沖村花音
水雲乱陀は、ふわりふわりと空から降りてくる。
その間に、幾つかの強力なスキルを習得していた。
眼下には、壊滅した都市があった。
乱陀が小学生の頃に起きた、ナノマシンの暴走による大災害。
それが起きるまでは、この地は東京と呼ばれ、日本の首都であったのだ。
乱陀も、真宵市に移り住むまでは、この街で暮らしていた。
小学生の頃、まだ無害だったリアルRPG『ワイルドハント・ワールド』で遊んでいた思い出が蘇る。
今は、錆びた信号機と、朽ち果てた高層ビルも、蔦だらけになり、道路には野生の猪や鹿が、歩いていた。
たった数年で、文明と言うのは滅びるものなのだ。
それにしても、痛覚遮断のスキルを取って正解だった。
それが無ければ、痛みで死んでしまっていたかもしれない。
すると、高層ビルの廃墟の隙間から、野生化した牛や羊の群れが、何かに追い立てられているように、全力で疾走していた。
どすん、と奥から聞こえる衝撃音。
(……何だ?)
目を凝らすと、獣たちの群れの後から、一人の少女が、宙を駆けて来る。
その少女は、明るい緑色の肌に、八重歯のような牙。
ショートカットの黒髪に、140センチメートルほど背丈の、可愛い顔の、小柄な女の子。
黒い軍帽を被り、金の鎖を幾つも下げた黒の軍服。
黒のブーツに、黒いマントを羽織っていた。
そして、その奥から現れたのは。
黄金の鱗を持つ、ドラゴン。
着地した彼女は、マントの下の、腰のホルスターから二丁の拳銃を抜いた。
黒のブーツの底から、赤い魔法陣が地面に広がる。
魔法陣の外周には『日本魔導院・疾風ノ術』の文字。
その瞬間、少女は消えた。
足の裏から広がっていた、魔法陣の赤い光を残し。
それは、本当に消えたのではなく、目にも止まらぬ速さで跳んだのだ。
少女は上空に飛び上がると、二丁の拳銃で、黄金の竜を撃つ。
発射される9mm徹甲弾。
だが、黄金竜の鱗は硬く、徹甲弾すらも弾く。
鱗の表面に、うっすらと傷が付いただけだった。
「えっ!?ウソっ!」
少女は、驚愕する。
乱陀は、上空から戦いを眺めていた。
鱗の傷が再生しないということは、あの銃弾は本物ではなく、ナノマシンによるスキルのようだ。
最初は、少女を助けようと思っていた。
だが、他人と関わるのが恐ろしかったのだ。
どうせまた、裏切られるだけだと、心に刺さった棘が痛む。
だが、あの黄金竜。
無くなった手足にするには、丁度いい素材かもしれない。
少女が宙を駆け巡り、銃を撃つ。
だが、竜の黄金の鱗は貫けない。
竜が長い尾を鞭のようにしならせ、少女の胴体を強打する。
「が、はっ」
廃ビルの壁まで吹き飛び、地に落ちる少女。
竜が、口を開ける。
喉の奥には、灼熱の炎が見えていた。
黄金竜が、火炎を吐く。
炎が、少女に迫る。
目を瞑る少女。
そして、少女の前に、上空から降りてくる乱陀。
乱陀は、空中に浮いたまま、右手を黄金竜にかざした。
乱陀にだけ見える、巨大な下向きの黒い矢印。
重力を与える『グラビティ・ギフト』の発動である。
乱陀の左頬に輝く『Six Feet Under』の赤い文字。
高圧の重力により、吐き出した炎と共に、粘性の音を響かせながら潰れる、黄金のドラゴン。
炎が霧散する。
この技は、体重が重ければ重いほど、威力が増す。
巨体のドラゴンには、うってつけだった。
「……え?」
軍服の緑肌の少女が、きょとんとした顔で、竜を見る。
身体中の肉が潰れ、骨が砕け、目玉と内臓が飛び出し、大地に臥した黄金竜。
少女の隣に乱陀が舞い降り、ひび割れたコンクリートの地面に座る。
左脚のない乱陀は、立つことができないのだ。
乱陀を見て、驚く少女。
「……えっ?ど、どなたですか?
うわっ!手と足が無いですよ!
だだだ大丈夫なんですか!?」
「いや、大丈夫じゃない。
だから、あいつからHPを貰う」
乱陀は、黄金竜へと右手をかざす。
黄金竜から乱陀へと、赤い矢印が伸びていた。
竜の左の前脚と後脚、そして尾が、銀色のナノマシンとなって、分解される。
そして、そのナノマシンの群れは、乱陀の左腕と左脚となって、再結合される。
乱陀の左半身に生える、黄金の鱗の手足。
そして、黄金の尾。
これは、HPを奪う『ライフ・スティール』というスキル。
HPを与える『ライフ・ギフト』とセットになっている。
竜のHPを奪ったことで、失われた左腕と左脚も、黄金竜のものを奪えたようだ。
おまけに黄金の尾まで付いて来てしまったが。
今、乱陀の容姿は、左腕と左脚が、黄金の鱗の生えた竜の手足となり、尻からは、三メートルほどの長い黄金の尾が、ズボンを突き抜けて生えていた。
そして左頬に赤く輝く『Six Feet Under』の文字。
乱陀は、黄金の鱗の左手を、何度か握る。
「まあ。問題はなさそうだ」
乱陀の横では、軍服でマント姿の少女が唖然としている。
「あ、あの、もしかして……」
きらきらと輝く、少女の瞳。
「私を助けてくれたんですよね!」
少女の目は、まっすぐに乱陀を見つめていた。
乱陀は、反応を返さない。
本当は、ただ竜から命を奪うだけではなく、少女を助けたつもりでもあった。
だが、信じていた者全てに裏切られた乱陀は、誰も信じることが出来なくなっていた。
少女は、悲し気に目を伏せる。
「……あ、そ、そうですよね。私の事なんか助けないですよね。ゴブリンだし。あはは。早とちりしちゃったなぁ」
少女は、のそりと起き上がり、マントを引き摺って、とぼとぼと歩き出した。
乱陀は、その姿がまるで、自分自身のように思えて。
いつの間にか、少女の腕を掴んでいた。
驚き、振り向く少女。
「えっ?」
「あの、そのな。たぶん、また同じことが起きたら、同じように助ける。ゴブリンだとか、俺には知ったこっちゃない」
そう、種族など知ったことでは無かった。
同じ人間に裏切られたばかりなのだ。
少女の緑色の肌に、赤みが差す。
「ゴ、ゴブリンでも、関係ないん、ですか……?
みんな、私の事を見捨てて当たり前なんですよ?
今だって、ドラゴンが出たから、他のメンバーに置いて行かれて……」
「ああ。ゴブリンだろうが、何度でも助けてやるよ。
あと、どこかで服を買える場所知らないか?ほら、ボロボロでさ」
乱陀が着ているのは、高校の制服のブレザー。
だが、勇斗に腕を斬られ、魔術師には足を焼かれ、さらには黄金の尾まで生えてきたことにより、乱陀の制服は、ところどころパーツを失っていた。
緑色の肌の軍服少女は、乱陀の両手を握りしめ、まっすぐに乱陀を見つめる。
「知ってます!一緒に!一緒に行きましょう!あのドラゴンの結晶を取れば、いい服が買えますよ」
モンスターと化した動物や人間を倒すと、その肉体の中からはナノマシンの結晶が手に入る。
これは、様々な魔法道具の材料となるため、高額で取引をされているのだ。
「あ、申し遅れました!」
少女は、少しずれた軍帽を、左手でまっすぐに直す。
笑った口元からは、八重歯のような牙が見えた。
「日本魔導院所属。
『ゴブリン』
沖村 花音です!」
★
紅蓮町。
きっと、元は別の名前であっただろう。
廃墟となったビル群を改造して出来上がった、町。
今では、数多の種族で溢れ返っている、魔界であった。
オークの経営する肉屋では、ミノタウルスが鶏肉を買っている。
酒場では、ウェアウルフとトロルが飲み比べをしていた。
ドワーフの魔法道具屋では、ハーピーの女性が脚輪を試着している。
道路には、様々な種族のモンスターたち。
カノンに連れられた乱陀は、物珍しさに辺りを見回す。
カノンが先行して、町を案内していた。
「ここ、ただの人間ってほとんどいないんですよ」
「ああ。モンスターの種族ばかりだな」
「でも、安心してください。ここの人たちは、理性を失ってません。中身は普通の人間のままなんです」
普通の人間。
その普通の人間とやらに、乱陀は殺されかけたのだ。
人間が一番信用できなかった。
敵のモンスターの方がまだマシだった。
最初から敵だと分かっているからだ。
カノンだって、同じなはずだ。
中身は普通の人間の奴らに、ドラゴンの前に置き去りにされたのだ。
先を行くカノンが、振り返り乱陀に笑いかける。
笑うと、八重歯のような牙が覗くカノン。
「やっぱり、目立ってますね。しっぽ」
住民のみんなが、乱陀をちらちら見ている。
乱陀は黄金竜から奪った長い尾を、丸めて持ち上げ、人混みを歩いていた。
この尾は伸ばせば、三メートルはある。
長い上に、鱗が金色に輝いて、非常に目立つのだ。
そこに、誰かの肩とぶつかった。
ガラスの割れる音。
「あ~!大切な酒が!」
横を見ると、ハイエナの顔のコボルトが、落とした袋を見て、困り顔。
コボルトは、乱陀へと突っかかって来る。
「どうしてくれるんだよ!両親へのプレゼントだっていうのに!弁償しろ!」
乱陀は、コボルトを見つめる。
恐らくこれは、古典的な詐欺。
割れた瓶の中身は、安物の酒だろう。
「おい!聞いてんのか!十万円もする酒だってのに……」
乱陀は、長い尾をコボルトの首に巻き付かせ、持ち上げる。
「ぐええええっ!」
「ら、乱陀さん!」
カノンが狼狽え、周囲の住民がざわつく。
乱陀は、尾で持ち上げたコボルトへと、左手を掲げる
「お前、死んだほうがいいな」
乱陀の目に映る、コボルトから乱陀へ走る、幾つもの赤い矢印。
乱陀の左の頬に、赤く輝く『Six Feet Under』の文字。
HPを奪う、ライフ・スティールの発動だ。
その時、遠くから聞こえる、ホイッスルの音。
警察の飛行部隊が、こちらへやってくるのが見えた。
翼や魔法で飛行してくる、制服警官のモンスターたち。
乱陀は、尾でコボルトを捕まえたまま、黄金の左手を警官隊に向ける。
「乱陀さん!ダメ!」
カノンが、乱陀の左手に、しがみつく。
乱陀は、ほんの少しだけ落胆する。
ああ、結局は、味方なんて一人も居なかったのだと。
カノンは、潤む目で乱陀を見つめ、必死で叫ぶ。
「乱陀さん!あの警察官の人たち、乱陀さんを捕まえに来たんじゃないんです!」
そこに来て、初めて乱陀は手を下ろす。
「どういうことだ?」
カノンは、コボルトを指差す。
「この人、詐欺の常習犯で有名なんです!警察からも目を付けられていて……」
そこに、警察の飛行部隊が到着する。
箒に跨って先頭を飛んでいた、ウェアキャットの女性警官が、乱陀の尾に巻かれたコボルトを、冷たい目で見下す。
「あなた。またやったのね。次は無いと言っておいたはずですけど」
「ち、違うんだ!今回のは、本当に高い酒で……」
歩み出るカノン。
「なら、魔導院で、成分を分析しましょうか?」
「なっ!?余計なことをすんな!このメスゴブリンが!」
その一言こそが、余計であった。
乱陀は、まるで自分自身が侮辱されたかのように、怒りを覚える。
尾に込められた力が増す。
「ぐえええええっ!」
「乱陀さん!死んじゃいますって!」
カノンが尾に抱き着いて、コボルトを絞め殺そうとしている乱陀を止める。
警官隊も、慌てて乱陀に言う。
「そ、そこの君、怒る気持ちはわかるけど、ちゃんと罰は受けさせるから、奴を離してやってくれないか?」
コボルトは、目を充血させ、泡を吹いていた。
まだ死亡はしていないようだ。
乱陀は、その場の地面に、コボルトを放り出す。
警官隊は、コボルトに手錠をかけ、乱陀へと謝辞を述べる。
「すまない。もう二度とこんなことはさせないので、容赦して欲しい」
「次、見かけたら、殺すと伝えておけ」
乱陀は警官隊に言い放つ。
乱陀は、今はもう、誰に対しても敬語すら使わなくなっていた。
この世の全員が敵対したとしても、それはそれで構わなかったのだ。
逮捕され、警官隊に連れて行かれるコボルト。
カノンは、乱陀のブレザーの裾を摘まむ。
「……何だ」
「あの、今、私への悪口に怒ってくれたんですよね?」
「さあな」
「え、えへへへ……」
でれでれと弛緩する、カノンの表情。
明るい緑色の肌が、今は真っ赤だ。
「ほら、服買いに行くんだろ」
「あ、そうでした!」
カノンは、乱陀の右腕に抱き着く。
柔らかい、カノンの感触。
乱陀はカノンを見つめる。
カノンは、目を逸らしている。
「どうした」
「ややややっぱり、触ったら駄目ですよね?ゴブリンとか、緑色で気持ち悪いですよねっ?」
カノンは素早く乱陀の腕から離れる。
乱陀は一息ついて。
カノンの手を握る。
「……あっ」
「ほら、行くぞ。案内してくれ」
カノンの目から、一粒だけ涙が落ちる。
乱陀はそれを、見ない振りをした。