甲羅の上のメガロポリス
「乱陀さん。南側から紅蓮町方面へと向かってます。何とか、片目は潰せたので、隙はできやすくなってるとは思いますが」
「了解。あとは任せろ」
乱陀は、カノンからの通信を終了する。
高層ビルの廃墟の屋上で佇む乱陀。
ビル風に、黒いマントが靡いている。
紅蓮町南方面からは、膨大な土煙と共に、廃ビルが次々と倒壊していくのが見える。
土煙の隙間から顔を出したのは、四本の腕を持つ巨大な白い猿『ハヌマン』だ。
ナノマシンの大暴走の際、モンスターと化したのは、人間だけではない。
動物園やペットショップの獣たち、水族館の水生生物なども、凶暴なモンスターへと変化した。
おそらくあのハヌマンも、元は動物園の猿かゴリラあたりの成れの果てだろう。
ハヌマンは、本来は巨体に似合わない素早い動きの強敵だが、カノンの集中砲火で、片目が潰れていて、動きが鈍っていた。
ハヌマンが、吠える。
一直線に、乱陀へと向かって来るハヌマン。
乱陀の異常な強さに、野生の感が働いたのだろうか。
四本の腕で周囲の建造物を掴み、枝から枝へと渡るように、乱陀のいる高層ビル群へと向かう。
そして、大きくジャンプし、乱陀のいるビルに、四本腕で捕まるハヌマン。
だが、乱陀の術式は編み終わっている。
黒のブーツの底から広がる赤い魔法陣。
その外周に現れる『日本魔導院・疾風ノ術』の文字。
ハヌマンの周囲を、幾つもの黒い閃光が走る。
それは、高層ビル群の壁を蹴り、縦横無尽に飛び跳ねる乱陀。
片目が潰れたハヌマンは、乱陀を捕らえることが出来ない。
乱陀の左手には、下向きの細い矢印が、幾つも掴まれていた。
重量を奪う『グラビティ・スティール』だ。
重力を奪われたハヌマンは、巨大なバルーンのように、高層ビルよりもさらに高く空へと浮き上がる。
乱陀は、一番高い高層ビルの屋上へと降り立ち、ハヌマンへと右手を掲げる。
「返してやるよ。おまけに少し上乗せしておいた。礼はいらんぞ」
ハヌマンの上空に、乱陀にだけ見える、下向きの巨大な黒い矢印。
重力を与える『グラビティ・ギフト』が発動した。
一瞬にして圧し掛かる、数倍の体重。
天から隕石のように落下する、ハヌマンの巨体。
轟音と共に、大量の埃を巻き上げ、地面に激突する。
ハヌマンは全身の肉と骨と内臓が潰れ、息絶えていた。
乱陀は、高層ビルの壁を、次々と蹴り渡り、地上へと戻る。
丁度その時、カノンも到着した所だった。
「乱陀さん、やりましたね!」
「ああ」
二人の、小気味いい音のハイタッチ。
魔導院・紅蓮町支部の軍人たちを殲滅してから、二週間が経った今。
乱陀はカノンと組んで、紅蓮町の危機を何度か救っていた。
乱陀は二週間、ずっとカノンと一緒に居て、ほんの少しだけ人間不信が和らいだ気がする。
実はカノンは、乱陀と同じ十六歳だった。
同じ地域に住んでいたら、クラスメイトになっていたかもしれない。
可愛らしい顔の、明るい緑色の肌の、カノン。
緑の肌の事を除けば、美少女と言ってもいいだろう。
いや、緑の肌を含めて考えても、美少女には違いない。
ナノマシンの暴走で、世界がこんな風になっていなければ、間違いなく人気者だっただろうに。
もし。
世界がナノマシンに呑み込まれてさえいなければ、エリネとはずっと仲良く恋人のままだったのだろうか。
(……いや、よそう)
それは、考えるだけ栓のない事。
エリネには裏切られたし、緑の肌のカノンと出会ったのだ。
もしも、を考えても、それはもう過ぎ去って、二度と戻らないこと。
遠くから、屈強な男たちが走って来るのが見えた。
紅蓮町の冒険者ギルドのみんなだ。
ハヌマンの死体から、素材を回収しに来た模様。
素材回収の作業は、冒険者ギルドに委託しているのだ。
「おお、毛皮、頑丈だ!こりゃあ、いい防具になるな」
「ハヌマンは、肉も美味いんだぞ」
「骨は砕けちまってるな。誰か欲しい奴いるか?」
「あ、俺、欲しい。細かくなってもナイフとか短剣にできるんだよ、これ」
がやがやと、冒険者たちがハヌマンの死体を解体していく。
基本的に、モンスターには捨てるところがない。
全ての部分が、何かしらの素材になるのだ。
「さて、そろそろ行くか」
「はいっ!」
乱陀とカノンは、自然と手を繋ぐ。
ここ最近では、すっかり染みついてしまった習慣。
カノンの手は、銃を扱う割には、とても柔らかかった。
ぬいぐるみか、マシュマロみたいだ。
しかし、目を瞑ると、いつもフラッシュバックする。
あの放課後の空き教室の事を。
エリネの服を脱がす勇斗を。
勇斗に服を脱がされたエリネを。
左の手足を無くした乱陀を、悲し気な顔ひとつ見せずに、空中都市から落としたエリネを。
他人が、怖い。
拒絶されるのが、怖い。
裏切られるのが、怖い。
一人で生きてやると息巻いてはいるが、薄皮一枚だけで隔たれた心の奥底では、誰よりも他人の温もりを望んでいる自分がいる。
涙が出そうになり、下唇を血の味がするほど噛みしめ、耐える。
カノンに、見せたくないのだ。
カノンが、腕に絡みついてくる。
「乱陀さん。あとで冒険者ギルドに寄って、ハヌマンのお肉、一緒に食べましょう!」
「……ああ」
おそらくカノンは、乱陀に気を使ってくれているのだろう。
その気持ちが嬉しいのと同時に、自分の不甲斐なさに腹が立つ。
自分の心というのは、案外、自分で思い通りにはならないものだ。
その時、エドワードから通信が入った。
乱陀とカノンの網膜に、真っ黒な姿の、一つ目が映し出される。
「二人とも、お疲れ様。
申し訳ないんだけど、甲羅市の支部から、新しく発生したダンジョン制覇の依頼が入った。
今から行こうと思うけど、どうだい?」
「それは別に構わないけど、紅蓮町は大丈夫なのか?」
「うん。もう付近に強力なモンスターの反応は無くなったから。
残りは、冒険者ギルドの戦闘部隊で対処できるよ」
乱陀とカノンは、互いに顔を見る。
少しだけ、笑い合う、二人。
乱陀は、エドワードに返す。
「了解。今から甲羅市に飛ぼう」
甲羅市は、移動するタイプの都市である。
かといって、真宵市のように、空を飛んでいるわけでも無い。
甲羅市の地面は、生きている。
巨大な亀の甲羅の上に、都市を作ったのだ。
エドワードが運転するエアドライバーが、廃墟のビル群の合間を抜けると、海の上の亀の甲羅に建てられた、無数の高層建築が見えてきた。
昼間だというのに、カラフルなネオンサインが都市を照らしている。
後部座席では、乱陀の隣に座ったカノンが、目を丸くしていた。
「うっわぁ!ほんとに亀の上に都市があるんですね!」
「俺も初めて来たけど、圧巻だな」
巨大な亀は、身体の下半分を海に漬からせながら、日の光を浴びていた。
甲羅市の亀は、ほとんど動かないらしい。
そのため、存外に住みやすいとか。
甲羅市は、日本で最も栄えている都市の一つだ。
巨大な亀のおかげで、モンスターに襲われない。
甲羅市は、安全なのだ。
甲羅市には、もの凄い数の空飛ぶ車やトラックが、出入りしている。
冒険者ギルドの飛行船も、幾つも上空を飛んでいた。
魔導院・甲羅支部は、ちょうど亀の首元に位置していた。
分かりやすい場所で助かった。
甲羅市は巨大都市。
迂闊に中央市街に入り込んだら、迷子確定だ。
亀の首元に、エアドライバーを飛ばすエドワード。
コンクリート製のビルに、ネオンサインで『魔導院・甲羅支部』と派手に主張しているのを発見する。
「あそこですね」
エドワードは、甲羅支部のビルの屋上にある、駐車場へとエアドライバーを向けた。
甲羅支部の支部長は、大きなトロルの男性だった。
「おお、いらっしゃいな。来てくれてありがとうね」
支部長の部屋には、支部長のトロルとは別に、もう一人の男性がいた。
眼鏡をかけた細身の男性。
両腕と右脚が、機械化した肉体になっている。
「こんにちは。
冒険者クラン『バトルジャンキーズ』の代表を務めております、ブラッドラストと申します。
ジョブはバーサーカーです。
エドワードさんに、カノンさんに、乱陀さんですね。
お噂はかねがね聞いております。
特に乱陀さんは、ここ二週間で、八面六臂の大活躍をしていると。
どうぞよろしくお願い致します」
ブラッドラストは、乱陀たちに、深々とお辞儀をする。
カノンとエドワードはお辞儀を返す。
どうやら、魔導院・甲羅支部は、冒険者ギルドと非常に仲がいいらしい。
互いに、よく出入りして、持ちつ持たれつの関係を築いている様だ。
トロルの支部長が、目の前の空間を指で叩くと、ホログラムの地図が浮かび上がる。
甲羅市の地図のようだ。
丁度甲羅の真ん中にある、中央市街に、赤い印が点滅している。
「厄介なことに、中央市街のド真ん中に、ビル型のダンジョンができちゃったのね。
平和なはずの甲羅市の繁華街に、ダンジョンからモンスターが湧き出てるのよ。
今は何とか、魔導院と他の冒険者クランで結界を張って、モンスターが街には出ないように食い止めてるけど、破られるのは時間の問題なのね」
ブラッドラストが、機械化した中指で眼鏡を上げ、話を引き継ぐ。
「そこで、私のクラン『バトルジャンキーズ』と、乱陀さんたちで、ボスの撃破とダンジョンコアの破壊を、速やかに行うというのが、今回の作戦です」
ブラッドラストがホログラムの地図の赤い点を指で叩くと、その建物が拡大され、ビル内部の地図へと切り替わる。
真ん中が吹き抜けになっている、大きなビル。
今回のダンジョンだ。
マップの下には『ランク4ダンジョン 奈落のアクアリウム 推奨レベル60』の記載。
ダンジョンには、ランク1からランク5までがあり、最高難易度のランク5は、レベル70から80前後が推奨である。
今回は、上から二番目の、ランク4。
乱陀とて、油断をしたら死ぬランクだ。
ブラッドラストが続ける。
「先遣した他のクランのメンバーが言うには、このビルの中は、重力が上下が逆になっているらしいのです。
つまり、入り口が最上階になっていて、最上階が最下層になっていると」
ブラッドラストが、ビルの一番上を指差す。
「この最下層に、巨大なクラゲが居るのを見たそうなのですが、なにせモンスターが多すぎて、そこまでまだ誰も到達できていない。
恐らくは、そのクラゲがボスモンスターと思われます」
推奨レベル60のダンジョンというのは、レベル60以上が何十人も集まって、初めて攻略できるという意味である。
ボスモンスターのレベルは、80以上はあるだろう。
「現在、レアアイテム目当てに、各都市から冒険者が続々と集まっています。
彼らが攻略してくれれば、それはそれでいいのですが、ランク4ダンジョンは、そう甘くはありませんからね」
ブラッドラストが締めくくると同時に、部屋のドアが開く。
そこには、巨大な斧を持った、ポニーテールの小柄な少女が居た。
「ボス。話長いよ。早く行こ」
「ああ、クレアさん、すみません。
それでは皆さん、現地で落ち合いましょう」
ブラッドラストが、クレアと呼ばれた少女の後ろを、早足で付いてゆく。
残された乱陀一同と、トロルの支部長。
支部長が、広げられたホログラムのマップを撫でると、そこから光の粒が現れ、乱陀たちの胸に吸い込まれてゆく。
甲羅市のマップデータを貰ったのだ。
「今回のダンジョンは、ほぼ一本道らしいのだけれど、そこに着くまでの市街地がややこしいのね。
エアドライバーで飛んでいけばいいんだけれど、一応、持っておくといいのよ」
「ありがとうございます」
エドワードが、礼を言う。
乱陀は既に屋上のエアドライバーへ目指し、階段を上がり始めていた。
「ら、乱陀さん、早いですっ!」
乱陀を追うカノン。
エドワードが、支部長に会釈をして、階段を優雅に上って行く。
甲羅市の支部長が、三人を目で追っていた。
「……みんな、無事で帰って来るのよ。
何だか、胸騒ぎがするのね」
★
乱陀たちの乗ったエアドライバーは、甲羅市の上空を高速で走る。
目下には、ビルに幾つも貼り付けられた、ド派手なネオンサインの看板。
その広大なビル群の遥か向こう側。
あの、地平線の向こう側。
ようやく先端が見えてきた、窓のない巨大なビル。
あれが、今回のダンジョン。
奈落のアクアリウム。
乱陀たちの横からは、おそらく他の都市からやって来たであろう冒険者たちが、空飛ぶバイク『エアライダー』に乗って、次から次へと乱陀たちを追い越してゆく。
乱陀たちのエアドライバーの更に上空には、冒険者クランが所持している飛行船が、何隻も飛んでいた。
乱陀は、車の窓から、外を眺める。
「ホントに凄え数の冒険者だな」
「まだ誰にも荒らされてないランク4ダンジョンなんて、お宝の山ですからね。
生きて帰れれば、の話ですが」
エドワードが、蓋付きの水筒からコーヒーを飲みながら、片手でハンドルを持ち、一つしかない目で、冒険者たちを見送っていた。
まだまだ遠い、奈落のアクアリウム。
到着までは、もうしばらくかかるだろう。
乱陀たちがそう思った、その時。
甲羅市全体に、女性の機械音声で、緊急アラートが鳴り響く。
「緊急警報。ダンジョンを封じていた結界が破られました。即時避難してください。繰り返します。緊急警報……」
乱陀たちの目と鼻の先で、エアライダーに乗っていた冒険者が、上空から飛来した何かに、食われた。
「乱陀さん!カノンさん!戦闘準備を……」
さらに上空から飛んでくる、幾つもの影。
これは、魚影だ。
その内の一匹が、鋭い牙の生え揃った口で、乱陀たちの車に、正面から噛み付いた。
衝撃で、車のフロントフレームが曲がり、割れたガラスがエドワードに降り注ぐ。
エドワードが叫ぶ。
「二人とも、離脱してください!」
「お前はどうすんだよ!」
「ここは僕が何とかします!それよりも、一人でも多く、市民を!」
乱陀が真下を覗くと、空を泳ぐ鮫の群れに追われている、甲羅市の民衆。
市民を助けるのであれば、今は一秒が惜しい。
乱陀がエドワードに告げる。
「分かった!死ぬなよ!」
人間不信のはずの乱陀が、咄嗟に放った一言。
こんな言葉が出て来るなど、乱陀自身も思ってもみなかった。
エドワードの右手には、銀の腕輪が光る。
「エンチャンターの底力、見せてあげますよ!」
銀の腕輪から現れる、黄色と黒の縞模様の『KEEP OUT』のテープ。
その黄と黒のテープが、車のフロントフレームに絡みつき、割れたフロントガラス部分に結界を張る。
乱陀は、それを横目で見る。
あの頑丈そうな結界ならば、きっと大丈夫だろう。
乱陀はカノンに目で合図を送る。
こくり、と頷くカノン。
今や、市街地は血の海と化していた。
しかし、生きている人間も、まだ沢山いる。
(俺が他人を助けるなんて、少し前じゃ考えられなかったな)
乱陀は、軍帽の鍔を押さえ、カノンと共にエアドライバーから飛び降りる。
二人は、ブーツの底から赤い光を放ち、ネオンサインの眩しいビルの壁を蹴りながら、地上へと向かった。