街に行く①
窓の外の陽はすっかり傾き、空には淡い光を放つ月が現れた頃。
アイリスはベッドの下から剣を取り出した。
そして鞘を取り去り、よく手入れされた鏡のようにきらりと光る細身の刃が現れる。
すぅと息を吐くと、上段に構え、一気に振り下ろす。
高い位置でひとつにまとめた薄紅色の髪が揺れる。
その剣の腕前は確かなもので、長年の努力の積み重ねが感じられる。
しかしそのことはアイリス本人以外誰も知らない。
普段なら無心でひたすら剣を振るのだが、今日は雑念が多い。
「街に出かける、か…」
集中できていない自覚があったので、剣を鞘に戻し、まとめていた髪をほどく。
思い返すのは昼間のシリルとのやり取りである。
「ふーん…今のところどう報告してるの?」
「それは…」
シリルの紺にも黒にも見える宝石のような瞳がアイリスを真っ直ぐ射抜く。
その瞳に知らず心拍が上がりそうになるが、負けじとアイリスも真っ直ぐ見つめ返す。
そのアイリスの心情を知ってか知らずか、シリルはふいっと視線を逸らすと、
「ただの引きこもりなので現状報告できるほどのネタはありませんってな」
とソファに片肘をついて答える。
「あっそ。意味ないじゃない」
呆れてアイリスは息を吐いた。
「まぁ紅茶入れるのがうまいってことは今日わかったけど」
アイリスが驚いてシリルの方を見ると、シリルは優しい目でカップを見つめ、紅茶をすすっている。
その姿がまるで絵画のように美しく品があるように見えて、アイリスは小さく喉を鳴らした。
「で、このままだと俺も困るから、手っ取り早く出かけるぞ」
「…はい?」
ぼんやりシリルに見惚れていたアイリスは半拍遅れて聞き返す。
「お前のこと知るには一緒に街ぶらついてみるとかがいい気がするんだよ」
街など…もう何年行っていないだろう。
そもそも王族なので気軽に街はうろつけない。
まだ幼く、活発だった頃に侍女たちにわがままを言って連れて行ってもらったきりである。
昔の記憶からはすっかり変わっているかもしれない。
自分の中の好奇心がざわつくのを感じ、アイリスは小さく首を振る。
「…あんたが街を見たいだけじゃないの?」
「それもある。お前の護衛だからお前が街に行かないと行けないし」
あっけらかんと言い放つシリルに呆れる。
「まぁそういうわけで明日な。紅茶うまかった」
「ちょっと、行くとは…」
アイリスが返事をする間もなく、シリルはニヤリと口角を上げると部屋を出て行った。
「明日、街に…」
剣を握っていた腕は下がり、ぼんやりとつぶやく。
街に行ってしまったら、この8年間の我慢が無駄になってしまいそうな気がして不安がよぎる。
『本当の自分』が出てきてしまいそうで…
そう、本当のアイリスは…