三つ巴の攻防
紅蓮支部の飛行船にて。
この飛行船は、魔導院本部からは少し離れた場所へ移動させていたため、この中であれば、魅了のスキルブックの誘惑は、届かない。
両脚を斬り落とされて出血多量で肌が蒼白になった、ファーフライヤーが運び込まれていた。
結界使いの一人が、斬られた両脚を、装着してあった魔法道具ごと、拾ってきていた。
ツバキチームの剣士の少女が、ファーフライヤーの口にHPポーションに刺さったストローを近づける。
「ファーフライヤーさん、飲める?」
「う、うん。助かるわ……」
ストローで赤いポーションを飲み干す、正気に戻ったファーフライヤー。
傷口が銀色に覆われる。
そこに、ラジオマスターの少女が、両脚をくっつける。
ポーションの効果で、癒着する両脚。
一旦は危機を脱出したものの、出血とダメージにより、ファーフライヤーのHPはかなり減っていた。
ライトブリンガーの少女が、ファーフライヤーに、リジェネレイションのスキルをかける。
少しずつ再生する、ファーフライヤーのHPと、切断された軍服のズボンの裾。
ふらつく視界で、その場の全員を眺めるファーフライヤー。
「……ありがと。危なかったわ。くそ~、やっぱりスキルブックの誘惑効果はキツいなぁ」
抗えなかった、というよりも、そもそも抗おうとする気すら起きなかった。
魅了を欲しがるあまり、隙だらけになって、この体たらくだ。
ファーフライヤーは、少し離れた床に転がる、ツバキを見る。
腹部を抱えて、泣きむせぶツバキ。
「ひいいん!お腹痛いよぉ!ひいいいん!」
乱陀に殴打された腹部が、激痛に襲われているのだ。
ファーフライヤーが、ライトブリンガーに尋ねる。
「あの子、回復しなくていいの?」
「ツバキちゃんは今、反省タイムです」
ファーフライヤーにはよく分からなかったが、ツバキは何かをやらかしたらしい。
そこに、飛行船の客室から、鉢巻を巻いた短い金髪が、顔を覗かせた。
クラッカーのスーパーゴッドハンド竜次だ。
その後ろからは、竜次の幼馴染であり、恋人でもある霞も付いてきた。
「おう!ようやく内部が把握できたぜ!スッゲェ複雑過ぎて、時間かかっちまった!」
竜次が手のひらを差し出すと、一瞬だけ「漢」の字が表示され、その後、宙に巨大なホログラムが浮かぶ。
魔導院本部の、上層と下層を含めた、マップだ。
ファーフライヤーは、目を丸くする。
「えっ?本部のマップ、取って来たの?この短時間で?」
「おうよ!セキュリティがガッチガチだったから、骨が折れちまったけどな!」
「いや、普通のハッカーなら一ヵ月かかっても無理なように作られてるんだけど……」
このハッカーらしくない金髪の少年は、そうとう凄腕のクラッカーらしい。
竜次は、ラジオマスターの少女に、データを転送する。
「マップ、皆にバラ撒いてくれい!」
「らじゃ」
★
乱陀は、ラジオマスターから送られてきた、広大なマップを網膜に映す。
あまりにも広大で、あまりにも複雑。
廊下すら、縦にも横にも広い。
無数の分かれ道と、膨大な数の部屋。
それが、魔導院本部の下層。
マップには、カノンの顔のアイコンが表示されていた。
パーティメンバーの居場所も、マップで分かるのだ。
なお、エドワードは今、乱陀からは離れた場所の上層部だ。
誘惑の影響が届いていなければいいのだが。
どうやらカノンは、乱陀とは反対側の、下層にあるエンジニアリング部門の整備室にいるらしい。
そんな場所にいるという事は、エンジニアである華虎も一緒なのだろう。
何をしているのかは不明だが。
乱陀の周囲には、数百人の軍人や盗賊たちが、床を走り、壁を蹴り、前方に向かって力の限り疾走していた。
今はもう、誰一人として、乱陀に見向きもしない。
きっと、彼らが向かう先に、勇斗と、魅了のスキルブックがあるのだろう。
乱陀は網膜に映されたマップを見る。
このまま真っすぐ進むと、巨大な部屋がある。
飛行船格納庫。
乱陀は、宙に赤い軌跡を残し、壁や天井を蹴り跳ねながら、高速で廊下を進む。
人の海となった廊下の奥に、明かりが見える。
乱陀は、何百人もの頭上を飛び越え、飛行船格納庫へと突入した。
そこは、大きな飛行船が、横並びに何十隻も格納されている、横に長い、巨大な部屋。
壁には、もの凄い数の、エアライダーやエアボードが掛けられていた。
格納庫も、足の踏み場もないくらい、人で埋め尽くされている。
その部屋の中央では、数十メートルの光の刃が振るわれ、血の海と死体の山が出来ていた。
勇斗だ。
その腰には、スキルブックの入ったポーチが装着してある。
勇斗にスキルブックを取られてから、二十分が経過していた。
魅了スキル習得までには、まだ時間に余裕はあるとは言えど、あえてスキルブックを渡すつもりもない。
乱陀は、格納庫の天井を蹴り、勇斗の元へと駆ける。
勇斗が、乱陀を見る。
目が合う、両者。
憎悪の運命が、再び交差する。
思わず、腹の底から叫びが上がった。
「勇斗おおおっ!」
「乱陀あああっ!」
乱陀に向かって、まっすぐに天剣を振るう、勇斗。
乱陀は黒銀の右腕で、裏拳で天剣を殴り、弾き返す。
その衝撃で、勇斗は、よろめく。
驚愕に、目を見開く勇斗。
たかがサイバネの腕に、レジェンド級装備の天剣が弾かれるとは夢にも思っていないだろう。
乱陀は、勇斗に教えてやりたくなる衝動に駆られる。
この右腕は、神話級装備であると。
天剣を弾いた勢いのまま、黒銀の右腕を振りかぶる乱陀。
勇斗に肉迫する。
勇斗はまだ、天剣を弾かれ、姿勢を崩したまま。
乱陀は、思い切り右腕でパンチを繰り出す。
その拳は、勇斗の顔の中心に突き刺さり、顔面の骨を砕いた。
吹き飛ぶ勇斗。
「へぶおおおっ!」
無数の盗賊たちの群れへと、突っ込む勇斗。
盗賊の一人が、倒れる勇斗の腰から、スキルブックのポーチを奪い取る。
途端に始まる、スキルブック争奪戦。
数百人が一斉に、攻撃スキルや魔法を撃ちまくる。
スキルブックは、次々と所有者を変えた。
誰かの手が取ったと思ったら、その手が斬り飛ばされ、また別の誰かの手に渡る。
飛行船格納庫にいる数百人全員が、自分以外は全て敵なのだ。
スキルブックが宙を高く舞う。
みんなが、手を伸ばす。
だが、それを掴んだのは、天井にワイヤーフックを引っかけて飛来した、一人のシーフの男。
戦闘では弱いが、こういう場面ではシーフは強い。
スキルブックを手に、格納してある飛行船の上に着地する、シーフ。
その時、格納庫全体が揺れる。
そのシーフが立っていた飛行船の上の天井が、突然に溶け、暗い緑色の泥が噴き出した。
泥を、思い切りかぶるシーフ。
肉が、溶けて行く。
「ぎゃあああっ!」
数秒後には、骨と内臓だけになり、飛行船からバラバラと落ちて行く。
スキルブックは、泥で出来た手が、掴んでいた。
泥が渦巻く、飛行船の上。
そこに、一人の男が降り立った。
暗い緑色のローブを、なびかせて。
その顔には、ゴーグルと、ペストマスク。
日本全国での指名手配犯。
毒の泥の魔法使い、ヴェノマッド。
ヴェノマッドは、泥の手から、自らの手に、スキルブックを持ち直す。
スキルブックが入っていたポーチは、小型の結界が張ってあったせいか、毒で溶けてはいなかった。
乱陀は、ヴェノマッドに向けて、右手のグラビティ・ギフトを与える。
ヴェノマッドは瞬間的に膨大な泥で頭上を包み、重力をガードする。
だが、ヴェノマッドの乗っていた飛行船は、グラビティ・ギフトにより、床へと落下し、粉々に破損した。
ヴェノマッドは、泥に身を包んだまま、格納庫の床に立つ。
そして、乱陀を睨みつけた。
「また貴様か。しっぽ男」
「それはこっちのセリフだ。嘴野郎」
乱陀とヴェノマッドは、対峙する。
乱陀の右手には『Good Luck!』の文字。
ヴェノマッドの周囲には、毒の泥で出来た、数十本の手。
今、両者が、接近する。
しかし、光の剣が、その間を横薙ぎに斬り裂く。
乱陀とヴェノマッドは、それぞれ後方に跳び、光の剣から逃れる。
ヴェノマッドの手からは、スキルブックが離れていた。
スキルブックを離さなければ、ヴェノマッドの手が斬り落とされていたからだ。
乱陀とヴェノマッドの中間を、飛ぶスキルブック。
それを掴んだのは、空になったHPポーションの瓶を投げ捨てた、勇斗だった。
勇斗はいつの間にか、足にエアボードを装着している。
きっと、格納庫の壁に大量に掛かっている、エアボードの一つを拝借したのであろう。
「これは俺のものだ!」
エアボードを浮かせ、乱陀が入って来た道とは逆方面の廊下へと逃亡する勇斗。
ヴェノマッドも、壁に掛けてあるエアボードの一つを、泥の手で取り、足に装着する。
乱陀は高速移動のブーツに魔力を込める。
勇斗を追いかける、乱陀とヴェノマッド。
そのさらに後ろからは、数百人が、大波のように押し寄せる。
広大な廊下の宙を、駆け巡る三人。
乱陀が、グラビティ・ギフトや、カース・ギフトを放つ。
ヴェノマッドが、数十本の毒の泥の手で、二人を掴みにかかる。
勇斗は、光の剣を振り回す。
三人はそれぞれ繰り出される攻撃を、互いに紙一重で躱していた。
勇斗が怒鳴り散らす。
「しつけえんだよ!手前ら!」
勇斗が乱陀の首筋に天剣を振るう。
だが乱陀は、咄嗟に身を低くし、空気を斬り裂く光を回避する。
そのまま乱陀が勇斗の腹に蹴りを入れる。
「ぐほえっ!」
思わず、スキルブックから手を離す勇斗。
スキルブックを黄金の尾で巻き取る乱陀。
背後から乱陀に迫る、幾つもの毒の泥の手。
乱陀は、スキルブックをヴェノマッドに投げつけた。
「ほら、やるよ」
思ってもみなかった乱陀の行動に、一瞬戸惑うヴェノマッド。
その戸惑いの瞬間、乱陀の尾の一撃が、ヴェノマッドの顔面に炸裂した。
再び、スキルブックを尾で巻き取る乱陀。
「悪い、今の嘘だ」
ヴェノマッドのゴーグルとペストマスクが、粉々に砕ける。
ヴェノマッドは、壊れたゴーグルとペストマスクを投げ捨てた。
なぜか、乱陀の尾撃を食らっても、大したダメージになっていないようだ。
その素顔は、暗い緑色の短い髪と、サイバネの緑色の瞳の、三十代前半の男性。
同じ緑色でも、カノンの美しい緑の肌とは対照的である。
乱陀は、緑色を侮辱されたように感じ、怒りが湧いてくる。
「お前。なに勝手に緑色してんだ。緑はカノンの色だろうが!別の色に染めてこいや!」
ヴェノマッドからして見たら、意味が分からない罵倒。
ヴェノマッドは、ボロボロになったローブも脱ぎ捨てた。
その下は、サイバネになった全身。
機械の肉体だ。
乱陀の尾の一撃でも平然としていたのは、全身が金属ゆえの頑丈さ。
ならば、勇斗もろとも、超重力で圧し潰すまでのこと。
乱陀は右手を掲げ、再びグラビティ・ギフトを二人にかける。
今なら、勇斗もヴェノマッドも、移動速度が落ちているため、避けられないはず。
二人の頭上に発生する、乱陀にしか見えない、巨大な下向きの矢印。
ヴェノマッドは、大量の泥を身に纏い、重力に耐える。
勇斗も、鎧のベルトに装着してあった、銀色の筒のボタンを押す。
勇斗を包む、最上級簡易結界。
勇斗もヴェノマッドも、ダメージこそ防げたものの、重量の増加により、移動速度が極度に遅くなった。
その隙に、二人を抜き去り、全力で疾走する乱陀。
背後では、勇斗とヴェノマッドが、重力でうまく動けず、乱陀を睨んでいた。
勇斗が、吠える。
「乱陀ぁ!その本は俺のものだ!絶対に渡さねえからなぁ!」
遥か背後に遠ざかる、勇斗。
乱陀は、ひとり、廊下を高速で駆け抜ける。
とりあえず、ひとまず危機は脱出したようだ。
だが、乱陀の存在が有名になったせいか、やはりこちらの手の内は割れている模様。
ヴェノマッドも勇斗も、グラビティ・ギフトを防いだ。
乱陀のモーションで、何のスキルを撃つか、バレてしまっている。
今、乱陀は、巨大な十字路に差し掛かったところだった。
すると、廊下の先から、幾筋もの赤い線が見えた。
カノンだ。
カノンが、乱陀へと高速で飛来する。
「乱陀さぁん!」
乱陀は、地面に降り立ち、急ブレーキをかけて止まる。
乱陀の胸にカノンが飛び込んだ。
カノンを抱きとめる乱陀。
カノンが、透明な結晶の付いた、細い銀の鎖を取り出した。
「これ、スキルブックに巻き付けてください。
誘惑効果が封印されるらしいです。
今まで華虎さんが付けてた、レジェンド級の結界発生ネックレスを改造しました」
カノンが整備室にいたのは、華虎と一緒に、これを作っていたかららしい。
乱陀は、尾で掴んでいたスキルブックに銀の鎖を巻きつけ、再び腰のベルトに、スキルブック入りのポーチを装着した。
「ありがとう、カノン。でも、こんな便利なものが作れるなら、最初から用意してくれてればよかったのに」
「……そのネックレス、華虎さんのお母さんの形見らしいです」
「……ああ、そういうことか。なんか、悪いことしたな」
乱陀もカノンも親がいない。
形見の大切さは、わかる。
それを組み直してまで、誘惑封印の鎖を作ってくれたのだ。
きっと、ネックレスを改造するかどうか、ギリギリまで悩んでいたのだろう。
丁度その時、華虎からナノマシン通信が入る。
網膜に映し出される、眼鏡の女性。
「乱陀さん!カノンちゃん!
誘惑封印できたんだね!
こっちの方でも、魔導院の軍人が正気を取り戻して、盗賊どもと戦ってるよ!」
「ああ。それと、ネックレスの件、すまない。母親の形見だって聞いた」
「いいの!まだ生きてる人を助けるのが最優先!」
その時、乱陀の背後から騒音が聞こえた。
乱陀は振り替えり、自分がやってきた廊下の先を見る。
たった今、通り過ぎた、十字路の向こう側。
そこには、大量のエアボードやエアドライバーに乗った、何百もの無法者たち。
その先頭は、エアボードに乗った、勇斗とヴェノマッド。
「しつこい奴らだ。あいつらは、誘惑が有ろうと無かろうと、関係ないな」
乱陀は黒銀の右手を構える。
カノンは、二丁の拳銃をホルスターから抜く。
だが、その二人の両側に、突風が走った。
乱陀の隣には、青い軌跡を宙に残した、はためく白衣。
カノンの隣には、漆黒の残像が尾を引く、翼。
二人の人物が、乱陀とカノンの前に躍り出る。
エドワードとファーフライヤーが、凄まじい速度で飛来したのだ。
「乱陀さんは逃げてください。ここは、僕たちが引き受けますよ」
「私だって、誘惑効果に負けた汚名を返上しないとね」
エドワードが、銀の杖を。
ファーフライヤーが、右足を。
それぞれ、無法者たちへと向ける。
銀の杖の先からは、青い魔法陣。
鳥の足の先からは、オレンジ色の魔法陣。
魔法陣の周囲に浮かぶ文字は、二人とも同じ。
『日本魔導院・爆撃ノ術』
エドワードとファーフライヤーが、横目で互いを見合わせる。
「さ、それじゃあ、ファーフライヤーさん」
「ああ。エドワード」
二人の声が、一つに揃う。
「派手にぶちかまそう!」




