……なんていらない。
『魅了』
それは『不老不死』と合わせて、古今東西・老若男女を問わず、人類の大半が一度は夢見る、存在しないスキル。
そう、存在しないはずだった。
アップデートにより、世界に手が加えられるまでは。
マモリの学園長室に集まった一同は、顔をこわばらせ、沈黙する。
今聞いた話は、途轍もなく危険だ。
そして、それと同時に、心を揺さぶられる。
もし、自分が『魅了』を使えたら。
きっと、夢のような生活を送ることができるはず。
使い用によっては、世界の支配者にすらなれる。
ごくり、と誰かが唾を飲む音が、部屋に響き渡る。
乱陀は、口の中が乾いていた。
汗が一筋、頬を流れる。
他人から裏切られる事を、常に恐れている乱陀。
魅了スキルは、喉から手が出るほど欲しい。
それがあれば、他人に恐怖を抱かなくともよくなるのだ。
魔導院本部の地下。
そこに、スキルブック『魅了』が封印されている。
乱陀の力を持ってすれば、きっと……。
そして、ふと我に返る乱陀。
自分は今、何という事を考えていたのだ。
初めて認識する、自分自身の醜い心の側面。
こんなこと、カノンへの裏切りと言っても過言ではない。
乱陀は無意識に、カノンから顔を背ける。
この心の内が知られれば、カノンに嫌われてしまうだろうか。
隣に座るカノンを、見ることが出来ない。
乱陀の左手をそっと握っている、小さな手。
明るい緑色の肌の、愛しい手。
この手の温もりを失うこと考えるだけで、気が狂いそうになる。
きっと、カノンならば、乱陀の心など見透かしているだろう。
もしカノンに軽蔑されたら、生きていける自信が無い。
乱陀は、揺れる瞳で、恐る恐るカノンを横目で見る。
どうか、どうか見捨てないで欲しいと、願って。
カノンは、乱陀へと身体を向けていた。
思い切りの笑顔で、牙を見せながら。
「乱陀さん、魅了、欲しいですね!
それがあれば、もう誰も裏切りませんし!」
その言葉に、ざわつく面々。
誰もが、欲しいと心の中で思っていたのに、誰もが、口に出せなかったその言葉。
ツバキが、カノンを窘める。
「ちょ、ちょっと!言っていい事と悪い事があるでしょ!」
カノンは、ツバキへと向き直り、腰のピストルに左手を掛ける。
「貴方がそれを言うんですか?
乱陀さんを燃やして、殺そうとしたくせに。
乱陀さんは左脚を切るだけで済ませてあげましたけど、私はまだ、貴方の事を許せてないんですよ?」
カノンの目に、狂気が光る。
ツバキの額には、汗が噴き出ていた。
ツバキチームの結界使いたちも、いつでもツバキを守れるように、動きかける。
張り詰める、部屋の空気。
そこに、カノンを背中から抱きしめる影があった。
乱陀だ。
乱陀は、湿った声音で、カノンに囁く。
「ありがとう、カノン。
そうだよな。
魅了さえあれば、もう他人を怖がらずに済むもんな」
その囁きは、静まり返っていた学園長室へと、響く。
そして、一瞬にして、全員が、ひとつの極大の危機を覚えた。
乱陀が敵に回る。
思わず全員が、戦闘態勢へと素早く移行した。
ツバキは、右手に炎を、左手に旋風を巻き起こす。
飛鳥は、盾を呼び出す魔法を、発動させる寸前。
エドワードは、何とかこの場をおさめようと、全員の間に結界を張れるよう、魔法の腕輪にMPを込める。
だが、乱陀とカノンが本気で暴れ出したら、それを止められる者がこの場にいるだろうか。
乱陀は、その場の全員に聞こえるように呟いた。
「俺は、たった今、完全に確信した。
俺には、カノンさえいればいい。
もう一生、人間不信のままでいい。
だから俺は、魅了なんていらない」
乱陀はカノンの後頭部に、軍帽越しにキスをする。
後ろから抱きしめられたカノンが、乱陀の手に触れる。
背後の乱陀を見上げた。
「乱陀さん……!
わ、私も、乱陀さんがいれば、それだけでいいですっ!
乱陀さんがいれば、魅了なんていらないっ!」
目を潤ませ、ぽろりと、涙を一粒流す、カノン。
明るい緑色の肌の顔は、赤く染まっている。
乱陀が今言った言葉は、カノンが命を捧げてでも欲しかった一言だった。
その時、マモリがどこかに向かって声を上げた。
「今じゃ!」
乱陀とカノンは、自分たちの周りに、ふわりと風が舞った気がした。
そして、いつの間にか乱陀たちの真横には、赤毛の三つ編みの美少女が、背を向けて立っていた。
レベル80のシーフ、シグマだ。
シグマのサイバネの手には、二枚のデータディスクのホログラム。
シグマは、一枚ずつ、自分の額にデータディスクを差し込む。
その一瞬後、うんざりした顔で、マモリに告げた。
「二人とも、本気です」
「ほう。間違いないかえ?」
「超本気です。ガチです。ぶっちゃけ、ガチすぎて引きます」
「よし、決まりじゃ!乱陀!カノン!おぬしらのどちらかに、『魅了』スキルを習得してもらう!」
乱陀たちを指差し、告げるマモリ。
戦闘態勢を維持していた、その場の面々が、目を点にする。
そして、一斉に同じ言葉を発した。
「……はぁ!?」
★
魔導院としては、『魅了』のスキルブックをこの世から抹消したいようだった。
だが、スキルブックは破壊不可能。
どこかに隠しても、地球上にある限りは、高レベルのトレジャーハンター系ジョブの誰かが、必ず場所を探し当ててしまう。
そのため、考案されたのは、魅了のスキルを使う気が無い人間に、スキルを習得させてしまうというもの。
スキルブックは、消費アイテムのため、一度使用すると消え去る。
使ってしまえば、それで終わりなのだ。
だが、肝心の、誰に使わせるかが問題だった。
表向きでは魅了を使う気が無いと言っていても、習得した途端、掌を返す可能性がある。
そして、全人類を巻き込む大災厄となる。
最初は、同性愛者の協力者に習得させようという案も出た。
しかし、鑑定部隊による鑑定の結果、魅了スキルは性別は問わず作用するという事が分かった。
危険性は、異性愛者と変わらない。
そこでマモリは、乱陀とカノンに目を付けた。
この二人は、恋人などという生易しい関係ではなく、お互いの人生にガッチリと食い込み合った、半身同士だ。
マモリは信じていた。
きっと、この超絶バカップルならば、互いしか目に入らず、魅了のスキルを本気でいらないと思うのではないかと。
結果として、マモリの予感は当たった。
シグマが二人の記憶を読み取り、それが本音かどうかも、検証済み。
シグマがドン引きするほど、本気で想い合っている二人。
魅了スキルを習得させるには、これ以上ない人選だった。
マモリは、学園長室にいる全員に、今回のミッションの概要を伝える。
「今回のミッションは、神話級スキルブック『魅了』の完全抹消。
手段は、乱陀かカノンにスキルを習得させ、スキルブックを消費させる。
スキルブックは魔導院本部の最下層にて、幾重にも張られた結界で封印されておる。
スキルを習得するには、スキルブックを三時間、手元に所持していることが条件となる。
皆は、乱陀かカノンが、スキルを習得するまでの三時間、魔導院本部を防衛して貰いたい」
ツバキチームのラジオマスターの少女が、疑問を上げる。
「魔導院本部の防衛?もう敵が来ること確定なの?」
マモリが、苦虫を噛み潰した顔で、応える。
「既に、複数のハッカーたちの手により、魅了のスキルブックの存在は、外部にも知れ渡っているのじゃ。
おそらくは、日本中……、いや、世界中のならず者たちが、日本魔導院本部に押し寄せてくると考えられる。
魔導院本部は、強力な結界発生装置により守られてはいるが、その防御も無限ではない。
応援に呼んだ冒険者たちと共に、本部の周辺にて、やって来る敵を撃破して欲しい」
飛鳥チームの剣士が、マモリに問う。
「本部の周辺?それ、乱陀さんたちのすぐ側で、私たちがガッチリ防御固めるんじゃダメなんですか?」
「うーむ。厄介な事にのう。
魅了のスキルブックは、それ自体が、強力な誘惑の効果を持つ。
スキルブックの付近に居る人間は、魅了スキルが欲しくて堪らなくなるのじゃ。
厳密に言うと、少しでも魅了スキルを欲しいと思う気持ちがあると、それを何十倍にも増幅される。
ゆえに、魅了スキルは一切不要と断言した、乱陀とカノン以外は、スキルブックに近づけるのは避けたいのじゃ。
そのせいで、砂漠のランク6ダンジョン攻略後、藍之介たち本部のエース三人も、スキルブックを巡って殺し合いを始めたらしいからの。
駆けつけた結界使い百名で、何とかスキルブックの誘惑を封印して、三人は命を落とす前に戦いを止めたようじゃが」
「何それヤバい」
魔導院本部の最強の三人すら抗えなかった、スキルブックの誘惑。
とても、自分が耐えきれる自信はないと、その場の誰もが思う。
今、乱陀は敵に回らずに済んだ。
だが、スキルブックの誘惑に負けた自分の方から、乱陀と敵対してしまう可能性を秘めている。
乱陀に対する裏切り者が、どのような末路を辿るのか、全員、嫌と言うほど知っていた。
皆、背筋が凍る。
各々の青い顔をよそに、マモリは指令を下した。
「事は一刻を争う。至急、魔導院本部へ向かうのじゃ!」
★
「勇斗さん。特定できたよ。魔導院本部の、すんごい深いとこ」
ハッカーの少年は、目の前に展開されているホログラムのモニターに、魔導院本部の外観を映す。
それは、雲の上にそびえ立つ、黒い城だった。
魔導院本部は、真宵市のように宙に浮いている訳では無い。
雲よりも高い、山の上に建てられているのだ。
勇斗が、少年の肩を掴み、身を乗り出す。
勇斗の目には、魔導院本部が映る。
「でかした」
「寝ないで追跡したんだから、報酬は二割増しね」
「三割増しにしてやる」
「やった!勇斗さん太っ腹!」
ハッカーの少年は、飛び跳ねて喜ぶ。
この少年は、勇斗の本性を知っていた。
それを承知で、ビジネスライクに力を貸しているのだ。
勇斗は部屋を出ると、石レンガ造りの薄暗い廊下を進む。
壁には、松明の形のLED証明が灯る。
分厚い木の扉を開けると、そこはある者にとっては至福、ある者にとっては絶望の光景が繰り広げられていた。
勇斗の元に付いた、悪徳冒険者たち。
それらに犯され、涙を流して泣き叫ぶ、美女や美少女たち。
悪徳冒険者の中には女性もいたが、嬲られている女たちを見て、笑っていた。
まさに、酒池肉林の地獄絵図。
ここは、モンスターからも見つからないような小さな町だったが、勇斗たちが武力で占拠したのだ。
若い女は性欲の捌け口のために生かされ。
男や、中年以上の女性は、皆殺しにされていた。
冒険者の一人が、勇斗を見つけ、声をかける。
「あ!勇斗さん!勇斗さんも混ざりますか?」
「混ざんねえよ。勝手にヤってろ。それよりも酒よこせ」
冒険者が持っていた酒瓶をひったくると、そのまま飲み干す勇斗。
エリネはまだ、勇斗の部屋で眠っている。
昨夜はかなり激しく性行為をしてしまった。
勇斗は、乱陀とゴブリンの少女に対する怒りを、性欲に変えて、エリネにぶつけていたのだ。
勇斗の腹の中で、燃える黒い炎。
だが、もうすぐそれも終わる。
ハッカーの少年が探知した、とあるアイテム。
当然、仲間の冒険者たちには、その存在を知らせていない。
知っているのは、勇斗と、ハッカーの少年のみ。
神話級スキルブック『魅了』。
勇斗は、それを会得するつもりだった。
復讐の甘い妄想に、心を浸す。
正気のままの乱陀の目の前で、あのメスゴブリンを魅了して寝取ってやったら、どんな顔をするだろうか。
そして、その後で魅了を解除したら、あのメスゴブリンは、どんな風に泣いてくれるだろうか。
勇斗は、笑いをかみ殺す。
そして、その場の冒険者たちに叫ぶ。
「お前ら!出かける準備をしろ!次の獲物は魔導院本部だ!お宝は山分けにするぞ!」
喝采する冒険者たち。
勇斗は、宝など、いくらでもくれてやるつもりだった。
スキルブックだけは、誰にも渡さない。
服を着たエリネも、慌てて駆けつけてくる。
犯されて泣いている女たちを見ても、エリネは一切の関心を示さなかった。
エリネもこの二か月で、完全に勇斗の思想に染まりきってしまったのだ。
勇斗は、壁にかけてあった革のマントを羽織り、飛行船乗り場へと向かった。




