魅了をぶっ潰せ!
空に漂う雨雲から、雷鳴が轟く。
ただでさえ暗い暗黒町が、まるで真夜中のよう。
土砂降りの雨の中、一人の女が、黒のレインコートを着て、暗黒町を歩く。
その手に持った、大きな防水バッグの中には、食糧が入っていた。
暗黒町は、あらゆる人種が入り乱れている。
女の横を、ミノタウロスの男とケンタウロスの女のカップルが、通り過ぎる。
上空を、鳥人間の一団が飛び交う。
猫人間の女性警官が、ホイッスルを鳴らしながら、箒に跨り、コボルトの男性を追いかけていた。
壁を見ると、いかがわしい店の看板が、ずらりと並んでいる。
おそらく娼婦と思われる、様々な人種の女性たちが、雨の中、道行く男性に声をかけていた。
そして、その全ての人間の瞳に、ハートマークのエフェクトがかかっている。
それは、魅了スキルの支配下にある印。
レインコートの女は、とある雑居ビルの三階を目指す。
女の目には、ハートマークは無い。
ビルの三階に付くと、ボロボロのドアがあった。
これは偽装である。
このドアは、本当はかなり頑丈な上、最先端のセンサーキーが搭載されている。
女がドアの横にある顔認証センサーの前に立つと、青い光が女の顔を照らし、解錠許可リストのデータと照らし合わされる。
電子音がなり、センサーに小さく「漢」の字が映し出される。
がちゃりと音が鳴り、ドアの鍵が外れる。
女がドアを開けると、何か途轍もなく素早い、肌色の鞭のようなものが、女が持つバッグに触れた。
いつの間にかバッグが開けられ、中に入っていた焼き鳥の串が、数本消えている。
女が部屋の端を見ると、藍之介が後ろを向き、何やらもごもごと、口を動かしていた。
藍之介の右手には、肉の消失した四本の串。
女が、藍之介の背中を睨む。
「藍之介さん。つまみ食いしちゃダメって、何度言ったら聞いてくれるの?」
「ボ、ボクは、なにもひてまへんよぅ」
説得力が皆無の返答。
女は、もう何度目かわからない、溜息を吐く。
女はレインコートを脱いで、木製のコートハンガーに掛ける。
長い、サイバネの手足。
赤毛の三つ編みの美少女。
レベル81のシーフ、シグマだ。
部屋の奥からは、乱陀たちクランメンバーが、ぞろぞろとやって来る。
シグマは食糧の入ったバッグを、テーブルの上に降ろす。
迅が、シグマに聞いた。
「どうだ?」
「もう暗黒町はダメね。ほとんど全員が魅了の支配下」
シグマが肩をすくめる。
ここは、スーパーゴッドハンド竜次が、紅蓮市で仕事をするための拠点の一つ。
当然、名義は架空の人物で借りているが、家賃を滞納したことがないため、疑われることなど無い。
ツバキが、テーブルに両手をついて、周りを見回す。
「それじゃ、おさらいしましょ。
魅了について。
まずは、エリネちゃんと目が合ったらアウト。
魅了される条件は、これでよさそう?」
シグマが、皆に焼き鳥を配りながら答える。
「たぶん、それで間違いないよ。
魅了された人たちの記憶を拝借したら、みんなエリネと目が合った瞬間から、身体のコントロールがおかしくなってる」
「対応策は、特殊コーティングをしたゴーグルでOK?」
そこに、段ボール箱を抱えた華虎が、ドアを蹴り開けて登場した。
「それでOK!このコーティングを開発するのに苦労したわ!わたし二日寝てないのよ!ポーション頂戴!」
目の下に隈を作った華虎が、沢山のゴーグルが入った段ボール箱を、床に置く。
華虎がエドワードからHPポーションを受け取ると、一気飲みする。
「かあーっ!生き返るわ!」
「おっさんみたい」
余計な一言を呟いた藍之介に、華虎が蹴りを入れる。
吹っ飛ぶ藍之介。
ツバキが、淡々と話を進める。
「次。もし魅了にかかった場合。
支配されるのは、精神じゃなくて、肉体。
これも合ってる?」
シグマが、つくねの焼き鳥を食べながら、回答する。
「たぶん合ってる。
昨日のエリネの『パレード』の時、観客の記憶を見たら、心の中は正常だった。
ただ、肉体は完全に支配されて、エリネの命令には逆らえない。
たぶん、体内のナノマシンが、エリネの命令を強制的に実行する感じだね」
「仮に、魅了にかかっちゃった場合の話なんだけど。
魅了された瞬間に、肉体を束縛するような機械とか、作れる?」
華虎と、ツバキチームのエンジニアが、顔を見合わせる。
「それは、無理だと思う。
他のステータス異常と違って、トリガーとなる魅了は未知の部分が多すぎるから。
ただスキルを遮断するだけのゴーグルを作るのとは、全然別物」
「私も同感。たぶん、そういう機械を作るには、スキルを使う側のデータが大量に必要になるし。
簡単に言うと、エリネちゃんの協力が必要なの」
ツバキはそれを聞き、頭を掻く。
「あー、それは確かにダメね。本末転倒過ぎるわ」
エドワードが、乱陀に問いかける。
「乱陀さん。ツバキさん、何だか変じゃないですか?
いつもと違って、シャキッとしているというか……」
「ああ、あいつは考えるだけだったら、まともなんだよ。
行動すると、ポンコツになるけどな」
「水雲!聞こえてるわよ!」
ツバキがテーブルを叩く。
乱陀が、ツバキに尋ねる。
「んで、何かいい作戦は思いついたのか?」
「みんなバラバラに行動するのがいいと思うの。
固まって動くと、誰かが魅了された途端に同士討ちが始まるでしょ?
でも、バラバラに動いてたら、仮に魅了を受けても、周りに誰も無いから、同士討ちは直ぐには始まらない」
エドワードが、一つ目を丸くする。
「……なんていうか、まともですね」
「な?こいつは、前線に立たせない方がいいんだよ」
「アンタたち……!」
ツバキがテーブルを叩く。
「私は絶対に付いていくわよ!
私を仲間外れにするなんて、許さないんだから!
大活躍してやるんだから!」
エドワードと乱陀が、表情を失くす。
「あ、いつものツバキさんだ」
「こうなったら、あいつはもう駄目だ。
あいつは最初から敵だと思っておいた方がいいぞ」
拳を握り、プルプルと震わせるツバキ。
その時、ラジオマスターの少女が、声を上げる。
「マモリさんからの通信」
ラジオマスターの目の前に、ふわりと浮かぶ、マモリのホログラム。
藍之介の表情が、急に凛々しくなる。
「乱陀。首尾はどうかえ?」
「対魅了のゴーグルは、華虎に作って貰った。これで、攻め込むなら、いつでも行ける」
「スキルロックの手榴弾はあるかの?」
「何とか二つだけ手に入った。これは、俺とカノンが使う」
魔導院本部の遠隔鑑定部隊によれば、魅了は神話級スキルとはいえど、スキルロックで封じることができるとのこと。
乱陀は、告げる。
「狙うのは、明日の『パレード』だ」
パレード。
それは、多くの市民を魅了するため、結界を張ったエリネが数十人の護衛と共に、街中をエアボードで跳び回る行為。
エリネが魅了を手に入れてからの一週間、毎日開催されている。
乱陀たちはこの一週間、マモリや魔導院本部と連携し、魅了の打開策を模索していたのだ。
そのまとめが、先ほどのツバキのおさらいである。
乱陀は続ける。
「本部の鑑定部隊によると、エリネはエピック級やレジェンド級の防具で、ガチガチに固めてるらしい。
防御力も、魔法抵抗も、半端じゃないと思っておいた方がいい。
魅了対策でバラバラには動くが、攻撃する時は一斉に。
そうじゃないと、ダメージが与えられない」
全員が、頷く。
壁に寄りかかっていた飛鳥が、コーヒーカップを片手に、口を開く。
「あと。たぶん、エリネも、ウチらが来るの、わかってんだろ」
「ああ。十中八九な」
パレードの最中以外は、エリネはセキュリティだらけのタワーマンションに引きこもっている。
近づいただけで、銃弾と砲撃の嵐をお見舞いされるマンションだ。
乱陀たちが襲撃をするには、パレード中が最適解。
きっと、エリネもそれを理解している。
不意打ちだとバレている不意打ちをするのが、今の所ベストなのだ。
ホログラムのマモリも、頷く。
「いざとなったら、迷い学園も動かす。
迷い学園の敷地内では、魅了されるのも防げるのじゃ。
そのため、学園内の学生たちは、正気である。
既に魅了されている人間を治すことはできぬがな」
「ああ。助かる」
治すことはできなくとも、新たな魅了者ができるのを防げるだけでも、違う。
ダンジョンマスター系ジョブは、自分のテリトリー内に限るが、かなり強力なスキルが揃っているのだ。
乱陀が、声を上げる。
「作戦は単純だ。
速攻でエリネに向かって、速攻で結界を壊して、速攻でスキルロックをかける。
パレード自体は13時から始まって、この付近を通るのは、45分後くらいだ。
その時に、エリネを包囲する形で、攻め込む。
以上、あとは各自、明日に備えて休んでおけ」
その夜。
乱陀はカノンと、竜次は霞と、愛を交わしていた頃。
エドワードの部屋をノックする者がいた。
「はい、どうぞ」
エドワードが入室を促すと、そこから現れたのは、足でドアノブを捻って開けた、パジャマ姿のファーフライヤーであった。
ファーフライヤーが、漆黒の翼の片方を上げる。
「よっ」
「ファーフライヤーさん。どうしたの?」
「なんか寝れなくて」
ファーフライヤーは、エドワードの部屋へ入ると、勝手にベッドへと腰かける。
なお、ファーフライヤーのパジャマや軍服は、MPを込めると瞬時に着脱できる、魔法道具だ。
両手が翼のファーフライヤーでも、自分で着替えができる。
ファーフライヤーが、サイドテーブルに置いてある、幾つかの写真を眺めていた。
ほとんどが、今の姿のエドワードと、マモリたちとの写真だったが、ひとつだけ、ナノマシン暴走前の姿のエドワードの写真があった。
「昔のエドワード、噂通りの、超絶美青年。ごくり……」
「ははは。僕は、今の自分の方が好きなんだけどね」
昔のエドワードは、美しさと引き換えに、自由が無い人生だった。
エドワードは、昔に戻りたいとは、欠片も思っていない。
ファーフライヤーは、ベッドの上で、両翼で身体を包む。
「ねえ、エドワード。魅了、怖くない?」
「怖いよ。すごく」
「私、怖くてたまらないの。
軍人だから、死ぬ可能性とかは、いつもあるけど。
でも、魅了で操られるのは、全然違う」
エドワードが、ファーフライヤーの隣に座る。
黙って、ただ座るだけ。
ファーフライヤーが、とめどなく言葉を曝け出す。
「もし魅了されたら、エドワードたちの敵になっちゃう。
それに、鑑定部隊の話だと、エリネに雇われた男たちの慰み者にされちゃうんだって。
そんなの、嫌。
死ぬより、嫌。
でも、死にたくても死ねないんだよ?」
エドワードが、ファーフライヤーの翼の先に手を触れる。
「僕がそんなことはさせないよ」
ファーフライヤーが、エドワードの一つ目を、じっと見つめる。
「信じちゃうよ?」
「どうぞ」
ファーフライヤーが、ベッドから跳び下りる。
「じゃあ、信じる。
私が魅了されたら、絶対助けてね」
ファーフライヤーは、ドアノブを足で捻り、部屋から出て行く。
その時に、エドワードに向かって、小さく翼を振った。
★
翌朝。
朝食をとった『黄金の尾』の皆は、それぞれの戦闘服へと着替えていた。
魔導院の軍人は、軍服とマントを羽織り。
エドワードは、軍服の上にレジェンド級の白衣を羽織り。
華虎は、デニムの作業服を着て、黒縁の眼鏡をかけた。
全員が、段ボール箱のゴーグルを掴む。
ゴーグルは、予備も合わせて、一人五個。
エドワード用は、大きなガラスが一つだけ。
皆、各自で、ゴーグルを装着する。
ファーフライヤーだけは、自分で装着することができないため、エドワードがゴーグルをファーフライヤーの頭に通す。
その時、エドワードの元へと、足音を鳴らし、近づく者がいた。
飛鳥だ。
飛鳥は、コーヒーカップを乱暴にテーブルに置き、エドワードへと自分のゴーグルを差し出した。
「エドワードさん。アタシにも着けて」
「え?飛鳥さん、自分で着けれるんじゃ……」
「着けて」
飛鳥の声音は、いつも通り冷静だ。
だが少し、苛立っているようにも感じる。
エドワードは困惑するも、飛鳥からゴーグルを受け取る。
「ま、まあ、いいですけど」
エドワードは、真正面から、飛鳥の頭にゴーグルを通す。
その間、飛鳥は、エドワードの一つ目をじっと見つめていた。
「これでどうですか?」
エドワードが問いかけると、飛鳥は、先ほどの苛立ちはどこへ行ったのやら、機嫌良さげに返事をする。
「あんがと!」
表情は、いつも通りドライ。
だが、頬が少し赤く染まっている。
ツバキは、あんぐりと口を開けたまま、固まっていた。
(ああ~、飛鳥さん、そこかぁ~)
飛鳥は、勇斗に靡かないことから、完全な内面重視型だと思ってはいた。
よくよく思い返してみれば、飛鳥はエドワードの淹れたコーヒーを、やたらよく飲んでいた気がする。
コーヒーが好きなだけだと思っていたが、あれは飛鳥なりのアプローチだったのだろうか。
ツバキは以前、ナノマシン暴走前のエドワードの写真を見せてもらったことがあるが、超絶美青年すぎて、目玉が飛び出るかと思った。
おそらく当時は、モテまくったのであろう。
エドワードは異形となった今でも、その名残か、女性に対してかなり積極的に優しく扱う節がある。
マモリにファーフライヤーと、エドワードと仲のいい女性は多い。
(飛鳥さん、なにげにその人、ライバル多いぞ……)
ツバキは、エリネの魅了攻略とは、また別の波乱の予感に、眉間に皴をよせていた。




