第3話・ヤラレ役の最後
「うわあああああああっ!」
ナイフの男は、奇声を上げながら向かってきた。意識はナイフになく、ただ守山に向かってくることだけに必死になっている。
守山は短く息を吐いて、突き出される切っ先を冷静に見る。めちゃくちゃに繰り出される軌道。最初の一手をギリギリで躱したら、あとは容易い。
突き出された腕を掴んで、手首を叩く。滑らせた足を踏ん張り、腹の下に力を入れて思いっきり息を吐いた。
「ふんっ!」
深く身体を折り、自分の倍以上ある巨漢を背中に乗せて持ち上げる。
「え、わ、わ、あ、あ……!」
間抜けな悲鳴を聞きながら、歯を食いしばって振りぬく腕。
「はあァッ!」
ダァン! と、肉を打つ音が響き渡り、綺麗な一本背負いが決まった。
「はぁ……はぁ……」
全身から吹きだす汗。どれもこれまで訓練で散々叩き込んできた動きなのに、実践になるとこうも消耗するのか。
白いパーカーに張り付くようになっていた指を、一本ずつ剥がしていく。
肉を打った拳は、ジンジンと脈打ち、熱を持って痺れていた。頭を蹴った足も違和感がある。
アドレナリンが切れたように、急速に現実の痛みが襲ってくる。守山は重い身体を起こして、惨状を見下ろした。
白目を剥いた顔。飛び散った体液。守山の靴の形に膨れた傷。
「う……っ」
吐き気を覚えて、ふらつく脚を引きずりながら出口を目指す。
遠くでサイレンの音が聞こえる。逃げた女子高生が通報してくれたのだろう。何事かと集まってくる人の気配。そういえば、履歴書の入ったリュックはどこに落としたっけ。新幹線の時間は間に合うのか。そもそも今、何時だろう。
現実に切り替わった頭が思考を続ける。
行く手で人群れが割れる。向けられる目はどれも、ヒーローを見る目ではなかった。
(現実でも、こうかよ)
変体した怪人を倒したわけじゃない。
相手はあくまで生身の人間なのだから、当然の反応だ。
拳が、痛い。
こみ上げる感情のまま、自虐的に口角が持ち上がりかけた――刹那。
「死ねや、コラァ!」
奇声と同時に、ドンッと背中にぶつかる強い衝撃。
あ、と声を上げる間もなく、守山の軽い身体は地面から浮き上がっていた。受け身を取らないと、と思った瞬間、人群れから悲鳴が上がる。
「危ない――」
声に重なるクラクション。受け身の姿勢を取る前に、重力が消えた。
痛みなんてもんじゃない。巨大な何かに身体を弾き飛ばされ、大気との間にプレスされる感覚。息も出来ない。辛うじて開いた視界に、離れて行く地面が見えた。
(避けんのは誰より得意だけど、ノーブレーキのトラックは無理だわ)
(それにしても――)
知ってる、そう思った。
ヒーローの必殺技を食らって吹っ飛ぶ、悪役の視界だ。
なら、することはひとつ。それとはバレないように受け身をとって、派手に地面を転がり動かなくなる。
何百回、何千回、何万回も繰り返してきた「ヤラレ」の見せ場だ。
こっちは迫真の演技をしているのに、爆風に消されてフレームアウトするだけの。
そうだ、フレームアウトだ。
「因果応報」なんて言葉が浮かぶ。
救うためでも、誰かを殴った拳は痛い。
「正義は勝つ」なら――
負けたら、悪なのか。
「絶対勝利がヒーローの鉄則」
だから俺は、ヒーローになれない。
守山は静かに悟った。自分はこうして最後も、悪役として終わるのだと――。
◇
一度閉じた瞼を開く。見上げた先は、さっきと変わらない夜空。
フゥと息を吐いて、視線を戻す。少女は羽織ったマントの前を掻き合わせ、膝を抱えて黙って聞いていた。
紅玉石の瞳が瞬いて「もう終わりか?」と言いたげな視線を投げてくる。守山は薄く微笑んで、ゆっくり頷いた。
「俺は見せ方のプロだってこと。あんたもさっき、自分が強くなったと思っただろ?」
少女は白い肌をサッと赤らめる。唇を動かしたのに、言葉は出ない。そのまま、虹色の剣を抱きしめて俯いてしまった。
「いじめたいわけじゃねえから、顔上げろって」
「だって……あなたの言う通りだから」
「あん?」
少女は俯いたまま、聞き取りにくい声で言う。
「強くなったって……強くなれたって、思ったの! でも、違った……だから」
ハァ、と。息を吐いて少女は顔を上げる。こぼれかけた涙をグイグイと拭う手。ハーフフィンガーの手袋をはめた指先は、傷だらけだった。
「……強くなりたいのか?」
守山の問いかけに、少女は力のこもった眼差しを向ける。
「わたしは、強くならなきゃいけないの。この剣を、正しく使うために」
少女は胸に抱いた剣を強く引き寄せた。頼りない月明かりでも、強く反射して光る刀身。
「そして、この世界を――救ってみせる」
少女の瞳にはもう、涙は無かった。
石の窓枠から冷えた夜風が吹き込み、二人の間を抜けていく。
彼女の長い髪が揺れて、やがて元の位置に落ち着いた。
「あんた、名前は?」
守山は静かに問うた。少女は一度長い睫毛を伏せてから、凛として宣言する。
「ヴェスペリア王国、第二皇女――アウロラ・ヴェスペリア」
思わず、喉が鳴った。
「この剣は、虹剣イリス。王家に伝わる宝剣……わたしが、今の持ち主」
少女――アウロラは虹剣を大事そうに抱きしめた。
乾いた大地。朽ちた建物。周囲に人の気配はなく、微かに血の匂いがする。
昼間見た景色も、どこも同じだった。
「亡国のお姫様……ってわけか」
アウロラは小さく唇を噛んだ。
守山は彼女の瞳に揺れる強い光を見て、腹を決める。
一度死んだらしい自分にできる役割は――。
守山は膝に手を置き立ち上がる。崩れた天井から見下ろす銀色の月明かりが、真っすぐアウロラの上に注いでいた。
一度地面を見下ろして、自身の立ち位置を確かめる。影の中、光は当たらない。
――けれどもその場所でなら、俺は誰より最強だ。
ひとつ息をつき、口角を上げた。
「俺があんたを、ヒーローにする」
握りしめた拳が、痛む。
守山はこの時――
ヒーローにならないことを、決めた。




