マテリウス王国
「お前の護衛ほど暇な仕事ねぇわ」
「また偉そうな。ていうか廊下にいなさいよ、それかなんなら護衛なんていらないから」
シリルの言葉にアイリスが眉をひそめる。
シリルが来るまでの護衛は形ばかりで、引きこもりの姫についていても仕方ないという具合で、みなわりと自由に廊下や隣の部屋でくつろいでいた。
ある意味、サボれる人気職であるが、あまりの張り合いのなさに一ヶ月交代で人員が入れ替わっていた。
アイリスも部屋に入られる方が不都合だったので、それぐらいの距離感がよかったのだが、シリルは何回言っても部屋に入ってくる。
そのうえ、我が物顔でソファでくつろいでいることもある。
「あんたそんなので緊急時、本当に対応できるんでしょうね」
たとえ今侵入者があっても動けそうにないほどソファで伸びているシリルを胡乱げな瞳で見つめる。
「大丈夫だって。俺強いし。手合わせしてみるか?」
アイリスは目を見開き、首が動きそうになったのを必死にこらえた。
シリルからふいっと視線を逸らして、短く息を吐く。
「…するわけないでしょ」
シリルは寝転がったまま、ちらりとアイリスに視線をやる。
その視線を感じ、耐えかねたようにアイリスはベッドに戻り、天蓋の中に消える。
「花嫁修行はいつすんの?嫁入りまで一ヶ月ないだろ」
シリルがベッドに向かって投げかける。
ベッドの中で自分の手のひらを見つめていたアイリスは話題が変わったことにほっとしつつ、新しい話題にまた眉をひそめた。
「しないわよ。どうせ必要とされてるのはマナーと知識ぐらいでしょ」
「まるでそれは事足りてるみたいな言い方だな。引きこもりのくせに」
「本当に失礼ね」
シリルの物言いにアイリスはため息をつく。
「俺がいろいろ教えてやろうか?マテリウス王国のことや王子のこと」
「あんたが何を知っているっていうのよ」
「…お前もう忘れたのか?俺はマテリウスから来てるんだぞ。嫁入り前の姫様の様子を見に」
シリルは思わずソファから起き上がり、驚きと呆れが入り混じった表情でアイリスがいるベッドを見つめる。
天蓋の中からなのでアイリスはシリルの顔がよく見えないが、どんな顔をされているのか想像がつく。
「…そう、だったわね」
忘れていたわけではないのだが、シリルのあまりに自然な溶け込みように、まるで昔からそばにいたような気になってきており、マテリウスから来ているということを意識していなかった。
アイリスはしばし空中を眺める。
人から聞くのと実際に眼にするのでは印象が違うだろうし、下手な先入観は抱きたくなかったが、向こうは近衛騎士として人を送り込んでぴったり監視してきているのだ。
こちらばかり様子を見られているというのも些か不公平か。
「それじゃ一応聞いておきましょうか」
先程入ったばかりのベッドを出て、シリルの向かいの椅子にアイリスは腰掛けた。