日本魔導院・紅蓮町支部
水雲乱陀は結局、竜の結晶を売る前に、安売りをしていた、大きめのサイズの、ワイシャツとジーンズを買った。
ジーンズの尻には、尾を通す穴も空けて貰って。
まだ靴は買っていなかったため、黄金の鱗の左足は、裸足のままだ。
乱陀の右腕には、沖村花音が蛸のように絡みついてくる。
潤んだ目で、乱陀を見上げるカノン。
「ねえねえ、乱陀さん。ドラゴンの結晶を売らなきゃいけないですし、魔導院、一緒に行きません?」
魔導院とは、警察と連携している軍事研究組織で、主に既存魔法の新しい活用方法、魔法道具の開発、ダンジョンの探索や、モンスターの駆除などを行っているらしい。
そして、黄金竜の目の前に、カノンを置き去りにした軍団。
乱陀は、怒っていた。
魔導院とやらに。
なぜ、こんなにも苛ついているのか、自分でも分からない。
「……ああ、行こう。お前をドラゴンに食わせようとした奴らの顔を、見ておかなくちゃな」
「わわっ!乱陀さん!穏便に!」
魔導院は、寺を増築・改造したような、木造の五階建ての和風建築物であった。
場所は、すぐに分かった。
ものすごく、大きく看板に書いてあるのだ。
『日本魔導院・紅蓮町支部』
入り口の門には、カノンと同じ黒い軍服を着た、モンスターたちが警備に当たっていた。
乱陀は気にも留めず、ずかずかと敷地内へ入ろうとする。
巨体の赤鬼が、乱陀の身体を抑える。
「待て。何だお前。
……ん?沖村?」
赤鬼が、カノンを見て、笑う。
「あはははっ!なんだ、ドラゴンに食われたとばっかり思ってたぞ!
てっきり男まで誑し込んじまって。
アンタも、好きモンだな。ゴブリンなんか気色悪いだけ……」
赤鬼が続きを言おうとすると、その身体に黄金の尾が巻き付く。
尾の先が、赤鬼の口を塞いだ。
「むがっ!」
赤鬼の巨体を持ち上げる、黄金の鱗の尾。
側にいた他の軍人が、剣や槍などの武器を掴む。
乱陀は、黄金の鱗の左腕を、軍人のモンスターたちにかざす。
「座ってろ」
乱陀にしか見えない、下向きの、黒い巨大な矢印が宙に浮かぶ。
重力を与える『グラビティ・ギフト』である。
「うわっ!」
「ぐえっ!」
「お、重い……」
地面に貼りつく、モンスターたち。
当然、手加減はしてあった。
本気のグラビティ・ギフトは、ドラゴンすらも潰すのだ。
カノンが慌てて乱陀を止めようとする。
「ら、乱陀さん!私なら、大丈夫ですから!
その、怒ってくれたのは、すごい嬉しかったですけど……」
乱陀は、グラビティ・ギフトを解除し、赤鬼を敷地内の中庭へと放り投げた。
周囲の軍人たちに、呼びかける。
「まだやるなら、本気で相手するぞ」
モンスターの軍人たちは、乱陀を睨みつける。
だが、乱陀に立ち向かうほどの気概は無いらしい。
今の一瞬の攻防で、乱陀の圧倒的な力を理解していたのだ。
そこに、魔導院の建物の奥から、爽やかな男性の声がする。
「おーい!みんな!その人は通していいよ!僕のゲストってことにしておけばいいから!」
それは、おそらく男性。
インクを零したかのような、漆黒の身体。
顔には、大きな一つ目と、ギザギザの歯の大きな口。
黒の軍服に、白衣を羽織っていた。
カノンが、乱陀に告げる。
「あ、あの人は平気ですよ。
数少ない、私を見下さない人です」
その影のような一つ目の男は、つかつかと靴音をさせて、中庭の飛び石を歩いてくる。
「やあ。沖村さんを助けてくれたんですね。魔導院を代表して、感謝します」
そして、魔導院の五階建ての和風建築物を手で差し、促した。
「どうぞ。コーヒーでも淹れますよ。中で話しましょ」
魔導院の内部は、純和風であった外見と正反対の、近代的な研究所であった。
真っ白な床に、部屋を区切るのは大きなガラス。
行き交うモンスターたちは、皆、黒い軍服を着ていた。
マントを羽織っている者もいれば、白衣を羽織っている者もいる。
乱陀たちの先を行く、影のような男は、自己紹介をした。
「僕は、エドワード・鳳凰院・十三世です。
あ、本名ですよ?
これでもイギリス人と日本人のハーフなんです。
日本生まれ日本育ちなもんで、ほぼ日本人ですが。
今では、人間かどうかも怪しい見た目になっちゃいましたけど。
実は僕、ただの人間だった時よりも、この姿の方が気に入ってるんです」
からからと笑う、エドワード。
乱陀の右腕に絡みついていたカノンが、乱陀に耳打ちをする。
必要以上に距離が近かったが。
「エドワードさん、今はあんなですけど、元々は超絶美青年だったらしいですよ」
乱陀は、ふぅんと頷く。
元は美青年だったとしても、今の姿が気に入っているという、エドワード。
美形は美形なりの、苦労があるのかもしれない。
白い床を歩く三人。
ガラスの壁を見ると、各部屋で、様々な研究が行われているようだった。
幾つかの部屋の横を通り過ぎると、金属製のドアがあった。
ドアの名札には『E・鳳凰院・13th』と記載されている。
エドワードがドアを開け、乱陀とカノンに、大げさにお辞儀をする。
「お入りくださいな」
乱陀は、気にせずに中に入る。
カノンは、入室する時に、エドワードに軽く会釈を返した。
部屋の中には、大きなソファと、PCが置いてあるガラスのデスクがあった。
壁には、洗面台まで完備されていた。
エドワードは、既に沸いていた湯で、三名分のインスタントコーヒーを淹れていた。
ソファに座る乱陀。
長い尾が、ソファを占領する。
カノンは、乱陀の尾に腰かけるように、ちょこんと座った。
エドワードが、漆塗りの盆に、コーヒーの入った湯呑みを三つ、運んでくる。
「冷めないうちにどうぞ」
湯呑みを取る、乱陀とカノン。
昨日発覚した恋人の裏切りから、すっかり人間不信になっていた乱陀は、毒でも入っていないかと心配をしていた。
だが、カノンは普通にコーヒーに口を付ける。
何だか、カノンを毒見役にしたようで、勝手に気まずくなる乱陀。
エドワードは、自分の湯呑みを手に、コーヒーを啜る。
「あ、熱っ。僕、実は猫舌なんです。
ちょっと熱すぎたみたいですね」
コーヒーの表面に息を吹きかけ、冷ますエドワード。
乱陀はコーヒーには口を付けず、問いかける。
「で、なんで俺を中に入れたんだ?」
「まずは、沖村さんを助けて頂いたお礼です。
あと、報告ではドラゴンが出たって言ってたので、もしドラゴンを倒してたら、結晶とか持ってるかなって」
エドワードは、大きな一つ目で、乱陀の黄金の尾を見る。
「そのしっぽも、もしかしてスキルか何かで、ドラゴンから奪ったのかなって」
「正解。結晶もスキルも、両方とも」
乱陀はズボンのポケットに入れていた、大きめの結晶をエドワードに見せる。
「おお、大きいですね。これなら、結構な強さの魔法道具が作れそう」
「あんた、魔法道具が作れんのか?」
「ええ。僕のジョブ、エンチャンターですから」
エンチャンター。
確か、魔法道具を扱うプロフェッショナル。
エドワードは、自慢げに続ける。
「ああ、あと、エンチャンターのスキルで、鑑定眼ってのを使えるんですよ。
例えば、この結晶の価値は、ざっと三百万円相当ですね」
エドワードは、乱陀を見る。
コーヒーを少し口に含みながら。
「それで、貴方のレベルは、ひゃく……」
エドワードは、ぶほっ、とコーヒーを噴き出す。
その飛沫が、きらきらと乱陀とカノンに降り注ぐ。
「ひゃ、ひゃくさんじゅ……!ええええっ!?レベルって99までじゃなかったのぉ!?」
エドワードの一つ目は、零れ落ちそうなほど見開かれていた。
カノンも、軍服から取り出したハンカチで、顔にかかったコーヒーを拭きながら、乱陀を見ている。
「えっ。乱陀さん、レベルいくつなんですか?」
「138」
「えっ」
カノンが、固まる。
通常、レベル30で相当な猛者だ。
レベル80を超える者など、世界に一握りしかいないだろう。
138に到達したのは、もしかしたら乱陀だけかもしれない。
エドワードが、こめかみを押さえて、気を落ち着かせている。
「よぉ~し、よし、OK、理解しました。
この世界には、まだまだ未知な事がありますね。
乱陀さん、で良かったですか?」
「ああ」
「貴方は、この結晶なんかよりも、遥かに、ものすごく、貴重な人材です。
率直に言いましょう。魔導院に入りませんか?」
乱陀は、悩む。
その質問は、来ると思ってはいた。
だが、また裏切られたらと思うと、心臓が苦しくなる。
痛覚は切ってあるはずなのに。
乱陀は最初、復讐を成し遂げるまでは、一人で生きていくつもりではあった。
しかし、そうなると原始人のような生活を強いられることになる。
町の中で金を稼げれば、電気もガスも水道もある、現代の文明的な暮らしができるのだ。
もともと、戦いを好まない性格の乱陀。
真宵市に復讐するまでの間も、出来る事なら、普通に暮らしたい。
しかし。
「なら、俺も率直に言う。
俺は恋人を親友に寝取られた。
しかも、無実の罪で住処を追放された。
腕も脚も吹っ飛ばされて。
他人が、信じられないんだ」
乱陀は、両手でコーヒーの湯呑みを持ち、顔を伏せる。
カノンが、乱陀を見る。
驚いたような表情で。
傷ついたような表情で。
エドワードは、静かに言う。
「そうでしたか。
もちろん、無理にとは言いません。
少しだけでも、考慮して頂けると嬉しいです」
「ああ」
乱陀は、顔を上げないまま告げた。
エドワードは、ガラスのデスクに自分の湯呑みを置く。
「僕、ちょっと出かけてきますね。
戻るのは、三時間後くらいだと思います」
それは、三時間、放っておいてくれるという意味。
エドワードは、部屋を出て、ドアに鍵をかける。
乱陀とカノンは、ふたりきり。
ぽつりと、乱陀が呟く。
「……俺、情けないだろ?
親友にも恋人にも、知り合い全員からも裏切られて。
それで、誰も信じられなくなっちまってる。
自分でも、どうしたらいいか、わからないんだ」
乱陀の顔の下の床に、雫が垂れる。
それが小さな水たまりを作る。
カノンは、乱陀の膝に手を当てる。
「さっき、初めて会った時、手と足が無かったのは、そういう訳だったんですね。
でも、それでも、乱陀さんは私を助けてくれました。
そんなに大変な状況だったのに。
手も足も、片方しか無かったのに。
こんな、ゴブリンの私を……」
カノンは、ぼたぼたと涙を流していた。
それは、乱陀の代わりに泣いてくれているようで。
乱陀は、カノンの手に、そっと触れる。
カノンも泣きながら、それを握り返す。
でも、今は、それだけでよかった。
カノンは三時間、ずっと乱陀の手を握っていた。