永遠のレベル1
これは、少し先の未来の話。
増殖性ナノマシンを使った、リアルRPG『ワイルドハント・ワールド』が世界中で大流行した。
ナノマシンにより、現実世界で使えるようになった、魔法や技。
敵のモンスターも、ナノマシンによって構築された、偽物の生命体。
魔法や技で、モンスターを打ち倒す快感。
世界中の皆が、『ワイルドハント・ワールド』に夢中になっていた。
ある日、コンピューターウィルスによって、ナノマシンの暴走が起きるまでは。
ナノマシン『銀の細胞』が世界中に拡散、増殖し、この世の常識と法則が変わったのだ。
それまでは、人間がモンスターに殺されても、それは疑似的な死を演出しただけに過ぎなく、痛みも無い。
少しの時間が経てば、少しのペナルティと共に、あっさりと蘇るものだった。
しかし、暴走したナノマシンによって、現実のモンスターとして作り変えられた人間や動物は、現実に人を殺す存在へと成った。
元々『ワイルドハント・ワールド』をプレイしていた人間は、ゲーム内のステータスやスキルを引継いだ、キャラクターそのものへと変化した。
問題は、ゲームをプレイしていなかった人間。
種族やジョブ、果てはモンスターとなるか否かまで、完全にランダムに決められてしまったのだ。
運が良ければ、人間のままに。
運が悪ければ、人を襲うモンスターに。
なお、ナノマシン『銀の細胞』で作られたモンスターは、通常の火器や兵器では倒せない。
銃で撃たれても、爆弾で粉々になっても、増殖性ナノマシンの力で完全修復される。
モンスターを倒すには、『ワイルドハント・ワールド』の武器や魔法でないと殺せないよう、プログラムされているのだ。
世界各国で起きた、モンスターによる、一般市民の大量殺戮。
大砲もミサイルも無効化されるため、軍隊ですら、為す術も無く壊滅した。
結果として、世界人口は激減。
数十億人いた人口は、あっという間に数千万人を下回った。
まさに怪物の跳梁跋扈する死の世界。
それが、今の地球の状況。
★
ここは、日本の上空を飛ぶ都市、真宵市。
もともとは、「迷い家」という空飛ぶ屋敷だったのだが、建築系のスキルを持った人間たちにより、増築と魔改造を繰り返され、迷い家を中心とした空飛ぶ都市となったのだ。
十六歳の男子高校生、水雲乱陀は、今日から高校二年生になる。
真宵市には、中学も高校も一つしかないので、クラスの面子は見慣れた顔ばかりだったが。
乱陀が視界の端に意識を向けると、生命力であるHP、魔法を使う燃料であるMP、そしてレベルやジョブ、ステータスが網膜に映る。
乱陀のレベルは、ある事情により、1のままだった。
過去には、レベル10くらいまで上がったことがあるのだが、今は1にまで下がっていたのだ。
今は使えるスキルも、基本スキルである一つだけ。
だが、乱陀はそれでよかった。
自分は、戦いになど向いていないのだ。
それこそ、死亡してもあっさりと蘇る、ゲームの中でなら話は別だが、血と痛みに溢れた、現実の戦いなど、ごめんだ。
乱陀の両親は、乱陀が小学生の頃に、ナノマシンの暴走により、理性の無いモンスターと化していた。
それを討伐したのは、幼馴染で親友の、勇斗。
勇斗は当時、レベル25で、ジョブは剣士。
今では、真宵市で最強の、レベル91の剣士だ。
乱陀は、寝ぼけ眼で、とぼとぼと登校する。
乱陀のジョブはウォーロックという、よくわからないものだった。
『ワイルドハント・ワールド』では、千以上のジョブがあり、しかも詳細な情報を公開していない。
まだナノマシンによる大災害が起きる前の平和な時代では、剣士や魔法使いなどの有名どころのジョブは、どのようなスキルが会得できる選択肢にあるか、世界中のプレイヤーが綿密に情報交換を行っていた。
だが、乱陀のウォーロックは、マイナー中のマイナー。
誰も使っているのを見たことすら無い。
どのようなスキルを使えるようになるのか、誰も知らない。
むしろ、だからこそ面白そうだと思って選んだ節もある。
要するに、ただのノリだ。
乱陀自身も、このジョブを選んで初めて、ウォーロックの特性を知ったくらいだ。
乱陀は、伸びをする。
平和だ。
この空飛ぶ真宵市から出さえしなければ、平和なのだ。
地上では、どんな地獄が繰り広げられていようとも。
そこに、長い黒髪の少女が、乱陀の腕に絡みついて来た。
もう一人の幼馴染で、乱陀の恋人のエリネだ。
「おはよ、乱陀!」
「おう、おはようエリネ」
乱陀は、エリネの頬にキスをする。
いつもの挨拶。
乱陀とエリネは、キスより上の関係にはなっていなかったが、それもやがて、自然と前に進むだろうと、乱陀は漠然と考えていた。
「ねえ乱陀、聞いた?勇斗のクラン」
「ああ、地上のダンジョンを一つ踏破して、お宝一杯持ち帰ってきたんだろ?動画配信してたから、見てた」
乱陀の親友の勇斗は、高校生にして、既に冒険者であり、またクランの代表であった。
クランとは、大規模な冒険者グループの事だ。
勇斗のクランは、80名を超えている。
「すげぇよな。幼馴染として、鼻が高いぞ」
「乱陀、何もしてないじゃん」
「あ~、俺はほら、縁の下の力持ちってやつだよ。実は影ながらサポートしてるんだぞ?」
「嘘ばっかり。ずっとレベル1じゃん」
「だって俺、戦わないもん」
乱陀は、へらへらと笑う。
エリネも、くすくすと笑う。
「そだ、乱陀、今日は一緒に帰れないかも」
「ん?ああ、また女子会?」
「そんなとこ」
エリネは最近、頻繁に友人と女子会を行っているのだ。
女子の世界は面倒くさそうだ、と乱陀は思う。
乱陀とエリネが歩いていると、通りを挟んだ向こう側に、少女の集団が見えた。
その中心は、乱陀とエリネの幼馴染であり、真宵市最強の冒険者、勇斗。
「勇斗、モテモテだな」
「そりゃあね、どこかのレベル1とは違うよ」
「俺の人生にレベルは必要ないのだよ」
乱陀は、一生戦いとは無縁でいる気であった。
戦いに身を置かなければ、レベルが幾つだろうと関係がない。
エリネが頬を膨らませる。
「彼氏がレベル1っていうのも、恰好悪いんですぅ」
「そこは、レベル1を彼氏にしているんだから、しょうがないでしょ」
乱陀とエリネがぶらぶらと歩いていると、見えてくる巨大建造物。
真宵市立、真宵学園だ。
校門から伸びるレンガ造りの道のサイドには、満開の桜。
今日から、二年生。
どうせ面子は今までと変わらないだろうけれど、なんとなく心機一転する乱陀であった。
★
放課後。
乱陀は、使っていない教室に忍び込み、マンガ本を読みふける。
今日の授業は、自己紹介だけで終わった。
皆、顔見知りだというのに。
そんなことを考えていると、人の気配がやって来る。
無断で教室に侵入している身としては、誰かに見られてはまずい。
乱陀は、急いで机の下に身を隠す。
すると、教室のドアが開いた。
机の下から、男女の脚が見える。
どうやらやってきたのは、カップルのようだ。
口づけを交わす音がする。
まさか、ここで逢瀬を重ねようというのか。
これは気まずい。
見つからない内に、退散しようと、床を這って移動する乱陀。
そこに、声が聞こえてきた。
「ねえ、勇斗。そろそろちゃんと付き合ってよ」
「お前だって、乱陀どうすんだよ」
「あれはあれで、役に立つんだもん。キープよキープ」
乱陀の動きが止まる。
その声に、聞き覚えがあった。
両者とも、十年以上の付き合い。
片方は、乱陀の恋人。
の、はず。
「あんっ。ちょっと、がっつかないでよ」
「ダンジョン帰りなんだ。溜まってんだよ」
「もう。ゴムちゃんと着けてよ?」
「ナマでもいいだろ。乱陀の子供ってことにしとけよ」
「乱陀とはまだエッチしてないから、無理よ」
「なに、周りを言いくるめれば、何とでもなるさ」
くすくすと笑う、親友と恋人。
乱陀は、汗が滝のように流れ、指一本動かせなかった。
だが、身体は勝手に反応してしまうもので。
胃液が込み上げてくる。
「おえええええっ!がはっ!げほっ!」
空き教室の木製の床に、胃の内容物を吐き散らす乱陀。
がたん、と音を立て、こちらを向く勇斗とエリネ。
「ら、乱陀!?いつからそこに……」
慌てて、脱ぎかけていたブラウスを着るエリネ。
その時に、胸がちらりと見えてしまった。
まさか、恋人の胸を初めて見る場面が、他の男の手によるものだとは、思ってもみなかったが。
乱陀は、ふらふらと立ち上がり、教室のドアを開ける。
後ろからは、乱陀を呼ぶ声が聞こえる気がした。
今は、何も考えられなかった。
ただ、一人になりたかった。
★
翌日。
乱陀は、朝、起きることが出来なかった。
何もやる気が出ない。
学校に行けば、勇斗やエリネと顔を合わせてしまう。
乱陀は何も悪くないはずなのに、二人の顔が見たくないばかりに、学校をサボることにしたのだ。
結局、エリネに取って、乱陀はただの太鼓持ちに過ぎなかったのだろう。
ちやほや褒めるための要員。
本命は、もう一人の幼馴染。
「……死にたい」
ぽつりとつぶやく、乱陀。
目からは、勝手に涙が流れてくる。
好きだったのだ。
愛していたのだ。
だがその気持ちは、一方通行だっただけ。
きっとこんなことは、世の中には溢れている。
戦いに身を置かなくとも、修羅場はやってくるものだ。
もう、エリネの事は忘れよう。
勇斗と勝手に仲良くやっていればいいさ。
乱陀は、むくりと起き上がる。
その時、窓の外から、猛スピードで飛来する、幾つもの影。
乱陀の部屋の窓ガラスを割り、乗っていた箒から床に下り立つ人影。
それは、乱陀のクラスメイトの魔法使いたち。
「乱陀、てめえ……。見損なったぞ」
「この、クズ野郎」
「レベル1のくせに」
「私、前から、何かやらかすと思ってたんだよね」
怒りの目で乱陀を睨むクラスメイトたち。
訳が分からなかった。
一体、何がどうなっているのだ。
クラスメイトの一人が、乱陀に手をかざすと、乱陀の周囲に鎖が現れ、巻き付いた。
身動きが取れなくなる乱陀。
クラスメイトたちが、乱陀を巻いた鎖の端を持ち、再び箒に乗る。
「行くぞ。みんなが待ってる」
そのまま、箒を宙に浮かせ、発進するクラスメイト達。
乱陀を鎖にぶら下げて。
乱陀は今、真宵市の端に追いやられていた。
目の前には、何もない、崖。
遥か下には、地上の廃墟群が見える。
乱陀の周りには、真宵学園の全生徒と教師。
勇斗のクランメンバー。
そして、警察や地元民までもが、わざわざお越し頂いている模様だ。
その場に揃っていたクラスメイトは全員、激怒していた。
乱陀に。
勇斗へではなく。
エリネへでもなく。
乱陀に。
エリネは、勇斗の胸に縋り付き、泣いていた。
乱陀に無理矢理、襲われたと。
乱陀は、思う。
ああ、そういうことか。
そういうことに、なったのか。
結局は、乱陀を悪者に仕立て上げ、勇斗とエリネは、被害者面だ。
特に勇斗は、今や真宵市の英雄。
多くの企業がスポンサーになっていた。
親友の恋人を寝取ったなどという、醜聞は致命的。
乱陀が余計なことを言う前に、先手を取って始末しようという魂胆だろう。
事実、クラスメイトは一人残らず、勇斗とエリネを信じきっている様だ。
今さら乱陀が何を言っても、聞く耳など持ちはしない。
勇斗が、エリネを優しくどけて、腰に差した剣を抜く。
「乱陀。お前の事を親友だと思っていた俺が馬鹿だった。エリネは俺が守る」
クラスメイトやクランメンバーから、声援が上がる。
周りの人間は、勇斗に心酔しているようだった。
大した役者ぶりだ。
勇斗が、剣を振る。
乱陀の目には、一瞬たりとも見えないほどの、凄まじい速度の剣。
気が付いた時には、左腕が肩から斬り飛ばされていた。
「え?う、うわあああああ!」
後からやって来る、激痛。
血が、どばどばと流れ出ている。
痛みで涙が止まらない。
勇斗は、剣を鞘に収める。
その目がニヤニヤ笑っているのを、乱陀だけが見ていた。
警察は、誰一人動かない。
真宵市の英雄の言う事を、信じて疑っていないらしい。
法治国家だった日本は、とっくの昔に無くなっていた。
クラスの集団からは、エリネの友達の女魔術師が登場する。
魔術師が両手を前に差し出すと、乱陀の左脚に向かって炎が走る。
「ぐああああっ!」
炭となって燃え尽きる、乱陀の左脚。
不幸中の幸いなのか、左脚を燃やした火炎によって、左腕の傷口も焼かれ、出血が止まっていた。
乱陀の網膜には、ナノマシンによるワーニングメッセージが映し出されていた。
残りのHPが少ないと。
エリネが涙を流しながら、クラスメイトを見回して、言う。
「みんな、最後は私にやらせて」
エリネが、乱陀の元へやって来る。
昨日までは、最愛の恋人だったはずの、エリネ。
乱陀の両肩を掴み、囁く。
「ごめんね、乱陀。
やっぱり、レベル1の彼氏とか、恰好悪くていらない」
エリネが、乱陀の肩を押す。
左脚が焼失していたため、踏ん張ることすらできずに、宙にふわりと舞う。
乱陀は、その場の全員を睨みつける。
(ああ、そうかよ。お前ら全員、それでいいんだな)
乱陀は、残った右腕を、クラスメイト達に向ける。
(なら、返してもらうぞ!利子付きでな!)
乱陀の目には、自分の身体から、クラスメイト全員へと向かう、幾つもの細い緑色の矢印が見えていた。
それは乱陀にしか見えない、矢印。
乱陀はその矢印を、全員分、まとめて掴む。
すると、クラスメイト達を指していた矢印は逆転し、乱陀を指した。
乱陀に流れてくる、経験値。
凄まじい速度で、乱陀のレベルが上がるのが、網膜の端に見える。
乱陀のジョブ、ウォーロックの特性。
与える。
奪う。
どちらも、元となる数値から、大幅に強化した上で。
それが、邪術師ウォーロック。
レベル1のウォーロックである、乱陀が唯一使える技。
自らの経験値を、仲間に分け与え、利子を付けて奪う技。
乱陀は今、クラスメイトに与えた分の経験値を奪ったのだ。
乱陀が与えた分よりも、遥かに多くの。
この技は、本来は多くても数日間程度、パーティのレベルの底上げに使われるようなもの。
そのため、奪い返す時の利子の上乗せも、微々たるもののはずだった。
だが、乱陀は数年間、クラスメイトに経験値を与え続けた。
乱陀がクラス全員に与えた経験値は、レベルにするとほんの1か2程度のものだったが、数年間分、蓄積され続けた利子が雪だるま式に増え、想像を絶する量の経験値強奪となったのだ。
そして、乱陀の左の頬には、赤く輝く文字が現れた。
『Six Feet Under』の文字。
空中都市、真宵の端から、下界へと落ちて行く乱陀。
体内のナノマシンにより、視界に浮かぶ、幾つもの選択肢。
習得可能な、大量のスキルの選択肢。
クラスメイト全員の力を奪った乱陀は、レベル138のウォーロックとなっていた。
(とりあえず、何か飛行系のスキルを取らないと、このまま墜落死だ)
墜落死は、ナノマシン『銀の細胞』の判断でも、有効な死亡条件となる。
落ちて死んだらナノマシンで再生されない。
待ち受けているのは、本物の死だ。
乱陀は激しく瞳を動かし、視界に現れている習得可能なスキルを高速で確認する。
(これだ!)
乱陀は一つのスキルを思い描く。
体内のナノマシンが反応し、スキルをロードする。
今、乱陀が取得したのは、重力を奪う『グラビティ・スティール』、そして重力を与える『グラビティ・ギフト』である。
乱陀は、グラビティ・スティールを起動する。
乱陀の周囲に見える、下向きの黒い矢印。
可視化された重力だ。
乱陀は、身体を回転させ、残っている右手で、周囲の矢印を全て掴み取る。
途端、ふわふわと綿毛のように浮く乱陀。
自分にかかっていた重力を、奪ったのだ。
「……どうにか、死なずには済みそうだな」
乱陀は次に、痛覚遮断のスキルを取得する。
このままでは、痛みだけで死にそうだったからだ。
乱陀は仰向けに浮遊しながら、上空の都市を睨みつける。
市民。
警察。
勇斗のクランメンバー。
クラスメイトども。
そして、勇斗とエリネ。
今、乱陀には、全てが敵に見えていた。
「絶対、この借りは返す。
一人も逃さねえ」
緩やかに落ち行く乱陀は一人、復讐を誓う。
今日、この時起きたことが、真宵市を壊滅させる原因になろうとは、誰もが思っていなかった。




