Temptation!
乱陀とカノンは、魔導院本部の最深部の中央で、背中合わせで構えていた。
周囲から聞こえる、騒音。
これは、本部の外からではない。
いや、むしろ、すぐ近くからだ。
敵が来るとしたら、広大な最深部をぐるりと囲む、上層部と繋がっているエレベーターシャフトから降りて来る可能性が一番高い。
しかし、シャフトはあまりにも数が多すぎて、どこから来るのか見当もつかなかった。
前方か、左右か。
北か、南か。はたまた東西か。
どこから襲って来ても、対応できるように目を凝らす。
すると、ぱらりと何かが、乱陀の目の前に落ちてきた。
それは、コンクリートの欠片。
乱陀は、上を見る。
コンクリート製の天井には、幾つもの罅が入っていた。
「上だ!」
その途端、天井が崩壊する。
大小様々な、コンクリートの塊が、乱陀とカノンに襲い掛かる。
水道管を破壊されたため、水道水の雨も降る。
「カノン!逃げろ!」
「はい!」
二人は、それぞれ真逆の方向へと跳んで、落ちてきたコンクリートの塊を回避する。
その上からは、ドリルやハンマーを持った一団が、エアボードに乗って飛来してきた。
彼らは、遺跡や墳墓の盗掘を専門とした盗賊団『グレイブディガー』百人弱。
乱陀は、右手を掲げ、グレイブディガーに大規模なグラビティ・ギフトを与えた。
ずしりと重みがかかる、グレイブディガー。
その瞬間、盗賊団の一人が、叫ぶ。
「重力が来るぞ!結界を張れ!」
百人弱の全員が、上着やズボンのポケットから、ボタンの付いた銀の筒を取り出す。
筒には『上級インスタントバリア』の記載。
グレイブディガーたちは、筒に付いたボタンを押して、頭上へと一斉に放り投げた。
グレイブディガーたちの真上に発生する、エネルギーシールド。
乱陀のグラビティ・ギフトは、その簡易結界に受け止められてしまった。
超重力により砕けかけるも、何とかグレイブディガーのメンバーを守る簡易結界。
グレイブディガーの面々は、冷や汗を流す。
「百人分以上の上級簡易結界で、ようやく防げるのかよ、あの重力」
「紅蓮市の英雄、思った以上の化け物だぞ。気を付けろ」
グラビティ・ギフトを防いだことよりも、百人以上で放った上級簡易結界を壊されかけた事に戦慄する、グレイブディガー。
乱陀は、紅蓮市の英雄として、超有名人になってしまっている。
甲羅市で巨大ホオジロザメを一撃で斬り裂き、冒険者たちの飛行船を守った時の動画は、一千万再生を突破した。
ナノマシン暴走前の、数十億人がいる世界ならまだしも、世界人口が激減した現在において、一千万再生は、異常だ。
今や、乱陀の存在を知らぬ者は、日本だけではなく、世界を含めても、ほとんどいないほどとなった。
グレイブディガーは、乱陀対策として、全員が様々なアイテムを所持していた。
その中の数人が、腰に付けた丸いボール状のアイテムを取り出す。
スキルロックの手榴弾だ。
数人が、手榴弾を投げようと振りかぶる。
だが、その瞬間、全員分の手榴弾が、9mmパラベラム弾に撃ち抜かれ、その場で光を放った。
手元で手榴弾が炸裂し、スキルロックがかかる盗賊団。
「うわあっ!」
「ま、まずい!スキルロックかかった!」
乱陀とは真逆の方向に降り立ったカノンが、銃口を盗賊団へと向けていた。
硝煙が、水道水の雨の中、ゆらゆらと揺れる。
乱陀とカノンは、対ダンジョンテイカーズ戦で、スキルロックの手榴弾を始めとする、ステータス異常を引き起こすアイテムやスキルの恐ろしさを知った。
ここ最近では、厄介なアイテムやスキルの対策を練り続けてきたのだ。
乱陀の足元には、破裂した水道管からの水が、溜まっていた。
高速移動のブーツを起動させ、その場から消える乱陀。
水しぶきを上げ、赤い軌跡を残し、グレイブディガーの上空へと姿を現した。
その隣には、同じく高速移動をしてきたカノンがいた。
カノンは、銃口をグレイブディガーへと向ける。
だが、壊れかけとは言えど、百人分以上の上級簡易結界が、グレイブディガーの頭上には展開されていた。
カノンの9mmパラベラム弾では、結界を撃ち抜けない。
カノンはそのまま、全く別の方向へと銃口を向けた。
そこは、誰も居ない場所。
ただ、破裂した水道管による水たまりが有るだけ。
水たまりは、最下層の床の全域を覆っていた。
カノンは装填する。
9mm雷撃弾を。
そして、発射する。
水たまりに向けて。
一発の銃弾が、水しぶきを上げて、床に着弾する。
青い火花を迸らせる、雷撃弾。
グレイブディガーの全員が、その火花を見ていた。
「逃げ……」
盗賊のひとりが、警告を発する。
だが、この時点で、既に遅いのだ。
電撃が、広大な水たまりとなった下層全域に流れる。
「ぐあああっ!」
「ぎゃああっ!」
「あひいいいいっ!」
眼球から電気を散らし、脳や神経までもが焦げて行くグレイブディガー。
数十秒間、たっぷりと雷撃を味わった後、死亡する盗賊たち。
再び、最下層の中央部に並んで降り立つ、乱陀とカノン。
ほとんど池となった下層に、二人分の水しぶきが上がる。
「やったな、カノン」
「はい!でも、あの手榴弾が出てきたときは、ヒヤッとしました」
「俺もだ。スキルロック、ちょっとトラウマになってるな」
「実は、私もです」
牙を見せて笑うカノン。
軍帽越しに、その頭を撫でる。
頭上の水道管からは、相変わらず水道水が雨となって降り注ぐ。
周りには、死体の山。
「もう、びしょびしょだな」
「上にあがりませんか?流石にここは、もう使えないですよ」
「同感。こんなの、風邪ひいちまう」
すると、壁のスピーカーから、華虎の声が響き渡る。
「乱陀さん!カノンちゃん!無事!?」
「ああ!大丈夫だ!でも、最下層は水浸しだから、どこか別の場所に行きたい!いい所あるか!?」
「だったら、三階上に、スタッフ用休憩室があるから、そこに居ればいいよ!
でも、そこから上には、あがらないでね!
スキルブックの誘惑効果が、及ぶ人が出始めてきちゃうから!」
「わかった!三階上だな!」
乱陀は、上を見る。
エレベーターシャフトを高速移動で駆け上がれば、休憩室にはすぐに着けそうだ。
そこに、エレベーターシャフトから、ふわりと舞い降りる一人の人影があった。
濃い緑のローブ。
ゴーグルに、鳥の嘴のような金属製のマスク。
あれは確か、ペストマスクとかいう物。
再び、華虎の声がする。
「あ、そうそう!そっち方面に要注意人物が一人向かってるっぽいんだよね!
たぶん、廊下で迷って辿り着けないと思うけど、一応注意しておいて!
なんか、鳥の嘴みたいなマスクしてるんだけど……」
ペストマスクの男が、水しぶきを上げて、最下層の床に降り立つ。
その手から、緑色の泥が、放たれる。
「そいつ『ヴェノマッド』って言って、猛毒の泥を操る魔法使いなんだ!
相当強くて有名だから、油断しないでね!」
緑色の泥が、大波となって乱陀とカノンに襲い掛かる。
「言うのが!遅え!」
乱陀が慌ててグラビティ・ギフトで泥の波を潰す。
だが、泥の量が一気に増し、乱陀とカノンを、左右から泥が迫り、囲う。
「逃げるぞ、カノン!」
「はい!」
乱陀とカノンは、高速移動のブーツを起動し、エレベーターシャフトへとジャンプする。
その一瞬後、乱陀たちが居た場所に、毒の泥でできた手が、幾つも襲い掛かっていた。
広大なエレベーターシャフトを、高速移動で跳ね飛びながら、上昇する二人。
その下方からは、毒の泥の手が、何十本も迫って来る。
「ああもう!休憩室どころじゃねえ!」
「乱陀さん!このまま、上層まで逃げましょう!」
「そうしよう!エンジェルゼリーの時といい、毒はもう勘弁だ!」
上層にあがると、スキルブックの誘惑が、かなりの人数に及ぶ。
だが、このままでは毒の泥に掴まり、死ぬだけだ。
乱陀とカノンと、毒の泥の手は、猛スピードでエレベータシャフトを昇る。
★
日本魔導院本部の屋根の上に、一人の女性が立っていた。
デニムの作業服を着て、長い黒髪を右肩で括っている。
黒縁の眼鏡をかけた、中背の女性。
年齢は、まだ十代であろう。
その顔は、やや幼さを残していた。
高レベルの戦闘構成のエンジニア。
華虎。
華虎は、左手を足元の屋根瓦へと向ける。
屋根瓦に映し出される、大きな白い魔法陣。
魔法陣の外周には『日本魔導院・戦闘用外装召喚』の文字。
白い魔法陣から大きな何かが、せり上がって来る。
それは、十メートルほどの高さの、真っ白な塗装の、流線型の戦闘用ロボットだった。
右腕には『日本魔導院』、左腕には『HANAKO-5』の文字が記されている。
華虎専用・戦闘用アーマー『ナンバーファイブ』
ナンバーファイブが自動的に跪き、その背中が開く。
華虎は思い切りジャンプして、ナンバーファイブの背中に飛び乗った。
ファーフライヤーが、漆黒の翼を広げ、大空を舞う。
そこから降り注ぐ、百発の爆撃魔法。
光の粒が、飛行船や無法者の集団へと向かい、爆発を起こす。
簡単に吹き飛ぶ者もいれば、強固な結界や、高い防御力を駆使して、ダメージを最小限に食い止める集団もいる。
何千人もいる敵の大軍団は、玉石混合といったところか。
本当に注意しなくてはいけないのは、少数の強者たち。
ファーフライヤーは、魔導院本部の最も高い尖塔の窓へと向かう。
そこは、魔導院総帥の部屋。
総帥は、クラフト系ジョブ『錬金術師』のポーション特化構成。
尖塔の窓に降り立つ、ファーフライヤー。
部屋の中では、総帥が青いポーションの小瓶に、ストロー付きの蓋を締めている所であった。
「おっ!ファーフライヤー!丁度よかったぜ!たった今、MPポーションが三つ、出来上がった所だ!」
総帥は、ストロー付きMPポーションを、ネックレスに装着して、ファーフライヤーの首にかける。
飛行中は物が持てないファーフライヤーのための、ポーションホルダーネックレスだ。
総帥のポーションは、通常のポーションに見られるような副作用が起きない。
間隔を空けなくとも、次を飲んでも大丈夫なのだ。
その代わり、腐りやすく、作り置きができない。
必要な時に作成するしかないため、あまり数が用意できないのが難点であった。
だが、副作用無しのポーションは、かなり強力である。
HPもMPも、数が有る限り、いくらでも回復できるのだ。
その時、魔導院の城を、振動が襲った。
ファーフライヤーが飛行場を見ると、十メートルの白いロボットが、両手にガトリングガンを装着し、大暴れしていたのだ。
「あ、華虎も出たんですね」
「おう。そろそろ、ヤバい奴らが動き始めてるみたいだからな。こっちも出し惜しみしてたら、やられちまう」
ヤバい奴ら。
そう、本当に気を付けねばならないのは、ここからなのだ。
魅了のスキルブックは、三時間保持しないと会得できないという特性のため、決して早い者勝ちという訳ではない。
他の者にスキルブックを取られても、スキルを会得される前に、奪えばいいだけの話。
そのため、真の強者たちは、弱者の大群をけしかけて、様子見をしているのだ。
だが、そろそろそいつらが、動く。
既に、毒の泥の魔法使いヴェノマッドが、内部に侵入したと華虎から報告があった。
ヴェノマッドは、紅蓮市や甲羅市でも指名手配されている、強力な魔法使い。
ファーフライヤーは、再び飛行するため、窓枠に足を掛ける。
その時、心臓が一回だけ、高鳴る。
その後は、元通りに戻った。
だが、ファーフライヤーの心は、ある一つの事で占められていた。
魅了が、欲しい。
ファーフライヤーは、首を振る。
これは、まずい。
ファーフライヤーは、一度経験している出来事。
魅了のスキルブックの、誘惑効果。
なぜ、今ここで?
それにしても、魅了が欲しい。
頭の中に、美しい男性たちと金銀財宝に囲まれた自分の虚像が、勝手に浮かび上がって来る。
魅了スキルさえあれば、それが叶うのだ。
窓から飛び立つファーフライヤー。
背後では、総帥も誘惑と戦っている様だ。
しかし、それに構っている暇は無い。
早くしないと、誰かに魅了のスキルブックを取られてしまう。
ファーフライヤーの心に、焦りが募る。
飛行するファーフライヤーの目に、魔導院本部の城の広間が映る。
そこには、赤い筋を空中に走らせ、跳び回る乱陀とカノン。
広間には、毒の泥が渦巻いていた。
広間へと向けて、爆撃魔法を放とうとするファーフライヤー。
魅了のスキルブックは破壊不可能のため、手荒な真似をしても問題ないのだ。
だが、その背後から、凄まじい熱を感じる。
ファーフライヤーは、即座にその場所から、飛び去る。
次の瞬間には、極大のファイアーストームが、広間めがけて放たれた。
乱陀とカノンは、広間の壁を跳ね回り、膨大な量の攻撃を躱す。
渦巻く、毒の泥。
そして、広間に居る魔導院の軍人たちからも、攻撃魔法や銃撃を受けていた。
皆、口々に、スキルブックを寄越せと、叫んでいる。
どうやら、スキルブックの誘惑とやらが、影響を及ぼしている様だ。
すると、乱陀とカノンに、ナノマシン通信が入る。
相手は、ツバキチームのラジオマスター。
ラジオマスターは、一言だけ叫んだ。
「避けて!」
乱陀が窓から外を見ると、極大のファイアーストームがこちらに迫って来ていた。
広間に続く、天井の高い廊下に出て、非難する二人。
途端、ファイアーストームが、広間の上半分を、焼失させた。
あまりの熱で、離れていても、皮膚が焼けそうになる。
毒の泥も、熱で乾いて崩れてゆく。
ラジオマスターの少女が、ナノマシン通信を続ける。
「ツバキちゃん、間違えて結界から出ちゃった!たぶん、誘惑の影響受けた!ごめん!ホントにごめん!」
吹き飛んだ広間の上空から、エアボードに乗ったツバキが、ゆっくりと降下してくる。
右手には炎を、左手には旋風を巻き起こして。
「水雲!その本、私のものよ!」
廊下の床に降り立つ、乱陀とカノン。
目の前には、何百人もの軍人や盗賊たち。
その上空からは、ツバキ。
そして、乱陀たちの背後では、廊下の床が毒の泥で溶かされたかと思うと、ペストマスクの魔法使いが、床の穴から暗い緑色の泥と共に飛び出してきた。
乱陀のこめかみに、血管が浮かぶ。
「……お前ら、いい加減にしろよ。特にツバキ」
乱陀は、黄金の尾を振り上げ、吠える。
「ロック&ロールだ!オラァ!」




