パパが元特殊工作員で困っています
1
突然だけど私は拉致されてしまった。何処ぞの大きな倉庫内に私を監禁した誘拐犯は全員で四人。そのうち少なくとも三人が銃を所持し、一様にマスクを被って素顔を隠している。
「そう怖い顔をするなよ嬢ちゃん。金を受け取ったら無傷で解放してやるからさ」
「私の事よりも自分達の心配をしたらどう?」
「おいおい肝が据わっているな。でも俺達を舐めて貰っちゃ困るぜ?」
手錠をされた私は柱に括り付けられ、側の男と話しながら事態の推移を見守っていた。余裕綽々の手慣れた様子からして彼らはプロの誘拐業者と思われる。
「身代金はネットバンキングを通じて払われるから、金の受け取りで捕まるなんてヘマはない。お嬢ちゃんにも顔を見られていないし、監禁場所を伝える頃には隣州へ移動済みさ」
「ふうん。それ以前の問題だと思うけどなぁ」
なんて私が言うと男は訝しんだ様子を見せたが、その内に電話が掛かってきて束の間の団欒は中断となり、交渉役を担う彼はここでスマホを手に取るのだった。
「俺だ、約束の金は用意出来たか。よし予定通りに……、何だって?」
言葉尻が疑問系だった事で他の仲間も俄かに注目。彼は更に一言二言を交わした後、通話を保留状態にして仲間達を見回す様に内容を伝えてきた。
「娘の声を聞きたいとさ。スピーカーモードにしても良いか」
「ああ。……くれぐれも変な事を言うなよ、お嬢ちゃん」
体格の良いリーダーっぽい男が此方に向いて釘を刺してくる。この人には軽口や冗談の類が通じなさそうなので私は素直に頷いておく。
『マリア、大丈夫か?』
「私は平気だよ、パパ」
『疑う訳じゃないが、俺と初めて遊園地に行った日を覚えているか?』
「ええっと【四】月【十】【三】日だよね」
『……良かった』
その「良かった」は娘の無事を確かめての事か、或いは問題解決の難易度を指しての感想か。たぶん両方だろうと思いながら私は最後に肝心な事を告げる。
「パパ。助けて!」
こう私が懇願すると側にいた男が肩を竦ませた。さっきまで太々しい態度だった女子が堪え切れずに不安を漏らしたと思い、きっとマスクの下で唇を歪ませたに違いない。
『分かった。もう直ぐだ』
だけど彼の笑顔は長く続かなかった筈だ。パパが通話を切った次の瞬間、倉庫の一角にある窓ガラスが粉々に砕けたのだから。
「何だ、うおっ!?」
続け様に発煙筒が投げ込まれ、急速に視界が悪化する中で狙撃音が一発、二発と立て続いた。その間には反撃と思わしき銃声も聞こえたけど、程なくして周囲の喧騒は止む事になる。
「無事か、マリア」
遠くから私に声を掛けてきたのは、つい先程まで電話口の向こう側にいた人物だ。哀れにも誘拐犯達はとっくに居場所を突き止められ、更には本人確認の通話を装って総人数と武装者の内訳を伝えられていた訳で。
「私は平気だよ。煙臭い事を除けばね……って、きゃあ!?」
ところが今回は意外にしぶとい相手だった。不意にこめかみへ銃口の感触を捉えた私はつい悲鳴を上げてしまい、これに恥ずかしがっていると男の声が側から聞こえてきた。
「動くな! このお嬢ちゃんの頭を吹き飛ばすぞ!」
「マジですか」
流石に身を竦ませた私が直立不動の姿勢になると、やがて視界を塞いでいた煙が散開して今の状況が露わになる。自分の周囲には既に三人の誘拐犯が倒れており、唯一残った交渉役の男が私に銃を突き付けていた。
「娘を少しでも傷付けてみろ。その時は問答無用で貴様を殺す」
その男が相対すのはライフルを構えた中年男性で、このリーアム・ニースン宜しく現れた人こそ他ならぬ私のパパである。
「お兄さん、さっきは私を無傷で帰すって言ってたのに」
「黙れ、事情が変わったんだ!」
例え心内では殺意が無い脅しだとしても、私の命を脅かされたと感じたパパの選択は自ずと決まる。どうやら彼は自分の首を絞めているって事に気付いていない。
「余りお勧め出来ないなぁ。大人しく捕まった方が身の為だと思うよ」
「だから五月蝿いぞ! お前は口を閉じ……、て……」
しかし私の心配は杞憂に終わった。彼が煩わしい小娘に気を取られた僅かな隙に、透かさずパパは麻酔弾を撃ち込んで誘拐犯の意識を奪ったのだ。
「娘の要望だから命は〝助けて〟やるが、次は無いと思え」
倒れた男を悠然と見下ろしながらパパは告げる。こうして場の制圧に成功した彼は再び私に振り向くと、今度は一転して精悍な顔を皺くちゃに崩すのだった。
「良だっだぁあああマリア、俺の愛しい娘よおおお!」
「あ、ありがとうね、パパ」
私のパパは元特殊工作員で戦闘や諜報のスペシャリストだ。世界で最も頼りになる人なのは間違いないけど、一人娘としては過保護振りに困っている。
2
私の名前はマリア・トラベル。パパの件を除けば何の変哲もない女子高生だ。
「そもそも根本的にパパは間違っているのよ。私の為にセキュリティーを重視する余り、無駄に大豪邸を建てたから金持ちの娘と誤解されて拐われたのに」
「まあまあ。それを自覚しているからお父さんも、マリアちゃんが誘拐された時点でしていた門限破りを不問にしたんでしょ」
「それはまあ、そうだけどさ」
無事に日常生活への復帰を果たした私は、例の如くハイスクールの同級生であるルーク君に愚痴を溢していた。このイケメン男子は我が家の事情を知る数少ない人物だ。
「でも今回の件に限らず、よくマリアちゃんは災難に巻き込まれるよね」
「それは本当にパパのせいなのよ。あの人はどうも現役時代、国家存亡に関わる重大な情報を握っていたとか何とかで、未だに敵対国家やテロリストから目を付けられるみたい」
その情報が具体的にどんな内容なのかは聞いていない。本人は子守唄みたく自慢げに語ろうとするが、下手な事を知ったら私まで命を狙われるので丁重に断っている。
「愛想尽かせたママは蒸発しちゃったし、私も何処かの王子様が連れ出してくれないかなぁ」
「げふんげふん。まあでもマリアちゃん自身、お父さんが本当に嫌いな訳じゃないでしょ」
因みにルーク君は私の彼氏じゃない。と言うか半ば脅す様にパパが私から遠ざけた男友達の中、唯一残留を許されたのは絶対に手を出さないという信頼の証だ。
「それこそ本気で関わりたくなければ、お母さんに付いて離れて暮らす事も出来た筈だ。今の家に留まっているのはマリアちゃんが本当は……」
「あ、それは違うよ。パパ自身も勘違いしていると思うけど」
私がズバリ指摘するとルーク君は意表を突かれた顔をした。
「だって嫌気の差した私が家出して、後で帰ってみたら一人寂しく首を吊っていたとか余りに目覚めが悪いじゃない。だから私は何だかんだで最後には必ず帰宅する訳」
「え、あ、そうなの?」
「ママったらそう言う事も見越して私を置き去りにしたんだから。残された手紙にはパパ宛てに私を頼む文言じゃなく、私宛てにパパをお願いねって書いてあったんだよ」
普段は大人な意見で私を諭してくれるルーク君も、こうした本音を打ち明けてみると流石に閉口してしまうのだった。
「初めの頃は素直に感謝していたけど、こう慣れてくると段々ウザくなってくるよね。せめて彼氏くらいは自由に作らせて欲しいなぁ」
ルーク君は曖昧に頷きながら愛想笑いを浮かべた。ああもうパパの素性を知って私と距離を置かないだけで好きなんだけど、彼と付き合う為にも奴がどうしても邪魔なのよね。
「あれ。マリアちゃん、今日も寄り道するの?」
「そりゃそうだよ。直ぐ家に戻ったって今や無職と化したパパと二人きりだもの」
その内に下校時刻を迎えて校門を出た私は、自宅とは反対側の繁華街方面にキックボードを蹴った。途中で同年代の派手な子(パパ曰く悪い友達)と合流し、食べ歩きを敢行するのが私の最近のストレス発散法だ。
「ちょっと待ってよマリアちゃん。誘拐されたばかりで幾ら何でも迂闊過ぎない?」
ところが今日はルーク君が駆け足で私に付いてきた。普段は手を振ってお別れだから珍しく思い、私はボードの速度を落として彼と足並みを合わせる事にする。
「お父さんに守られ続けて感覚が麻痺しているみたいだけど、そう無闇矢鱈に遊び歩いていると本当に痛い目に遭っちゃうよ」
「何よ、お説教をする為にわざわざ追って来たの?」
「少しはお父さんの気持ちを汲みなって。本当にマリアちゃんを心配しているんだから」
「むむむ。ルーク君も結局のところパパの肩を持つのね」
だけど彼ときたら私を引き留めようとするばかりで、これに苛々させられた私は再びボードを蹴って距離を空けると、今度は彼を引き離すべく更にスピードを上げた。
「バーカ、バーカ。もうルーク君なんて知らない!」
「あ、だから駄目だってば!」
それでも彼は必死に追ってくるから私は路地に逃げ込んだ。人気の少ない裏道を突っ切ってショートカットし、更に繁華街に出たところで人混みに紛れるって算段だ。
「ふあぁっ!?」
ところが道端の男が急に突き出してきた足に躓き、ボードを故意に横転させられた私は身体を投げ出されるや、明らかに待ち構えていた別の男に抱き止められる形となった。
「ちょ、ちょっとあんた達、一体何するのよ」
私はそう文句を言いながら直ぐに相手から離れるが、転がったキックボードを回収しようとしたところで更にもう一人の男に行手を阻まれる。
「何かするのは此れからさ、可愛いお嬢ちゃん」
大きな体格の彼らはヘラヘラした調子で此方を見下ろし、その視線は自意識過剰でなければ私の胸元や下半身を明らかに捉えていた。
「此処は俺達の縄張りだ。生きて出たければ大人しく言う事を聞くんだな」
「……え、マジ?」
物騒事には慣れているけど、お金や情報交換ではなく〝自分自身が標的にされる〟ケースは初めての事だ。私は生まれて初めて感じる類の恐怖を芽生えさせるが、貞操の危機を意識した時には無骨な男の手が直近にまで伸びてきていた。
3
「逃げるよ、マリアちゃん!」
ところが人生終わったと思った次の瞬間、逆側から腕を引かれた私は男達の間をすり抜けて路地裏に走り出していた。救いの手を差し伸べてくれたのは顔見知りのイケメンだ。
「ルーク君!?」
大粒の汗を掻きながら懸命に私を追い掛けてきたらしい彼は、倍以上の体格差がある連中にも怯まず自分を助け出してくれた。その勇敢な姿はパパと重なって見えてくる。
「素敵、やっぱり私の王子様ね!」
「そんな事を言っている場合じゃない。少しは反省してくれ!」
本気で怒った口調のルーク君は何時になく険しい表情で、また背後から先の男連中が迫ってくる状況を鑑みた私は、今更ながら大変な事をしでかしたと実感&猛省する。
「ごめん、どうしよう。電話が繋がらないよ」
空いている手で携帯を操作するも、何時も1コールで出るパパが今回に限っては音沙汰無し。その内に行き止まりへ追い詰められた私達は袋の鼠と化すのだった。
「すばしっこいガキだ。随分と手間取らせてくれたじゃないか」
「ま、此処なら寧ろ誰の目にも留まらないから好都合だけどな」
「くそっ!」
ルーク君は自分を盾にして私を守らんとするが、刃物までチラつかせる大男三人相手に勝ち目は無い。この窮地を招いた張本人の私はせめて被害を最小限に抑えなければと思った。
「私は大人しく従うから、どうかルーク君は見逃して」
「駄目だマリアちゃん。僕が此奴らを抑える隙に逃げるんだ」
それでもルーク君は前に出ようとした私を手で制すと、勇気を振り絞ってパパの代役を最後まで務めようとする。
「泣かせる友情だな。ま、せいぜい頑張ってくれた方が俺達も楽しめるが」
甘かった。常日頃から自分がパパに守られていた事は分かっていたのに、その恩恵を当然だと思って蔑ろにした結果が此れだ。なのに私だけが痛い目に遭うなら未だしも、無関係な筈のルーク君まで巻き込んでしまうなんて。
「止めろ、彼女に触れるな!」
「……助けて、パパ!」
男とルーク君の掴み合いが始まると私は恥を偲んで助けを求めた。こんな我儘で自業自得な娘にも愛想を尽かさず、あの人ならどんな窮地にも必ず駆け付けてくれると信じて。
「勿論だよ、マリア」
「パパ!?」
そして今回もパパは応えてくれた。何処からともなく低い声が聞こえたと思いきや、まるでマット・デイモン宜しく彼は五メートル近い壁を飛び越えて現れたのだ。
「誰だお前、どっから出てきやがった」
「娘を少しでも傷付けてみろ。その時は問答無用で貴様らを殺す」
登場の仕方を見て只者ではないと感じたのか、ルーク君を突き離した男達は一対三の構図で彼を囲った。傍目には集団リンチの装いだがパパが負ける気は微塵もしない。
「大人しく引き下がれば見逃してやるぞ」
「馬鹿か。こっちの台詞だよおっさん!」
まずは男の一人が拳を振って殴り掛かるも、それを受け流す様に捌いたパパによって付近のゴミ箱に頭から突っ伏す形となる。
次にパパは残りの二人が翳してきたナイフを悠々と避けつつ、一人の脛を蹴って転倒させると続けてもう片方もアッパーカットで殴り付ける。私やルーク君では到底敵わない大男を相手に、その乱闘は正しく子供と大人の喧嘩同然だった。
「折角警告してやったのに。まあ素人相手にはこの程度で十分か」
ものの一分も経たない内に制圧は完了し、気付くとパパは息一つ乱さずに佇んでいた。事を終えた彼は改めて私に振り返り、普段と変わらぬ優しい笑みを浮かべてくる。
「怪我は無いかい。愛しのマリア」
「パパ!」
思わず涙を溢れさせた私は救世主に抱き付いた。パパは私を咎める事なく大きな手で包んでくれて、その振る舞いが却って自分に猛省を促すのだった。
「御免なさい。私、私……!」
「無事なら良いんだ。ルーク君もよく俺の娘を守ってくれたな」
「いえ。結局のところ僕は何も出来ませんでした」
二人の会話を聞いた私は一頻り泣き終わるとパパの懐から離れ、ヒーローの到着まで自分を守ってくれたナイトにもお礼を言う。
「ルーク君も本当にありがとう。とっても格好良かったよ」
「あ、うん。僕はその、マリアちゃんの為なら……」
そんな彼の頬に私がキスするとパパは複雑な顔を浮かべたが、直ぐに別の考えを閃いたのか一転してルーク君を認める態度になった。
「まあ君になら娘の事を任せられなくも無いか」
「良かった。これからも宜しくね、ルーク君!」
こうして今回の騒動は幕を閉じた。二人の頼れる男性に手を引かれた私は、今後はパパ達に感謝しながら慎ましく生きようと思った。
4
「って、そんな都合の良い展開がある訳ないでしょ」
「いでで!」
ここでお約束の流れに抗った私は、パパの耳を摘んで引っ張りながら単刀直入に聞く。
「さあ答えて貰いましょうか。一体何処までが貴方達の仕込みだったのかを」
虚を衝かれた顔のパパを睨みがてら、手始めに私は隣に佇んだイケメンを指差した。
「まずルーク君、貴方は最初からパパと連絡を取り合っていたわね? 幾らパパの感知能力が超人的だとしたって、余りに現場への到着が早過ぎるもの」
「そっ、それは」
また私は地面に倒れた男達にも目を向け、鬱憤晴らしを兼ねて一人の頭を軽く蹴った。
「いてっ」
「次に此奴ら。何処かで見覚えがあると思っていたけど、確か何ヶ月か前に家を襲撃してきた諜報員の連中よね。恩赦の条件に一芝居打てとでも言ったのかしら」
私のパパは元特殊工作員だ。詰まるところ戦闘のプロってだけじゃなく、諜報や偽装工作もお手の物だから性質が悪い。
「まあ細かい話は別に良いの。私が聞きたいのは何故こんな真似をしたのかって事」
そう尋ねるとパパは初め誤魔化そうとしていたが、やがて観念したのかバツが悪そうな表情で洗い浚いを白状するのだった。
「だって最近のマリアは何かと冷たいから、お父さん寂しくって……」
計画自体は手が込んでいる癖に、その動機ときたら余りに子供じみた内容。私は呆れて物が言えなくなり、真っ当な議論は諦めて至極単純に裁定を下した。
「分かった、当面はパパと一切口を利かないから宜しく。家でも顔を見せないでね」
「そ、そんなぁ!」
理由はどうあれ私を怖い目に遭わせたんだから当然の処置だ。と言うか親子の縁を切らない分だけ私はまだ甘いと思う。
「あとルーク君は私の荷物持ち。学校卒業までの間ずっとよ」
「……え、その、はい」
彼の事だし半ば強引に協力させられたのでしょうが、その点は気付かない振りをして責任を取らせようと私は考えた。と言うかパパみたいな厄介親を抱えた私が将来、温かい普通の家庭を築く為にも此のイケメンは絶対に手放せない。
こうして今回の騒動は本当に幕を引いた。パパの沈んだ顔を見て清々した気分だけど、この平穏もどうせ長くは保たないと直感する私の心は憂鬱だ。〈完〉