手に戸惑いながら、その場にしゃがんだ。

 白い頬が仄かに赤く染まり、形の良い唇の端がゆっくりと持ち上がる。

 守山は満足げに微笑んだ。


「腹を空かせた子供に食い物を配るのは、国民的ヒーローの十八番(おはこ)だからな!」

「おはこ……? ねえ、ヒーローってそんなに何人もいるものなの?」

「ん? まあな。でも、どんなヒーローでも、やることはひとつだぜ」

「……なに?」


 首を傾げながら聞いてくるアウロラ。守山は薄く微笑んで、子供たちを見回す。


「――目線を上げさせることだ」


 視界の中の子供たちは皆、顔を上げている。その目はどれも、キラキラと輝いていた。

 傍らで息を呑む音がする。チラッと盗み見ると、アウロラは何かを考え込む仕草をしていた。

 やがて、吹っ切れたような顔になり、力の抜けた笑みが浮かぶ。


 少しの変化と、賑やかな時間。ふかふかの生地を頬張る笑顔を見つめるばかりで――気が付かなかった。


 変化に気づいたのは、地面に薄汚れた布が落ちているのが視界に入ったときだった。


「わー、すごい! お姉ちゃんの剣、にじいろ!」


 無邪気な声を聞いて、アウロラの顔面が蒼白に染まる。


――瞬間。市場の入口で、悲鳴が上がった。

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