【真宵市編・最終話】乱陀とカノン
崩れ行く真宵市の道を、エアボードで滑走するエリネたち。
飛鳥の盾の一撃により、顔面の骨が粉砕され気絶している勇斗は、チームメンバーに抱えられていた。
上空からは、ガラスやコンクリートの破片が、雨のように降り注ぐ。
エリネチームの全員が、エインヘリアルのスキルで防御力が上がっていたため、小さな破片くらいでは傷つくことはなかったが、大きなガラス片やコンクリートの塊は、弾き返せずに皮膚を斬り裂く。
その場の全員が血塗れになりながら、倒れて来る高層ビル群の下を潜り抜け、被害の少ない公園へと辿り着いた。
エインヘリアルの痛覚遮断の付与により、今は痛みを感じていなかったが、もうそろそろ効果が切れる時間となる。
このままでは、激痛に悶え苦しむことになる。
もう一度エインヘリアルをかけるMPは、エリネには残っていなかった。
痛覚遮断が効いている間に、HPを回復せねばなるまい。
エリネは、ヒーラークラン『ホワイトクロス』の高レベルヒーラーの四人に声をかけた。
「もうすぐエインヘリアルの効果が切れちゃうから、その前に回復してくれない?」
「わかりました。MPポーションをください」
エリネは、きょとんと目を丸くする。
「えっ?持ってないの?ポーション」
「契約では、ポーションはそちらが準備する手筈では?」
「……えっ?」
「……えっ?」
互いに血塗れの顔を見合わせる、エリネたち。
状況を理解し始めると、血だらけのエリネの顔が青く染まる。
「い、いやいや、なんでMP切らしてんのよ!アンタたち、プロのヒーラーでしょ?」
「は?MPを切らしたのは、エリネさんを回復したからですよ?
手足を切り落とされて、全身穴だらけの貴方を、装備まで含めて再生したんですから。
そもそも、そちらが用意するはずのMPポーションを含めての救出計画だったんですよ。
それなのに、こちらの落ち度のように言われるのは心外ですね」
エリネの侮辱に、こめかみを痙攣させるヒーラー組。
今回は、四肢を切断され、アイアンメイデンに全身を串刺しにされて穴だらけになっていた、エリネからのナノマシン通信を受け、勇斗たちと共に救助へと向かったのだ。
意外なことに、エリネには監視の一人も付いていなかった。
ただ、部屋の中に置かれていただけだった。
それは、乱陀としても、エリネに逃げられても構わなかったためである。
逃げられたら逃げられたで、また追いかけて復讐を再開するだけだ。
カノンもエドワードも、ナノマシン通信を妨害するジャミング系スキルを持っていなかったこともある。
当然、ツバキチームのラジオマスターは、信用などできなかったのだ。
なお、ヒーラー組の四人は、もともと自分のスキルとして痛覚遮断を持っているため、エインヘリアルの時間切れに関しては、気にも留めていない。
痛覚遮断スキルは、ジョブによって取得のしやすさが違う。
ヒーラーや防御系は、比較的低レベルで取得が可能だが、攻撃系や支援系は結構な高レベルにならないと、取得ができない。
非戦闘職になると、そもそも取得が不可能なジョブも多い。
レベルが下がったエリネや勇斗、そして勇斗チームの剣士四名は、痛覚遮断スキルを所持していなかった。
慌てふためくエリネ。
「どどどどうすんのよ!このままじゃ……」
ズキン、と痛む額。
「痛っ!」
時間切れがやって来た。
消失する、痛覚遮断。
ガラスやコンクリートに斬り裂かれた、全身の皮膚が、一気に痛みを伝達する。
「ひぐっ!あっ!ひっ!ひぎっ!あああああああっ!」
あまりの激痛に、泣き叫ぶエリネ。
涙がどばどばと、零れ落ちる。
勇斗チームの剣士四名も、叫び、苦しみ、悶えていた。
気絶していた勇斗も、顔面を粉砕された痛みが全身を走り、強制的に目が覚める。
「うぎゃああああああっ!」
凄まじい痛みで、地面を転がる事しかできない、勇斗。
そして、割れて隆起したコンクリートの角に、粉砕骨折をした顔面を、思い切りぶつける。
「……あっ!……ぉ、ぁ」
びくんびくんと、全身を跳ねさせ、痙攣する勇斗。
最早、声すらも出せなかった。
ヒーラー組の四人は、その様子を冷たい目で見ていた。
そして、エリネたちに一方的に告げる。
「私たちは帰らせてもらいます。また、クラン・ホワイトクロスは、貴方たちには、二度と力を貸すことはないでしょう」
ホワイトクロスは、金銭を対価にヒーラーを派遣する、傭兵集団だ。
そのため、勇斗やエリネによる、乱陀追放の真実をネットで見てはいたが、金さえ積まれれば、そこに関しては、気にしていなかった。
だが、自分達への侮辱は、絶対に許せないのだ。
エアボードを浮かせ、エリネたちを一瞥するヒーラーの四人。
ナノマシン通信により、ホワイトクロスの他のメンバーは、既に真宵市を脱出していると知った。
ヒーラーの四人も、そのままエアボードで、真宵市から去ってゆく。
真宵市の公園には、痛みで転げまわる、エリネたちだけが残されていた。
★
乱陀たちは、エアボードに乗り、崩れ行く真宵市の上空を飛んでいた。
次々と倒れ、折れる、高層ビル群。
目指すは、真宵市を切り離し、唯一、無事に浮かぶ真宵学園。
先ほどからネットには、マモリによる声明が出されていた。
真宵市の住民には、しばらくの間、魔導院・紅蓮町支部が衣食住を提供する旨を。
そして、新しい生活基盤の構築や、仕事の斡旋も、サポートすると。
真宵市の空を走る大量のエアドライバーが、紅蓮町へ向かう。
もしツバキを紅蓮町に向かわせるのであれば、紅蓮町の住民はモンスター種族だが、中身は普通の人間であると、死ぬほど言い聞かせねばなるまい。
ほとんどの冒険者クランも、魔導院の指示に従い、速やかに真宵市を去っていった。
だが、それでも抵抗する者がいた。
彼らは、ダンジョンテイカーズと手を組み、美味い汁を吸っていた、悪徳冒険者たち。
乱陀は、真宵市の上空に漂う飛行船を見る。
飛行船からは、数多くの軍人や、魔導院側の冒険者たちが、エアライダーやエアボードで、真宵市に乗り込んでいる。
浮遊する真宵学園の周辺では、真宵市の悪徳冒険者クランたちと、戦いが始まっている様だ。
乱陀たちの近くのビルの合間でも、戦いが起きていた。
乱陀はその戦いに目を剥く。
魔導院の軍服を着た、レイピアを持った男が、たった一人で、五十人ほどの冒険者クランを圧倒していたのだ。
同じレイピア使いでも、エリネとは雲泥の差である。
彼は、高速移動のブーツの赤い軌跡を幾筋も宙に残しながら、次々と冒険者をレイピアで斬り裂いていた。
エドワードが、それを見て、乱陀に解説する。
「あれは、魔導院本部のエース、藍之介君です」
「凄え動きだな。剣を目で追うのがやっとだ」
「ちなみに彼、今、レベル19です」
「……は?」
エドワードは、驚く乱陀の顔を見て、嬉しそうに笑う。
その顔が見たかった、と言わんばかりに。
「彼、僕たちの世代では有名人なんですよ。
フェンシングの中学・高校のタイトルを総なめにした、絶対王者。
彼、ワイルドハント・ワールドは未プレイらしいです」
エドワードが言うには、藍之介は、その手に持っているレジェンド級レイピア一本あれば、敵なしだそうだ。
高レベルの防御力も、結界も、魔法や攻撃スキルすらも、そのレイピアで斬り裂ける。
そのレイピアさえあれば、レベルやステータスなど飾りだと、豪語しているらしい。
実際、ステータスに頼らない、自分自身の力のみで、冒険者クランを壊滅させている。
まだ見ぬ猛者がいるものだ、と乱陀は思う。
激化している戦いの間を縫って、乱陀たちは飛ぶ。
たまに攻撃魔法が流れてくるが、全てを飛鳥の盾が受け止めていた。
飛鳥が盾を構えると、攻撃魔法が、なぜか盾に集中する。
乱陀たちにも、エアドライバーにも、向かっていた魔法があったはずなのに。
まるで盾に、強烈な引力が働いているかのように。
真宵学園は、もうすぐそこである。
その時、一人の大男が、二十メートルはありそうな巨剣を構え、エアボードに乗り、乱陀たちの目の前に立ちはだかる。
彼のキャラクター名は、『武神・”ザ・バトルロード”・武王』。
ダンジョンテイカーズと手を組み、悪徳に身を染めた、強力な剣士だ。
武王は、二十メートルの巨剣を、乱陀に向けて突きつける。
巨剣には、幾つもの鎖や鉄の輪が付いており、それが、じゃらりと音を立てる。
武王は、凄まじい声量で、言い放つ。
「貴様らが、ダンジョンテイカーズを滅亡させた輩だな!
よくもまあ、余計なことをしてくれたものだ!
せっかく築き上げてきた、俺様の地位も、無に帰した!
その罪、血をもって贖ってもらおう!」
巨剣を振り上げる、武王。
エアドライバーの助手席に立つ飛鳥が、盾を構える。
ぎらりと、目を光らせる武王。
その武王は、猛スピードで現れた、『バーサーカー』ブラッドラストの運転する、エアライダーに轢かれ、吹き飛んだ。
「ひぎゃあああっ!」
ブラッドラストのバイク、エアライダーは、前面に棘や刃が付いた、凶悪な改造を施されている。
一撃で身体中の骨が折れ、棘や刃により、切り刻まれる武王。
そして、ブラッドラストの後ろに乗っていたバーバリアンの少女クレアが、武王目掛けて大きくジャンプし、斧を振るう。
武王の目に映る、斧の刃。
「ちょっとまて!ちょっとまて!」
叫ぶ武王。
だが、クレアの斧は止まらない。
バトルジャンキーズのメンバーは、決して止まらないのだ。
武王は、胴体を両断され、死亡した。
エアライダーでクレアを受け止めたブラッドラストが、乱陀たちの元へとやって来る。
「やあ、こんにちは。お怪我はありませんか?」
眼鏡の奥で、にこやかに笑うブラッドラスト。
エドワードが、ブラッドラストに会釈をする。
「ありがとうございます。おかげさまで、僕たちは全員無事です」
「それはよかった。それでは、私たちは次の戦いがありますので、これで失礼します」
ブラッドラストが笑顔を残し、エアライダーを加速させ、去って行く。
乱陀は、エアドライバーの後部座席に乗っていた、シグマに告げる。
「ちなみに、今の奴が、本物のバーサーカーだ」
「えっ?うそ!メッチャ紳士じゃん!アンタたち、お互いにジョブ間違えてんじゃないの!?」
「失礼な奴だな」
真宵学園に到着すると、エドワードに抱き着く小さな影があった。
迷い家でもある、この真宵学園のダンジョンマスター、座敷童のマモリだ。
「エドワード!迷い家が!戻って来たよ!私たちの迷い家が!」
マモリはエドワードに抱き着き、大号泣をしていた。
マモリにとって、迷い家は、思い出の詰まった宝物。
「マモリさん、口調が元に戻ってますよ」
「今はいいの!だって!だって!うええええん!」
ぼろぼろと涙を流す、マモリ。
エドワードは、マモリの頭を撫でる。
「そうですね。僕にとっても、大切な迷い家です。ずいぶんと、様変わりしちゃいましたけど」
泣きじゃくるマモリを、宥めるエドワード。
ふと、一陣の風が吹く。
乱陀は、辺りを見回した。
誰かが、乱陀の肩に触れた気がしたのだ。
しかし、乱陀の背後には誰も居なかった。
乱陀は、少しの違和感を覚える。
何かを忘れているような気がする。
隣のカノンも、少し離れた所にいる飛鳥やツバキたちも、怪訝な表情をしていた。
そう、皆、何かを忘れているような気がしていたのだ。
だがそれは、もう絶対に思い出せない、記憶の空白。
レベル80のシーフ、シグマが、皆の、とある記憶を抜き取っていたのだ。
シグマは、真宵学園の廊下を歩きながら、乱陀たちから抜いた記憶のデータディスクのホログラムを両手に持ち、渾身の力で圧し潰し、破壊する。
それは、マキコたち少女が、勇斗に強姦されたという事実の記憶。
既に、マキコたちや、他の強姦された少女たちの、辛い記憶は全て抹消済み。
真宵学園の生徒の男子や、少女の彼氏を含めた、全ての関係者の記憶消去も、対応は済んでいた。
誰もが、もう何があろうと、二度とその事を思い出す事は無い。
忘れさせたのではなく、記憶を破壊したのだから。
今では、この事を知るのは、シグマと、元凶である勇斗のみ。
当然シグマは、勇斗をこのままにしておくつもりは無かった。
消去屋シグマは、起きてしまったことを、無かった事にするのだ。
必ず、勇斗の記憶も、消し去ってみせる。
窓の外を見ると、強姦された少女と、その彼氏が、仲良くエアドライバーに乗って、真宵市から飛び立つのが見えた。
彼らの表情には、一点の陰りも無かった。
シグマは、自分の根城である、真宵学園の八階にある第三家庭科室に到着すると、その隣にある家庭科準備室へと向かう。
そこには、シグマの手作りの、水子供養の小さなお墓があった。
シグマは、お墓に手を合わせる。
不幸なことに、勇斗の子供を妊娠していた少女も、何人かいたのだ。
シグマは、本人すら気付かない内に、勇斗の子供を体内から盗み出していた。
強姦による望まぬ妊娠。
堕胎は、必要だったのだ。
子供の存在が発覚すれば、皆が不幸になる。
その子を含めて。
だが、子供に罪はない。
きれいごとの自己満足に過ぎないが、シグマはお墓に祈る。
せめて、安らかに眠って欲しいと、願って。
★
その夜、マモリにスキルロックを解除してもらった乱陀とカノンは、第五音楽室へと運び込んだベッドの上で、手を繋いで座っていた。
近くに会った、第二プールに備え付けられていた、シャワーを浴びて。
「ねえ、乱陀さん」
カノンが、そっぽを向いたまま、乱陀に呼びかける。
「何だ?」
「あのう……。キス、してくれましたよね?」
口移しでポーションを飲ませたことを言っているのだ。
「あ、ああ。あの時は、ああするしかなくて」
「嬉しかったんです」
カノンが、ぽつりと呟く。
「私、ほら、見た目が気持ち悪いじゃないですか。
なのに、あそこまでしてくれて」
「俺は、カノンの肌、綺麗だと思う」
カノンは、乱陀をちらりと見る。
「お、お世辞ならやめてくださいよ……。
本気にしちゃいますよ?」
乱陀は、カノンの身体を抱き寄せる。
そして、頬を撫で、その口にキスをする。
「ん……」
カノンの、艶めかしい声。
舌と舌を絡ませる。
唇を離すと、カノンの潤んだ目線が、乱陀を捕らえていた。
「乱陀さん、ダメです。私、本当に止まらなくなっちゃいます」
「それは俺の方だ。もう、止める気はないぞ?」
ベッドにカノンを押し倒す乱陀。
そのはずみで、枕の下から、何かが出てきた。
袋に入ったままの、何個かのコンドーム。
このベッドは、保健室から持って来たもの。
きっと、どこかの誰かが、このベッドで同じことをしていたのだろう。
これはたぶん、その時の忘れ物。
乱陀は、そのコンドームを手に取り、カノンの上着を脱がす。
手で胸を隠すカノン。
「……は、はずかしい、です」
「見せて。カノンのこと、全部知りたい」
カノンは、おそるおそる、手を除ける。
一糸纏わぬ、カノンの上半身。
カノンの明るい緑の肌は、月明かりに照らされて、新緑の若葉のように美しかった。
一瞬だけ乱陀の脳裏には、勇斗とエリネの逢瀬の場面が、フラッシュバックする。
だが、カノンが乱陀へ抱き着き、口づけをすると、乱陀の心は、カノン一色に染まる。
今、この時だけは、乱陀は復讐を忘れ、ただの男子高校生へと戻っていた。
カノンが、恥ずかしさのあまり、目を逸らしながら、乱陀へと懇願した。
「あの、私、初めてなので……。
やさしく、してくださいね?」
乱陀は自らも服を脱ぎながら、カノンの身体に口づけの雨を降らす。
その都度、小さく跳ねる、カノンの身体。
コンドームの一つを袋から取り出す乱陀。
緑の肌を赤く染めたカノンの身体が愛おしかった。
そして、その夜、乱陀とカノンは結ばれた。
乱陀はカノンの身体に夢中になり過ぎて、やさしくは出来なかった。




