暗黒町の邪術師
紅蓮市。
元の名は紅蓮町。
二か月前の真宵市崩壊の難民受け入れから始まり、次々と人間が増え、一気に数百万人を擁する日本最大の都市となり、名称を変更したのだ。
紅蓮市は、市街地全体を、高く分厚い壁で囲い、モンスターの侵入を阻んでいる。
また、魔導院紅蓮支部の千人の軍人が、都市の内外を警備し、安全が保たれていた。
現在の地球は、ほとんどの場所が強力なモンスターで溢れ返り、人間が住める場所がかなり限定されていることもあり、安全な居住区には、人口が集中する。
なお、ナノマシンによる翻訳機能のおかげで、現在は国の違いによる言語の壁は、ほぼ無い。
そのため、日本地域以外からのモンスター種族や人間も、安全を求めて、移住してきているのだ。
今や、全世界の人口の約十分の一が、ここ紅蓮市に集まっていた。
元々、あらゆる種族が入り乱れていた、雑多な紅蓮町。
そこに、甲羅市から派遣されてきた建築系クランにより、雨後の筍のように、高層ビルが乱立された。
今では、モンスター種族と人間が混ざった住民で溢れる、ネオンサインの眩しい、甲羅市以上のサイバーパンク都市となっていた。
紅蓮市の一角、暗黒町。
狭い路地が入り乱れ、密集した高層ビル群により日の光が遮られているため、一日中、夜中のように暗い町。
町中は、色とりどりのLEDとネオンサインの明かりで、カラフルに染まっている。
健全な店から不健全な店まで、一通り網羅され、暗黒町で手に入らない物は、ほとんど無い。
法律で禁じられている物以外は。
この暗黒町では、犯罪を働く者は滅多にいない。
それは、一見すると奇跡のように見えるが、明確に理由があった。
そして今、その滅多にいないはずの犯罪者が、珍しく発生する。
ネオンサインを割りながら、エアボードで紅蓮市警察から逃亡する一団。
元真宵市の汚職警官たちによる強盗団である。
暗黒町で罪を犯すのは、決まって余所者。
なぜならば、暗黒町で犯罪を起こすことが、どういう意味を持つのか、知らないためだ。
逃走する強盗団によって割られたネオンサインの欠片が、人々の頭上へ降り注ぎ、悲鳴が上がる。
強盗団を紅蓮市警の飛行部隊が、魔法や翼で、追いかける。
先頭の猫人間の女性警官が、魔法の箒に跨り、ホイッスルを吹きながら、高速でビルの合間を飛び抜ける。
「止まりなさーい!止まらないと、撃つわよ!」
勧告する、女性警官。
「誰が止まるかよ、バーカ!」
「ちっ!あの猫、犯してやろうか?」
「お、それいいな!面白そうだ。乗った!」
「ぎゃはは!マジかよお前!じゃあ、あいつら捕まえるか?」
突然に、飛行していたエアボードを停止させ、警官隊へと向き直る強盗団。
女性警官たちを捕らえて、嬲りものにしようという思惑だ。
腰に差してあった剣を抜き放つ、強盗団。
警官隊も、銃や魔法の杖を取り出し、構える。
ウェアキャットの女性警官が、号令をかける。
「総員、こうげ……」
攻撃態勢に入る、警官隊。
そして強盗団の背後の暗がりを見る。
すると警官隊は、目を見開き、飛行を急停止させた。
「ストップ!に、逃げるわよ!」
慌てたように撤退命令を出す女性警官。
必死の形相で逃げ出す、紅蓮市警。
強盗団は、拍子抜けだ。
「あん?何だよ、不甲斐ねえな」
「でもよ、なんでまた急に逃げ出したんだ、あいつら?」
「俺たちにビビっただけだろ」
げらげらと笑う強盗団。
だが、真実は違う。
ウェアキャットの警官は、ぼそぼそと呟く。
冷や汗を、体毛の先から、滴らせながら。
「あ、あぶない……。巻き込まれるところだったわ」
そう、警官隊は、強盗団に怯えた訳ではない。
その背後の暗がりに潜む、強盗団などよりも遥かに恐ろしい存在を見てしまったのだ。
赤く輝く『Six Feet Under』の文字を。
★
ここは、魔導院・紅蓮支部である巨大建造物『迷い学園』。
元々は、真宵学園として魔改造された迷い家を、そのまま紅蓮支部として活用することにしたのだ。
また、魔導院の支部としての機能だけではなく、小中高一貫の巨大な学園でもある。
大都市である紅蓮市から通う、約一万人の学生。
一学年につき、およそ三十から百のクラスがあった。
迷い学園は、巨大な建造物ではあったが、内部はさらに途轍もなく広大だった。
魔導院支部長でもあり、学園長である、マモリのスキルによって、大幅に空間を広げたのだ。
数えきれないほどの部屋。
その内のひとつ、女子更衣室にて、女子高生の一団が、学園の制服から魔導院の軍服へと、装いを変える。
魔術師ツバキのチームだ。
ツバキチームは、冒険者から魔導院の軍人へと、鞍替えしていた。
放課後は、警察と共に、紅蓮市の治安維持の仕事。
ファイアーストームが広範囲を巻き込むため、ツバキは町の中では戦えない。
必然的に、紅蓮市周辺のモンスター退治係となった。
ツバキたち十人が、黒いマントを靡かせて、迷い学園の廊下を歩く。
道行く学生たちが皆、ツバキに注目をする。
これでも、真宵市の英雄だったツバキは、有名人なのだ。
ツバキは最初に紅蓮町に来た時には、モンスター種族ばかりで、発狂しそうになった。
乱陀たちからは、紅蓮町の住民は、見た目はモンスターだが中身は人間だと、事前に十回ほど聞かされてはいたものの、それでも発作的にファイアーストームを撃ちそうになったのだ。
チームメンバーが慌ててツバキを止め、大事には至らなかったが。
ツバキは、機械化した肉体の左脚を踏み出す。
ようやく、この左脚にも慣れてきたところだ。
この左脚は、つい先日、乱陀に切り落とされたのだ。
乱陀は、自分の左脚が燃やされたことを、決して許してなどいなかった。
お前は左脚だけで勘弁してやる、と乱陀に言われ。
本当は、脚を切られることなど、快く受け入れられる訳がない。
だが、左脚を差し出さねば、命を奪われることになる。
泣きじゃくるツバキを、チームメンバーが必死に説得したのだ。
その結果、切り落とされた脚を雷撃弾で焼かれ、再生もできずにサイバネの脚となった。
カース・ギフトで脚を切られた時の激痛を思い出し、涙目になりながら、ずかずかと歩みを進めるツバキ。
(くそっ!あの鬼!悪魔!)
心の中で乱陀を罵る。
だが、それを口に出せば「お前はもっと酷い事をしたくせに」と反論されるだけ。
結局、不服は飲み込んで黙っているしかないのだ。
ツバキチームの結界使いの一人、霞は、幼馴染のスーパーゴッドハンド竜次と付き合い始めたらしく、毎日、のろけ話を聞かされて、少しうんざりしていた。
自分は不幸で、周りはみんな幸せだ。
思わず、世の中に呪詛を吐きたくなる。
黒いオーラを背負って、サイバネの左脚を踏みしめる。
廊下ですれ違う生徒が、小さく悲鳴を上げた。
きっと今、自分は酷い形相だろうと思う。
だが、ツバキたちが歩いて来た方向とは、反対側からは、大きな悲鳴が聞こえる。
青い顔で逃げ惑う生徒たち。
ツバキは、廊下の向こう側を睨みつける。
このパターンは、きっと、奴に違いない。
生徒たちの集団が、まっぷたつに割れる。
その中央から、血塗れで歩いてくるのは、黄金の尾を持つ、軍服の男。
その男、乱陀を指差して、自慢げに言い放つツバキ。
「ほらやっぱり!」
「何がだ」
乱陀は小柄な軍服の少女と手を繋いでいた。
明るい緑色の肌のゴブリンの少女、カノンと。
カノンは、腰のホルスターに差し込まれた、白い9mmピストルに手を掛ける。
「あれ?今、乱陀さんを侮辱しました?」
「してないっ!断じてしてないっ!」
乱陀を差していた指を、慌てて引っ込めるツバキ。
このゴブリンの少女は、乱陀の事になると一切の見境が無くなるのだ。
「そ、それよりっ!なんでアンタ血塗れなのよ!」
「ああ、さっき強盗団を始末してな。そいつらの血だ」
乱陀は、紅蓮市の中でも治安が悪かった暗黒町の担当だ。
だが今は、暗黒町は紅蓮市の中でも最も治安のいい区域となっている。
罪を犯すのは、何も知らない余所者だけ。
住民たちは、ここ二か月で、嫌と言うほど思い知っているのだ。
罪人に罰を与えるのが、黄金の尾を持つ邪術師であることを。
ツバキチームのライトブリンガーの少女が、乱陀に提案する。
「あの、清潔化の魔法、かけましょうか?」
「ああ。助かる」
乱陀は、少女の提案を受け入れる。
当然、ただ受け入れる訳ではない。
だまし討ちに会う事も思慮に入れて、いつでも反撃できる体勢を取っている。
しかしそれでも、ほんの少しだけ、人間不信から立ち直り始めている。
一生続くかと思えた、他者への恐怖。
それが、たった二か月で一歩前へと進めたのは、全てカノンのお陰であった。
カノンさえ側に居てくれるなら、また誰かに裏切られても構わないと、そう思えた。
乱陀にとって、カノンという少女の存在は、あまりにも大きくなり過ぎた。
きっと、カノンにとっての乱陀も、同じだろう。
もう、二人は離れることができない。
だが、それでもよかった。
ならば堂々と、二人で一つでいればいい。
ライトブリンガーの少女が、乱陀とカノンに魔法をかけると、返り血がきれいに消滅した。
乱陀は、少女に攻撃されなかった事に対し安堵し、息を吐く。
こっそりと準備していた、カース・ギフトも、そのまま消した。
カノンも、ピストルに掛けていた手を、ようやく離す。
ツバキは、乱陀に問いかける。
「アンタたちも、お呼ばれ?」
「ああ」
ツバキたちは、左を向く。
乱陀とカノンは、右を向く。
みんなの視線が集中する、一点。
そこには、両開きの扉があった。
扉の上には「学園長室」の記載。
扉には、マモリのドヤ顔ダブルピースの写真が、引き伸ばされて貼ってある。
乱陀は、そのマモリの顔の部分を思い切り蹴り、扉を開けた。
「こ、こら!わらわのプレミア物の写真ぞ!蹴るとは何事か!」
部屋の主から、非難の声が上がる。
乱陀とカノンは、足音を踏み鳴らし、無言で部屋に入る。
ツバキは開いた扉から、中を覗く。
部屋の中央には、大きな白い丸いテーブル。
それを囲うように、ずらりと大量の椅子が並べられている。
テーブルの上には、ホログラムの地球儀が、ゆっくりと回っていた。
一番奥の席では、着物姿のボブカットの少女が、写真を蹴られた怒りを露わにし、拳を振り上げている。
その隣には、軍服姿に、頭に鉢巻を巻いた『クラッカー』、スーパーゴッドハンド竜次。
竜次の軍服の背には、白い塗料で「漢」の一文字。
少し離れた椅子には、白衣姿のエドワードと、軍服姿の飛鳥たちが、座っていた。
スーパーゴッドハンド竜次、パラディン・飛鳥、そしてクラン『光の翼』の飛鳥派のメンバー三十名弱も、ツバキチームと同じく、先日から魔導院へと所属を変えたのだ。
冒険者ほど危険ではなく、冒険者よりも安定した職業である、魔導院の軍人は、元冒険者たちにとっては、なかなか人気の職業であった。
飛鳥は、乱陀たちに文句を言う。
「遅いぞ、みんな~。アタシ、コーヒー三杯も飲んじゃったじゃん」
乱陀が、空席に座りながら、飛鳥に返答する。
「腹壊しても知らんぞ」
「そん時は、お前のせいだ」
初対面では、えらくきっちりとした喋り方だった飛鳥だが、最近ではこんな感じである。
どうやら、こっちが飛鳥の素の顔らしい。
乱陀の隣にはカノンが座り、飛鳥たちのそばには、ツバキチームが座る。
本当は、紅蓮支部には千人ほどの軍人が常駐しているのだが、今回呼ばれたのはこの面子だけだった。
マモリが、咳払いをすると、改めて部屋の中を見回す。
「さて。まず、そなたらに知って欲しい事がある」
テーブルの中央に浮かぶホログラムの地球儀に、竜次が手をかざすと、赤い点が三つ、バラバラの場所に表示された。
「二か月前の甲羅市に出現した、ランク6のダンジョン、奈落のアクアリウム。
あれを皮切りに、世界で三つ、他にもランク6と思われるダンジョンが出現したのじゃ」
飛鳥が、マモリに問う。
「ダンジョンって、ランク5が最高だったんじゃないのか?」
「今までは、そうじゃ。
だが、それを上回る難易度のダンジョンが、突然複数現れた。
便宜上、この現象を『アップデート』と呼ぶことにする」
アップデート。
ワイルドハント・ワールドには、運営となる会社が無い。
世界中に散った、ナノマシン『銀の細胞』のAIが、相互に綿密に情報を交換し、運営代わりになっているのだ。
そのアップデートも、ナノマシンの集合体の判断により、為されたものだろうか。
「なお、発見されたランク6ダンジョンは、元カナダに一つ、元エジプトに一つ、そして太平洋のド真ん中に一つ、計三つが発見されておるが、未発見のランク6の存在も否定できん。
竜次。資料を皆に共有せよ」
「おう!」
竜次は、ナノマシン通信で、部屋の中の全員に、ダンジョンの情報を共有する。
乱陀の網膜に映し出される、元エジプトの地図。
「実はのう、既に魔導院の本部が、砂漠に出現した、ランク6ダンジョンを攻略したのじゃ」
顔を顰める、マモリ。
それを疑問に思う乱陀。
「何だその顔。いいことじゃねえのか?」
「ある問題が起きての。それに、四百名以上で攻め込んで、生き残ったのが三名しかおらん」
「ほぼ壊滅だな。逆に、その三人は何なんだ」
「魔導院本部の最強の三名なのじゃ」
そこに、エドワードが注釈を入れる。
「本部最強の三人って言ったら、藍之介君、ファーフライヤーさん、華虎さんの三人ですか?」
「いかにも」
「ああ、その三人なら、確かにランク6でも攻略しそうですね」
「特に藍之介は、今回のボスを倒した経験値により、レベルが一気に80まで上がったそうじゃ」
「乱陀さん並みの化け物が、また生まれてしまいましたか……」
乱陀は、二か月前の真宵市崩壊の時に見た、レイピア使いの男を思い出す。
確か、あの凄まじい剣技の持ち主が、藍之介だったはず。
その時は、まだレベル19だというのに、冒険者の集団を圧倒していた。
それがレベル80になったというのだから、今の藍之介の強さは、計り知れない。
乱陀は、再びマモリに問いかけた。
「それで、俺たちが呼び出されたのは、何だ?
他のダンジョン攻略でもさせようってのか?」
「……いや。今の話に出てきた、攻略済みのダンジョンのクリア報酬が大問題なのじゃ」
「報酬が問題?」
「とある、スキルブックでの」
スキルブックとは、消費アイテムの一種で、使用者に特定のスキルを会得させるものだ。
一度使うと、消えてしまう。
だが、スキルブックが大問題とは、まるで意味がわからない。
その場の全員が、首を傾げる。
マモリは続ける。
「そのスキルブックが下手に誰かの手に渡り、そのスキルを習得されれば、世界が滅びかねん。
今は、魔導院本部の地下奥底で、大量の結界で固められて封印されておる。
なにせ、そのスキルブックは、何をやっても、破壊不可能なのじゃ」
「活火山の中とか、深海とかに沈めればいいんじゃねえのか?」
「その程度では、高レベルのトレジャーハンター系ジョブの奴らに、あっさりと見つかって取られてしまうわ」
乱陀の質問に、唸って返すマモリ。
ツバキは、思い切って聞いてみた。
「ねえ、いい加減、濁すのはやめてよ。
それ、何のスキルブックなの?」
みんなが、マモリを見る。
マモリと竜次が、横目で互いに頷き合う。
「うむ。そなたらに隠しても仕方なかろう。
そのスキルブックとは……」
マモリは、溜息と共に、そのアイテムの名を呟いた。
「神話級スキルブック『魅了』である」




