Far Flyer
魔導院・紅蓮支部の飛行船は、思いの外、高速で空を進む。
雲を掻き分けて。
飛行船には、結界を張る魔法道具が備え付けられてある。
このおかげで、外気の寒さや、空気の薄さから身を守れるのだ。
もし、この結界が無ければ、急激な酸素の減少により、高山病で体調不良者が続出することだろう。
「雲、すごいですね」
「ああ。何も見えんな」
乱陀とカノンは、二人並んで、キャビンのベンチに座り、白一色で染まる外を眺めていた。
空を飛んで移動するのは、日常でよくある事。
エアドライバーや飛行船には、よく乗っている。
そもそも、乱陀は空飛ぶ都市・真宵市に住んでいたのだ。
だが、真宵市よりも高い場所へやって来たのは、初めてだった。
カノンが、ベンチから降りて、乱陀を肩越しに見る。
「雲、触れそうですよ」
「雲は、水か氷の粒だから、きっと冷たいぞ」
「ふふ。乱陀さんの苗字みたいですね。水雲」
乱陀も、ベンチから立ち上がり、カノンの右隣で外を見る。
「俺、冷たいか?」
カノンは、乱陀の左手を握る。
「乱陀さんはあったかいです」
「そうか。よかった」
微笑む乱陀と、はにかむカノン。
「本部って、紅蓮市から遠いんですね」
「さっきエドワードが、そろそろ着くって言ってたから、もうすぐみたいだ」
「本部って、山の上のお城なんですよね?ちょっと楽しみです」
「仕事じゃなくて観光で来たいよな」
乱陀とカノンの目の前には、ただ流れゆく白い雲。
そこに、急に光が差し込んできた。
眩しさに、顔を顰める乱陀とカノン。
雲の海を抜けたのだ。
飛行船の目指す先には、雲海から突き出た山の上に建てられた、黒い城があった。
城は、半透明の球状の結界に包まれている。
そして、その周囲には、何十という飛行船。
宙に飛び交うのは、エアボードやエアライダーに乗った、約千人の無法者。
犯罪者や、ならず者の集団が、魔導院本部に、攻撃スキルの雨を降らせていた。
本部の結界は、相当頑丈なため、まだ破壊されてはいない。
しかし、このままでは時間の問題だろう。
紅蓮支部に残っているマモリから、ナノマシン通信が入る。
乱陀たちの網膜に映される、マモリのドヤ顔のアイコン。
だが今は、それに苛ついている場合ではない。
「みんな、聞こえるかの!?」
カノンが応答する。
「はい、聞こえてます」
「時間が無いから、要点だけ言うぞ!
片っ端から叩きのめせ!」
「了解!」
そこに、ツバキチームのライトブリンガーが駆けつけてくる。
「待って!そのまま飛行船から出ちゃダメ!
空気の濃度の違いで、高山病になっちゃう!
今、『適応』かけるから!」
ライトブリンガーの少女は、両手を乱陀とカノンに向けると、アダプテーションのスキルをかける。
これは、軽度のステータス異常や、弱体化を無効化してくれるもの。
スキルロックや石化、幻惑、麻痺、そして魅了といった重度のステータス異常には効かないが。
ふわりと、透明な薄い絹の布をかぶされたような感覚がした。
これがアダプテーションだろうか。
ツバキチームのエンジニアが、乱陀たちの分のエアボードを作り出した。
「これ使って!」
エアボードは、飛行船の甲板を滑りながら、乱陀とカノンの足元へと到着する。
「ああ。すまん」
素直に口から礼が出る乱陀。
人間不信は治らなくてもいいと、一度腹をくくったら、むしろ他者への怯えが少なくなった。
これもまた、怪我の功名というやつだろうか。
足の裏にエアボードを装着し、甲板を滑り、飛行船から射出する乱陀とカノン。
後ろからは、飛鳥チームとツバキチームが、飛び出してくる。
ツバキが後ろにいる事に、一抹の不安を掻き立てられる。
あれは、裏切るとか以前に、うっかりミスでこちらを攻撃しかねない。
最寄りの無法者の飛行船から、エアライダーに乗った数十人の敵が飛来する。
皆、サブマシンガンやショットガンを装備している。
どうやら、銃使い系のジョブが多いようだ。
無法者たちが、銃を乱射する。
それは、乱陀たちを肉片へと変える、金属の嵐。
降り注ぐ、何百発もの死の魔法。
だが、銃弾は、とある場所に全て吸い込まれていった。
まるで、強力な磁力で引き寄せられるかのように。
飛鳥の盾だ。
パラディンのレベル1のスキル『カバーリング』。
パラディンのジョブで一番最初に覚える、代表的スキル。
敵の攻撃を、自分の元に一手に引き受ける、まさに防御役のためのスキル。
もちろん、生半可な防御力のパラディンでは、敵の攻撃が集中などしたら、あっという間にやられてしまうだろう。
だが今、攻撃を受けているのは、飛鳥なのだ。
高レベルパラディンとしての名は伊達ではない。
数百発の銃弾が、鋼の盾に降り注ぎ、数百発分の金属音が、空に響き渡る。
鼓膜が破れそうなほどの、硬質の爆音。
ぼろぼろと、盾から落ちて行く銃弾。
流石に飛鳥の盾も、完全無傷という訳にはいかなかったようで、ところどころ傷が付いていた。
しかし、貫通した場所は一つも無い。
まさに、鉄壁。
歯噛みする無法者たち。
即座に銃をリロードする。
この無法者たちは、戦い慣れしている。
レベルやステータスの高さよりも、戦い方の上手さが勝敗を分ける事もあると、ダンジョンテイカーズ戦で身に沁みていた乱陀が、黒銀の右手を掲げる。
「させるかよ!」
飛鳥が作った、一瞬の隙。
それを活用せねば、今度は乱陀の名が廃る。
乱陀にしか見えない、巨大な黒い下向きの矢印が、無法者たちの上空へ出現する。
重力を与える、グラビティ・ギフトである。
乱陀の見た所、無法者たちは全員アタッカーのようで、タンクやヒーラーがいない模様だ。
おそらくは、先手で相手を殲滅するスタイルで戦ってきたのだろう。
だが今こちら側は、飛鳥に、ツバキチームの結界使いたちと、防御がかなり強い陣営となっている。
先手で乱陀たちを全滅させることができなかった無法者には、超重力のプレゼントが待っていた。
「ぐへぇ!」
「ごふっ!」
「あがっ!」
骨が軋み、内臓が潰れ、エアライダーごとひしゃげ、高速で落下してゆく数十名の無法者。
「よしっ!」
掲げた右手を握りしめる乱陀。
ひとまずは、目の前の脅威は、瞬殺できた。
乱陀の瞳に映るのは、数十の飛行船。
グラビティ・ギフトで全部潰してやろうと、空に躍り出る。
その時、エドワードから通信が入る。
「ファーフライヤーさんが出ます!巻き込まれないように注意してください!」
ファーフライヤー。
確か、魔導院本部の最強三人組の一人。
乱陀が黒い城を見ると、高い尖塔の窓から、黒い鳥らしきものが、空高く舞い上がる。
両腕が翼になった、人間。
鳥人間だ。
あれが、ファーフライヤーか。
みるみるうちに、天高く昇って行くファーフライヤー。
魔導院本部は、元々雲の上に位置する。
それよりも、さらに、遥かに高く。
そしてファーフライヤーは、天空で漆黒の翼を広げ、右脚に付けた脚輪を光らせる。
大空に突如として現れる、巨大なオレンジ色の魔法陣。
魔法陣の外周には『日本魔導院・爆撃ノ術』の文字。
魔法陣から、百のオレンジ色の光の粒が発射される。
それは、百発の、魔法のミサイル。
爆撃魔法の誘導ミサイルは、魔導院本部の周辺に停泊していた、無法者たちの飛行船を、次々と爆散させる。
一発一発が、広範囲の爆発を伴う、兵器だった。
まさに、爆撃機。
今や、無法者たちの集団は、壊滅状態であった。
飛行船は火を上げて墜落し。
空を飛んでいた人間も、爆発に巻き込まれ、肉体が粉々になっていた。
偶然、爆発の範囲外にいて生き残った人間も、散り散りになって逃げだす。
ひとたび空に舞えば、一発で、戦況をひっくり返す。
それが、魔導院本部のファーフライヤー。
乱陀とカノンが、上空を眺めていると、黒い羽根のハーピーが、翼を広げて飛んで来た。
遠目からだと分からなかったが、若い女性だった。
肩くらいの長さの黒髪が、外側に跳ねている。
ファーフライヤーが両腕の漆黒の翼をはばたき、宙をホバリングしながら乱陀に尋ねる。
「やあ。そのしっぽ、紅蓮市の英雄の乱陀君だよね?」
「英雄かどうかは知らんが、乱陀は俺だ」
「出会えて光栄。私はファーフライヤー。エドワードは中?」
すると、エドワードが甲板に出てきて、ファーフライヤーに呼びかける。
「ファーフライヤーさん!こっちです!」
「あ。いた。乱陀君、またね」
ファーフライヤーが、飛行船の甲板へと降り立った。
乱陀とカノンは、顔を見合わせる。
「俺たちも一旦戻るか」
「はいっ!」
★
「あ~、美味しいわ~」
ファーフライヤーは、エドワードの淹れたコーヒーを、ストロー付きのボトルに入れて、吸っていた。
両腕が翼のファーフライヤーは、物を持つことが苦手だ。
普通のマグカップではコーヒーを零してしまうため、蓋付きのボトルからストローで飲むのだ。
乱陀は、まじまじとファーフライヤーの様相を見る。
髪の毛は、肩くらいの長さで、毛先が外側に跳ねている。
なかなかの美人だ。
帽子は被っていない。
黒の軍服も、翼の邪魔になるためか、袖が切り落とされていた。
靴も履いていなく、鳥の脚が、そのままむき出しになっている。
その足には、幾つもの金属製の輪が嵌められていた。
おそらくは、全てが魔法道具の類。
乱陀が、ファーフライヤーへと尋ねる。
「なあ。あんた。ファーフ・ライヤーとか言ったか」
「切る場所が違うよ。ファー・フライヤーね。『Far Flyer』」
乱陀は、ずっとファーフ・ライヤーだと思っていた。
隣でカノンが、乱陀に囁く。
「私もファーフ・ライヤーさんだと思ってました」
その言葉に、乱陀がくすりと笑う。
ファーフライヤーが、ボトルからストローでコーヒーを啜りながら、乱陀とカノンを眺める。
「それで。貴方たちが、魅了スキルの習得候補者なのね?」
「ああ」
「本当に、魅了いらないの?」
「いらん」
「私もです」
ファーフライヤーが、首をうなだれる。
「うーん。私たち三人の話、聞いてる?」
「スキルブックを巡って殺し合ったって話か?」
魔導院本部のトップ3が、砂漠で殺し合いをしたという話だ。
「そうそう。私たち三人って、別に仲が悪いわけじゃないのよ。
むしろ、非番の日には一緒に遊びに行くくらいは仲いいの。
でもね、あのスキルブックが目の前に現れた時に、こう思ったの。
『誰が死んでも構わないから、あれが欲しい』って」
ほんの少しでも魅了が欲しいという気持ちが有れば、それを何十倍にも増幅させるという、スキルブックの持つ誘惑現象。
普通の人間であれば、必ず多少なりとも持つ、他人を思うがままにしたいという欲望。
それが無いとは、ファーフライヤーも信じ難かった。
「ホントに要らないって言いきれるの?」
首を傾げるファーフライヤー。
「ああ。俺はカノンにしか興味が無い」
「私も、乱陀さんしか興味ありません!」
胸を張って断言する、乱陀とカノン。
一片の迷い無しに、言い切った二人に、やや気圧されるファーフライヤー。
「そ、そう。なんとなく、どういう二人か分かったわ」
ボトルからストローでコーヒーを吸いながら、納得するファーフライヤー。
その口を、ストローから離し、ぽつりと呟く。
「私たちね。本部最強の三人なんて言われてるけど、本当は藍之介がダントツでトップなんだ。
私と華虎が、同じくらい。
もちろん、それぞれが得意な地形とかあるけどね?
私と華虎が二人がかりで、ようやく藍之介と対等に勝負できるかどうかって感じ」
乱陀は、真宵市での藍之介の戦ぶりを思い出す。
目にも止まらぬ速さの、凄まじい剣技。
魔法や攻撃スキルすら斬り裂けるというレジェンド級レイピアをその手に持って。
それは、まだレベル91だった頃の勇斗を彷彿とさせる。
数十メートルのリーチを持つ天剣から繰り出される、全てを切り裂く『絶対切断』のスキル。
結界も兼ねた光の翼を背に顕現させ、高速で飛来しては敵を撃破する姿は、まるで天使か死神だった。
ファーフライヤーは、コーヒーボトルを両翼で持ちながら、真っ黒な瞳で乱陀を見つめる。
ファーフライヤーの声が、鋭さを増した。
「たぶん会えば分かると思うけど、藍之介だけは、何があっても、絶対にスキルブックを近づけちゃダメ」
その言葉に、飛行船のキャビンの空気が張り詰める。
乱陀とカノンも。
ツバキと飛鳥も。
飛行船に乗る皆が。
緊張で、息を呑んだ。
風を切り裂いて、飛行船は行く。
雲上の黒い城へと、向かって。
その地下深くに待ち受けるは、幾重にも張られた結界で封印された、神話級スキルブック。
それを手に取るのは、乱陀かカノンか。
はたまた……。




