消去屋シグマ
ヒーラーの少女に治療を施され、傷があらかた癒えたツバキは、立ち上がる。
「私も連れて行って!このままなんて、自分が許せない!」
カノンが、冷たい目をツバキに向ける。
「私は反対です」
乱陀が、同意する。
「俺もだ。信用できるか」
シグマが、提案する。
「まあまあ、これから高レベルが揃ったクランと戦わなきゃいけないかもしれないんだし?頭数は多い方がいいと、お姉さん思うなぁ」
乱陀がツバキに指を突きつける。
「こういう奴はなぁ!どうせまた、いいように言いくるめられて、敵に回るのが落ちなんだよ!生かしておくだけありがたいと思っとけ!」
ツバキが、乱陀に、懇願する。
「お願い!もう間違えないから!」
「嫌だね。いつ後ろから焼かれるか分からん」
そこに、割って入るシグマ。
「それじゃあさ、とりあえず『光の翼』について、ツバキちゃんの知ってる事、全部喋って貰って、それから考えたら?」
「俺は、何言われても、鵜呑みにはしねえぞ」
ツバキを睨む乱陀。
ツバキは、深呼吸し、語り出す。
「えっと、私が知ってる事ぐらいでいいなら……。
たしか、メンバーは八十人くらい。
リーダーは、剣士の勇斗君。
エリネちゃんも加入したって言ってた。
サブリーダーは、パラディンの飛鳥さん。
たぶん、一番話が通じるのが、飛鳥さんだと思う。
他のメンバーは、勇斗君を完全に信じ切ってるけど、飛鳥さんだけは、なんかこう、ドライ、って感じで」
ツバキの説明に、シグマが後を続ける。
「じゃあ、その飛鳥さんって人に、乱陀君の記憶を見てもらうのが一番手っ取り早そうね」
「そいつの言っていることが嘘じゃなけりゃな」
乱陀はあくまで、懐疑的だ。
慌てて手を振るツバキ。
「う、嘘じゃないよ!でも、私も『光の翼』について、そんなに詳しいわけじゃないから……」
乱陀の記憶が確かなら、ツバキはどこのクランにも属さず、少数のパーティで行動していたはず。
おそらくは、今ここにいる九人と組んでいるのだろう。
他のクランの内情など、知る由もない。
乱陀は、ツバキの後ろにいる、女子高生たちを見る。
ヒーラーの少女が、皆のカノンに撃たれた傷を癒して回っていた。
ヒーラーの少女は、乱陀の左頬に付いた、今も血が流れている、横一直線の傷を見る。
大きなガラス片が突き刺さった傷。
「あ、あの、その傷も、治します。私たちのせいだし……」
ヒーラーの少女は、乱陀の顔に触れようとする。
だが、乱陀は黒銀の金属の右手で、ヒーラーの少女の手を払う。
「俺に触るな。何されるか分かったもんじゃねえ」
「で、でも、そのままだと、傷跡残っちゃうんじゃ……」
「別にいい。だから触んな」
マントを翻し、カノンの隣に移動する乱陀。
「カノン、行こう。
シグマ、明日の朝八時に、ここで集合だ。いいな?」
「ほーい」
シグマが、ひらひらとサイバネの手を振る。
乱陀とカノンは、どの部屋に泊まるのかを、誰にも見られないようにするため、ブーツの高速移動を発動させ、中庭の上空を出鱈目に駆け巡る。
中庭の空に走る、幾つもの赤い光の線。
そして、皆が気が付いた時には、二人はどこかへ消え去っていた。
★
「乱陀さん、縫いますね?」
「ああ」
二人がやって来たのは、九階にある、第五保健室だった。
丁度良く、乱陀の頬の傷を縫うための、医療用裁縫セットが置いてあった。
丸く曲がった針で、螺旋を描くように乱陀の傷を縫うカノン。
乱陀の痛覚は切ってあったが、だからといって放っておいていいものでもない。
傷口の末端まで縫い終わると、糸を結び、鋏で余った糸を切るカノン。
「終わりました」
「ありがとう、カノン。本当なら、あいつらからライフ・スティールでHPを奪えば、こんなもん治るんだけどな。でも、下手したら殺しちまうし」
本来なら微量のHPを奪うライフ・スティール。
しかし、レベル139のウォーロックのライフ・スティールは、よほど魔法耐性の高い人間でなければ、命を吸い尽くしてしまう。
クラスメイトの男子たちと、なるべく人を殺さないように約束した手前、戦意を喪失した相手から命を奪うのも気が引けた。
(なんだかんだ言って、きっと俺はまだ、甘いんだよなぁ)
人間不信にはなったが、残酷になるかどうかはまた別の話。
カノンを傷つけようとする者がいれば、躊躇なく幾らでも殺人に手を染めるが、自分の事になると、そこまで苛烈にはならない。
だからこそ、カノンやエドワードと知り合えたのではあるが。
(エドワードくらいは、信用してもいいかもしれないんだけどな)
乱陀は、影のように真っ黒な姿の、一つ目の男を、頭に浮かべる。
本心では、エドワードは善人だと分かっている。
だが、頭が勝手に、架空のエドワードの裏切りの姿を思い描いてしまうのだ。
自分でも、病的だとは理解していた。
だが、治しようがない。
この被害妄想に関しては、なるようにしか、ならないだろう。
当然、妄想ではなく、現実に裏切った場合には、一切の容赦をするつもりは無いが。
エリネたちに裏切られた当初は、出会う人間全員を、皆殺しにしかねない勢いであった乱陀。
今もカノン以外は全員信用できない事には変わりないが、さきほどのツバキたちのように、生かしておくという選択肢を取れたこと自体が、自分でも驚きだ。
二週間前と比べると、乱陀の心には、ずいぶんと余裕ができていた。
これも間違いなく、カノンのお陰だろう。
この二週間、毎日、何時間も、ずっと一緒に居てくれたカノン。
最初の内は、カノンのことも信じることはできなかった。
だが、お互いに心の傷を曝け出し合った。
二人とも孤独で、周りは敵ばかり。
境遇が似ていたこともあり、二人とも、お互いに自分自身を重ねていたのかもしれない。
「乱陀さん、どうしたんですか?」
ふと気づけば、カノンが乱陀の目を覗き込んでいた。
明るい緑色の肌の、可愛らしいゴブリンの少女。
「いや、カノンの事を考えてた」
「えっ……。う、嬉しいですけど、恥ずかしいです……」
頬を赤く染め、顔を俯かせるカノン。
乱陀は、黄金の鱗の左手で、カノンの手を取る。
「寝ようか。明日も早い」
「はい!」
乱陀とカノンは、手を繋いで保健室のベッドに潜る。
二人は、ここ最近は、いつも一緒に寝ていた。
だが、性行為はおろか、キスもしたことが無い。
ただ、手を繋いで眠るだけ。
それだけで、よかったのだ。
「乱陀さん」
「ん?」
ふと、乱陀の頬にあたる、温かい濡れた感触。
カノンの、唇の感触。
「お、おやすみなさい!」
カノンは、布団をかぶり、潜り込んでしまった。
乱陀の心臓が、高鳴る。
カノンは、掛け布団から、ちらりと目から上だけを出し、乱陀を見つめる。
「あの、今の、私の、ファーストキス、ですから……」
そしてまた、布団を素早くかぶるカノン。
乱陀は、すっかり目が冴えて、寝付けなくなってしまった。
乱陀は、保健室の天井を見つめる。
そこに、黒銀のサイバネの右腕を掲げてみる。
神話級装備『堕天』。
乱陀の網膜には、一つの選択肢が表示されていた。
堕天の効力の一つ『スキルブレイク』。
網膜に映し出された解説によると、敵に右手で触れるだけで、一種類だけスキルを破壊できるようになるらしい。
それには、事前に何のスキルを破壊対象にするかを設定しておく必要がある。
そして、一度設定したら、破壊対象のスキルは、変えられない。
だが、乱陀はもう決めていた。
復讐に必要なこと。
乱陀は、黒銀の右手に、設定を行う。
スキルブレイクで破壊できるようにするのは、あのスキルだ。
★
翌朝。
真宵学園の中庭に、集合した乱陀たち。
乱陀とカノン。
シグマ。
そして、ツバキと、そのパーティ。
意外なことに、ツバキパーティは誰も抜けず、全員が参戦するようだった。
脳に直接叩き込まれた、乱陀の過去の映像が、よほど強烈だったらしい。
そして、詳しく聞くと、やはり結界使いの五人組は、全員がレベル80前半で、装備もレジェンド級だった。
残る四人のジョブは、ヒーラー兼バフ係『ライトブリンガー』、ジャミングも使える情報通信役『ラジオマスター』、エアボードなどの機械を扱う『エンジニア』、そして近接戦闘役の『剣士』。
なおワイルドハント・ワールドでは、剣士と魔法使いが、鉄板ジョブである。
ジョブに迷ったら、剣士か魔法使いにしておけと言われるほど。
そのため、剣士と魔法使いの人口は多い。
乱陀は、シグマに問う。
「んで、どうすんだ?全員で突撃すんのか?」
「そんなの、私が死んじゃうよ!」
シグマのジョブ『シーフ』は、隠密行動による、不意打ちと盗みが得意分野だ。
逆に、正面切っての戦闘は苦手で、レベル80のシーフであるシグマも、レベル40の剣士にすら勝てない。
シグマは、金属製の指でピースサインをする。
「私がいるんだから、もちろん今回は、スニーキングミッションで~す!」
シグマは掌を差し出すと、その上にホログラムの立体マップが浮かび上がる。
「これ、クラン『光の翼』の本部のマップね」
「こんなもん、どこで手に入れたんだ」
「それは、企業秘密」
シグマはマップをタッチし、随所を拡大する。
「一階のここが入り口。そんで、そのまま階段上がって三階の……ここ!」
シグマが、三階の一点を差す。
「この部屋に竜次君がいるらしいのよ」
竜次。
スーバーゴッドハンド竜次のことである。
現在、真宵市には、竜次による検閲が敷かれ、ネットに上がる情報も『光の翼』にとって都合のいいことしか出回っていない。
「で、その竜次君を倒せば、ネットも正常に戻るわけよ。問題は、ハッカー系は戦闘ジョブじゃないから、十中八九、他の護衛が付いてるわね」
シグマのその言葉に、結界使いの内、二人が顔を見合わせる。
「あの、私たち、スーパーゴッドハンド竜次君のクラスメイトなんですけど……」
「なに控えめに言ってるの。アンタ、竜次の幼馴染でしょう」
「あ、うん」
幼馴染、という言葉で、乱陀の胸が苦しくなる。
エリネと、勇斗と、乱陀。
三人で仲良く過ごした日々の記憶が思い出される。
その全ては、偽りだったというのに。
竜次の幼馴染の少女が続ける。
「竜次君、『光の翼』から脱退しようと思ってるみたいなんです」
シグマが、目を丸くする。
「え?なんで?」
「竜次君、曲がったことが嫌いで……。
昨日、ここに来る前にも会ったんですけど、『光の翼』に都合のいい情報だけをネットに流通させるのとか、すごい嫌がってたんです。
勇斗さんが飛行船から一人で逃げたのは事実なのに、って。
今はまだ、渋々ハッキングしているみたいですけど、たぶん彼、そろそろ我慢の限界です」
シグマが、乱陀に目を送る。
「じゃあ、乱陀君の記憶を見て貰えば、仲間になってくれるかもね!」
「かもしれないです。少なくとも、『光の翼』からは離れると思います」
「ふふーん。
なんとなーく、作戦の全体像が見えてきたわね。
まずは竜次君を『光の翼』から引き剥がす。
そんで、ネットが使えるようになったら、乱陀君の無実の記録をアップロードする。
そしたら勇斗に味方する奴もかなり減るから、どさくさに紛れて、勇斗から、女の子たちの記録映像を盗んでブッ壊す」
竜次の幼馴染の少女が、シグマに尋ねる。
「女の子たちの記録映像?」
「あー、こっちの話!」
シグマが、金属の手をパタパタと振る。
シグマは最終的には、勇斗が持っている強姦の記録映像だけではなく、強姦された少女や、その彼氏の、悲痛な記憶を全て盗んで破壊するつもりだった。
もちろん、他にも事実を知っている全員の記憶までも、全て。
強姦は既に起きてしまったこと。
だが、被害者本人を含め、誰の記憶にも無く、どこにも記録が無ければ、過去の事実も無かったことにできる。
もし仮に、勇斗の子を妊娠してしまっている少女がいたら、かわいそうではあるが、その胎児を体内から盗み出して、堕胎させる。
シグマならば、誰にも気付かれずに、それこそ本人にすら気付かれずに、全てを速やかに終わらせることが可能だ。
これがシグマの仕事。
起きてしまった事を、無かったことにする。
消去屋シグマ。
シグマは、手を叩き、話を進める。
「じゃあまず、潜入メンバーを決めましょ。まずは、絶対必要なのは、私ね」
乱陀がシグマを見る。
「俺とカノンもだ。他人任せにはできない」
竜次の幼馴染の結界使いの少女も手を上げる。
彼女の名は、霞。
「私も行かせてください」
シグマが、両手を上げる。
「OK、OK。ここまでにしましょう。私のスキルで隠蔽できるのは、これくらいの人数が限界」
乱陀が、問う。
「隠蔽?」
「そ。シーフのスキルで、少数グループなら、光学迷彩で疑似的に透明化して、隠れられるのよ。
っていうか、乱陀君、自分の立場分かってる?大量殺人犯の指名手配を受けてるんだよ?そのまま乗り込む気だったの?」
乱陀は、完全にそのまま乗り込む気であった。
だが、そこに魔術師のツバキが声を上げる。
「ちょ、ちょっと!私を抜かさないでよ!」
シグマは、金属製の人差し指を立てる。
「まあまあ。ツバキちゃん。
これは、内部に潜入するメンバーを決めただけよ。
スーパーゴッドハンド竜次君をどうにかしたら、たぶんそのまま勇斗たちと戦いになるわ。
ツバキちゃんたちは、その戦闘要員として、本部の外で控えていて欲しいの」
ツバキは、ぎりぎりと歯を食いしばりながら、何とか自分を納得させる。
シグマが、霞を手招きする。
「霞ちゃん、ちょっとこっち来て」
「はい?」
霞は、言われるがままにシグマに近づく。
シグマは霞に、見えない布をかぶせるような仕草をする。
すると、霞が見えなくなった。
その場の全員が、目を見張る。
「えっ!消えた!?」
しかし、その場から霞の声がする。
「えっ?私、今どうなってるんですか?」
シグマが、霞の声がした場所から、布を抜き取るような動作をする。
すると、現れる霞の姿。
「これが高レベルシーフの技。カメレオンベールだよ。すんごい便利な技だけど、誰かに触ると、その人からは見えるようになっちゃうから、誰にも触らないように要注意ね」
乱陀が、頷く。
「わかった」
乱陀は、黒銀のサイバネの拳を握る。
カノンは、白の二丁拳銃をホルスターから抜き放つ。
シグマが自分たち四人にカメレオンベールをかけた。
傍から見れば、透明化した乱陀たち。
今、乱陀たちが校門から真宵市内へと歩み出る。
「『光の翼』本部、襲撃開始だ」




