Good Luck!
水雲乱陀は、涙が止まらなかった。
本当は、悔しかったのだ。
裏切られて。
虚仮にされて。
沖村花音は、ずっと手を握っていてくれた。
涙する乱陀を見て、馬鹿にもせず。
時には、一緒に泣いて。
三時間たっぷりを、泣くことに使い、ようやく心が落ち着いてきた乱陀。
悲しみを分かち合ったのは、今日初めて会ったばかりのカノン。
本当ならば、出会って数時間の少女に、する話でもない。
だけれど、乱陀の心は言う事を聞かずに、傷口を曝け出してしまった。
もうここまで来たら、カノンの事を信用してもいいかな、という思いもある。
しかし、それでも抜けない、心の棘。
また裏切られるぞ、という疑惑が、どうしても消えない。
果たして、復讐を成し遂げた後に、自分は幸せになれるのだろうか。
一人で生きる決心は付けていた。
だがそれは、確固たる基盤で支えられた決心ではなく、些細な事で揺らぐ、危ういバランスの上の、不安定な決心。
昨日まで、ごく普通の高校生でしか無かった乱陀は、肉体は強くなったが、心は普通の高校生のままだった。
部屋のドアが、ノックされる。
鍵が開き、入って来たのは、この部屋の主。
影のように真っ黒な姿の、一つ目の男。
羽織っている白衣が、コントラストで眩しい。
エドワード・鳳凰院・十三世だ。
「乱陀さん、今日、どこかに泊まるアテあります?」
「いや……」
「なら、魔導院の寮に、空き部屋が沢山ありますから、よかったらどうですか?」
乱陀は、反射的に考える。
もしこれが、罠だったら?
真宵市の誰かと、繋がっていたら?
勝手に、脳裏に浮かぶ、被害妄想。
乱陀は、自分の心が異常をきたしていると、自覚はしていた。
だが、止まらないのだ。
なぜ、自分は、こうなってしまっただろうか。
どこで、何を間違えてしまったのだろうか。
いっそのこと、死んでしまえば、誰かを疑わずに済むのだろうか。
ふと、乱陀の手を握る、カノンの力が強くなる。
「私、真宵市の人たちが許せません。
何も悪くない乱陀さんを、自己保身のために、殺そうとするなんて……」
カノンの目から、落ちる涙。
その言葉と、カノンの手の温もりで、乱陀はうっすらと正気に返る。
自分は何一つ悪くないのだと。
あまりにも心の中が、ぐちゃぐちゃになり過ぎて、そんな事まで分からなくなっていたのだ。
今はもう、誰も信じられなくなってしまった乱陀。
この子は、なぜ出会ったばかりの自分を信じてくれるのだろうか。
乱陀は、カノンにぽつりと呟く。
「カノン。ありがとう」
それは、色々な意味のありがとうが詰まった一言。
「え?あ、その、えへへへ……。
いいんです。乱陀さんが少しでも元気になってくれれば」
乱陀は、エドワードに問う。
「もし、仮にの話だけど。
俺が魔導院に入ったら、どんな仕事が割り振られるんだ?」
エドワードは、すっかり冷めたコーヒーを湯呑みで啜りながら、返す。
「そりゃあ、レベル138ですからね。事務作業に回すなんて、勿体ないことはしないですよ。
たぶん、モンスター討伐や、ダンジョンの探索などでしょうか」
「カノンと二人だけのチームで行動できるか?」
カノンは驚き、揺れる瞳で乱陀を見つめる。
乱陀は、カノンをドラゴンの目の前に置き去りにした、他のメンバーと仲良くする気は毛頭なかった。
エドワードは、コーヒーの褐色の水面に映る、自分の一つ目を見ながら、応える。
「申請すれば、余裕で通りますね。
レベル138の乱陀さんに、文句が言える人なんて、皆無です」
「そうか」
乱陀の頭の中には、架空のカノンの姿が、勝手に作り出される。
乱陀を裏切って銃で殺そうとする、カノンの姿が。
きっと、そんなことはしないはず、と思っているのに。
次々に浮かぶ想像に、抗う事ができない。
乱陀は、目の前にいる実物のカノンを見つめる。
明るい緑の肌の、ショートカットの黒髪の、可愛いゴブリンの女の子。
乱陀は妄想を、意思の力で、無理矢理に抑え込む。
裏切られたら、そこまでのこと。
その時は、また別の誰かと、生きればいい。
乱陀は勇気を振り絞る。
どんどん大きくなる被害妄想に、負けないように。
頭の中に作り出された、偽物のカノンを、意図的に無視して。
震える手を握りしめて。
「……カノン。俺と組まないか?」
「はい!是非!」
カノンは即答する。
乱陀の被害妄想を吹き飛ばすほど、にこやかな笑顔で。
★
乱陀は、金の鎖が幾つも付いた黒の軍服を着て、黒の軍帽を被る。
黒のブーツを履き、黒いマントを羽織る。
手袋は付けていないため、左手は黄金の鱗のまま。
マントの下からは、三メートルの黄金の尾が、しなる。
左の頬には『Six Feet Under』の赤い文字。
真宵市を追放されて、丸一日が経過した。
昨日は、あまりにも濃すぎる一日。
その一日を生き延びた今、乱陀は魔導院に所属することにしたのだ。
これも、真宵市の奴らに復讐するため。
圧倒的なレベルに達した乱陀だったが、それでも、高レベル帯の敵が複数人いた場合、返り討ちにされる可能性も、十分にあり得る。
そもそも、レベルの優劣は、絶対不変のものではないのだ。
低レベルのキャラが、高レベルのキャラを倒すことだってある。
そうでなければ、大物殺し、などという言葉は生まれない。
乱陀は、この紅蓮町を起点に、復讐の準備をすることに決めた。
金を稼いで、強力な魔法道具を揃える。
可能な限り、さらにレベルを上げ、より強力なスキルを得る。
あとは、人間不信の今では、まだ考えにくいが、仲間を増やす。
復讐を遂げるために。
そして、その後も幸せに暮らすために。
生活基盤は整えないといけない。
乱陀は、あてがわれた寮の一室のドアを開け、外に出る。
ドアの向かい側は、青空が見える、大きなガラスの壁。
そこに、乱陀と同じ、軍服姿のカノンが寄りかかっていた。
「あ、乱陀さん……」
カノンは、乱陀の姿を見ると、黙り込んでしまった。
「ん?どうした?俺、何か変だったか?」
自分の服装を、あらためる乱陀。
軍服など初めて着たため、どこか間違えてしまっているのだろうか。
「あっ!いえ!変じゃないです!似合ってます!
その、似合い過ぎてて……」
カノンは、明るい緑色の肌の頬を、うっすらと赤らめている。
何だかよくわからないが、変でないのであれば、それでいいと納得する乱陀。
「よし、行くか」
「はい!」
乱陀の腕に、絡みつくカノン。
一瞬だけ、刃物で刺されるのでは、と疑心暗鬼になり、身体を跳ねさせる乱陀。
咄嗟に身体を離す、カノン。
「あっ!ご、ごめんなさい。つい……」
「い、いや、大丈夫。
いつまでも、このままって訳にもいかないし。
慣れなきゃな」
乱陀は、カノンの手をそっと取る。
まだ、他人が怖い。
いつ悪意が自分を傷つけるかと思うと、身体の震えが止まらなくなる。
昨日のエリネたちの裏切りから、完全に変容してしまった、乱陀の心。
時が経てば、治るものなのだろうか。
カノンを見ると、何やら笑顔だ。
「乱陀さん、私のこと、いつでも練習相手にしていいですからね」
「あ、ああ。そうさせて貰えると、助かる」
「えへへ」
いまだに、カノンの事すら完全には信用しきっていない乱陀。
しかし現時点では、カノンが世界で唯一、ある程度信頼できる相手でもある。
カノンが、軍帽の下の大きな目で、乱陀を見上げる。
「でも、行くって、どこへです?」
乱陀は、軍帽をまっすぐに正す。
その下の目は、静かに怒りに燃えていた。
「お前をドラゴンの前に置き去りにした奴らに、挨拶をしなきゃな」
乱陀は、兵舎の鋼鉄の扉を、思い切り蹴り開ける。
轟音が鳴り響く。
頑丈なはずの鋼鉄の扉の表面は、へこんでいた。
兵舎全体に響き渡ったであろう音により、兵舎内の軍人全員が、武器を取って乱陀の前に集まって来ていた。
全員が黒い軍服を着た、モンスターたち。
およそ、百名。
軍人たちを眺めまわす、乱陀。
「なんだ。軍隊って言うから、もっといるかと思えば、こんなに少ないのか」
乱陀が小学生の時よりも以前の、まだナノマシンによる暴走が起きていない世界では、軍隊と言えば、万単位が当たり前であった。
だが、大災害により、世界人口そのものが激減した今、軍事に携わる人間は、そこまで多くは無い。
乱陀は、すぐ後ろに付いて来ていたカノンに尋ねる。
「お前の隊の奴らは、どれだ?」
「あそこにいる九人です」
カノンは、大きな人狼・ウェアウルフを中心とした、モンスター九人を指差す。
人狼が、カノンを見て、嘲る。
「ああ、沖村。そういや、生きてたんだっけな。
最弱のゴブリンなんざ、囮にしか使えんと思ってたが。
そこの男を誑し込んだんだろ?
やるじゃねえか。
俺なら、ゴブリン相手なんて、勃たんけどなぁ」
周りのモンスターたちが、ニヤニヤと笑う。
「隊長。俺、沖村ならイケます」
「お前は穴があれば誰でもいいんだろうが」
「あ、ヤっていいなら、自分もヤりたいです」
「わかったって。ヤりたい奴らで輪姦せばいいだろ」
カノンを舐めまわすように見る、モンスターたち。
カノンが歯を食いしばり、血が出そうなほど拳を握りしめる。
乱陀は、最初は少し懲らしめる程度で、おさめようと思っていた。
しかし、今はもう、その気は無い。
怒りで揺らぐ乱陀の目。
乱陀が、カノンに問う。
「カノン。生かして欲しい奴だけ、教えろ」
「……あの隊には、いません」
「そうか。わかった」
乱陀は、黄金の左手を、九名のモンスターたちに、かざす。
左頬の『Six Feet Under』の文字が、赤く輝く。
スキル、グラビティ・ギフトが発動する。
モンスターたちの頭上に現れる、巨大な下向きの黒い矢印。
超重力が、圧し掛かる。
「ぎゃっ!」
「ぐへぇ!」
「がはぁ!」
肉と骨が潰れ、目玉と内臓を飛び出させ、死亡してゆくモンスターたち。
だが、二名だけ、耐えた者がいた。
隊長のウェアウルフと、身体中を機械化したリザードマンだ。
「ぐ、ぎぎ……、てめえ、何しやがった……」
隊長とリザードマンが、手足を床につきながらも、重力に対抗している。
乱陀は冷静に相手の力量を分析する。
恐らくあの二名は、他の奴らよりも、レベルが高いはず。
(高レベル帯の小型モンスターには、グラビティ・ギフトだと殺しきれないか)
グラビティ・ギフトは、相手の体重が大きければ大きいほど、威力が増す。
それを利用してドラゴンすらも潰すことができたが、人間サイズの高レベルの個体相手では、HPを削り切れない。
超重力で行動を阻害する事はできるが、決め手にはならなかった。
(だったら、あれを使ってみるか)
乱陀は、グラビティ・ギフトを解く。
超重力から解放され、立ち上がるウェアウルフとリザードマン。
リザードマンが吠える。
「はぁ、はぁ、てめえ、殺す!」
全身を機械化したリザードマンのブーツの裏から、赤い魔法陣が広がる。
魔法陣の外周に浮かぶ『日本魔導院・疾風ノ術』の文字。
斧を構えたリザードマンの姿がブレる。
その一瞬後には、乱陀の目の前に現れ、斧を振りかぶるリザードマン。
だが、レベル138の乱陀の動体視力と反射神経は、体内のナノマシンにより超絶強化をされている。
本来は肉眼では見えないはずの速度で飛び掛かったリザードマンを、黄金竜の左手で掴み、床に叩きつけた。
リザードマンの身体が、床を割りながら地面にめり込み、兵舎全体が衝撃で揺れる。
「ぐほぇっ!」
リザードマンの機械部分が破損し、バチバチと音を立て、青い火花が散る。
乱陀は、地面に倒れたリザードマンに向け、右手を構える。
左頬の『Six Feet Under』の文字が、赤く輝く。
乱陀の網膜には、使用可能スキルの一覧が表示されている。
乱陀は、その中から、カース・ギフトを選択した。
乱陀の右の手のひらに、黒い円形のホログラムが浮かび上がる。
その中心には『Good Luck!』の表示。
乱陀は円形のホログラムを、リザードマンの顔面に叩きつけた。
その顔に、札が貼られる。
札には文字が書いてあった。
『爆裂』と。
次の瞬間、爆音と共に、頭が粉々に砕けるリザードマン。
割れた頭蓋骨と、脳の欠片が、周囲に飛散した。
カース・ギフト。
それは、呪いを与える、邪術師ウォーロックの代名詞の技。
他の魔法と違い接近戦用だが、高レベルのモンスターすらも一撃で破壊する、強力な技。
乱陀は、頭が吹き飛んだリザードマンの身体を踏みにじり、最後の一体である、隊長のウェアウルフを見る。
ウェアウルフは、歯の音を鳴らし、身体を震わせ、小便を漏らしていた。
「な、な、なんだよ、お前……」
ウェアウルフの隊長のレベルは55。
魔導院・紅蓮町支部の中でも、最強の一人。
そのウェアウルフの目から見ても、乱陀は明らかに異質な存在であった。
(に、逃げなきゃ……。あいつは、ヤバい!)
ウェアウルフは、高速移動の魔法のブーツに、MPを込める。
だが、ブーツの魔法陣が起動しない。
(なんで!なんで動かないんだ!)
ウェアウルフの網膜の端に映る、現在のステータス。
そこに記されている、事実。
MPが、ゼロになっていた。
(は?はあああ!?)
ウェアウルフの身体からは、青い矢印が伸びていた。
それは、乱陀にしか見えない青い矢印。
MPを奪う、MP・スティールである。
混乱するウェアウルフ。
なぜ、MPが無い。
焦るウェアウルフの視界に、黄金の尾が映る。
(えっ?)
恐るべき速度で、ウェアウルフの胴体に巻き付く、黄金竜の尾。
いつの間にか、乱陀に距離を詰められていたのだ。
乱陀は、ウェアウルフの身体を持ち上げる。
そして、兵舎の中にいる、九十人の軍人たちに、大声で告げる。
「全員、見ておけ!俺とカノンに害を及ぼす奴は、一人残らず、殺す!」
ウェアウルフは、泣き叫ぶ。
「や、やめてくれええっ!頼むぅ!アンタの手下にでも何でもなるからっ!」
乱陀は『Good Luck!』の文字が映し出された右手を、ウェアウルフの首に叩きつける。
そこには『切断』の札が貼られた。
「た、すけ……」
ウェアウルフが、その一言を零した時。
巨大な刃物を振るわれたかのように、ウェアウルフの首は、斬り飛ばされた。
撒き散らされる、大量の血液。
兵舎の中が、真っ赤に染まる。
宙を舞って、床に転がり落ちる、ウェアウルフの首。
それを見ていた九十人の軍人たちは、誰も、微動だにできなかった。
血と臓物の臭いが充満する、兵舎の中で。
黄金の尾を持つ男の、圧倒的過ぎる力を、目の当たりにして。